HomeNovel << Back IndexNext >>
5.変化【その3】

 足音を立てないで歩く研究が進んでいたようで、後ろから「わっ」と脅かされてそりゃあもうびっくりした。心臓が止まるかと思ったよ。今日はしとしとと雨が降っていて水溜りが出来ているからそこに尻餅つかせようとしたとしか考えられない。
 川澄先生は成功したのが嬉しいのかしたり顔をする。陰険だ。校舎から自転車置き場までは結構な距離があるというのに、傘を差さなかったから髪が濡れている。太い腕でガシガシと頭を掻いて水滴を飛ばす様子は爽やかな好青年を思わせて怒らせる気をなくします。スポーツしてる人って大概若く見えてしまう。こっちの身にもなってほしいものだ。会って早々だけど昨日のことを聞いてみる。


 それはなんとも妙なことだった。思わず聞き返してしまう。
「だから、運動部の部室で探し物」
 生徒会の人が部室に入るなんて不祥事でも起こしてしまったのか? そうだとしたら同じ高校に通う人間として情けない。この高校はバスケ部以外の運動部も強いけど、毎回準決勝・準々決勝辺りで負けてしまうためバスケ部の陰に隠れている。
「探し物は見つかったんですか?」
「いや……」
 重い言葉を返された。川澄先生の機嫌は芳しくない。そんなに重要なものなのだろうか。気になるな。
「運動部の資料って部室に保管されてると思ったんだけどな。違ったか」
「資料?」
「これまでの対戦成績などの資料は部室に保管することに決まってるんだ」
 ええ! そんな重要資料を部室に置くなんて無用心だ。普通は校舎に保管するべきだと思うけど決まりなら仕方がない。……あれ、なんかおかしいな。よく考えてみる。
 なんであの場にマイマイがいたんだろう。バスケ部顧問の川澄先生と和樹くんはいいとして、吹奏楽部のマイマイがいるなんてどう考えてもおかしい。生徒会で来ているのかと思っていたが、もしかしたら強引についてきたのかもしれない。あの性格だ。その可能性は十分あり得る。
「マイ……麻衣はどうして一緒だったんですか?」
 さっきから質問責めな気がするけど、そのために来たようなもんだ。
「日野は庄子と一緒に来たな。あの二人……」
 顎に手を置き逡巡する。もったいぶらないで早く言って欲しい。気になる。川澄先生をじっと見てると、仕方ないといった感じで長いため息をつく。そして元から大きい目がこれ以上ないくらい開かれた。血走っている。
「俺の目には甘い睦言を交わしながらに見えた!」
 は?
 川澄先生は自分の感情に素直な人だから、うそや冗談を言う人ではない。醜い三角関係を作ろうとしているなんて微塵も感じない。……と思う時点でちょっとでも感じてるか。マイマイが本格的に参戦してきたら私は……和樹くんを勝ち取れる自信が今はない。マイマイ以外にも和樹くん狙いの人はいるからここで私が少しでも引き下がってしまったらそれで終わり。でも、優しくされてつらい思いをする人なんて私だけで十分だ。それを乗り越えられるのは私だけだから。私だけ、私だけ。自己暗示をかけるように何度も心の中で復唱する。そうでもしないと和樹くんと一緒には居られない。……そこまでして一緒に居たいのかと問われるとノーだ。自然体のままで接したい。
「それで、ゆかりんは何の用で俺を呼び出し?」
 川澄先生は真剣モードに入っていた。野太い声カッコイイ。じゃなくて、和樹くんとのこれからについて聞いてみたい。川澄先生なら何か……そこまで考えて、なんておこがましいんだろうと思って自分が恥ずかしくなった。私たちのことを応援するとは言ってくれたけど、恋愛教授まで頼むなんて出過ぎだ。自分で考えろよ。恋愛にマニュアルなんかないって思えよ。間が空きすぎるのも不自然なのでなんとかはぐらかそうと天気の話をする。我ながら芸がない。
「今日は梅雨みたいにジトジトしてていやですねー」
 言いながら思った。人なんてそんなもんだ。暑かったら寒いほうが良いって言って、寒かったら暑いほうが良いって言って。恋愛っていうのはすごい。世界中に大勢居る中の一人だけを愛して、恋をする。熱が冷めて冷静になってもその人だけを好きでいられる。そんな人たちが結婚するんだ。だから違う人を求めて浮気する人が出てくる。川澄先生は怪訝そうな顔をする。
「昨日呼び出したんなら、その話題は」
 しまった! そこまで考えが回らなかった。こう見えて川澄先生は怜悧な頭脳の持ち主だから、矛盾してるところを見つけたらすぐ指摘してくださる。
「……庄子と何かあったろう?」
 あ。
 真実を見抜いている。やっぱり頭の回転が速い。亮は同じクラスで私をよく見ているらしいから見抜かれても不思議ではないけど、川澄先生はあの一瞬の間で理解できたのか。
「あったといえばありましたけど今はもう」
 仲直りできたのかな……。少なくともデートの翌日よりは関係が戻ってきている。
「そうか。それならいいんだが。何があっても俺は応援するよ」
 川澄先生に後押しされるとすごく心強い。でもこのままの関係じゃいずれ別れてしまうと本能が告げている。私はどうすればいいんだろう。恋愛に答えなんかない。川澄先生は感情が十二分に入った言葉を重々しく私に告げた。
「ただ、見栄は張らんようにな」
 的確な指摘が心に響く。和樹くんには有りの儘の姿でいて欲しいと思ったけど私はどう? 妄想癖があるのを知られたくないから隠して。見栄を張って和樹くんの前では泣かないようにしてる。私の部屋は散らかってて、ガサツな性格の持ち主だと言わなくて。私は厚い虚飾で自分を覆い隠していた。上辺を取り繕って自分を「良い女」だと見せかけて。相手のことよりまず自分が、見えてなかったんだ。自分から変わらなきゃいけない。嫌われたくないからって、ずっと我慢していた言葉がモヤモヤと頭に浮かんだ。
 そんな私に比べて和樹くんは包み隠さずいろんなことを言ってくれている。時間に縛られたくない、男の子は女々しいからってあまり口外しないらしい料理をしていることだって話してくれた。川澄先生は腕時計に目をやるとハッとした顔をする。
「期末テスト近いから勉強がんばってな。……俺も」
 その声はどんどん殊勝で弱々しくなっていった。それで忙しいんだ。なるほど納得だ。期末テストかぁ……それまでにはこの気持ちに蹴りがついてればいいな。川澄先生の哀愁漂う後ろ姿を完全に見送ってから傘を差す。しとしとと降っていた雨は勢いを増し降り頻る雨の中、校門を見上げた。
「この高校に入ってなきゃ和樹くんと会えなかったじゃん。これをチャンスにしないのは私なんかじゃない」
 少し前の私だったら「会えただけでもよかった」なんて思ってそうだ。遠慮してちゃダメ、か。
 一ヶ月以上前じゃ絶対逆だ。そのころは恋愛なんて1ミリも興味がなかった。私をこんなにも燃え上がらせてくれたのは真奈美だよね。
 ――好きな人はいる?
 そう聞いてくれなかったら今の私はいなかったかもしれない。ありがとう、真奈美。
 なるようになる、そんな精神でいればいい。ダメだったらそれまでの関係だったってことだ。割り切るのはとてもつらいと思うけど、それも運命だ。もし……もしそうなってしまったら受け入れよう。
 雨も相まって、久しぶりに一人で歩く帰り道に一抹の寂しさを感じた。

HomeNovel << BackIndexNext >>
Copyright(C) 2008 らっく All Rights Reserved.