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5.変化【その4】

 やっと元に戻れた。
「ゆ〜か〜、和樹に近寄らないでって何回言ったら分かるの!」
 マイマイと張り合う気になれた。これが本当の私なんだ。和樹くんが居るからって気持ちを偽ったりしない。良い自分を見せようなんてしない。私に妄想癖があるのもいずれ暴露してやる。そのときの反応が楽しみだ。
「和樹くんは誰のものでもありません。和樹くんが決めることです。私と居たいから一緒にいてくれてるんでしょ?」
 私とマイマイの間にいる和樹くんは苦笑しながら頭を掻く。
「う、うん。まぁ」
 恥ずかしそうに言いおって……。マイマイにギロッと睨まれる。
「勘違いしないで! あたしを前にしてるから言えないだけ。二人きりのときだったら『麻衣、大好きだよ。オレは君のことしか見えない』って耳元で囁いてくれるもん」
 ここが学校の廊下だって言うことを全く気にせずそこまで一気に言うと、ぜえはあし始めた。どんだけ怒りが頂点に上り詰めているんだと思うくらい呼吸が乱れている。立ち止まって私たちのことを凝視している野次馬たちの視線が痛い。それにしても不憫だ。ここまで来ると逆に尊敬したい。私もそんな歯の浮くような恥ずかしいセリフ……聞いてみたいよ。
 和樹くんは微動だにせずマイマイを見据えていた。「私が好き」っていうこと、本心なんだよね。和樹くんは呆れたように短くため息をついた。だって
「前々から思ってたけど君とオレは生徒会で一緒なだけだ。オレに特別な感情を抱いてても別にいい。だけど、永沢とオレの仲を引き裂くように吹っ掛ける人なら軽蔑するよ。……実際はそうもいかないだろうけどさ」
 よく言ってくれました!
 野次馬から「おお」と一斉に唸る声が漏れ出る。……私もその中に混じっていた。和樹くんは「優しい人」で通っているから正反対のことをしたからだろう。和樹くんがこんなにも男らしくて格好よく見えるのは初めてだ。和樹くんから叱責を受けた、当のマイマイはというと涙を目尻に溜めて泣くのを必死に堪えている。いつもならここでめちゃくちゃな理由をつけて私を恨むけど今日は和樹くんにその矛先が向いたようだ。
「和樹のウソツキ!」
 マイマイ独特の金切り声ではなく、しゃがれ声でおかしなセリフを吐いて一目散に逃げ出して行った。この場にいるのが耐えられなくなったんだろう。和樹くんが「ウソツキ」なわけ……この感覚どこかで味わったような。もしかして。服のセンスがあるって思ってたけど実際は違った。時間厳守する人だと思ってたけど実際は時間に関して自由奔放だった。私は色眼鏡を通して見てるんだ。虚飾なんかどこにも感じない。私が色眼鏡を通すからそう見えるだけで、自分を飾ってなんか全然ない。嫌われるのがいやだって避けてるあの言葉は虚飾だ。川澄先生の言葉――「ただ、見栄は張らんようにな」と言われて、モヤモヤ浮かんだあの言葉をいずれ言わないとと思ってもう二日も経ってる。そろそろ言わないと踏ん切りがつかないまま終わってしまいそうだ。
 和樹くんの様子を窺うと切なげに眉根を寄せている表情が見えた。私はスッキリできたのに……険悪な雰囲気になってしまっている。
「……行くぞ」
 ちょっと……こわい。
 どすの利いた声でそう言うと野次馬を退けながら階段のほうに一人で歩き出してしまった。歩調が早い。私は急いで追いかけた。和樹くんが男らしい口調になるのは含羞を感じているときだけだと勝手に思っていたけど、今の状況で「恥じらい」を感じる場面はない。だとしたら……。階段を登っている途中、いつもと違う感覚が襲い、顔にほのかな風を感じた。うあっ
「あきゃっ!」
 痛っ。
 階段を踏み外して盛大に前のめりになって転けていた。変な呻き声を上げて。手首がかなり痛い。まだ少ししか上がってなかったから大事にならずに済んだ。顔が階段に直撃しなかったのはよかった。寸止めだ。睫毛が階段の縁に当たっちゃったような気がする。でも咄嗟に出た右手が階段の縁を掴んでいたけど力がなくてズルズルと落ちていってしまっていた。滑り止め付いてるのに。そのせいで手首を擦り剥いて微量だけど出血している。……って、ええええ。鮮血だ!
「大丈夫?」
「ぜっ、全然大丈夫じゃない!」
 既に踊り場にいた和樹くんは狼狽しながらも私に駆け寄ってきた。嬉しい。……また野次馬どもが奇異の目で見ている。そんなに物珍しいのか。というか、そんな目で見てくれるなら助けてくれ。さっきから思っていたけどなんとなく女子率が高い気がする。和樹くんが私にだけ異様に優しいのがそんなに気に障るのか。
「保健室行こうか?」
「これから午後の授業始まっちゃうから、先に行ってて。これくらい大丈夫」
「でも」
「いいから」
 これしきのことで和樹くんに迷惑を掛けたくない。さっきまでのうろたえていた様子はどこへやら揺らぎのない真剣な眼差しになる。
「永沢」
「なに?」
「無理しないで」
 乱暴に左手首を掴まれるが一瞬で力を緩めてくれた。和樹くんはくるっと振り返り、歩き始める。今日は最初からゆっくりと歩いてくれている。身を委ねよう。落ち着いて歩ける。午後の授業も近くなってきたのでさすがに野次馬たちもいなくなっていた。数名の不良さんたちからの熱い視線を浴びながら二人で学校の廊下を闊歩するのは新鮮だ。
「オレのこと、頼っていいから」
 突然そんなことを言い出すと、頬を紅潮させて恥ずかしそうに少し顔を背ける。私はコクンと頷いた。和樹くんは歩くのを止めて私のほうを向く。視線が絡む。細まった瞳に吸い込まれそうになる。
「オレじゃ頼りない?」
 即座に首を横に振る。
 そんなわけない。頼りがいあるよ。初めて会ったときよりずっと。あのときは異性というより同性という感じが強かった。「男らしさ」というものを感じられなかった。頼る、か。最近頼ってなかったな。自分一人でどうにかしようとしてた。和樹くん以外の人を頼ってた。
「もっと頼っていいからね」
 優しい声が体全体に共鳴する。それはいいけど手首が痛い。出血は治まってきたけど痛い。不良の皆様方から「お熱いねえ」なんて野次が飛ばされたがガン無視だ。急かすよう言うと分かってくれたみたいで、再び歩き出して保健室の前まで来た。
 ガラガラ……という音は鳴らず、保健室の扉が
「ありゃ、建て付けまた悪くなってんね〜」
 素直に開いてくれなかった。


「はい。これで大丈夫よ」
 保健室の、気立ては良い先生に怪我した手首を消毒され、包帯をぐるぐる巻きにされるとほっと安堵する。擦り剥いた範囲が広くて、バンドエイドじゃカバーしきれないからっていう理由で包帯になった。隣にいる和樹くんの額から頬にかけて一筋輝くものが流れる。和樹くんはそれを手で拭った。
「タイミング悪かったわね。最近調子良いと思ってたらこれだよ。校長に直談判しに行こうかしら」
 先生は冗談交じりにそんなことを言っている。あの後、和樹くんと保健室にいる男子生徒が両方から開こうとしたけど、五分くらい粘っても開かなかったから私が逆から開けたらすんなり開いてしまって、和樹くんも中にいた男子生徒も腰抜かしちゃったんだよね。
「手首擦り剥くなんて悲惨だったわね〜。どこでこんな怪我したの?」
 私の顔を楽しそうに覗き込んでくる。こんな派手に怪我する人は滅多にいないんだろう。
「階段で踏み外して自己防衛本能が働くとこうなるんです」
 和樹くんがくすくす笑い出した。な、なんで笑うんだろう。……でも久々だな。和樹くんの笑顔。やっぱり癒される。
「あらっ! そこで爽やかに笑ってる君。ちゃんと彼女を守りなさいよ。傷物にしたらただじゃおかない」
 そ、それは心強いけど……私なんか名前をようやく覚えられたぐらいなのに、そこまで干渉するものかな、普通。……あ。この人は普通じゃないんだった。鷹揚とかおおらかなんてそんな生易しいものじゃない。粗雑な性格をしている。和樹くんは生徒会の役員、頭が良い、ルックスも良くてハンサムくんだから二年生と教員の中で知らない人は一部でもぐりとか言われてるらしい。ってことはこの保健室の先生はもぐりってことか。
 先生は名前を知らない人は「君」で統一している。名前を覚えようとする姿勢が窺えないのが問題だ。こんな適当に仕事こなしてもお金貰ってるのかと思うと複雑な気持ちになる。和樹くんはぴたりと笑うのをやめて先生を見据えた。
「心配しないでください」
 強い意志が感じられた。私だったら絶対はぐらかしてる。強いな、和樹くんは。
「お、今どきの子にしては度胸あんね〜。『受けて立つ!』ってか。永沢さん、いい彼氏を持ったね」
 へっ? カレシ……?
 聞きなれない発音に耳を疑った。私と和樹くんは付き合っているからそう呼ばれておかしくないんだ。周りから見てもそう見えるんだ。黙っていると先生は不思議そうに私の顔を見る。
「なんだい。こんないい男を放っといたらいつか逃げられちまうよ」
 これだけの短い時間で和樹くんの何が分かったとか言おうと思ったけどやめた。そのとおりだ。和樹くんをここで逃してしまったらもう立ち直れない。割り切ろうと思ったけど無理だ。一生引きずる自信がある。どれだけ泥臭くても和樹くんに付いていこう。今日のマイマイのような扱いをされたとしても、和樹くんのことをスッパリ諦めきれるほど私は強くない。
「さ、授業に出ていらっしゃいな」
「ありがとうございました」
 保健室の先生に後押しされて元気が出る。川澄先生と話したときにモヤモヤしていたあの言葉が現実味を帯びて実体化してきた。

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