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手が届くなら本心(12-2)
「もう十時か」
 コップに入った牛乳を飲み干した先輩がポツリと呟いた。
「そろそろ準備しないと」
「手伝う?」
「大丈夫です。子どもじゃないんですから」
 先輩の誘いを断ると
「まァ、出かけっから結局部屋には行くんだけどな」
 結局そうなるのか。でもどこ行くんだろう。
「出かけるってどこにですか?」
「翔平の見送りに決まってんだろ」
 面と向かって言われるとなんか恥ずかしいな。ここでかっこつけないのも先輩らしい。大輔だったら……って、今どうしてるんだろうな。
 大輔のことを気にかけつつ、着替えたり、荷物整理したりする。先輩も整理整頓をしてるようだ。


「終わった」
 ふぅと一息吐くと机の引き出しをあさってる先輩がすかさず声をかけてくる。
「もう行く?」
「はい。ずっとここに居るのも忍びないので。それより先輩、それって……」
「ああ、これ?」
 そう言って、腕に着けたラバーブレスをこれ見よがしに見せてきた。
「T中の奴らとつながってる証かな」
 得意気になって有頂天になった。こわくて昨日は聞けなかったけど、つけてないのはT中との関係を断ち切ろうとしたからなんだろうな。
「嬉しいです。今度は大輔や、他のみんなと来たいなんて思ってます」
「あんだけ迷惑かけちゃったからあいつらとは会いづらいな」
「そこまで吹っ切れたんですから、きっと大丈夫ですよ」
 先輩は照れくさそうに頭をかいた。なんだか等身大の先輩と接してる感じだ。すごく心地良い。先輩が、僕の心からの笑顔を見たいって言った理由がほんの少し分かった気がした。
 外してた視線をもう一度先輩に移す。こんがりと焼けた肌に白いTシャツが似合うこと、似合うこと。ズボンは昨日と同じで、腕にはもちろん黒のラバーブレス。ん、黒?
「そのラバーブレスって」
「佐藤から貰ったやつ」
 思い入れのあるラバーブレスって言ってたな。佐藤さんと遠距離恋愛にならなかったのは先輩から言い出したからなのかな。でもこの話に突っ込んでいくのは野暮だ。と、先輩はふっと口元を緩めた。どうしたんだろう。
「昨日ラバーブレス着けてくれてて嬉しかったよ。そういや、言い忘れてたよな。二つ着ける意味」
「知ってます。『自分』と『他人』って意味合い。ですよね」
「お前、誰からそんなこと」
「植木先輩に決まってるじゃないですか」
「知ってたのか……」
 手で額を押さえて恥ずかしそうにする先輩。そんな姿が歳相応に見えてほほえましかった。「なんか恥ずかしい」なんてぶつぶつ言ってる先輩に声を掛ける。
「行きますか」
「お、おう」
 先輩を従えてリビングに向かう。お父さんは新聞を両手で持って読んでた。
「父さん、もう行くから後よろしく」
 お父さんはテーブルに新聞を置いて、こちらを見やる。
「ああ。また来て、っていうのはつらいか。気をつけて帰るんだよ。それとありがとう」
 優しい目つきに先輩を重ね合わせて見てしまった。一礼する。
「こちらこそありがとうございました」
 急に押しかけたにも拘らず。お父さんは眉をひょいと持ち上げた。
「そうだ。家内から翔平くんが来ることは聞いてたよ。もう一人大輔くんも来ると聞いたんだが」
「なんだよ、それ。初耳だぞ」
 割って入ってきたのは先輩だった。お父さんに詰め寄っていく。
「一昨日、母さんから電話があってね。隆太の友だちが来るって」
「なんで隠してたんだ?」
「母さんに口止めされてたんだ。絶対に言っちゃ駄目だって」
 先輩はやれやれといった様子で今度は僕の方を見てきた。朗らかムードは一切ない緊張した状態だ。
「大輔は?」
 こっちを向いて一言。それだけだった。
「こっちに来る日に電話があって、『行けない』ってことを言われたんです。僕も事情はよく分からないんですけど」
 先輩は「ふうん」と反応した後、口をとんがらせて逡巡した。お父さんは僕たちのことを静かに見守ってる。先輩は目を細め、険しい表情をする。
「俺に会いたくなかったのかな」
 そして短いため息をついた。僕は慌てて否定する。
「先輩に会えること、すごく楽しみにしてましたよ」
 目を見開いてこちらを見てくる。僕は強く頷いた。誰だってそうだけど嫌われることがすごく不安なんだと思う。
「じゃあ、なんで来なかったんだ?」
 僕は腕組みをして考える。先輩も考えてくれてるようだ。電話がかかってきたとき、大輔は「いつもの大輔」じゃなかったように思う。まぁ行かないっていうのに「いつもの大輔」だったらおかしい。先輩に会う以上に何か大切なことがあったのかな。いつもと違う何か。
「用事」
 大輔は中総体が始まった頃から、用事があるから行けないとかそんなことが増えたように思う。そのときはどうせろくでもない用事だと思ってたけど、実は大切な用事だったんじゃないか?
「確かによく用事って言ってたな」
 先輩の共感も得られたようだ。こうなったら本人に確認してみるしかないか。昨日もメールでは電話するって言ってて結局してこなかったし。
「電話してみますね」
 ポケットからケータイを取り出し、電話帳を……ってメールが来てる。二十分前か。誰からだろう。目に入ってきた文字は「助川大輔」だった。文面は
 昨日電話できなくてゴメン。出られないと思うけど、そっちから電話して。
 ……いつもの威勢の良いメールではなかった。このメールが来たことを先輩には言わないでおこう。何もなかったかのように電話を掛ける。
 呼び出し音が三回ほど鳴ったところで通じた!
『もしもし』
 ひそひそ声のような感じで、メールと同じく威勢がなかった。
「心配してたんだよ。昨日も電話なかったし」
『わりわり。抜けられない用事があってさ。隆先輩は?』
 また、用事だ。
「元気だったよ。話す?」
『いいのか?』
「もちろん」
 僕はケータイを指差して、ジェスチャーを送る。先輩は代わってくれという意味を受け取ったのかすたすたと近づいてくる。ケータイを手渡す。会話の内容が気になるので、先輩の近くで待機する。
「大輔?」
『おお、隆先輩! 聞きたかったです、その甘いボイスを』
 何言ってんだか。でもいつもの調子を取り戻してきたみたいだ。
「お前は相変わらずだなァ。そっちはどう?」
『バリバリ元気っすよ』
「その調子で頑張れよ。それで用事は片付いたのか?」
『それがまだなんですよ。これからこくべつし』
「こくべつし?」
『あはは。何でもないっすよ』
 用事……。そんなの、そんなのって寂しすぎる。
「まさか」
『バレちゃったならしょうがないかあ。これから告別式なんだ。昨日は通夜で深夜まで付き合わされちゃってさー』
 空元気なのは電話越しでも分かった。その姿が容易に想像できて、痛々しい。
「それなら言ってくれたって」
「何で言ってくれなかったの?」
 僕は先輩からケータイを奪い取って大輔の返答を待った。当の先輩はぽかーんとしてる。
『言えるワケないだろ。翔平がこれから隆先輩に会うっていうウキウキ気分のときに』
 切ない息遣いと声に僕は何も言い返せなかった。そんなことを考えてくれてたのに僕は……。
『友達だからこそ言わない。な? かけがえのない親友よ』
「……誰、なの?」
 言ってから後悔した。大輔を苦しめてるのは、傷つけてるのは僕なんだ。
『俺の祖父ちゃん』
 決然と言い切った大輔を想像して本当に申し訳ないと思った。大輔のお祖父ちゃんといえばコパカバーナのイメージがあるから元気だと思ってた。大輔はお祖父ちゃんと二人暮らしだったんだよな。これからどうしていくんだろう。
 ――ああ。門限がうるせーのなんの。高校はぜってー全寮制に入ってやる
 大輔が土手で言ってたことが急に頭に出てきた。こんなこともできなくなっちゃったんだ。
『前から体調崩し気味でどうしたのかと思ったらこれだよ』
「Y中と対戦した日も……」
 覚えてる。抜けられない用事があるって言ったのを。その日は周りが先輩ばかりで色々と大変だった。大輔も大変だったのかな。
『そうだよ。祖父ちゃんが入院したって聞きつけて、あの日はおふくろが俺んちに押しかけてきてさ。ガールフレンドって言った人は俺の、お袋』
 そんな冗談を軽く言ってのけてしまう大輔って、寂しすぎるよ。
『ただ、いなくなって初めて分かるんだよな。その人がいるありがたみってのが』
「ちゃんとお別れしてあげてね」
『おう! じゃ、切るぞー』
「うん、またね」
 通話が切れた音が妙にむなしく感じる。
 大輔の言うことも一理ある。現に今すごくやるせない気持ちになってる。ただ、それが友達の形なのかな、って思う。それじゃ小谷先輩と変わりない。やっぱり僕は知りたかった。お祖父ちゃんが危篤なんて今日初めて訊いた。少しぐらい相談してくれても良かったのに。
「翔平、行こう」
 現実に引き戻してくれたのは小谷先輩だった。
「はい」
 気分が浮かないまま、先輩の家を後にした。
 マンションの入り口までは一切会話がなかった。気を遣ったのか先輩は話を振ってくる。
「そういや誰から聞いたんだ? 俺がここにいるってこと」
「一人しか居ないじゃないですか。先輩のお母さんですよ」
「やっぱそうか」
 先輩はほっと安心したような顔をする。そこまでして確認したかったことなのかな。僕は空を仰ぎ見る。そして先輩を見た。
「先輩のご両親って本当に息子思いですよね」
「誰の親だってそうだろ。翔平の親だって、大輔の親だって、みんなそうだ。形の違いこそあれ、子どもを第一に考えてる」
 そうだな……。僕の親は、僕の決めたことに無理がなければ反対してこない。先輩の親も言動の端々から先輩への愛を感じる。大輔の親は大輔が可愛すぎての行動になってしまったんだろうけど、子どもを第一に考えてるのには変わらないな。これって幸せなことなんだろうな。親の悪口を言ってる人たちは悲しく思えてしまう。愛情が注がれてないのかな。
「ありがとうございます」
「急にどうしたんだよ」
「親が居ることのありがたみが分かりました」
「何言ってんだか」
 先輩は分かってないようだった。いや、先輩が一番感じてるのかな。親から愛情を注がれてるってことが。さっきはお父さんに「救ってくれた」とか「恩返し」って言ってたな。それが関係してるんだろう。
「親がいなきゃ俺は存在してないし、父さんには深く感謝してるよ」
 そういうことは感じてた。お父さんへ対する感謝の念……というより、感謝しすぎて神格化してるようだった。だから昨日の夜、お父さんの様子を気にしてたのか。
 その後は気まずい雰囲気になることなく、昨日お世話になったコンビニの前を通り、藤井先輩と別れた交差点を渡ったところで小谷先輩が話しかけてきた。
「ここだったんだよなァ」
 歯科医院? 先輩は立ち止まり、肩を落として息をついた。
「帰り、歯医者さんに行くんですか?」
「違う違う」
 こっちを向いて全力で否定してきた。だったらなんなんだろう。先輩は再び歯科医院の建物に目を向けた。僕も先輩の隣に行って見てみる。何の変哲もない普通の歯科医院だと思うけど。
「昨日、ここでクラブの監督と会ったんだ」
 そのことか。一人だけ掃除に参加せずに監督と話してたのは、やっぱりそういう意図があったんだ。先輩は僕を見てくる。
「中総体の初日に俺が早く会場入りしたの覚えてる?」
「覚えてますよ」
 大輔の誘いを断ってまで早く行ってたな。今思うと不思議な行動だった。
「そこで顧問と一緒に監督とは一度会ってたんだけどさ、そんときは帽子被ってなくてわかんなかったんだよなァ」
 思い出してきた。小谷先輩を除いたバスケ部十一人で会場に入っていったら顧問が先輩のことを慰めてたんだっけ。初戦ゆえの緊張なのか、負けたら引退っていうプレッシャーなのかと思ってたけど違ったんだ。あれは自分の力を出し切れるかという不安だったんだ。
「Y中とやったときは俺の話を聞きつけて多くのスカウトが来たらしいけど、ほとんどが向こうの地元クラブだったから結局は意味なかったんだよな」
 あのOB集団に見えた人たちか。スーツを着てる人は本当にスカウトだったんだろう。
「話それちゃったな。監督なァ。一度会ったにも拘らず、昨日会っても分からなくてさ」
「そういう人のことは覚えてるものじゃないですか?」
「昨日は帽子被ってて、見るからにどこにでもいそうなおじさんだったんだよ」
 そうだったのか。帽子被るとだいぶ印象変わるもんなぁ。
「ここ通るたび絶対思い出す。通学路だから通ることになるのがな……」
 明らかに辟易してるようだった。そんなに印象の悪い接し方をしてしまったのだろうか。でも昨日の感じだとそこまで悪くはないと思った。先輩のポリシー的にはダメだったのかな。
「気を取り直して行きますか」
 明るい雰囲気に戻って、再び駅を目指す。時間には余裕を持って出たから途中で道草食っても大丈夫だろう。歩き始めてすぐに先輩は声を上げた。
「そういや、知ってる? 顧問の変な趣味」
「趣味?」
 急にそんな話振ってくるから何事かと思った。顧問って無趣味な人なんじゃないのか。先輩は笑いを堪えてるのか、口元にすごく力が入ってる。
「全くもって思い浮かびません」
「そうか。実は顧問って少女漫画読むの好きなんだって」
「ええっ!」
 先輩が少女漫画好きだという訳ではないが、思わず先輩から身をひいてしまった。あのストイックな顧問が少女漫画を読むっていうギャップが考えられない。
「家に帰ったら一人で少女漫画読んで癒されてるのを想像すると」
 その先は言わないみたいだった。先輩、顔がにやけきってます。でも……こういうの良いなぁ。新しい土地に来ても今まで関わってきた人のことを忘れないって。僕が高校に進学してもT中の人たちのことは忘れないでいたいな。
 それから駅に着くまでは昔話に花が咲いた。
「もう着いちまったな」
「早かったですね」
 人通りもへったくれもない駅舎の前で二人たたずむ。駅の前には赤いポストに、昔ながらの緑の公衆電話。本当にここは田舎だと思う。駅だって自動券売機こそあるものの、手動改札だし。ずっと都会で育ってきた僕としては不思議なところだった。コンビニだってそうあるものじゃない。ここに来るまですれ違う人の数もまばらだった。先輩はこれからここで過ごしていくんだな。そう思うと、ちょっと寂しくなった。
「もう入ったら?」
 先輩に言われてもためらってしまう。次に会えるのがいつなのか分からない。それが躊躇する原因だと思う。昨日会ってからしばらくはすれ違いの連続だったけど、今は先輩と居るのが楽しい。かといってこれ以上付き合わせたら更に別れがつらくなってしまう。それだけは避けたかった。
「はい」
 僕は頷いて、駅舎に入っていく。後ろから先輩もついてくる。切符を買って振り返る。先輩は駅舎の入り口で止まってるようだった。視線を伏せてどことなく寂しそうだ。僕が切符を買ったのが分かったのか、ゆっくりと近づいてくる。
「ありがとう。またな」
 短く言い切ると目を細めて笑った。僕は緊張して身体が強張る。
「僕の方こそ、ありがとうございました。先輩のことずっと忘れません」
 そして慇懃に頭を下げた。
「おいおい、それじゃ今生の別れみたいじゃん。もっと気楽に、な?」
 肩を叩いてくれた。緊張が解れていく。そうだ。先輩とはまた会える。またここまで会いに来たい。
「はい、またです」
 手動改札を通って、振り返る。先輩が手を振ってくれた。
「また来いよ!」
「はい!」
 僕は力強く頷いて手を振り返した。先輩が笑顔になったから、僕も自然と笑ってしまう。また来ます、隆先輩。

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