HomeNovel << Back Index
手が届くならエピローグ(13)
「おっはよ〜」
「おはよう」
 昇降口で大輔に声をかけられた。
「なんだよ、元気ないなあ。夏休みが終わるのが名残惜しいのか?」
「そうじゃないよ」
 今日は始業式で、生徒全員が登校する日だ。その中に小谷先輩が居ないと思うと寂しい。先輩は先輩で今頃は新しい中学校の始業式なのかな。そんなに心配はしてないけど、T中に入ったときみたく一人が好きって人にはなってないよね。このT中で培ってきたものを思う存分発揮してほしいな。
「あれか。夏休みの宿題終わらせてないとか」
「大輔じゃあるまいし、そんなことは断じてないよ」
「なんだとー。俺を卑下しやがって!」
 そうやって怒る大輔の姿を目に焼き付けておきたいと思った。大輔とはいつも一緒に居るけど、いつ僕の前から消えるか分からない。一緒に居るときの楽しい記憶、自分の意見をぶつけあったときの記憶、それらがずっと続くなんて限らない。だから一緒に居る時間を大切にしよう。
「そういえば、大輔ってお祖父ちゃんが亡くなってからどうしてるの?」
 階段を登るところでさりげなく訊いてみた。いつもは一段抜かしをする大輔が今は足元を見て階段を一段一段登っていく。
「今は遺品整理! なんつって二週間近く経っちゃってるけどな」
 こっちを向いてくれないから表情がいまいち分からないけど、頬をポリポリと掻いて笑ったみたいだ。気丈に振舞ってはいるけど内心ではどうなんだろう。
「祖父ちゃんが生きてるときは門限があーだこーだってうるさかった。でも実際いなくなってみると、炊事、掃除、洗濯を全部やってくれてることに改めて気づいて感謝しなきゃいけなかったと思ってる。まー、家に帰ると誰かがいるってのは幸せだって分かったよ」
 後悔の念が出てきたのか、大輔の声はかすれる。僕も小谷先輩が居なくなってからその大切さに気づいた。居て当たり前の存在が急に居なくなる。もしそれが大輔だったら、って最近考えるようになった。
「じゃあ今日も朝ごはんは自分で作ったの?」
「いや、今はお袋と生活してるから」
「え? 新幹線通学?」
 階段を登りきったところで、大輔は僕の方を向いて手を横に振った。なんだか目が潤んでるように見える。
「違うって。今は俺ん家にお袋が来てるってだけ」
「これからどうすんの?」
「考え中。隆先輩みたく急にいなくなるかもなあ」
「うわ。冗談でもやめてよ」
「わり」
 大輔の悪い冗談で雰囲気が悪くなってしまった。僕たちの教室に入る。
 体育館を使う部活以外の人とはほとんど夏休み中には会ってないから懐かしい顔ぶれが結構居る。もちろんあの不良三人組も。大輔は入り口近くの仲の良い男子の集団に入っていった。
「おっはよ〜諸君。元気だった?」
「元気も元気。夏休みめっちゃ暇だった」
「大輔は相変わらずだな」
「俺から元気取っちゃったらどうなるよー」
「何もなくなる」
「んだとー!」
 大輔はどこまでも明るいなあ。自分のことで気を遣わせるのがいやなんだと思う。僕は一人で席に着いて、久しぶりの机に手を掛けた。また学校が始まるんだという思いで満たされる。荷物を机の中に入れようとしたら、紙らしきものが中に入っていた。ついに僕にもラブレター的なものが届いたのか! なんて、思いあがってないで取り出してみる。緑色のメモ用紙だ。なになに?
 放課後に話があります。教室に残っててください。
 は? 身に覚えがないのですが。こわい、こわいよ、これ。裏を見ても白紙で差出人と思われる記述はない。机間違ったんじゃないの?
 不安を拭い去れないまま、朝の会に突入してしまった。

***

 全校集会でもメモ用紙のことばかりが気になって、校長先生の話を聞いてるどころじゃなかった。
 帰りの会が終わってクラスメートがどんどん教室を後にしていく。誰なんだ? 一体誰なんだ? 男子なのか、女子なのか。それすらも分からない。メモを改めて見直してみると、達筆な字だ。これを見る限り男子の字ではないと思う。クラスメートの男子とは穏便に付き合ってきたから逆恨みされるようなこともないし。
「翔平、帰るべー」
 急に声を掛けられ思わず身体がビクッとする。
「なんだ大輔か」
「なんだとはなんだ。最近挑戦的だよな?」
「いやいやそんなこと」
「翔平さん」
 え。声がする方を向くとそこには。
「どうしたんだ、佐藤」
 大輔が声を出した。佐藤さんが窓辺でたたずんでいた。
「もしかして、あのメモの差出人って」
「私です」
 佐藤さんは決然と言い切った。しかし直後に自信なさげに視線を伏せた。なにこれ、告白の流れとしか思えないんだけど。
「お前ら急にどうしたの? 文通でもしてるの?」
「してません」
 佐藤さんがきっぱりと否定した。教室にはまだ数人クラスメートが残ってる。学校内では珍しい組み合わせなのか、みんな興味津々そうにこちらを見てくる。視線が痛いよ。でも佐藤さんはそんなのお構いなしに話し始めた。
「実は隆からメールがあって、どうしても翔平さんに渡して欲しい物があるって」
「どんなの? 俺には?」
「大輔くんは黙っててください」
 大輔は佐藤さんにたしなめられるとしょげてしまったようだ。机にもたれかかっていじけてる。
「それは隆のクラスだった教室にあるみたいなんですけど、私では見つけられなかったんです」
 三年一組の教室か。待てよ……。それって確か
「夏休み中に小谷先輩の教室に入ったのってもしかしてそのため?」
「はい。そのときは時間があれば、って言われたんですけど、今日は絶対に、ってメールにあって」
 どういうことだ? 小谷先輩の元恋人でも分からないものを、果たして僕が分かるのか?
「なら早速行ってみようぜ」
 立ち直った大輔の提案に乗って三人で一階の三年一組の教室に向かう。廊下に出たところで佐藤さんに疑問をぶつけてみた。
「どうして差出人書かなかったの?」
 書いてたらここまでハラハラドキドキになることもなかったのに。
「もし書いてたら残っててくれましたか?」
「それは……」
 完璧な仲直りまではできてない僕たち。佐藤さんは僕が逃げるのを見越してたんだろう。
「まーまー、今は隆先輩のことが先だろ?」
 この気まずい空気を一掃してくれるのは本当にありがたい。僕はどれだけ大輔に助けられてるんだろう。
 一階に降りると、なにやらざわざわしてるようだった。
「なんだなんだ?」
 大輔が先陣を切る。その流れについていく。どうやら三年一組の教室の前で女子の先輩たちがたむろってるのが原因だった。
「小谷くん転校したんだって?」
「そうみたい。あと半年で卒業なのにね」
 そこの空間だけ小谷先輩の話題で持ちきりだった。帰りの会が終わってまだ間もないみたいだ。と、偶然通りかかった芳野先輩をすかさず見つけ大輔が声を掛ける。
「この騒ぎ、なんかあったんですか?」
「見ての通り、隆のことだよ。あいつなんだかんだで人気あったから。転校して女子どもが悲鳴上げてるんだよ」
 言われてみれば女子の姿が多い気がする。高身長だったし、爽やか……っちゃあ爽やかだったもんな。表向きは。間違いなくモテない部類ではない。
「ところで何か用?」
「三年一組の教室に用事があるんです」
 大輔はケラケラ笑いながら答える。その対応に芳野先輩はがっかりしてしまったようだ。
「なんだ。俺に用があるわけじゃないのね」
「あ、怪我どうなんですか?」
「白々しいっ。でも一応答えておくと、いい感じだよ」
「そうですか、良かったです」
「じゃ、俺は帰るわ。じゃあなー」
「さようならー」
 今まで全部大輔が話してたけど、先輩なので挨拶だけはしておいた。
「気を取り直して行ってみますか」
 大輔を先頭に教室に入っていく。
「失礼します」
 やっぱり三年生の教室は緊張する。その上先輩たちもまだ居るっていうこの状況がさらに緊張を高める。もう少し遅くても良いんじゃないかと思ったけど、来てしまった以上は仕方ない。教室の中ほどまで来たところで大輔が急に歩を止めて振り返る。
「で、どこなんだ?」
「ロッカーにあるって聞いたんですけど」
「ロッカーね」
 大輔はロッカーに手を掛けてしゃがみ込んだ。僕も隣でしゃがみ込む。小谷先輩のシールは剥がされてて、その跡が見える。今は誰も使ってない状態だ。ロッカーの中は空っぽ。
「ホントにここなのか?」
「何度も確認しました。ここが隆のロッカーで間違いないはずです」
「ここは名探偵DSの出番じゃないの?」
「さすがの俺でもこればっかりは」
 大輔でもお手上げのようだった。小谷先輩のロッカーは三段あるうちの一番下。先輩がそんな小細工をしてるとは思えないけど、上から見えない位置にあったりして。そう思って中を見渡してみる。小谷先輩が僕に渡したいものが何なのかは分からないけど、ロッカーは上も右も左もどこも綺麗で物がある形跡はない。どういうことだ? 立ち上がって二人に状況を説明した。
「名探偵DSの推理では誰かが持っていったとか!」
「渡したい物が何なのかにもよるけど、それはないでしょ。そんな私的なものを盗む心理が分からない」
「冷静になってみろよ。どういう風にロッカーに置いたのかはわかんねえけど、もしロッカーから出てたらどうするよ?」
 ドヤ顔で聞いてくる大輔に疑問を持ちながら真面目に答える。
「落とし物として職員室に届ける」
「だろだろ? つーことは、職員室にあるはずだ」
 そういうことか。盗むんじゃなくて届けるか。学校も社会と同じだ。物が落ちてたら職員室に届けに行くものだ。それにしても大輔の勝ち誇った顔が妙に癇に障る。その気持ちを抑えて、息苦しい三年の教室を出た。


「そんなものないってよ」
 職員室から肩を落として出てきた大輔を迎えた。
「一つの可能性が消えたってだけでまだ他にも可能性はあるって」
「だよな! 名探偵DSに暴けない謎はない! なーんて」
 調子に乗せてしまった。さっきとは大違いで、力がみなぎってる。しかし大輔は首を傾げて斜め上を向く。口がぽかーんと開いてる。
「でも、いろいろと謎だらけだよな」
 今度は僕の方を向いて人差し指をピンと立てる。
「1つ目、隆先輩は何を渡そうとしてるのか」
 次は中指だ。この調子でどんどん増やしていくんだろうか。
「2つ目、どういう風にロッカーに置いたのか。3つ目、『渡したい物』は今どこにあって誰が持ってるのか。4つ目」
 小指を立てたところで、今まで黙ってた佐藤さんが声を出した。
「隆に電話してみますか?」
「電話したところでどこにあるかはワカラナイだろ。本人がロッカーを探せばあるって言ってんのにないんだから」
「それもそうですね」
 佐藤さんがしょげてしまった。小谷先輩に電話をすれば何を渡そうとしてるのか聞き出すことはできるはずだ。でもあれから電話で話すようになっても僕に渡したいものがあるなんて一言も聞いてない。佐藤さんにも言ってないようだし。どこに消えちゃったんだろう。
「完全に行き詰まっちゃったなあ。何か手がかりねえかな」
 大輔は無闇に廊下に張ってある掲示物なんかを見始めた。僕と佐藤さんが考え込んでるとバスケ部の顧問が声を掛けてきた。
「三人揃ってどうしたんですか?」
「先生は隆先輩から何か聞いてませんか?」
「突然どうしたんだい」
 顧問にこれまでの事情を話すと深く頷いた。
「そのことですか」
 ここで間を作って、顧問は遠い目をして視線を僕たちから外す。
「隆太くんは転校を知られたがっていなかったんです。その割りにロッカーの奥にただ置かれているだけという無防備さです。他の生徒が知ったら瞬く間に広まるでしょうからそれを避けるために先生が隠したんです」
 そんな配慮をしてくれてたのか。先生って大変だ。それにしてもその無防備さがいかにも小谷先輩って感じだ。
「じゃあ私が探したときにはもう」
「多分そうですね。隆太くんがこの学校に最後に来た日、翔平くんと二人きりで教室で話した後に先生が鍵を掛けに行ったときに見つけたんです」
「ああ。俺の存在が全否定された日か!」
 大輔は大輔で納得してて、僕も納得してる。佐藤さんも思うことがあるのか俯いてる。あの日、僕は小谷先輩から初めて転校の話を聞いた。その途中で顧問が割って入ってきたんだっけ。空気読んで居なくなって、その後教室に鍵を掛けに来たところで見つけた、ってことか。今思えば僕が先に出て先輩が一人で教室に居た時間があった。あのときに仕込んだのかな。
「それで、どういうものなんですか?」
「今ならもういいかな。よし、持ってくるからここで待っててください」
 そう言うと顧問は職員室へと静かに歩いていった。
「一体何なんだろうな。つか、翔平にあって俺にないってどういうことよ」
 大輔は頭をくしゃくしゃとする。そんなに悔しいことなのか。物がなくても今まで仲良くしてきた事実があればそれで良いと思うけど。
 佐藤さんがフォローをしてくれた。
「隆が翔平さんに何を渡そうとしていたのかにもよると思います」
「何を、かあ」
 そこいら辺をうろうろしてなにやら考え込んでるようだ。でも本当に何なんだろう。僕も考えてると大輔はパッとひらめいたみたいで手を叩いた。目が見開いてる。ちょっとこわい。
「バスケ部を代表して翔平に渡そうと思ったんじゃないのか」
 目がキラキラしてるよ……。
「あの状況で何を? だったら手渡しすれば何も問題ないと思うよ」
「だってあのときはまだ微妙な関係だっただろ? できなくね? つか、あの状況ってどんな状況よ?」
 しまった。口が滑ってしまった。大輔に問い詰められてそのときの状況を渋々話した。
「ははあ。俺を差し置いてそんな甘美なひと時を過ごしてたんだな!」
「差し置いて、って。大輔は口が軽いからダメだっていう理由だったんじゃないの」
「俺がそんな他人の秘密をバラす人間だと思うか?」
「思う」
 大輔は両手を挙げて反抗してきた。優しく叩かれる。
「くうー! これからお前とは『かけがえのある親友』だな」
「何それ。意味が分からない」
「ワカラナくて結構」
 ぷいっとそっぽを向かれてしまった。冗談なのは分かってるけど、ちょっと心に刺さる。微妙な空気の中、顧問がようやく来た。
「中身は何だろうね」
 そう言いながら顧問は茶封筒を手で触る。透かして中身を見ようとする顧問からそれを受け取った。二つ折りにされた跡がある。中身を外から触った感触は指ほどの厚さがある丸い物体だということだ。糊付けされてない封筒から中身を出してみる。
「ラバーブレスだ」
 青一色でシンプルな感じのラバーブレスだ。内側にラバーブレスと同じぐらいの幅の付箋が貼ってある。これは……
 ――ありがとう翔平
 黒のボールペンで書かれた字は小刻みな震えが感じられる。そのときの状況が容易に想像できる。本当に僕のことを思って書いてくれたんだ。
「付箋なんてなんとも隆らしいですね」
「世界に一つだけのラバーブレスじゃん。良かったな」
 なんだかんだ言って祝福してくれる大輔にほろっと来そうだ。それだけじゃなく、先輩のことを思い出してるのもあるのかな。
 小谷先輩は遠い存在だと思ってた。でもこの転校騒動で普通に弱い部分もあるんだなって気づいたよ。等身大の先輩を見て、僕もその存在に少しでも近づけるかなって思えた。でもいつまで経っても先輩は先輩だよ。僕より一歩先を歩んでるのが先輩。転校先でも頑張ってほしい。
 ……僕が小谷先輩を憧れてるように、僕は伊藤の憧れの存在になってるのかな。先輩が居なくなってから気づいたことがたくさんあった。先輩が居なくなることでどれだけ先輩に支えられてたかが分かった。今度は僕たちが引っ張っていかなきゃいけない。くじけそうになったらきっと先輩のことを思い出す。別れてもずっと自分の中で先輩は生き続けるんだと思う。
 小谷先輩に手が届くなら、手が届く今なら、ありがとうって言葉を素直に受け取ってくれるよね。無理、しなくていいんだよね。無理せず自然体が一番良いよね。そうすることで歯車が噛み合うんだ。色々と教えてくれてありがとうございました、小谷先輩。
2012.3.31 了

HomeNovel << BackIndex
Copyright(C) 2012 らっく All Rights Reserved.