HomeNovel << Back IndexNext >>
手が届くなら錯誤(11-8)
 祭り客はそこそこ分散していくが、マンションの敷地内まで先輩と二人きりになることはなかった。エレベーターに乗るとまた緊張感が高まる。考えてみれば会ってからずっと一緒だな。そんな中で緊張するのはやっぱり二人きりになったときだ。
 エレベーターが開くとむっとした熱気が身体に襲い掛かる。先輩の後ろをついていく。605号室で玄関の扉を開けると中から明かりが漏れ出てきた。
「父さん帰ってきてるのか」
 先輩のお父さんか。今までお母さんに会ったことはあるけど、お父さんに会ったことはないな。泊めてもらうんだからちゃんと挨拶しないといけないな。
「翔平、入っていいぞ?」
 玄関で靴を脱いだ先輩があっけらかんとした表情でこちらを見てる。僕は頷いてとりあえず先輩の部屋に入れてもらった。
「さっきからどうしたんだ? 父さんがいるからか?」
 図星だった。先輩はその後、何食わぬ顔してケータイの充電を始める。なんて言えばいいのかな。先輩の友達です、泊めさせてください。かな。どんな人なのか分からないからそれが一番こわい。
「そんな心配すんな。事情話せば分かってくれっから」
 真剣な眼差しに僕は強く惹かれた。先輩についていけば大丈夫だと強く思った。
「はい」
「お前の声が聞きたかった。じゃ、行こう」
 お父さんと強固な信頼関係があるんだろう。僕のお父さんは誰であろうと泊めてくれそうだから比較はできない。まぁ先輩のお父さんがどんな人かにもよるか。部屋を出て廊下に出る。リビングへの扉は開いてて、冷房はかけてないみたいだ。
 先輩の後に続いて僕も続く。テレビの音がするから、テレビを見てるかと思いきや椅子に座って新聞を広げてた。顔が見えない。
「ただいまー」
「お帰り」
「お邪魔させてもらってます。先輩のともだ……あっ」
 ああああ。あなたは。お父さんは眉根を上げて大きく目を見開いた。僕もそうなってると思う。
「え、顔見知り? おっかしいなァ。うちで会ってないだろ?」
「今朝はありがとうございました」
 そう言って僕はぺこりと目礼する。事情がただ一人分かってない先輩は僕とお父さんを交互に見やる。
「なに分かりあっちゃってんの? 俺にも教えて」


「そういうことか」
 先輩に事情を伝えると納得してくれた。先輩のお父さんに会ったのはY中と対戦した日の朝だ。ただぶつかっただけで中総体の応援をしてきたのはそういう事情があったからなんだろう。
 それにしても気まずい。先輩が僕とお父さんの間に立ってる。緊張のあまり背筋もピンとしてしまう。
「その前も会ったよね?」
 お父さんとは意気投合して、二人で先輩に説明した。先輩はお父さんの遺伝を多く受け継いでるのか、身長があって体格も良い。そのせいで威圧感がある。
「そんなことありましたっけ?」
 思い出せない。お父さんは笑って返す。
「会うっていうか、すれ違う、かな」
 そんなこと……全然思い出せない。それ以前にお父さんのような人とすれ違った記憶なんて全くない。
「友達と一緒にいた時だと思ったけど、もしかして人違いだったかな?」
 お父さんは「うーん、でもなぁ」と自分の記憶を疑い始めてしまった。早く思い出さないと。友達と居たとき……大輔? だとしたら。そこまで考えるとお父さんは思い出したように言った。
「佐藤さんと一緒だったな」
「ええ?」
 先輩と声がハモってしまった。
「いつだよ?」
 先輩は両手をテーブルにつき、お父さんに対して訊いた。
「中総体の少し前だったかな。佐藤さんと君と、もう一人男の子がいた」
「それって、ラバーブレスを買いに行ったときのことなんじゃ」
 ビビッと来た。佐藤さんと行動をともにしたのはあのときくらいだ。もう一人の男の子は大輔のことだろう。先輩は今度は僕の方を向いた。切羽詰まってる。
「じゃあ、あのときのラバーブレスって、佐藤と一緒に行ったのか?」
「違いますよ。大輔と一緒に行って途中で佐藤さんに会ったんです」
「もう一人って大輔のことだったのか」
 色々と新事実を突きつけられ、先輩は口をすぼめてる。そういえばこのときのラバーブレスって。僕はたたみかける。
「そのときに佐藤さんが買ったのが黒のラバーブレスなんですよ」
「黒の……」
 先輩はそこで言葉を失ってしまったようだ。先輩の前の家に行ったときにそのラバーブレスは見たから貰ってるんだろうけど。何かあったのかな。お父さんは麦茶を飲んで、先輩の言葉を待ってるようだ。僕も先輩の方を見て続きを待つ。当の先輩は上を向いて、ドライに話し始めた。
「あのラバーブレスなァ。少し思い入れがあるんだ」
「何ですか?」
 すぐに訊き返してしまった。
「秘密だ」
 しかし答えてくれなかった。黒のラバーブレスって着けてるの見たことないな。他にもいっぱい持ってるから何の不思議もなかった。保存用なのかな?
「戻るか」
「はい」
 僕は立ち上がって椅子をテーブルの下に入れた。お父さんを見ると穏やかに笑ってた。
「今日は泊まらせてもらいます」
「どうぞ。遠慮なく。お風呂沸いてるから入っていいよ。遠慮して汗臭いのもこちらが困る」
「ありがとうございます」
 そこまで言ってもらうと逆に使いづらくなる。でも汗かいたし、風呂は入りたいな。
 もう部屋に戻ってる先輩の後を追う。扉が全開で開放的だ。明かりがついてるのは先輩の部屋とリビングだけ。二人暮らしが強調される。先輩はベッドの上に胡坐をかいてカードを並べてた。その中には今日僕が持ってきたカードも入ってる。熱心にやってるようだ。僕は前屈みになって肩越しに話しかける。
「いっぱいですね」
「うわ、驚かせんなよ」
 本当に熱心にやってたようで僕の気配に気づかなかったらしい。声がひっくり返ってた。僕は隣に正座して、先輩の肩幅ぐらいに広がったカード郡を見てみた。一枚手に取ってみる。
「こんなに好きだったんですね」
「そこそこな。それより父さんと仲良さげだったから、もう少しあっちで長居すると思ってたんだけどなァ」
 話しやすい人ではあるし、実際に話したら楽しいと思う。ただ、僕もお父さんも互いに気を遣って疲れる気がする。
「先輩が居ないのにそんなこと」
「久々の来客だったから父さんも喜んでたよ。話せるなら話してやって欲しい」
 先輩の発言が意味深に聞こえた。手の動きを止めて、どことなく声のトーンも低かった。
「風呂入っちゃいな。父さんは寝る前に入るし、俺はカード整理あるし」
「そ、そうさせてもらいます」
 僕はいそいそとリュックのあるタンスの脇に動いた。着替えるのは上だけでいいか。用意してた緑のシャツを手に取った。そういえば入浴に必要不可欠なあれは。
「タオルはどうすれば」
「準備できたか。行くぞー」
 行くぞって、風呂ですか。先輩はカードをそのままにしてすたすたと部屋を出て行った。急いで後を追う。
 部屋を出て斜め向かいのところが開いてる。ここなのか。中を覗くと先輩が湯加減を見てるようで浴槽に手を突っ込んでた。
「ちょっと熱いかもしんねェけど、我慢してくれ」
 そして風呂場から脱衣所、すなわち僕の居るところに来た。近くなると緊張するな。先輩はおもむろにかがんで洗面台の下からタオルを取り出した。カエルがプリントされた可愛らしいやつだ。男二人暮らしでこれは意外だ。
「タオルはこれ使って」
 手渡される。
「じゃ、ごゆっくりー」
 そう言ってにこっと笑って、隣を通り過ぎた。
 こんなことでドキドキしてしまう。こわい、のかな。どうしてだろう。先輩の本心は僕と一緒に居られるのは嬉しいはずだと思う。僕だって嬉しい。この気持ちって……好きってことなのかな。別にそういう意味ではなく、純粋にだ。だからこそ突き放されるのがこわいのかな。
 よし、風呂に入ろう。早く汗を流したい。シャツに手を掛けるとなにかがぶつかった。ずっと着けてて何の違和感もなかったけど、ラバーブレスを着けてるんだった。そういえば先輩はあからさまにこの話題に触れてこないな。さっきだってラバーブレスの話題になったのに僕の着けてるラバーブレスの話題にはならなかった。でも他人が着けてるのを見てどうこう言ってこないか……。

***

 気持ちよかった! シャツを脱いだときのあの肌にはりつく感じがシャワーによって全て洗い流された。
 スカッとした気持ちになって威勢良く扉を開けると、ふと思った。風呂のお礼を言っておかないと。下着とシャツを持って話すのも気が引けるからいったん先輩の部屋に置いていこう。それとラバーブレスも。
 意気揚々と部屋に入ると先輩の姿がなかった。電気はついてるんだけどな。リビングでお父さんと親子水入らずでもしてるのかな。僕は服を片付けてそそくさと部屋を出る。部屋の電気は……つけっぱなしでいいか。
 リビングの前まで来ても話し声はしない。お父さんか先輩、外出でもしてるのかな。
「友達なんだろ? 悪いことをしてしまったな」
 お父さんの声だ。神妙な声音でおどろおどろしい。僕のことを話してるんだろうか。
「そんなこと思わなくていいよ。俺が決めたことなんだから」
 今度は先輩だ。やっぱり楽しげな雰囲気ではない。僕が来てしまったことでこんなことになってるんだ。そう思ったときにはリビングに足を踏み入れてた。何を言うか少し考えた。
「お風呂、気持ち良かったです」
 この重苦しい雰囲気を一蹴しようとした。……が、二人とも顔色一つ変えずに僕を見た。視線がすごく痛い。おとなしく先輩の部屋に留まってれば良かったのに、おせっかいをしてしまった。沈黙したまま、誰もその場から動かない。先輩は窓辺、お父さんはさっき座ってた椅子に鎮座してる。抜け出したいけど、こんな空気を作り出してしまったのは僕だ。僕がどうにかしないと。
 でも、そう思ってもなかなか声が出ない。逆に嗚咽が込み上げてきた。僕は先輩に会いたくてここに来た。それなのに迷惑をかけてばかりだ。その借りを今、返そう。
 僕は目を閉じた。
「少しだけ、聞きました」
 目を開くと、二人とも僕に注目してる。僕は構わず続ける。
「もう今のこの状況をどうこうすることはできません。僕だって先輩に戻ってもらおうと思ってここには来てません。ただ、先輩がどうして来年の春まで待たずにここに来たのか知りたくて」
 しかし、僕が話してる間に先輩は完全にそっぽを向いてしまった。僕の話を聞きたくなかったのかな。
「翔平くん、私の愚息が迷惑をかけた。聞いたところによると、携帯の電話にも出なかったみたいで」
 お父さんに深く礼をされてしまった。僕の方こそ悪い。急に押しかけて、しかも泊まるなんて勝手気ままを許してくれて。お父さんは先輩の方を向く。先輩はまだそっぽを向いたままで表情を窺えない。
「そのことについては隆太から聞いてくれ」
「そんなことどうだっていいだろ。俺の自由だ」
 先輩は窓を向いたまま、低い声で呟いた。白のカーテンに写る影は暗く、寒い。
 僕は何をしにここに来たんだろう。先輩にいやな思いばかりさせてしまって。はしゃいでるのは僕一人だ。この家に泊めさせてくれるという優しさが胸にズキンと刺さる。せめて、ここでこの険悪な親子間の空気をなんとかしたかった。僕にはやっぱり、先輩の力になれることはないのかな。
「すまないな。いつもはこんな子ではないんだが」
「父さんに俺の気持ちが分かるわけないだろ!」
 先輩の怒声に身がすくむ。憤怒したのか、カーテン越しに窓を叩いた。ドスンと日常では聞かないにぶい音が部屋を支配する。その中に先輩の足音が混ざる。
 僕は隣を横切る先輩に声を掛けることができなかった。今の様子はどうしてもあの豹変した日の姿を重ねてしまったからだ。遠くから扉が閉まる音がして先輩が外に出て行ったのが分かった。
 しばらく棒立ちしてたと思う。色々と思うことがあったから。
「本当にすまない。隆太はどうも最近、情緒不安定なんだ」
 お父さんの声に明るさはなかった。姿を見てみると表情にも冴えがなかった。
「なにかおかしいと思ってました。来年の春まであっちに居ることができたら、先輩は高確率で残ったはずです。それなのにしなかったのは」
 そこまで言ったが、どうしても続けられなかった。これは僕が言えることではない。それにまだ憶測の息を出てない。僕はこの場にいたたまれなくなってリビングを飛び出し、家を出た。
 いつもと違う風景。見知らぬ土地。暗い夜道。今ここを出たら戻って来れないだろう。先輩を探し出したいけど、危険だということが色々なところから示されている。仕方なく家に戻った。先輩の部屋は電気が煌々と光ってる。部屋は僕が出たときとなんら変わりはない。時間的に考えてもこの状況から考えても荷物は何も持ってってないはずだ。すぐに、かどうかは分からないけど、今夜のうちには帰ってくるだろう。
 カードが散らばったベッドの上に今度は胡坐をかいて座った。
 先輩とお父さんは見かけ上は仲が良さそうに見えるけど、本当は違ったんだ。
 ――久々の来客だったから、父さんも喜んでたよ。話せるなら話してやって欲しい
 意味深に聞こえたこの言葉は本当だったんだ。先輩は優しい。自己犠牲をしてしまほうほどに。それが親にもいってしまったんだろう。親に喜んでほしい。その気持ちが一番に出てしまったんだ。半年も単身で暮らすことになる父親を放っておけなかったんだ。
 親に喜んでほしい、か。確かに一緒に居ると親はもちろん喜ぶはずだ。ただ、それ以前に自分が喜べない。それでも先輩はお父さんと一緒に居ることを選んだ。この状況……まるで大輔と逆だな。大輔は親が嫌いなのも先輩と逆だ。不謹慎かもしれないけど、僕は親が居て良かった。お父さんは転勤族じゃないし、お母さんもそこまで過保護じゃない。当たり前だと思ってたけど、二人にしてみたら、すごい憧れなのかな。
 先輩にはお父さんと本当に仲良くなってほしい。これから半年ちょっと二人で生活していくんだ。わだかまりがある状態で接してたら、いつか疲れてしまう。大輔にだって、親と仲直りしてほしいな。それで転校してしまっても。だけど今は先輩のことだ。
 何が一番問題なのか。それはお父さんが先輩をきちんと見てないことだろう。こんなにカードゲームにハマってることは知ってるのかな。先輩は先輩で自分の考えを教えてあげてほしい。なんだかこの状況って、今の僕と先輩の状態にも似てるのかな。
「はぁ」
 ため息が出てしまった。精一杯考えてるけど、親子間の問題に部外者の僕が立ち入って良いのかな。そう思うと今まで考えてきたことが無為だと思えてきた。この推量が合ってるとも限らない。でも何もしないのもいやだ。僕にできることはないのかな。なにか、なにか。
 ……ケータイ。先輩は何も持たずに出て行ったけど、着替えてないからケータイは持ってるはずだ。僕はリュックからケータイを取り出した。
「メール?」
 誰だろう。まさか小谷先輩とか。電話するって言ってた大輔もありえるか。開いてみた。
 小谷と仲良くやってる? あんだけ仲いいとこっちが見てらんねえ!
 藤井先輩だった。返信は後回しにして、今は小谷先輩に電話だ。
 呼び出し音がする。出てくれ! 三回目のときにつながった。
「もしもし、先輩今どこですか?」
『マンションの駐車場だよ』
 その声は弱々しかった。
「行っても良いですか?」
『一人にしてくれ』
 そこで通話がプツリと切れた。
 今の言葉は素直に受け取って良いのかな。それとも来てほしいって意味での裏返しなのかな。場所を言ったし。でも今行ったとしても、先輩は駐車場から動いてるかもしれない。……こういうときの先輩は自分を呵責して、限界の状態になってるはずだ。
 ――自分のことで迷惑をかけて身近な人が離れていくのが怖いんだと思う
 植木先輩がそう言ってたのを思い出す。僕が行くことで何が変わるかは分からないけど、行かないよりは数倍マシだ。
 手に持ってるケータイをポケットにしまいこんで、僕は勢いよくマンションを出た。
 エレベーターが上がってくるまでの時間がもどかしい。ドアが開く前からドアにへばりついて、エレベーターが六階まで来るとすぐさま乗り込んだ。入るとすぐに「1」を押して「閉」ボタンを連打した。下がってる最中に階段で行った方が良かったかな、なんて考えた。
 一階に着くと、そこから駐車場を見渡した。人の姿すらない。外に出て、マンションの周りの駐車場を歩き回る。
 やっぱり、移動しちゃったのかな。でもそれならなんでいちいち場所を教えたんだろう。僕は途方に暮れて、マンションの前でへたり込んだ。僕が居るのは迷惑なのかな。『友達』だと思ってるのは僕だけなのかな。先輩の力に何一つなれて
「翔平」
 聞き覚えがあって、切望してた声が前方から聞こえた。顔を上げてみると
「先輩!」
 すぐさま駆けつけた。目の前まで来ると先輩の汗のにおいがする。なんだか安心してしまう。
「ごめんな。俺のことで」
 頭をポンポンと叩かれた。ほっと安心するけど、再会してからその言葉ばっかり聞いてる。
「謝らないでください。僕まで悲しくなってしまうし、その言葉はお父さんにかけてあげるべきです」
 その瞬間、先輩の身体がピクリと震えた。
「父さん、怒ってた?」
 恐る恐るといった感じで、僕から視線を外した。やっぱり、お父さんとうまくいってない、というか、縦の関係になってるのかな。服従してる感じなのかも。
「怒ってはないです。むしろ心配してましたよ」
「心配……」 
 そこで言葉を失ってしまったようで、俯いてしまった。親に喜んでほしいのに心配されたら。
「先輩。お父さんに自分の気持ちを打ち明けたらどうですか?」
「翔平は気づいちゃったか。……でもオレにはできねェよ」
 押し殺した声が僕の胸にドスンと刺さる。
「今さら言ったところでどうなる? 困るだけだろ。それなら、こうなった今の状況を容認して楽しむしかねェって」
 切実な声音に何も言い返せなかった。……自分がつらいことで他の人が助かるなんて、まさに植木先輩のようだ。あの人の教えが根付いてるから、先輩は今だってそうしてる。家族にまでそんなことをしてたら、先輩はストレスでどうにかなってしまう。それだけは避けてもらいたい。
「困らないです。むしろ、自分の気持ちをひたかくしにして家族の人に気持ちよくなってもらう方がずっと、ずっと……悲しいです」
「お前の気持ちは十分わかったよ。ただこれは俺と父さんの問題なんだ」
 やっぱり、部外者である僕は口出しをするべきじゃなかったのかな。
「でも、ありがとな」
 優しい声掛けに胸がキュンと締め付けられた。何気ない一言なんだろうけど、それがこんなにもつらいものだとは思わなかった。
「行こ」
 隣を通り過ぎていく先輩の後を追うことは……できなかった。先輩の役に立てたのかな、迷惑じゃなかったかな。このことを考えれば考えるほど自分の無力さに、ふがいなさを覚えた。
「どうした?」
 先輩に背後から肩を掴まれる。続いて顔を見せた。僕はゆっくりと身体を向き直す。暗くてよく見えないけど、真剣な表情でこちらを見てる。その姿勢なら話せる。最初は先輩がどうしてここに来たかを知りたかったけど、その裏で僕は一つ無意識の内に考えてたことがある。
 生唾を一つごくりと飲み込んで意を決した。

「先輩は、隆先輩は僕のこと……どう思ってますか?」

「どうって……」
 口を噤んでしまった。顔も少し俯いたように思える。やっぱり、どうでもいいとおもってるのかな。
「すげェと思う」
 ポツリと呟いた言葉に僕は耳を疑ってしまった。先輩はこちらを正視してくる。表情はさっきと同様真剣そのものだと思う。あまり見えない。
「俺のためにこんなところまで一人で来てさ。俺の自慢の後輩だ」
 暗がりと、そして自分の涙で先輩の表情がよく分からない。ただ一つ分かるのは笑ってるってことだ。
「俺がこんなにも素をさらけ出せるのは翔平だけだよ」
 おもむろに手首を掴まれ引きずられる。マンションの入り口だ。すると前に居た先輩が急に腰に手を回してきた。普段なら気持ち悪くて拒絶するけど、今はその温もりを手放しがたかった。
「バスケ部に大輔と仮入部してきたときに、オレとすごい似てるなって思って可愛がってやった。あんま笑わないから、笑わせようと思っても無表情どころか険しくなっちゃってさ。大変だった」
 入部当初の頃の話だ。僕にどうしてここまで尽くしてくれるんだろうってあの頃は不思議だった。
「俺は笑ってる方が楽しく思えた。だから翔平には笑っていて欲しかった。植木先輩が俺にそうしてくれたように」
 慈愛に満ちた声音に僕の心が満たされた。意志を受け継ぐってこういうことなのかな。僕は誰かにできてるのかな。
「って、植木先輩のこと覚えてる?」
 急にいつもと変わらないトーンになってびっくりした。顔を上げると目の前にはほてって顔を赤くした先輩が目に入る。恥ずかしいんだろう。
「覚えてないわけないですよ」
 植木先輩……。小谷先輩の過去を教えてくれた人だ。あんな短時間しか話してないのに、惹き込まれそうになったのを今でも強烈に覚えてる。小谷先輩が慕う理由もよく分かる。
「ってか、家戻ろう。こんな状況誰かに見られたら恥ずかしすぎて人様に顔向けできない」
 先輩は名残惜しそうに身体を離した。そりゃそうだ。男同士がマンションの入り口で抱き合ってるって男女でもヤバいのに男同士なんてもっとヤバい。人が来ないのは幸いだった。頷いて合意を示す。
 先輩はそそくさとエレベーターに歩いていってボタンを押した。一階で止まってたのかすぐに開いたので乗り込む。さっき顔を赤らめてたのはこれもあったのかな、なんて思った。先輩はこっちに顔を向けてくれない。そんなに恥ずかしかったのかな。

HomeNovel << BackIndexNext >>
Copyright(C) 2011 らっく All Rights Reserved.