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手が届くなら錯誤(11-6)
 ドタドタと駆けて行く先輩の足音がする。そんなに隠したいことだったのか。残されたカードと写真を見る。なんというかカードより大切だったものなのかと思う。そんなことを考えていたら、足音が近くなってきた。さすがの先輩もさっきの水色シャツを着ていた。そりゃそうだ。いくら暑くてもあんな格好だったら風邪をひいてしまう。
 そして先輩は何事もなかったかのように椅子に腰かけた。沈黙が続く。先輩に視線を向けられずにテーブルに目を向けてしまう。
「なあ」
 急に声を掛けられ思わず身がすくんでしまった。顔を上げると、先輩は神妙な面持ちをしていた。
「まだ時間もあるし疲れただろ? 寝ねェ?」
「あ、はい」
 条件反射的に返事をしてしまった。頭の中で、この沈黙の中に居るよりは良いと判断したんだろう。先輩は親指を立てて廊下を指した。
「じゃ行こ」
「行こってどこにですか」
「俺の部屋」
「ええええ!」
 それはいくらなんでもダメだ!
「このまま椅子でうたた寝で充分ですって」
 直後、先輩はしょげたような顔をする。ダメだって。先輩の部屋なんて恐れ多すぎるってば。
「好意で言ってるんだけどなァ」
 顎を手に乗せ、遠い目をする。どっちを優先すれば良いんだ。自分のことか、先輩のことか。手汗がじわーっとにじむ。苦渋の末、僕が出した結論は。
「行きます」
 先輩だった。先輩は顔を綻ばせ、喜びをあらわにする。いや、ただ単に喜んだだけなのかは分からない。でも先輩がそういう顔をしたってことは少なからず良いことがあったんだ。良かった。……こういう相手への気遣いがいやなのかな。
 僕は先輩の後についていく。トイレや洗面所だと思われる扉はきちんと閉まっているが、玄関近くの一部屋だけ少し開いていた。その隙間からはタンスが見える。あれが先輩の部屋だろう。案の定先輩はその部屋に入っていった。最初来たときは開いてなかったな。さっきの荷物に入ってた手紙を置いたときに閉め忘れたんだろう。
 やっぱり先輩のにおいがするな。で、ここまで来たのは良いけど、入りづらい。
「入って」
 でもその声に後押しされて踏み入れにくかった部屋に一歩入った。
 なんというか、僕の部屋とあまり変わらない印象だ。それはこの乱雑に床に散らばった服だとか、部屋に入ってすぐ左にあるタンスの上には整理整頓されてるようで実はされてない学校のプリント類だとか……ん? 学校のプリント? 無意識の内に近づいていた。
「これは」
 T中のときのだ。保険便りとかクラス通信とかだ。忘れるなんて言っといて実は忘れたくなかったんだろう。
「あんまジロジロ見んなよ」
 後ろから声が聞こえる。振り返ると先輩はポケットに手を突っ込んで恥ずかしそうにしてた。そんな照れなくて良いのに。
「いいから寝るぞ」
 すごんだ声色に少し後ずさりしてしまった。って言っても、ベッドが一つしかない。床はフローリングだから直で寝るのは痛そうだ。これなら和室にあったソファーで良かったのにな。僕が戸惑ってると、ベッドの裾に腰かけた先輩が隣をポンポンと叩く。隣に座れってことなんだろうけど、恐れ多いな……。でもここは一歩前へ進まなければならない。勇気を振り絞って一歩、また一歩と近づいていく。
「すっげェ顔こわばってる」
 そういわれるとそうかもしれない。僕はゆっくりと先輩の隣に座った。距離的には女の子一人が座れるぐらいの幅だ。そんなに近づけない。横目でちらりと見ると先輩は真っ直ぐ前を見据えているようだった。僕は視線を落とした。
「翔平が来るなんて考えもしてなかったから俺もどうかしてたんだな」
 先輩は一つ息をついた。そして後ろ手をついたのか、僕のお尻が沈んだ。
「来てくれてありがとう。おまけに、カードもT中の写真も、傘も持ってきてくれて」
 声が自分の方に向けられたのが分かった。でも先輩の顔を見るのが怖くて反応できなかった。
「寝よ」
 短く切って先輩はいそいそと動き始めた。先輩の方を見るとベッドを綺麗にしていた。前の家にあった、枕カバーがされてないむき出しのストロー枕が目に入った。その枕の近くにあの古めかしい目覚まし時計と、さっきの手紙があったのか先輩は「やべ」と言って、すぐさまポケットに突っ込んだ。見てはいけないような気がしてまた前を向いた。背後からばふっという音がする。横になったんだろう。そして一つ大きく息を吐いた。
「本当、来てくれてありがとな。なんつったらいいか分かんねェけど、嬉しいのは事実だ。俺、ここまで信用されたのって初めてだから、どうしたらいいのか」
 背中越しに聞こえるその声に力強さはなかった。信用、か。先輩が中一の頃の話を思い出すと納得だ。あの頃は部内で孤立してたみたいだったから。でも、今では本当に僕の憧れだ。
 部屋に静謐な空気が流れる。聞こえてくるのは車が走る音、目覚まし時計が時間を刻む音、……僕と先輩の呼吸音。時計が秒針を進める音は久しぶりに聞いたな。僕の部屋にあるのはデジタルだからそんな音は聞こえない。こういうアナログな音がある世界も良いな、なんて思ってたら規則的な呼吸音が聞こえてきた。寝たのかな。久々に身体を動かして疲れたのかな。僕も疲労困憊で今すぐにでも寝たい。でもどこで寝よう。先輩はベッドの半分ぐらいしか使ってなくて、僕がもう半分で寝られるように、ってことなんだろうけど……。横で寝たら緊張してしまって寝られそうにない。部屋を見渡してみると、前の家で見たことのあるタンスが目の前にあり、部屋の隅には机がある。緊張してたのか部屋に入って真ん前のところに、目に入らなかったT中の制服がかけてあるのが分かった。寝られるようなところはないか。
 僕は思い悩んだ末に、ベッドを半分使わせてもらうことにした。横に寝てみてふとある人の顔が浮かんだ。佐藤さんだ。ここに来ることは決まってたから、いくら仲が良くても別れることは必然だったんだ。そう考えるとなんかむなしいな。先輩のお父さんの転勤がなければこんなことにはならなかった。ってダメダメ。それは考えちゃダメだ。
 心を落ち着けて寝よう。緊張しっぱなしだったから思うように寝付けない。隣に先輩が居るから尚更だ。仰向けになっていた姿勢を崩して先輩の方を見る。先輩は向こうを向いて、腕を枕にしてる。枕から落ちたのか。僕が枕を使うのは忍びないのでまた仰向けになって目を瞑った。枕を挟んで僕と先輩、か。変な構図。
 何も考えないようにするとふっと意識が遠退いていった。

***

 ガサゴソと物音がする。目を開けてみるとだいぶ日が傾ぎ始めてるのが分かった。日光が部屋に入り込んできてる。物音の根源は先輩だった。なにやらタンスをあさってる。
「先輩」
 横になったままで言ったせいか、先輩は驚いてピクリと身体を震わせた。そしてゆっくりとこちらを向く。
「起こしちゃった?」
「あ、はい」
「ごめん。でも、もうそろそろ行かないとまずいぞ」
 そう言って目覚まし時計を指差す。何のことだっけ……。手に取ってみる。時計が指している時刻は五時三十分だ。あっ! 夏祭りに行くって約束だったんだ。「ひとはちまるまる」って言われたから十八時というイメージがなかった。
「気づいたか。じゃ、行くぞ」
「その前に水飲ませてもらえますか?」
 だいぶ喉が渇いていた。全身汗をかきまくってる。夏の昼間に寝るのは自殺行為かもしれない。

***

 帰りは疲れもあるだろうから、夜行バスはやめようという話になっていて、新幹線で帰ることになった。明日の夜までに帰れば良いから今日は先輩の家に泊めてもらうことになった。だから荷物はない。親にその旨を電話で伝えると、快くオッケーを出してくれた。
 やがて、約束していたO公園の前に約五分前に着いた。昼間から祭りはやっていたようで賑やかだ。藤井先輩は柵の前によりかかってケータイをいじってた。藤井先輩は着替えていて、とても目立つ赤いシャツにカーキ色のチノパン姿だった。小谷先輩が一声かけると、ケータイを閉じて手を挙げた。
「こういうお祭りごとは楽しんだもん勝ちだ。早速行こうぜ」
 藤井先輩の気迫に圧倒されて祭り会場に入っていく。
 お祭りって久々だなぁ。それこそ二年振りぐらいかもしれない。去年は花火の音を家で聞くたびむなしくなったのを思い出してしまった。今年は三人で、間近で花火の爆音が聞けるんだな。そう考えるとワクワクしてきた。
「花火大会は十九時からだから、あと一時間ぐらいあるな」
 藤井先輩がそう言ってるのを見てて思った。時間にルーズだと思ってたけど、きちんとしてたな。最初は能天気な人かと思ってたけど、違ったんだな。さすが高校生だ。三年後、僕もこんな風になれるのかな。
 このお祭りはなかなかに大きいみたいで、人とすれ違う量が半端ない。喧騒の中でも藤井先輩の話し声はしっかりと聞こえる。
「祭りと言ったらりんご飴だろ」
「なんですか、それ?」
「知らない? その名の通りりんごに飴をからめた祭りでの定番商品」
 藤井先輩は誇らしげに言い放った。僕も知らない。唖然としてると、藤井先輩は不思議そうな顔をした。
「何コレ? ジェネレーションギャップ? 地域の差?」
「地域の差だと思いますよ。翔平もそういうの見たことないよな?」
「聞いたことすらないです」
 小谷先輩の華麗なフォローに感動した。高校生でジェネレーションギャップを感じたくないよな。それに歳が二、三しか離れてないのに。
「社会勉強の一環だ。食おうぜ」
 ということになり、出店を巡っていく。焼きそば、たこ焼き、わたあめ、飲み物はラムネと、出店の王道ばかりだ。カキ氷も良いなぁ。というか、ご飯を食べてないから、焼きそばとかそういうのを食べたいが、言わないでおいた。空気悪くなるのが一番いやだから。
 やがて、出店も半分以上を見て、ないんじゃないかという疑念が渦巻いてきたときに見つかった。
 看板にはりんごのイラストが書いてあって、藤井先輩が言っていたように「りんご飴」と書いてあった。お金は帰りのことを考えると……。
「俺が言い出した手前、払わないわけにもいかない。おごってやるよ」
「ありがとうございます」
 小谷先輩と声が揃った。藤井先輩は「へへっ」と得意気になった。そして尻ポケットから財布を出して手に取った。
「りんご飴、三つください」
「あいよ。三百円だよ。いつもありがとな」
「こちらこそですよ」
 そう言って、藤井先輩は屋台のおじちゃんに一礼した。藤井先輩からりんご飴を貰うときに訊いた。
「知り合いなんですか?」
「祭りの出店によく出しててさ、毎回買ってたら顔覚えられたみたい」
 そんなんで覚えてもらえるのか。すごい記憶力だ。藤井先輩は「祭りと言ったらりんご飴」って言ってたけど、それは藤井先輩の中でだけな気がする。
 割り箸に刺さったりんごに飴がコーティングされてる。二人ともしゃぶりついたので僕も続いた。
 飴だ。
 何の変哲もない飴だ。これってただ単にりんごに飴がコーティングされてるだけっていうものなのか。まさに「りんご飴」だ。
「あまっ」
「この甘さが良いんだろ」
 二人がペロペロ舐めているのを見ると、チュッパチャップスを舐めているようにしか見えない。ちょっと棒が長いけど。再びすたすたと歩いていくと出店の明かりが届かなくなってきた。ちょっと怖いな。
「どこ行くんですか?」
 思わず訊いてしまった。すると藤井先輩は斜め前方を指差した。
「あそこ。あの石段のとこに毎年座って見てるんだ。一人で見た時もあったんだけどな。今年は二人がいて良かったよ」
 感慨深げに話す姿に寂しさを覚えてしまった。一人で花火の音を聞くのもむなしいけど、こんな間近で聞くのもそれはそれでいやだな。少しの間、三人の間に声がなくなった。遠くから聞こえる声がうるさく感じる。沈黙を破ったのは藤井先輩だった。
「俺はここで花火の時間まで待つけど、お前らはどうする?」
 藤井先輩は石段のところにどっかりと座って、りんご飴を舐めている。小谷先輩が僕に顔を合わせた。ちょっとドキドキする。
「どうする?」
「もうちょっと回ってみたいです。こういうお祭りに来るのって久しぶりですから」
「そうか。んじゃ、俺も一緒に行く」
「あ、ぜひ」
「話がまとまったみたいだな。十九時までには戻ってこいよ」
 藤井先輩はりんご飴を舐めながら手を挙げた。僕たちはそれに呼応し、踵を返した。

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