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手が届くなら錯誤(11-3)
 僕は小谷先輩の下へ全速力で走る。会いたかった。今はもうその思いで胸が一杯だった。
「先輩!」
「なんで……」
 先輩はきつねにつままれたような顔をしてる。そりゃそうだ。こんな遠い地に、しかも見学に来たってときに会うなんて誰も思わない。
「見間違い……いや、似てるだけ、だよな」
 こんな近距離に来ても僕を僕だと判別できないようだ。というより信じられないんだろう。僕はもう二歩近づいて、先輩とはバスケットボール一個分ぐらいの間まで詰めた。
「先輩、小谷先輩、僕です。翔平です」
「嘘……だろ? ここどこだと思ってんだ?」
「先輩が引っ越したM県ですよ」
 先輩はまだ信じられないといった風情で目を大きく開けてる。先輩と会えただけでも満足してしまいそうだ。
「翔平――翔平なん、だよな?」
「はい。T中二年バスケ部部長の日比谷翔平です」
 先輩の家で会ったときには言えなかったことだった。ここまでの道中で考えたことで、先輩に会ったら一番に伝えたかった。
「お前が? マジかよ」
 まだ半信半疑だった。しまった、焦りすぎた。言うのが早すぎた。でも次の一言で僕は安心した。
「翔平に会えたのは嬉しい。けどさ、なんつーか、お前に合わす顔ないよな」
 先輩は俯いてしまった。合わす顔がない訳ない。いつだって先輩は僕の憧れだ。たぶん、小谷先輩が植木先輩を慕うように。
「そう思ってるのは先輩だけじゃないですか?」
 その驚いた顔だって、さっきみたいな悲しそうな表情だって、そうやって僕たちのことを慮ってくれることに恥ずかしさは一片もない。でも、最後ぐらいは見送りたかった。僕の思いを先輩にぶつけると、俯いた状態のまましばらく静止してしまった。届いたかな。
 やがて、おもむろに話し始めた。
「俺ってすっげェ愛されてんだな。気づかなかった」
 その二言の後はぴたりと動きが止まった。今の言葉が真意なのかな。
「小谷、隆太だよな?」
 割って入ってきたのはキャプテンだった。この重苦しい空気の中に入ってくるその勇気はすごい。その声に先輩はゆっくりと顔を上げた。表情に曇りは見えない。
「はい、そうですけど」
「よろしく。俺がキャプテンの安田だ」
 キャプテンの名前はどうも覚えられない。というか僕が覚えたところで何の意味もないから覚えられないだけなのか。
「よろしくお願いします。小谷です」
 両者は軽く握手した。キャプテンが砕けた口調でも先輩はお堅い。そういうところも憧れる。
「今日は見学と聞いたが、そのカッコからして」
「見てるだけじゃうずうずしてきそうで」
 顔しか見てなかったから格好なんて全く気にしてなかったが先輩はジャージ姿で、やる気満々のようだ。先輩を見られるだけじゃなくて、バスケをする姿も見られるなんて来て良かった。まさかのサプライズだ。元はといえばあの爽やかサラリーマンに声を掛けられたからなんだよな。ありがとう、爽やかサラリーマン!
 先輩はシューズを履いて軽くストレッチした後、フリースローの練習を始めた。こうなったのは言わずもがなさっきの続きだ。見学だろうがなんだろうが、この体育館を使わせてもらってるのはみんな同じだからだ。使ってる時間などは関係ない。今のところキャプテンと僕が失敗してる。先輩もミスってくれ!
 そういえば先輩は遅れた理由を、寝坊した上に変な人に捕まったからとか言ってたな。この界隈ってある意味危険なのかもしれない。それとも僕に道を教えてくれたあの爽やかサラリーマンなのかな? なんてどうでもいいことを考えてると
「すげえ……」
 見とれて言葉が出ないほど先輩は見事なシュートを決めた。しかし、スリーポイントラインからやるとは先輩も聞いてないはずだ。さっきの僕たちと同じくらいの練習回数をこなした後、先輩にルールを伝えた。
「意味ないだろそれ」
「遊びだから」
 先輩はやれやれといった感じで小さなため息をついた。僕含め五人の視線が更に先輩に熱く集まる。静寂の体育館内にボールが跳ねる音。先輩はボールを一旦胸の前に置いて深く息を吐いた。そして構えに入り……ドン、スポン。
 入った。僕と同じようにリングに当たったが嫌われずにスーッと入っていった。この違いが、小谷先輩はバスケがうまいといわれる所以だと強く感じる。直後拍手が起こった。
「綺麗な放物線描いてた!」
「フリースローの神様だな」
 とか色々はやし立てられてる。僕はちょっと遠目から見てる。そんな中キャプテンは胡坐を掻いたまま腕組みをして冷静にその様子を見てた。あ……掃除はキャプテンと僕になったのか。キャプテンに話しかけようと近づくと、目をはっきりと開いた。
「ちょうど六人になったことだしスリーオンスリーでもやるかあっ!」
 ざわざわし始める。その内容としては小谷先輩と同じチームが良い! という意見が多数だった。話し合いが難航する中、再び体育館の扉が開いた。
「監督、遅かったじゃないですか」
 手を後ろに組んでやたら緩慢と歩いてくるおじいちゃんだった。あれがこのクラブの監督? 優しげな笑顔を振りまきながら「悪い」と言ってこちらに手を振ってくる。本当みたいだ。監督は小谷先輩の前に立って、肩をトントンと叩いた。
「どれ、君の腕が本物かどうか見極めさせてもらいますよ」
 これまた優しげな笑顔に似合った優しげな声音だった。監督とは言うが、身長はそれほど大きくなく昔バスケをやっていたようには思えない。先輩はやや強張った表情になり返事をする。
「は、はい」
 キャプテンは監督にスリーオンスリーのチーム決めのことについて聞いた。
「スリーオンスリーって人数は」
「今日は見学者が二人来てるんですよ」
 さすがのキャプテンも監督に対しては敬語だった。というか監督は僕は眼中にないのか。これぞアウトオブ眼中。
「二人?」
 そう言って監督は周りを見渡して僕を見つけたようだ。途端に笑顔になりゆっくりと歩いてくる。逆に怖いぞ。
「君もこのクラブに入りたいのですか?」
「いえ、そういう訳ではなく」
 ここから小谷先輩と僕の事情を話した。
「小谷くんと同じチームで、か。それなら話は早い。小谷くんと日比谷くんと、それから安田くんで組なさい。抜群のチームワークを期待してるよ」
 分かってくれたみたいだ。しかしその期待は大きすぎる。満面の笑顔で言われると更にプレッシャーが重く圧し掛かる。
 しかしだ。僕は靴を履いてない。フリースローなら大丈夫だったが、十人ほどではないが六人でも結構入り乱れる。そんな中で靴を履いてなかったら怪我をさせてしまうかもしれない。ここは潔く辞退を……。
「よもやバスケやるとは思ってもなかったよね。靴がないんだろう? 私のを貸してあげるよ」
「ありがとうございます!」
 靴のサイズは……ちょっと小さいけどいける。すでに練習してる二人の下へ行く。キャプテンは遊びのフリースローこそはずしてたが、普通のフリースローに関しては成功率は高い。小谷先輩も実力は落ちていない。僕が足を引っ張らないかが不安だ。練習が終わり、一分間の休憩に入る。高速のサービスエリアの自販機で買ったぬるいお茶を一口飲むと、先輩は愛用の黄色いフェイスタオルで汗を拭いながら歩み寄ってきた。
「まさかまたお前と組むことになるなんてな」
「僕も思ってませんでしたよ」
「でもこれでホントに最後かもな」
 先輩の寂しげな声に僕は返す言葉が見つからなかった。
 監督が休憩終了の掛け声をして
「よろしくお願いしまーす」
 ゆるーく始まった。他人の靴だから違和感があってやりづらいと思いつつも、足手まといになる訳にはいかないので僕は必死だった。
 キャプテンから僕にボールが回ってきたので、すかさず小谷先輩にパスを出す。先輩はコートの端、ゴールからほぼ真横の位置で華麗にシュートを決めた。軽くハイタッチをする。チラッと監督に目をやると、さっきとは目つきが変わってる。びっくりした。勝負師の顔ってやつ? なんて思ってたら一気に攻め込まれてポイントを取られた。
 接戦の末、僕らのチームが辛勝した。十分とはいえ、ずっと接戦だったから肉体的にも精神的にもだいぶ疲れが来た。しかも長旅の疲れも相まって横になったらすぐに寝てしまいそうだ。
「お疲れー」
 ゆるーい挨拶で始まり、ゆるーい挨拶で終わった。終わってすぐに不真面目くんがすぐに僕の下へ来た。
「お疲れ。パスめっちゃうまいじゃん」
「いやいや、君の方こそよくシュート決めてたじゃん」
「そうか? あんがと」
 心がほっこりした気持ちになる。こういうときにバスケをやってて良かったと思える。しかしあれだ。あんなやる気のない練習でよくここまでうまくなるものだと感心してしまった。いざってときに決めるし、フリースローだって成功率が高い。今日みたくみんなに見られながら練習をするからあの緊張感にも慣れてるのかな。
 先輩はキャプテンともうすでに監督のところへ行ってた。僕も行ってみよう。
「素晴らしいですね。さすが彼が見込んだだけはあります」
「ありがとうございます」
 先輩は慇懃に頭を下げた。キャプテンは誇らしげにしてる。あれだけの実力の持ち主が入って、しかも周りもできる連中だからこの地域最強チームになるんじゃないかと思った。それにしても監督の言ってる『彼』って誰だろう?
「荒削りなところもありますが、少しずつ修正していきましょう」
「はい」
 監督はスリーオンスリーを見てるときの獲物を狙うような目つきから打って変わってさっきの優しい笑顔、目つきに変わってた。本当にバスケが好きなんだろうな。監督がぱちぱちと手を叩く。
「おっと、そろそろ時間なので片付けましょう」
 あ、僕とキャプテンでやるんだったな。キャプテンにモップの位置を聞き出して、用具倉庫へ向かう。そこにはすでにスリーオンスリーで相手だった三人が居た。
「片付けは僕の当番じゃ」
「いいって。俺ら負けちゃったし。自主清掃」
 さっきボールをよくカットしてた坊主頭の子が大仰に笑う。他の二人も乗り気……、不真面目くんだけがあまり乗り気ではないようだった。
「めんどくせー」
「準備から片付けまでする奴がうまくなるもんだ」
 背後からキャプテンの威圧的な声がした。不真面目くんは驚きすくみ上がる。この二人は良いコンビだと思う。
「分かりました、やります! ほら早く」
 不真面目くんはモップを手にとって素早く館内に行こうとする。
「乗り気じゃなかったくせにー」
 ぶーたれた二人も後に続く。ほほえましいな。僕はモップを取って用具倉庫を出ようと振り返ると、キャプテンが後ろ向きになってた。あの三人を見てるのかな。
「あいつも悪気があってやってるわけじゃないんだろうけどな」
「構ってほしくてやってるんじゃないですか?」
 思わず話しかけてた。
「そんなわけないだろ」
 僕が冗談を言ったと思ったのか、見事に笑い飛ばされてしまった。そうだよな、そんな訳ないよな。
「そんなことより片付けだ。俺はボール片付けとかその他もろもろやるから、……あーっと翔平はモップ掛けよろしく」
「分かりました」
 部員に戻った気分で気楽だ。部長って意識するたび、重圧を背負ってる気がしてならないんだよな。それはそうとして、このクラブみんながみんな仲が良い。T中のバスケ部もこんな感じにしたいな。それにはまず僕がみんなと仲良くならなきゃいけない、か。そんなことできんのかな、この僕に。
 そういえば先輩は何してるんだろう。一人だけ片付けに参加しないなんてKYすぎるぞ。館内を一通り見渡しても、けだるそうにモップ掛けしてる不真面目くんと他二人の真面目っぷりの差をまざまざと感じるだけで後は人の姿はない。監督とどこかへ行ったのかな。まぁいいや。モップ掛けをして反対まで来ると、さっきまで居たところでは死角になってたところに監督と先輩が相対してた。なにやら怪しげな雰囲気が漂ってたので、さーっと通り抜けようとしたが聞こえてしまった。
「いやあ、さっきはありがとうね」
「監督とは露知らず、失礼しました」
「いいんですよ。小谷くんは礼儀正しいね」
 なんのことだかさっぱりだった。それよりも今はモップ掛けだ。総勢五人でせっせとやった甲斐あってすぐに終わった。監督の声がする。
「はいはーい、閉めますよ」
 それぞれ荷物を持って出口にダッシュした。出てから僕は監督に靴を返した。
「小谷くんと良いコンビネーションでしたね。小谷くんの力を引き出すためには周りの力添えが不可欠です。先ほどのものを見た感じだと、どうやら双方に良い影響を与えたようですね」
 監督の的確な分析に一瞬「?」が浮かんだものの、すぐに掻き消えた。やっぱり先輩でも単体では光らない。周りが居るからこそだ。双方に良い影響かぁ。それはそうかも。僕は足手まといになりたくないって思った。あれ、でも先輩に良い影響ってなんだ?
「翔平、これからどうすんだ?」
 いつの間にか小谷先輩と並んで歩いてた。学校の敷地内を歩いてて、この状況。景色は違えど、また前に戻ったみたいだった。
「どうするって……ノープランです」
「ノープランってお前なぁ。ってか、ここに来て何するつもりだったんだよ」
 小谷先輩に会いに……なんてそんな恥ずかしいセリフを面と向かって、ないけど、先輩に言える訳ない! 照れくさい。でもそのために来たのは事実だ。
「言えないようなことか?」
「言えなくはないですけど、恥ずかしくて」
「そんなに言いたくないならいいけどな」
 そこまで言われたら逆に言わなくちゃいけないような気がする。隣を見る。先輩の横顔、久々に見たな。『普通』の先輩の顔。唇がわなわなと震える。一旦目を閉じて息を吐いた。
「先輩。……小谷先輩に会いに」
 歯が浮くようなセリフを言ってしまった。急激に顔が赤くなっていく。暑いのが更に暑く感じる。先輩も恥ずかしかったみたいで、顔を伏せた。
 気まずい雰囲気の中、校門のところまで来た。ここの校門は色んな意味で思い出に残りそうだ。先頭に居る監督がくるりと振り返った。もちろん笑顔で。
「私はこれで失礼しますね。お疲れ様でした」
「お疲れ様でしたー」
 そう言うとるんるんと聞いたこともない歌を口ずさみながら帰っていった。見てからほとんど笑顔で逆に圧倒されたけど、良い人だったな。バスケの知識、というか洞察力はピカイチだと思う。
 そんなことを振り返ってると、今度は不真面目くんが振り返った。
「今日この地区で夏祭りあるから暇だったら行かね? ショボいけど打ち上げ花火もあるから盛り上がると思うぜえ。みんな予定あるみたいでさあ。女かな?」
「んなわけあるか!」
 不真面目くんはキャプテンにぽかっと胸を叩かれた。キャプテンはそれだけ言って帰ってい……かないでくれ!
「あのこれ」
 キャプテンからジャージを借りてるのは覚えてたけど、言うタイミングがなかったから去り際の今しかなかった。
「そのジャージ使ってねーから、あげるよ」
 それどころじゃなかったから全然気づかなかったけど、よく見てみるとこのジャージ、ボロボロだった。
「ありがとうございます!」
 一礼すると、今度は肩をトントンされる。
「で、君は?」
 なんだ、不真面目くんか。
「僕は行けます。ただ小谷先輩がどうするのかによりますけど」
「俺は……どうすっかな」
「何も予定ないんじゃ行こうぜ。『これ』居ない集いとして」
 不真面目くんはそう言って小指を立てた。来てくれ! 彼女は今居ないはずだ。先輩は目を細め眉間に眉根を寄せた。佐藤さんのことを思い出したのかな。しかし、先輩はきりっとした顔になって不真面目くんの顔を見る。
「行く」
 短かった。佐藤さんと別れたのを振り切ろうとしてるのかな。
「じゃあ本日ひとはちまるまるにO公園に。帰ろうぜー」
「おう」
 小谷先輩は圧倒されてるようだった。ずっと見てて思ってたことが一つある。不真面目くんは大輔に似てる……けど、なんかやっぱ違うな。でもその差に果てしない違いを感じる。似て非なるものってこのことなのか。

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