HomeNovel << Back IndexNext >>
手が届くなら錯誤(11-2)
 目を覚ますと、遮光カーテンを開け始めてる人が居て朝になったのだと実感する。僕もカーテンを開けて朝の陽光を浴び……まぶしっ!
 ずっと暗いところに居たせいか外の明るさが目にしみる。失明するかと思った。
 もうすぐ到着予定時刻だったし、窓からまぶしい外の世界を見てることにする。もう高速は降りてて、後は目的地に向かうだけだ。コンビニのチェーン店だったり、デパートだったりと僕が住んでる県にもある店を見てもどこか違うという雰囲気が拭えない。景色が全く違うからかな。それに心なしか歩いてる人の格好も違うように見える。僕が住んでる県も地方都市ではあるが、ここも地方都市。しかしこちらの方が栄えてる。でも僕はこの県に用がある訳ではない。ここから電車で隣の県まで移動だ。
 そうこうしてるうちに車内アナウンスが流れ、目的地に着くようだ。降りる準備をする。
 やがてバスは大きく旋回し、目的地である駅のバスプールに着いたようだ。僕は順番を見計らって、立ち上がった。通路を歩いて出口のところで乗務員さんに挨拶をした。
「ありがとうございました」
「お疲れ様でした」
 何気ないこんな会話が心地良かった。降りてバスを振り返って見る。乗る前は不安ばっかだったけど、今は乗って良かったと思える。それは途中のサービスエリアで見た日の出であったり、他の乗客がきちんとマナーを守って乗ってたからだろう。
 もうここまで来たら引き返せない。
 爽やかな朝の風を浴びて、僕は気持ちを新たに駅に向かった。夏は夏でも朝っぱらだから快適だ。閑散としてる駅前を歩いて、中に入る。事前に調べた情報だと乗る路線はそこまで迷わないはずだ。駅構内の表示を頼りに進んでいくと迷わずに自動券売機のところまで進めた。ちょっと優越感。一回乗り継ぎがあって、一時間ちょっとの行程だ。
 改札を通ってホームに降りていくと、すでに電車が来てた。あわてて乗り込んで空いてる席に座る。数時間後には小谷先輩に会えるかと思うと夢のようだ。会ったらまず何を話そうかと考えてると、もう電車は発車するようだった。お盆だったから少し遅れたのか。
 車窓から外を見る。流れ行く景色がバスのときと違う。早く過ぎ去っていく。でもこれだけ早いっていうのに、目的地までは約一時間。長いなぁ。暇な時間は大輔と話してる予定だったから、暇つぶしに使えるような物は何一つ持ってきてない。ケータイはバッテリーが切れたら最後だ。万が一道に迷ったときに使えるように今は使わないでおこう。……と思ったが、大輔にメールをしておこう。
 えっと――今、夜行バスから降りて電車に乗り換えたよ。大輔は何してるの?――そう打って送信ボタンに手を掛けた。電話では言えなくてもメールでも言えることもあるよな、と思いボタンをポチッと押した。……送信成功。ケータイを閉じてズボンのポケットに入れた。
 そして他に何かないかリュックをあさる。やっぱりあの写真しかない。大輔が居ないにしても初めて見たときの感動を小谷先輩と分かち合いたいから今はぐっとこらえて見ない。


 小谷先輩にこれから会えるという興奮で乗り換えまで寝ることはなかった。ここで乗り換えをしたら後は目的の駅で降りて、そこからは徒歩だ。ワクワクが止まらない。この電車は十五分ほどだったのであっという間に感じた。
 昔ながらの駅という感じで、所々に改修の跡が見られる。改札口を通って駅を出ると新天地に出た気分だ。いや、実際そうなのだが。地図を頼りにちょこまかと歩く。知らない土地を一人で歩くのは初めてだし、何より僕は地図を見るのが苦手だ。こっちであってるのか不安。そんなことも相まってか暑く感じる。気候的には僕が住んでる県とさほど変わらないと思うが、不安がそうさせるんだろうか。

***

 案の定道に迷ってしまった。道行く人に道を聞くのも気が引けるし、どうしよう。道端で電柱の縁に生える雑草を見ながら途方にくれてると
「どうしたの?」
 後ろから不意に声を掛けられ驚き慄いてしまった。
「ごめん、おどかすつもりはなかったんだ」
 そう言ってペコりと頭を下げたのは爽やかそうな三十台ぐらいのおじさんだった。いや、お兄さん? 微妙な歳だと思う。頭を上げると、身長が高いのが一番の印象だった。小谷先輩より高い。185センチくらいはあるんじゃないか?
「警戒してる?」
 そりゃ警戒する。スーツを着た、いかにもできそうなサラリーマンを装って…って、この人見たことあるようなないような。思い出せそうで思い出せない。芸能人に居そうな雰囲気だけど――居ないよな。どこで見たんだろう。
「あの、おじさんってどこかで会ったことありますか?」
 思わず質問してしまった。おじさんも逆に訊かれるとは思ってなかったみたいで、目を見開く。左手を顎に当てて……薬指に指輪をしてる。既婚なんだ。そりゃこの歳で結婚してない方が恥ずかしいよな。「おじさん」って言われても特に反応を示さなかったのはそのへんもあるだろう。僕の統計上、独身の人ほど年寄り呼ばわりされるのを嫌う傾向がある。
「気のせいじゃないかな。ほら、似てる人って世の中に三人は居るって言うだろ?」
 完璧な返答だ。僕の質問を綺麗に交わしてくれた。おじさんは頬を緩ませる。
「そんなことより、君、どこの子?」
「ここには住んでない……です」
 分かった。こういう風に大人の雰囲気に呑まれて事件って起こるんだ。口が上手い。こうしてまた一人犯罪に巻き込まれていく。……でもこの人はそうじゃなさそうだな。っていうのが駄目なのかっ! 気を強く持とう。
「どこか行くの?」
「はい」
 我ながらとてつもない負のオーラを出しながら話してると思う。すごい暗い子に見えてると思う。昔に戻ったみたいでいやだけど、ノリが良かったらそれこそ犯罪に巻き込まれてしまいそうだから、今は我慢だ。
「道なら教えてあげるよ。どこ?」
 この優しげな瞳。おじさんには何のメリットもないのに、土地勘のない僕に道を教えてあげようという親切心。こんな姿を僕はどこかで見た覚えがある。僕は目を瞑って回想した。あれは――ラバーブレスを買いに行くときだったな。小谷先輩は何のメリットもないのに買い物袋を重たそうにしてるおばちゃんを手伝った。
 目を開けると視界に変わらないおじさんの微笑み。そんなおじさんと小谷先輩が僕にはダブって見えた。
「K中学校です」
 おじさんはまた目を見開いて驚きを表した。
 しかし、手放しで信用することはできない。これは僕の最大限の譲歩だ。小谷先輩の住所まで道を教えてくださいっていうと、知らないところを教えられるかもしれない。K中学校であればそれほど遠くないみたいなので、僕でも行ける気がする。
 試しちゃってるな、僕。こんな世の中いやだな。でもこれが今の社会なんだと思う。
 おじさんはどこからかメモ用紙を出して、「右に曲がる」だとか「左には郵便局」だとか懇切丁寧に書きながら口で教えてくれた。
「ほいこれ」
 おじさんが書いてたメモ用紙を手渡された。手の上で書いたから少し読みにくいけど、本当丁寧だ。簡易地図まで書いてくれてる。
「じゃあね。今度は迷子にならないで」
 僕がメモ用紙に気を取られてると、おじさんは行ってしまうみたいで踵を返した。僕はその後ろ姿に声を掛けた。
「あ、はい。ありがとうございます」
 おじさんは振り返ってニコッと笑ってくれた。
 良い人だったな。試すなんてことしないで、素直に聞いておけば良かったと後悔した。地図とおじさんから貰ったメモを照らし合わせてみると、よく分かる。おじさんってそういう仕事してるんじゃないかと思うぐらい分かる。
 K中学校は、小谷先輩が二学期から行くことになる学校だ。これで本当に先輩は良かったと思ってるのかな。仕方がないのでK中学校に行くことにする。
 左には郵便局、のように書いてあるのでこの道で合ってるというのが分かるので不安はない。指示されたとおりに歩いていくとやがて学校が見えてきた。一抹の不安は感じてたが、校門のところまで来た。
「K、中学校」
 本当だった。あのときおじさんが小谷先輩とダブって見えたのは偽りじゃなかったんだ。
 おじさんを疑ってしまったのは悪いと思ってる。また会えるなら謝りたい。でもあっちからしてみれば、謝る方がおかしいよな。僕は本当にここ、K中学校に行きたいと思ってたんだろうから。
 やっとこれで現在地が分かった。学校はお盆ということで、静か……だ。ん、ちょっと待て。体育館から音がするし、校門も開いてる。部活でもやってんのかな? でも今、そんなことはどうだっていい。
 ケータイを見て時間を確認する。現在時刻は午前九時。そういえば小谷先輩に会ってからの予定を何も考えてない。フリーな時間がだいぶある。何を考えてるかというとご飯だ。朝ご飯のことを全く考えてなかった。昼は小谷先輩がどうにかしてくれるとして、朝のことは何も考えてなかった。近くのコンビニは……遠い。ここから1キロくらい離れてる。田舎だなぁ。
「おいお前。あやしーやつだな」
 うわわっ。突然の出来事に身震いしてしまった。本日二度目。いきなり声を掛けないでほしい。声の主は、中学生? ジャージだ。怪しいと言われて自分の格好を見直してみると、いかにも怪しい。私服でリュック背負って、校門の前で地図広げてて、おまけに炎天下で傘を持ってる。
「あのですね、僕、ここの者じゃないんです」
「ってか、あれお前って。こっちこっち」
 うわわわっ! 手首を取られて引っ張られる。急にそんなことしないで頂きたい。おいおい、おじさんよりこっちの中学生の方が危険だ。抵抗しても無意味というか、この中学生が怒られる確率の方が高いと思ったので素直についていった。
 そして連れて来られた場所は体育館だった。靴を脱いで上がらせてもらうと、中ではバスケをやっていた。ここまで来てバスケを見ることになるなんて思いもしなかった。僕が呆気に取られてると、部長らしき人が来た。
「こいつが小谷ってやつなのか?」
「……うええっ!」
 え、ちょ、ま、ええええ!
「どういうこと?」
 訳が分からんぞ。落ち着け。「小谷」って言っても僕の知ってる小谷先輩ではないかもしれない。それほど珍しい苗字という訳でもないからな、うん。
「新しく入った小谷隆太ってお前のことだろ?」
 だよね。そんな訳ないよね。小谷先輩な訳……え?
「小谷隆太ってあの、その」
「だからお前のことなんだろ?」
「僕、ではないです……よ」
 とりあえず否定しておいた。


 事情を聞いてみると状況が分かってきた。
 今日やってるこのバスケはクラブでやってるもので、特別に体育館を開けてもらってるそうだ。そしてこのクラブは前に小谷先輩が言ってた「地元のバスケクラブ」のようで、今日は小谷先輩が見学に訪れる予定みたいだ。その割りに集合時間を過ぎても一向に姿を現さないが。中総体で一人だけ早く会場入りしてたのがまるで嘘のようだ。
「今日そんなに参加者居ないんだよな」
 クラブ長の人にそう言われて納得する。僕を含めて五人しかいない。お盆が明けたらまた練習が始まるだろうから、自由参加の今日はそれほど居ないのか。二人はフリースローの練習をしてて、事情を聞いたのはこのクラブ長と最初にこの体育館に僕を連れてきた人だ。先生らしき人が見えないけど、どっか行ってるのかな。
「ここで待ってたら小谷先輩って来ますかね?」
「まー、今日見学するって言ってたから来るんじゃないのか」
 そう言われるとすぐにでも会いたい気持ちが募る。でも会えないこのもどかしさ。この人たちはまだ会ったことないから連絡先は知らないだろうし……。小谷先輩の家に行ってすれ違いになるのもいやだし。どうしたものか。
「小谷ってデカいよな?」
 僕に話しかけてきたのは校門で会った人だった。第一印象こそ最悪だけど、話してみると意外と良い人っぽくて安心した。
「そうですね、僕より7センチ高いです」
「それって超デカくね? ちょっと立ってみて」
 言われたとおりに立ってみる。すると、頭のてっぺんに手を当てられる。
「こんぐらいかあー。聞いてはいたが、想像すると更にすごさが分かる」
 腕組みをしてうんうん頷く。僕はその場に再びぺたりと座った。
「デカいだけじゃなく、スキルもあんだろ?」
「そうですね。先輩の抜けた穴は大きいです」
「ってことは中総体もそこそこの成績だったろ?」
 質問責めにされる。小谷先輩本人に聞けばいいのに。でも小谷先輩のことを聞かれて悪い気はしない。
「県大会の一回戦で敗退しましたよ」
「そうなのか。それだけの人が居ても負けるのか。やっぱバスケって個人技じゃないんだなー」
「お前はもっと真面目に練習しろ。今日だって遅刻ギリギリだったじゃないか」
 ずっと黙ってたクラブ長がツッコミを入れた。校門で会った人が僕の肩に腕を回してくる。
「それはこいつを連れてきたからであって」
「言い訳無用!」
 クラブ長が立ち上がって一喝すると、僕を連れてきた人はそそくさと退散してフリースロー練習に混ざった。クラブ長は僕に近づいてきて座った。正対する。ちょっと緊張。
「まー、なんだ。待ってるってことなら暇だろ? 軽く身体動かしていかないか?」
「え、あの」
「遠慮する気持ちも分かるが、見てるだけってのは退屈だと思うぞ」
 そういう問題ではなかった。僕もそんなことは重々承知だった。ただ
「ジャージとか持ってきてないんですよね」
 先輩に会いに行くだけで、ジャージなんて持ってくる訳がなかった。


「ほれ」
 クラブ長が自分のエナメルバッグをあさって見つけたようだ。何かの下敷きになってるのか力いっぱい引き抜いて、僕に投げ渡したのはジャージの下だった。
「ハーフパンツじゃないからあっちーかもしんねーけど、我慢してくれ。それと上は……Tシャツの替えくらいはあるだろ?」
 あるっちゃあるが、最低限しか持ってきてない。でもクラブ長の厚意をむげにはできない。僕はおもむろに着替え始め、あることに気がついた。
 靴がない。
 靴がなきゃ意味がない。フリースローくらいなら着替えなくても問題ない。でも着替えさせたってことは、スリーオンスリー……じゃなくて五人だから、スリーオンツーくらいの軽いゲームはやろうとしてるんだろう。クラブ長に靴のことを訊いてみると、さすがに二足は持ってきてないようだった。仕方がないのではだしでやることにする。
 靴下を脱いで、床に足をつけると生暖かさが伝わってくる。日陰になってるところでも冷たさまでは感じないいやな暖かさだ。普段は靴を履いてやるからこういうことには気づかなかったな。
 五人で順番にフリースローをやる。僕は長旅の疲れが出てるのかいつもより成功率が悪い。というかフリースロー自体あまり得意ではないのだが。
 お互い声を掛け合いながらやってるのが素敵だ。参加人数が少ないからいつもよりのほほんとしてるのかな。と、僕がフリースローを決めたときにクラブ長が大きな声を出した。
「今日の掃除当番はフリースローで決めるぞー。三本中一本も決められなかったら掃除!」
「よっしゃ」
 とか「今日はあまーい」とか「楽勝」とかメンバーの人が口々に言い始めた。
「ただし!」
 クラブ長のその声にしーんと静まり返り、僕含め四人の視線が一気にクラブ長に注がれた。
「スリーポイントラインからな」
 雰囲気にノってしまったが、僕には関係な
「お前も、だからな」
「うえっ!」
「ここの体育館使わせてもらってるのはみんな同じ。ここは平等にいこうぜ」
 満面の笑顔をされると困る。非常に困る。それだけはいやだ。僕だけ成功率悪かったんだぞ。
 緊張の中、次々と決めていくメンバーたち。僕をここに連れてきたあの不真面目くんも三本目で決めた。僕ってここぞってときに弱いんだよなぁ。そして最後に僕の番が回ってきた。今のところ提案したクラブ長がミスってる。掃除をしたくないという意味で負けられない。
「がんばー」
 優しい応援をしてくれるメンバー。ボールを片手に持って、もう片方の手で胸に手を当て深呼吸した。そして一投目。
 ……ボールは惜しくもリングに当たって跳ね返ってきた。こうしてみんなに見られてると緊張するな。軽くドリブルをして心を落ち着ける。二投目。
 ……またしてもリングに嫌われた。次が最後だ。落ち着け、落ち着け自分。いつもならでき……ない。スリーポイントが入るなんて僕にとってまぐれレベルだ。まず遠くてバスケットゴールまで届かない。かろうじてリングには触れる程度だ。
 いや、でも、これが試合だと思えば。前に試合で決めたことがあった。そのときのことをイメージして。肩の力を抜いて、構える。さっきより強い力で……ガラガラガラ。
 まさかの出来事に力が抜けて届くどころの話じゃなかった。誰だ体育館の扉開けたの。邪魔がなければ入るイメージだ、った……ぞ。
「誰?」
「あいつが小谷なんじゃねーの?」
 間違いなかった。僕と小谷先輩は一歩も、というか身動き一つ取ってない。
「先輩……小谷、先輩。会いたかった」
 会いたかったその雰囲気が、顔が、姿が、そこにはあった。

HomeNovel << BackIndexNext >>
Copyright(C) 2011 らっく All Rights Reserved.