HomeNovel << Back IndexNext >>
手が届くなら錯誤(11-1)
 大輔と協議した結果、夜行バスで行くことにした。理由としては電車だと乗り換えがややこしい上に起きてなきゃいけない。その点夜行バスは寝てられるし、何より一度乗ってみたかった。とはいえ、夜行バスでも降りた後に一度電車に乗らなければならない。でもそれ以上に夜行バスのメリットの方が大きい。
 そして日取りは部活やその他の兼ね合いがあるため、小谷先輩の家に行くのは八月十五日になった。十五日に行くとはいえ、夜行バスを使って行くのだから実際に小谷先輩の家を訪ねるのは翌日になる。不安と期待、どちらが大きいかと問われれば、不安の方が大きい。小谷先輩のお母さんに連絡は取ってもらったけど、本人の耳まで届いたかは定かではない。小谷先輩にはどうも繋がらないらしく、お父さん経由で僕たちが行くよう伝えてあるからだ。
 僕たちが行くことを知ったのなら、メールなり電話なりで連絡を取ってくるかと思ってたがそれもなかった。あの調子だったら「来なくていい」とか言ってきそうなんだけど……。
「ご飯よー」
 一階からお母さんのご飯ができた合図が飛んできた。行くのは今日なんだ。もう後戻りはできない。僕は今までの鬱屈な考えを振り切るように首を振って、自室を出た。


「いただきます」
 お父さん、お母さん、そして僕の三人。家族揃って「いただきます」を言うのが日比谷家の慣わしだ。慣わしと言っても、他の家庭もそういうとこ多そうだけど。
 今日のメニューは僕の好きなコロッケだった。別に一人暮らし始めるとかでもないんだけどな。僕は大皿から自分の皿にコロッケを取ろうとしたとき、斜め向かいに居るお母さんが口を開いた。
「それで……本当に行くの?」
 箸の真ん中を両手で持って静止しているお母さん。心配そうに見つめてくる。僕は箸を置いて、自分なりの真剣な顔になった。
「行くよ。今日のために色々と準備してきたんだから」
 本当色々と、だ。荷物の用意はもちろん、気持ちの持ちようとか、会ったら何を話そうとか、あのレアカードを傷がつかないように厳重にしただとか。今度は正面に居るお父さんが僕を一直線に見てきた。
「くれぐれも事件には巻き込まれるなよ。危なくなったら防犯ブザーを鳴らすんだぞ」
 そうだった。お父さんから貰ったんだった。女子ならともかく、男子にそういうものは必要ないと思うんだけど、どうせ拒否しても僕の部屋に置いていきそうな気もしたし貰っておいた。
「大丈夫だってば」
 二人ともこれほどまでに心配してくるのは十四年間生きてきて一度も一人旅をしたことがないからだろう。まぁ今回は大輔と一緒に行くから正確には一人旅ではない。
 さすがにこれだけ言えば決意が固いのが分かったのか、このことについて訊いてくることはなかった。その後はいつものように夕飯を食べ終え、僕はそそくさと自分の部屋に戻った。


「ん?」
 なにやらベッドに放り投げたケータイの着信ライトがピカピカと光っている。小谷先輩かな? そう思ってケータイを開いてみると、不在着信1件。誰から掛かってきたのか見てみるとそこに出てきた文字は助川大輔だった。
「なんだろう」
 時間を見てみると、つい五分前のことのようだった。無意識のうちに折り返し電話をかける。呼び出し音が鳴る中、色々と考えた。集合時間の再確認かな? それとも持ち物とか。もしくは小谷先輩に会える! って思いが抑えきれなくなって僕に電話してきたとか。……最後のはないか。などと考えてると、繋がったみたいだ。
「もしもし大輔。どうかした?」
「おー。今メール打とうと試行錯誤してたとこだ」
「メールで試行錯誤するって用法を間違ってるような気がしないでもないけど」
「細かいことは気にすんな」
「それで、何?」
 改めて本題を訊き直すと数秒の沈黙があった。なんだろう。口調に変化はないけど、声のトーンにいつもの張りがなかった。
「今日のことなんだけどなあ。パスしちゃっていい?」
「は? 何言ってんのさ」
 思いがけない言葉に僕は戸惑ってしまう。
「ちょっと急用ができちゃってさ。ごめん、今度百円マックでもおごるから許して」
「そんなエサに釣られないって……え」
 切れた。ツーツーと電子音が耳に響く。このままだと胸糞悪いから再度電話をかけてみたが留守番電話サービスに繋がってしまった。一体何のつもりだ。
「落ち着け自分」
 ここは一旦冷静になろう。ケータイを閉じて再びベッドに放り投げ、僕もベッドに座る。
 不可解な点が三つあった。一つ目は声のトーンがいつもと違ったこと。二つ目は電話越しに聞こえる音に女の人の声が聞こえたような気がする。大輔はお祖父ちゃんと二人暮らしのはずだ。三つ目、急に行けなくなった理由とは?
 電話が繋がらないんじゃ、メールをしても無駄だろう。こんなときの対処法を僕は知ってる。壁掛け時計に目をやる。幸い、出発まで一時間ほどある。大輔の家に行って帰ってきてまた出かける……のは面倒だから、もう荷物を持って家を出よう。家に帰らず大輔の家から直接行けば時間に余裕ができる。そうとなったら行動だ。忘れ物がないか再確認して、登山用のリュックサックを背負った。といっても登山に行くわけではない。許容量が大きいからリュックサックにしただけで特に深い意味はない。っと、ラバーブレスを忘れるところだった。先輩の家で貰った白と赤の物、その翌日の試合前にくれた白と青の物と、二つのラバーブレスを身に着けて準備万端だ。
 リビングでのほほんとニュース番組を見てる親に顔を見せて、玄関に行ったら親もついてきた。
「早いのね。何か心配事でもあった? 電車に乗り遅れないように、とか?」
「それで予定の一時間前に行くのはいくらなんでも早すぎでしょ。お母さんは心配することないよ」
「気をつけて」
「分かってるって。それじゃ――行ってきます」
 の前に。傘を持っていこう。日比谷家の物ではないビニール傘。借りた物はちゃんと返さなくちゃ。傘の柄を強く握り締め、玄関のドアを開ける。ばたんと閉まる音がなんだかむなしく感じた。
 過保護な親だとは思うけど、大輔の家と比べたら良い意味での過保護だ。中学生で夜行バスに乗るときは親の承諾書が必要な場合があって、僕はすんなり……でもなかったけど書いてはくれた。大輔は事情が事情だから、書いてもらえなかったんだよな。というより頼んだのかすら怪しい。でも僕が大輔の立場だったら親に言わないと思う。まぁなくてもそこまで問題というものでもないし、あった方が好ましい程度のものだからな。


 やっぱ夏の夜って涼しいよな。太陽がなかったり、辺りが暗いってことも関係してるんだろうけどそれを差し引いても涼しいと思う。
 大輔の家へ向かう道中、僕は思い出した。確か大輔って門限五時だったよな。そこいらのことでまだもめてるのかな。大輔って面倒なことは後に回すタイプだからありえる。それにしても大輔のお祖父ちゃんって会ったことないな。どんな人なんだろ。門限が厳しいってことは亭主関白タイプなんだろうか。まぁ行ってみれば分かる。
 見慣れた道も、夜になって暗くなると違う道のように見える。
 大輔の家の前まで着くと、不思議な感覚を覚えた。――電気がついてない。インターホンを押しても案の定家から人が出てくる気配はない。居ない? なんで? もう行ったのか?
 無駄だと思いながらも僕はズボンのポケットからケータイを取り出してリダイヤルしてみた。
 電源が切れてるようだった。電源切ってるのはバッテリー保持のためだと思えば良いんだ。今日行けないなんて言って実は僕を驚かせるつもりなんだって。……なんかそう考える自分がむなしくなってきた。大輔のいつもとのトーンの違い、それにこんなことをして大輔にメリットがあるとは思えない。それだけで今日は行けないということが現実味を帯びてくる。
 僕は僅かな希望を抱きながら、集合場所である夜行バスのバス停まで向かった。

***

 居ない。まだ集合まで時間があるとはいえ、絶望的な状況なのは分かりきっていた。ここに来るまでずっと大輔のことしか考えてなかった。考えれば考えるほど来れないっていう可能性の方が高まってきてしまって、考えないようにしようとしてもいつの間にか考えてて。悪循環だった。
 小谷先輩のお母さんから借りた地図は僕が持ってるから、大輔が居なくても問題はないと思う。ただなんで今日来れないのか、その理由を知りたい。これから小谷先輩に会いに行くというのに大輔のことばかりを考えてしまって本末転倒だ。
 それはともかく、予約してたチケットを買って待合室のしょぼい椅子に腰かけた。
 小谷先輩……。ふとある物の存在を思い出した。小谷先輩に会ったら大輔と僕の三人で見ようと思ってた物をリュックから取り出す。実は行く前に顧問から数枚写真を貰ってた。僕もまだ見てない。初めて見たときの共感を三人で分かち合いたかったから。でも、一枚ぐらいなら。学校が撮影したやつだから、所謂オフショット的なものではない。
 僕は茶封筒の中に入ってる写真を一枚取り出した。これは小谷先輩だ。ドリブルが様になってる。Y中と対戦したときか。この後、僕は何も知らないくせに小谷先輩に説教染みたことを言ってしまった。今考えると、当人同士の問題なんだから部外者の僕が口出しをするようなことではなかったように思う。でもあの一件を通じて、小谷先輩は吹っ切れたのかな。
 そういえば植木先輩のあの人格者っぷりもすごかった。小谷先輩があそこまで植木先輩に心酔してたのも頷ける。小谷先輩は植木先輩に会ったことで変わった。僕も小谷先輩に会ったことで明るくなれた気がする。小谷先輩には感謝してもしきれないくらいだ。ありがとうって言いたい。
 そんなこんなで昔を振り返っていると、とうとう時間が来たようだ。バスが来て次々と乗客が乗っていく。僕は最後まで希望を抱いて待ってたが、本当にタイムアップのようだ。
「お客様はご乗車なさいますか?」
 乗車口のところに並んでいたからか、三十台半ばくらいの乗務員にそう訊かれた。僕は辺りを見回して大輔の姿がないのを確認すると返事をして乗車した。
 僕の席は二人席のところで、通路側だ。大輔は予約キャンセルをしてなかったのか、窓側の席には誰も座ってない。嬉しいような嬉しくないような微妙な気分だ。お盆ということもあり二人席のところを一人で使ってるのは僕ぐらいだ。他の人に申し訳ないながらも一人でちょこんと座った。
 バスが出発して少しして周りを見てみると、本を読んでたり、イヤホンで音楽を聴いてたり、すでに寝込む人が居たりと様々だった。車内は思ったよりも静かで、うるさくする人は居なかった。テレビの放送音だけが聞こえる。それも終わってテレビの電源が切れると本当静かになった。
 僕は慌ててケータイをマナーモードに設定した。こんな中で着信音なんか鳴ったらジロリと見られること請け合いだ。大輔が居なくて良かったのかも……なんて思ってられないよな。どうして来なかったんだろう。小谷先輩に会いたいのは大輔も同じはずなのに。
 って、さっきから堂々巡りだ。やめやめ。寝よう。僕は目を瞑って俯いた。
 結局大輔のことを考えたり、しばらくは居心地の悪さから寝付けなかったが、いつの間にか眠りについていた。


 ん。喉が渇いて目が覚めた。車内は消灯してる。ケータイのライトを使って手元を照らす。リュックを開けるだけで騒音に聞こえる。静寂の中だといつもは気にならない音も大きく聞こえる。リュックの中に家から持ってきた500ミリペットボトルのお茶を出して一口飲んだ。喉が乾く。夏で暑いせいという訳ではない。エアコンが効いてるからだと思う。それに閉め切ってるし。もう一口飲んで再び寝ようと思ったら、ずっと同じ速度で走ってたバスが減速し始めた。心地良かったんだけどな。ケータイの時計で時間を見てみると、まだ到着時間ではなさそうだ。となるとサービスエリアか。
 そう思うとトイレにも行きたくなってきたし飲み物も切れそうなので、降りることにした。寝てる人が居るから起こさないようにそーっと車内の前まで行くと、小さなホワイトボードに出発時刻が書かれてた。今から十分後か。余裕だ。
 車内から降りると、辺りは少し明るくなってるようだった。深夜から早朝になりかけのところで、朝焼けってやつか。世界がオレンジ色だ。てか身体の節々が痛い。ずっと同じ体勢で寝てたからか。僕は身体をほぐしながらトイレに向かった。サービスエリアの名前は聞いたことのない場所だった。だいぶ遠くまで来たんだと実感。早朝だからなのか、車が走ってる音はたまにしか聞こえないがそのたまに聞こえる音が耳に心地良い。
 用を済ませ、今度は自販機に向かった。家から持ってきた飲み物と同じお茶があったのでそれにした。お茶といえばこれ! ってやつだ。あの静寂の車内で開けるのは気が引けたからすでにふたを開けておいた。そしてバスに戻ろうとすると、日の出が見えた。
 綺麗だなぁ。
「はあ」
 思わずため息が出た。出来ることなら大輔と一緒にこの日の出を見たかったな。ケータイを見ても音沙汰なし。なんなんだろう、急用って。ケータイから目を離し再度日の出を見る。心が洗われるようだ。ずっと見ていたい。そんな気分に陥った。
 物の五分くらいで日が上っていくのが分かった。こんなにも長い間太陽を見ていたことはない。まぁ昼間は無理だし、夕日も今日ほど長く見たことはなかった。出発時間が近づいてきたので、太陽に別れを惜しんで僕はバスに乗り込んだ。
 バスが出発してすぐに僕はまた眠りに入った。

HomeNovel << BackIndexNext >>
Copyright(C) 2011 らっく All Rights Reserved.