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手が届くなら決意(10-2)
 ジージー。
 休憩中に聞こえてきたのはセミの鳴き声だった。八月に入り新体制のバスケ部が始動した。といっても僕が『部長』だということにまだ実感が湧かない。一年生は三人、二年生は僕を含めて五人の合わせて八人。纏め上げられるのか不安だ。前の部長のように背中で引っ張っていけるような存在ではないかもしれないけど、僕は僕なりの部長像を目指してみよう。
「しょうへー」
 蒸し暑い体育館の隅っこで思案していた僕に声を掛けてきたのは『副部長』の大輔だった。額の汗を手の甲で拭いながらこちらに向かってくる。
「なに?」
「悩みがあるなら俺に打ち明けたまへ」
「別に何もないよ」
「一人で抱え込むなよお。『部長』だって人間なんだから悩みの一つや二つくらいあるだろうって」
 そんなに悩んでそうな顔をしてたのか……。それとも大輔だからこそ気づいたのかな? 大輔は視線を伏せ一息ついた。そして「まあ」と言って、僕を一直線に見てきた。
「翔平がそんな簡単に悩みを打ち明けてくれないのは分かってた。俺が話しかけることで少しは和らいだらいいなんて思ってた。でもこんなのは慢心だよな」
 視線をキョロキョロと動かしていたが、最後には僕を見て頬を弛ませた。
「さ、そろそろ休憩時間も終わりだ!」
 その後の練習は集中ができず、あまり身が入らなかった。


「翔平、帰るべー」
 最後のバスケットボールをかごに入れたところで背後から声が聞こえた。振り向かずとも分かる。大輔だ。承諾をして僕は帰る準備をした。その最中にも色々と話してくるが、適当に相槌を打っておいた。三年生が居ないとどうも練習に緊張感がなくなってしまって、僕を含めダラダラと練習をやってるように思えた。県大会で負けてから約十日。新人戦が一ヵ月半後にあるというのにこんな身の締まらない練習をしていて良いのか?
 かといって相談できるような相手も居ない僕。一番身近に居る大輔に訊いたところで良いアドバイスはもらえないだろう。こんなときに小谷先輩が居ればな……。
 練習が終わってから顧問に相談しに行ったが、時間が解決してくれるとかそんな返答だった。前の部長もこんな悩みを抱えていたのかな。
 煮え切らない考えのまま学校を後にしようとしたら、部活で来ていた佐藤さんが廊下に居た。備え付けの木製の椅子に座って譜面台と向き合っている。フルートは安らかな音色を立てていた。ふっと一息ついて僕たちの気配に気づいたのかこちらを見やる。途端に眉根にシワを寄せ明らかに嫌そうな表情をした。僕もあまり良い気分ではない。
「おっ、佐藤じゃん」
 大輔は手を上げて自分のことをアピールした。佐藤さんはそのアクションに対し、少し表情を緩ませる。僕は佐藤さんの方へズンズンと進んでいく大輔を見る。あんなことがあったから佐藤さんとは顔をあわせづらい。まだあの禍根は断ち切れてなかった。同じクラスだから夏休みが明けたら毎日顔をあわせることになる。誤解されたままなのはいやだな。……でもあと一息勇気が足りなかった。仲直りするよりこわい方が勝ってしまった。
 二人は僕に見向きもせず楽しそうに話してる。大輔は僕が居ないことに気づいたのか声をかけてきた。
「翔平もこっち来いよー」
 手招きされて行かないわけには行かない。囚人が足に重りをつけてるかのように重い足をなんとか踏み出した。一歩近づくたびに空気が重くなっていくような気がする。やっとの思いで辿り着いた。
「なんだよそのぎこちない動きは。ロボットか!」
 大輔の小気味良い突っ込みはこの場の雰囲気に飲み込まれた。佐藤さんのことを直視できない。視線だけで見ると、佐藤さんも俯いてこちらを見てないようだった。大輔も異様な雰囲気に気づいたみたいで、僕と佐藤さんを交互に見やる。
「あ、あ、あれ。どうしちゃったのかなあ、お二人さん」
 大輔はこの場を和ませようと必死だが、逆効果だった。佐藤さんはすっと立ち上がった。
「失礼します」
 一言そう言い残して右手に譜面台を、左手にフルートを持って足早に立ち去ってしまった。こんな険悪な関係が続いてしまうのかな。大輔は佐藤さんが音楽室に入っていくのを確認すると、僕の肩に手をかけてきた。
「とりあえずここに座ろうか」
 そう言って指し示してきたのはさっきまで佐藤さんが座ってたところだった。僕は言われるがままに座る。暖かいな。続いて大輔も隣に座って、僕を見てるみたいだ。僕は見返すことができず、前を向いていた。
「佐藤と何かあったのか?」
 単刀直入すぎるぐらい単刀直入だった。いや、大輔が婉曲に訊いてくるのもそれはそれで気持ち悪いけど。
「あったよ」
 僕が答えると大輔は牛のようにうなった。
「いつからだ? 夏休み前は普通に挨拶してるように見えたけど」
 大輔を見ると、口を尖らせて眉間に人差し指を置いていた。考えて分かったらそれはそれですごいと思う。でも大輔はそれを訊いてどうするんだろう?
「ねぇ」
「なんだ?」
「それを訊いてどうするの?」
 僕の問いに対して大輔はバンと音が鳴るくらい強く太ももに手を叩きつけた。「いてえ〜」とか言ってるけど、自業自得だ。
「それはもちろん、翔平と佐藤がギクシャクしてるのを見たくないからだ」
「どうして?」
「見過ごせないから」
 きっぱりと言い切られた。
「でもこれは僕と佐藤さんの問題であって、大輔には関係のないことだよ」
「関係なくなんかない。翔平と佐藤は俺の『友達』だから。友達の二人が険悪なムードだったら俺が許せない」
 返す言葉が見つからない。僕は諦めて事実を話した。
「……そんなことがあったのか。どうりであのとき冴えない顔してたのか。悩みがあるんなら『かけがえのない親友』に相談してくれ。そんな秘密があるんじゃ『親友』って呼べないだろ?」
「うん」
 かけがえのない親友――。ラバーブレスを買いに行ったときだったな。大輔を親友だと再確認したのは。秘密、か。別に隠してたわけでもないんだけどな。……秘密、秘密か。
「そういう大輔の秘密を訊きたい」
「俺の? 翔平には包み隠さず話してるつもりだけどなあ〜」
「市中総体の決勝の朝、どこに居たの? 誰と居たの?」
 ずっと気にかかっていた。あのときは流してしまったけど、「抜けられない用事」ってなんだったんだろう。その前も抜けられない用事がどうのこうのって言ってた。大輔は決まりが悪そうにした。
「そんなことはどーだっていいだろ。今は翔平と佐藤のことが優先」
「優先? 優先ってことはこの問題が解決したら話してくれる?」
「そうは言ってない」
 どうしてそこまでその秘密を死守しようとするんだろう。でもそうは言ってるけど、僕と佐藤さんが仲直りしたらノリで教えてくれそうだ。
 今後どうするかを話し合った結果、今日はやめて、明日以降今日みたいにばったりと会ったときに誤解を解くということになった。あれから約十日経ってる訳だから、今さら誤解を解きに行くのは不自然だということだ。だからタイミングが合えば、いつでも言えるように心の準備をしておけって言われた。聞く耳を持ってくれるのかは些か疑問なところだけど、そんなことを心配してちゃ誤解を解くなんて無理なことだ。気持ちを強く持とう。

***

 翌日、早くもそのときが訪れた。
 部長っていうこともあるし、前の部長も練習には早く来てたからそれを見習って僕も早く来てみたら佐藤さんをまたしても廊下で見かけた。昨日と同じ場所で、ケータイとにらめっこしてる。学校に来てケータイいじってるなんて珍しいな。というか、佐藤さんがケータイ持ってるのを初めて見た。
 違う道経由で体育館に行くことはできるのだが、あまりにも早く来すぎてしまったため体育館は閉まってるはずだ。つまり鍵を取りに行かなければならない。そのためには職員室へ行くことになるのだが……。ちょうどその道すがらに佐藤さんがいるというわけだ。
 気持ちを強く持とう、とは思ったけどいざ佐藤さんを前にすると萎縮してしまって前へ進む勇気が出ない。でもこの状況で立ち尽くしてても誰かが来る可能性は低いし、佐藤さんに僕の存在がバレてしまったらそっちの方が気まずい。
 僕は意を決して佐藤さんに声を掛けた。
「お、おはよう」
 我ながらとても小さい声で、震えてた。この声が届くのか不安になったが、佐藤さんはゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「おはようございます。部活ですか? 頑張ってください」
 いつもの柔らかい声音ではなく、機械のように感情がこもっておらずこわい。佐藤さんは「ふぅ」と一息ついて、立ち上がり僕に背を向けた。もしやどこかへ行ってしまうのか。
「待って」
 考えるよりも先に口が動いてた。自分でも不思議な感覚だった。佐藤さんは顔だけ振り向いた。穏やかな目つきでないことは見なくとも分かる。僕は言ったは良いものの、続く言葉を見つけられなかった。
「どうかしました?」
 相変わらず機械のように感情がこもってない。こわい、こわいよ。佐藤さんはまた僕に背を向けて、ゆっくりと歩き出した。再び呼び止めるなんてできるはずもなく、僕はその場に立ち尽くした。

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