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手が届くなら立場(9-5)

 さすが県大会の会場なだけはある。バスケコートが三面入りそうだ。といっても、出場校の数を考慮すると二面使うのが適切だけど。
 観客は市の大会とは比べ物にならないほど多い。全国大会なんて行こうものなら、高校のスカウトとかが入ってきて想像を絶する人数になってそうだ。降り注ぐ歓声を力に変えられれば良いな。
 アップが終わり、顧問が集合をかけた。
「皆さんもうすうす気づいてるとは思いますが、今日は隆太くんが居ません」
 来るかもしれない、という希望が打ち砕かれてみんなの表情に曇りが見えた。顧問は続けて、小谷先輩の代わりに僕が入り、僕のポジションには伊藤が入ることを告げると、初めて知った伊藤は大はしゃぎした。選出されなかった二年の三人は自業自得だというのを自覚してるのか、顔をゆがめたがすぐに納得して穏やかな顔になる。
「隆太くんが居なくても勝てるということを証明しましょう」
 そうだよな。小谷先輩は転校して知らない場所に行っても、地元で一番強いクラブチームに入れる実力を持ってるんだ。これだけ名の通った人物なのだから、相手チームも絶対にキツいマークをしてくる作戦のはずだ。それでふたを開けたら居なかった。第1ピリオドはこれでかく乱できれば最高だ。小谷先輩が居ないのは相当な痛手だけど、良い方向に考えるしかない。
 小谷のT中、ではなくチームワークのT中というイメージを作りたいな。
 市の中総体と同じ流れで大会は進んでいく。整列して並んでみると、やはり市の大会を勝ち抜いてきただけあって大きな選手が多い。……柊のように小さい選手はバスケ部に入っていても起用されないんだろうか。それだけ背の高い人たちが集まっていて、穴がなかった。
「礼」
「よろしくお願いします!」
 小谷先輩が居ないと張り合いがない。このまま試合をするということが頭では理解してるつもりでも、信じることができない。それぐらい小谷先輩は居て当たり前の存在だった。次からはこれが当たり前になるのか。
 でも一度小谷先輩のポジションに入ると、居ないということが強く感じられた。僕がやらなきゃ。
 審判員が笛を鳴らし試合が始まった。
 さすがに市の大会を勝ちぬけてきただけあって、すぐには突破口を開けなかった。相手選手は大柄ながら動きが素早くてマークも厳しく、ゴール前までボールを運んでも取られてしまう場面が多い。パスも昨日のことが頭を過ぎって大輔にも上手く通らないし、そもそも大輔へのパスは優先順位が低い。そんな中、伊藤が奮戦していた。プレッシャーもなく、バスケを楽しんでいるように見えた。
 第1、第2ピリオドは県大会初戦という緊張もあるのか動きがぎこちなかった。ハーフタイムに顧問の指示を聞く。
「みなさん、平常心です。もう半分過ぎたと考えるか、まだ半分なのか。充分巻き返せます」
 後者なんだろうな。控えも含め全員で輪になって指を結ぶ。
「俺たちの真髄を見せて、隆を見返してやろう」
 部長の掛け声にみんなが続いた。そうしたい気持ちは山々だけど、身体がついていかない。慣れない天井の高さ、降り注ぐ歓声に身体がビクつく。緊張するな、って念じるほど視界も狭まりコート全体が見えなくなる。
 第3ピリオドも終始相手ペースで試合を進められ、10点差をつけられた。顧問も控え選手たちもすぐ追いつけるという言葉ばかりを発する。試合に出てる身としては、得点しても相手にすぐ取られ追いつこうとしても無理だと思った。10点の差は近くて遠い。
 最終ピリオドに入り、やっと試合に集中できるようになってきた。周りも見えるようになり、部長が奮闘する姿が目に入った。ちょこまかと動き回り、パスを出しやすい位置に入ってくれる。従来なら僕のポジションに入ってる小谷先輩が決めてくれるから、部長はあまり視界に入らなかったけど頑張ってるんだ。
 部長の頑張りに気づいて、調子が上がってきたもののそこで試合は終了した。最終ピリオドで点差を少しでも縮められて一矢報いたというところだ。……なんて冷静に分析してみたけど、勝てなかった。それが大きすぎて、試合後の握手の前から目に涙が浮かんだ。
 今日の試合が三年生と、小谷先輩も芳野先輩も居ないけど最後にプレーした日になってしまった。勝ち負けなんてどうだって良い。もっと先輩たちとバスケをしていたかった。


 失意の中、更衣室で着替えをしてるとすでに着替え終わった伊藤が真面目な表情で話しかけてきた。
「後もう少しだったんッスけどね」
「ありがとう。急な出場だったのにベストパフォーマンスだったね」
「おれはいつだって準備万端ッスよ。で、おれ思ったんッス」
「何を?」
 伊藤はロッカーの間にある長椅子に腰をかけて、両手を膝に置いた。
「今日はみんな表情硬いなあって」
「表情?」
「隆先輩がいない不安なのかも知れないッスけど、気張ってるように見えたッス」
 気張ってるか。振り返ってみるとそうだな。見返してやるとか、小谷先輩が居ないからこうしよう、って考えてた。だけどこれって激しく振り回されてる。小谷先輩ありきのT中だ。チームワークなんて……全然ない。
「負けた理由が見えてきたよ」
「これだけででッスか? すごいッス、日比谷先輩!」
 大丈夫だって思ってた。だけど、やっぱりT中は小谷先輩が居ないとダメだよ。プレーの上手さはもちろんだけど、その存在にすごく助けられてる。小谷先輩が居ない初めての試合を経験して、やっと分かった。


***


 翌日。T中バスケ部では通例となっている、中総体敗退後の翌日に部長を決めるということで朝から昇降口前に集まった。案の定小谷先輩は姿を現さなかったけど。曇天だが暑い。じわじわと汗が出てくる。
 他の部活では三年生が引退するときに二年生の副部長がそのまま部長に昇格することが多いみたいだけど、T中バスケ部は副部長制度がないから部長が指名してそこで新しい部長が生まれる。実力で選ばれることが多いと思われる部長だけど、小谷先輩が部長に選ばれなかったのにはそんな理由があった。
 部長は部員だったら誰とでも話すから、今年は誰がなってもおかしくない。単純計算で二年生は五人居るから、僕が選ばれる確率は二割だ。
 部長を前に僕たち二年生が並ぶ。周りの三年生と一年生が興味深々で見てくる。部長が腕組みをして仁王立ちする姿はなんともお似合いで……って、そんなどうでもいいことまで観察してしまう。
「色々と思い悩んだ末の結論だ。次期部長は翔平にお願いしようと思う」
 うっ。全身の汗が引いていく。部長が近づいてきて肩をポンポンと叩かれた。あっさりと言われて事実を受け止めがたい。周りからも「それが妥当だよな」という声が上がる。
「翔平と大輔以外の三人は真面目に練習しないから論外として二人で悩んだ」
 論外にされた三人はさすがにしょげてる。これを機に改心してくれたら良いんだけどな。
「大輔には大輔なりの明るさや、優しさがある。翔平には翔平なりの真面目さ、良さがある。だから部員全員を公平に見たりできる翔平には部長をやってもらって、形式だけになる可能性も高いが翔平を補佐する副部長として大輔を指名する」
「副部長っ?」
 大輔が真っ先に声を上げた。顧問がすかさずフォローに入る。
「形式以前に、二人は仲が良いじゃないですか」
「二人とも甲乙つけがたいから二人とも部長ってのを考えたんだが、それだと色々と厄介ごとが増えそうだからな。やめておいた」
 大輔はこちらを向いて作り笑顔をする。作ったものだけど、久々に大輔の笑顔を見たような気がした。
「翔平が部長ってのは納得いかないけど、改めてよろしくな」
 憎まれ口を叩きやがって。と思ったが、素直に受け取っておく。差し出された手を握った。
「色々と迷惑かけるからよろしく」
「宣言か!」
 大輔がいつものように接してくれるのはみんなの手前ってのもあるんだろうけど、陰険な雰囲気ってのが苦手みたいだからな。
「次期部長も決まったことだし、一言挨拶を」
 前部長に背中を押されてみんなの前に立つ。こうやって見ると圧倒される。見慣れた顔だけど、僕一人だけ逆の方を向いてみんなと対すると緊張するな。顧問と前部長、そして副部長の大輔が隣に居るから少しは安心できる。
「部長になるなんて思いもよらないことでしたけど、これから一年間よろしくお願いします」
「はい!」
 その掛け声で良いのか疑問だし、しかもその中に三年生も混じってたけど気にしない方向でいこう。
「翔平らしく簡潔な挨拶だったな。これからT中バスケ部、よろしく頼むぞ」
「はい」
 かすれ声になっちゃった。前の部長みたく頼りがいのある部長になれるかどうかは不安だけど、自分のできる限りのことをやっていこう。
「おし、次期部長も決まったことだし今日は解散!」
「もう解散ッスかぁ〜? おれまだ消化不良ッスよ」
 一年の伊藤が反論してきた。昨日試合に出たっていうのに消化不良とは、なんとも元気だ。
「それなら体育館開けてもらうか。先生、大丈夫か?」
「そう言うと思って、事前に許可を取っておきました」
 そうか。バレーボールとか卓球、バドミントンやらの体育館を使う部活は県大会に行けなくて雪辱に燃えてるのか。そういえば剣道部の一年はどうなったのかな。競技は違うけど、同じT中の生徒として僕たちの分まで勝ち抜いてくれてると良いな。
「わり、俺パス。燃え尽き症候群にかかったから」
 なんだかんだで市の大会からずっと出続けだった先輩が抜けた。そうだよな。僕もできることなら一週間ぐらいの休養を経てから練習を再開したい。だけど、これで先輩たちと練習できるのも最後になると思う。部長と芳野先輩しか居ないのは別として、少しでも良いから先輩たちとバスケをしたい。
 体育館までの移動中、何をするかの話し合いがなされた。
「真面目に練習ってのもやる気が起きないし、いっちょゲーム形式でやるか」
「芳野先輩だけ練習軽めだったのに、その発言は俺たちにケンカでも売る気ですか?」
「そんなつもりは毛頭なかったが悪かった」
 芳野先輩と大輔って思ってるより仲良いんだよな。というより、大輔は誰とでも仲が良い。ただその反面、表面上での付き合いに見えることもある。
 結局ゲーム形式での勝負が催されることになった。準備ができたところで、部長が試合概要を説明する。
「まずは手始めってことで、俺ら三年二人と一年の三人対二年の五人の割りと本気勝負だ」
 ちょうど十人か。リザーブメンバーが居ない分、全員がコートに立てるから引けを感じることは一切ない。このメンバーで練習試合をすることは今ではほとんどないけど、一年のときは部内での練習試合で組むことが多かったな。簡素ながらも挨拶に始まり、顧問が審判をしてくれた。
 練習でも「試合」とつくだけあり、みんな真剣モードだ。昨日は通らなかった大輔へのパスも今日は通って、華麗にシュートを決めてくれた。やっぱりパスを渡した選手が決めてくれるのは嬉しい。僕はシュートを決めるより、決めてもらう方が良いのかもしれない。
 このメンバーでバスケをするのが最後ということはあまり考えられず、とても楽しかった。
 顧問が笛を鳴らす。試合の半分のピリオドで試合を決するからいつもより早い気がした。結果は二年生チームの勝利だった。芳野先輩が本調子でないことと、小谷先輩が居ないことが大きく響いた。というか来年の中心メンバーになるんだから、勝てなくちゃダメな気がする。
 部長は手で汗を拭った。
「次はくじ引きでのドリームチーム」
 毎度思うけどグーパーの方が公平性が高い気がする。でもT中バスケ部伝統のくじ引き用具があるんだよな。単純に割り箸に凸凹のどちらかが書かれてて、それを引いてチーム分けをするっていうものだ。体育館の用具倉庫端に箸立てが置いてある。
 元気な伊藤が取ってきて、みんな一本の割り箸を手にした。全員に回ったところで一斉に見てチームごとに分かれる。凸チームは僕と、伊藤と、部長と……大輔と、芳野先輩。って、昨日の試合とほぼ変わらないメンバーだ。この十人だったらベストメンバーだと思う。不満の声も上がったが、くじ引きだから仕方ないという理由で続行された。
 案の定楽勝だった。
 もう一試合するか相談になったが相手チームが大敗を喫したことで戦意を喪失しており、昨日の疲れも出てきてここでお開きになった。一年の三人と二年の怠け組み三人はやる気満々だった割には、終わったらすぐ帰ってしまった。伊藤は別として、そんなに悔しかったのか。汗で髪がびっしょりの大輔が僕に話しかけてきた。
「翔平、一緒に帰らね?」
「良いよ」
「せっかくだし先輩たちも呼ぼうぜ。部活で会う機会がなくなったら、マジでこの先一緒に帰るなんてことないはずだから」
 そうだな。先輩たちと部活をするのも今日で最後、部活が終わって一緒に帰るのも最後。何をするにも最後なんだな。用具倉庫に向かう。
「先輩、一緒に帰りませんか?」
 大輔が訊いてくれた。バスケットボールを元の場所に戻した部長が振り返ってこちらを見る。
「それは構わないが、行きたい場所があるんだ」
「行きたい場所?」
 思わず鸚鵡返ししてしまった。くじ引きに使った箸立てをそっと用具倉庫の端に置いた芳野先輩が事情を説明する。
「隆んち。電話しても出ないし、メールしても返信が返ってこないからどうしたのかと思って」
 ふと昨日の電話のことを思い返した。
 ――今日さ、T中の生徒として出場したらまた行きづらくなっちゃうと思って行けなかった
 今日来なかった理由……なのかな。いやな予感がする。
「早く行きましょう」
「すみません、俺今日用事あるんで行けないです」
 また大輔か。どんだけ用事があるんだ、と思いつつ今はそんなことより小谷先輩の方が気になった。
 大輔は途中まで一緒で、小谷先輩の家へは僕と部長と芳野先輩の三人で行くことにした。


 外は相変わらず曇り空が続いている。
 古めかしい小谷先輩の家に着いたのはちょうど正午を回ったころだった。先輩の家に来たのは市の大会の前日以来だな。この枯れた観葉植物たちは新しい住まいに持っていけば良いのに、どうして枯らせてしまったんだろう。
 部長が先陣を切って硝子戸をどんどんと叩く。
「ごめんくださーい」
「部長、そんな乱暴に扱ったら割れちゃいますよ」
「割れるっていうより戸が外れそうな気もするが」
 一分ほど待っても家の人が出てくる気配がなかったので、部長は硝子戸に手を掛けてゆっくりと横にスライドさせた。
「開いた」
 そのままずかずかと中に入っていく部長。中で手招きをしている。
「二人とも早く入れって」
「いいのかなあ。俺の良心が汚される」
 とか言って何の躊躇もなく芳野先輩も中に入っていった。絶対思ってない。良心の呵責に堪えないけど、ここまで来た以上引き下がってられない。
「お邪魔します」
 お昼寝中とかで気づかなくてばったり鉢合わせになったら、いくら顔見知りでもびっくりするだろうな。でもよくよく考えてみれば小谷先輩のお母さんって忙しい人だから居る可能性は低いのか。となると、この家に居るのは……。
 小谷先輩の自室、リビングと捜してみたが誰も居なかった。玄関に集まってひそひそ声で会談する。芳野先輩がギブアップをかける。
「本当に居ないんじゃないのか? これ以上捜索するのはさしもの俺も気が引けるぞ」
 部長もそれに乗りかけ、僕はこの前家に来たときのことを思い出していた。
 ――一階の和室だよ。部屋余ってんだよね。完成したやつを折り畳み可能な簡易式の机に広げてある
「和室に居るかもしれません」
 これが最後の望みだ。
「和室って隆の部屋だろ?」
「一階です」
 二人の間を通って、一階の和室へと一直線に向かう。
 ふすまを開けると、小谷先輩が言ってたように部屋の真ん中に木製の折り畳み式の机が目に入った。机は少しだけ角度が曲がっていて、その上には見たことのある実写がジグソーパズルで作られていた。それ以外は何も置いてなくて、十畳ほどの広さだった。
 部屋に飛び込んで、右へ左へ顔をぶんぶん振る。視界の端に黒く丸い物体が入った。視線の中心をその黒い物体へと移す。
「先輩」
 それはジャージ姿でうずくまる小谷先輩だった。部屋の隅っこに居て両腕で膝を抱えて顔が見えない。曇り空で部屋が暗いのもあるのかもしれないけど、印象が変わったように見えた。……悪い方に。
 近づくことに恐れがあるのか、僕は緩慢な動きで先輩に近づく。微動だにしない小谷先輩の隣まで来て、僕は両膝をついた。首の後ろから腕を通して肩に手をかけると、ビクリと肩が揺らいだ。再び声を掛ける。
「先輩。小谷先輩」
 僕の呼びかけには無反応だった。
 部長と芳野先輩が入ってきてひとしきり驚いた後、こちらに近づいてきた。部長が小谷先輩の前に来てしゃがみこんだ。
「隆。何してんだよ」
 その呼びかけに小谷先輩はゆらりと身体を揺らし、腕で見えなかった顔を少し覗かせた。口元までは見えなかったけど、ひどく憔悴していて前までの面影は全くなかった。

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