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手が届くなら立場(9-4)

 県大会本番が明日に迫ってきた。
 昨日公園で先輩と別れてから、先輩の家に押しかけようかと悩んだけどやっぱりやめておいた。僕と一緒に居たくなさそうだったから。
「翔平〜。明日頑張ろうな」
 壁に寄りかかって考え事をしてる僕に笑顔を見せてきたのは大輔だった。明日に疲労が残らないよう軽めの練習を終えて、バスケ部で貸切の体育館には数名しか残ってなかった。バスケットボールが床に落ちる音が広い館内に響き渡る。
「うん」
 力なく返事をすると
「隆先輩が来なかったからってそんなにうなだれるなよ。明日はちゃんと来てくれるって」
 心の内を見透かされてたみたいだ。僕がそう思ってるだけかもしれないけど、小谷先輩とは距離を感じる。市の中総体でだいぶ距離が縮まったかと思ったら、昨日のことがあった。「行かないで」なんて無理なことを言ってしまって後悔してる。あそこで僕が素直に応援していれば今日は来てくれたかもしれない。
 ――この学校に来るのは今日で最後かな
 先輩が昨日教室で言ってた。でもこの後に県大会でまた会うって言ってたから、練習があることを忘れてたのかな。そうだったら良いな。少しは明るく考えることもできてきた。
 そういえば大輔って先輩が転校すること知ってるのかな。
「小谷先輩って」
 途中まで言い終えてはたと思い出した。
 ――転校するってことはすでに何人かには話してて、応援してくれた
 大輔はその「何人か」に入ってるのだろうか。もし入ってなかったら、僕の口から言ってしまうのはまずい。信用してる人にしか話してなさそうだし、顧問もおおっぴらにするつもりはないみたいだ。期待を裏切る訳にはいかない。
「隆先輩がどうかしたの?」
「いや……。うん、連絡先知りたくて」
 我ながら瞬発力が身に付いた。前までだったら答えに詰まって大輔に詰め寄られてたな。とはいえ、先輩とケータイ番号を交換したつもりでいて、実はしてなかった。自分でも不思議だ。転校して遠くに行っても、電話とかメールができれば良いなと思ってた。
「えぇ」
 露骨に嫌そうな顔をされた。なんでだ。
「先輩の性格を考えてみろよ。俺経由で連絡先知った、なんて言ったらあのピュアな心は打ちのめされるぞ。考えてみろって。俺のメアドが翔平経由で伊藤とかに知られて、そこから急にメール送られたくねーもん」
 言われてみればそうだった……。確かに知らないアドレスや電話番号から来たら本人かどうか疑ってしまうし、本人だったとしても関係を悪くはさせても良くはさせないか。
「そんなに気になるんだったら明日にでも訊いてみなよ。直接訊けないワケがあるんでもないだろうし」
 直接訊けない訳。ありすぎる。大輔の番号は大輔から「連絡先交換しよう」って話してくれたから気軽にできた。元々中学生でケータイを持ってるのは半分ぐらいだから電話帳が少なくても仕方ないんだけど、誰一人として僕から番号を訊いた人は居ない。
 訊かない……いや、訊けないのは断られるのがこわいからなんだろうな。
 そんなことは滅多にないと思いたい。今の状態で果たして了承してくれるのだろうか。でも明日訊かなきゃもう訊ける場面はないはず。明日、思い切って訊いてみよう。
「ところでなんで突然そんなこと訊いてきたんだ? 俺はてっきり連絡先交換してたかと思ってたけど」
「断られるのがこわくて」
「断られるだとお! あんな睦まじげにしてるのに断られるワケないだろ」
 激しく自分の意見を否定された。睦まじげって表現はどうかと思うけど、客観的に見てればその通りだ。でも昨日のことを考えるとすんなりと了承してくれない気がする。転校に反対した唯一の人間なんだから。
「で、どうして急に訊いてきた? それが不可解」
 本当のことは言えない。夏休みに入ってしまうと部活でしか会えなくなって連絡手段がなくなるとか、そんなことを考えた。でも、これでは嘘をついてしまうことになる。大輔のことは親友だと思ってるし、大輔も僕のことをそう思ってるはずだ。それなのに嘘をつくなんてできない。先輩の想いを優先するか、大輔のことを優先するか……。
「人のこと言えない。一ヶ月前の中総体の決勝戦前に女の人と一緒に居たのをうやむやにしたじゃん。それを答えてくれれば」
「交換条件ってか? それにあれはお前から話途切れさせたんじゃん」
 眉間に眉を寄せて怒ってる。何度も見たことがある表情。僕もたぶん同じような顔をしてるはずだ。あのときのことを鮮明に覚えてるってことはなにかあるんだ。
「そうだよ。それだけの理由があるから」
「俺にも事情ってもんがあることを覚えておくんだな」
 大輔は終始息巻いた状態で、すたすたと体育館を後にした。
 またケンカしてしまった。この前、Y中と対戦した日の朝だったな。無駄に電話掛けてきて、怒り心頭に発したの。あのときはどう考えても大輔が悪かったけど……今日に限っては僕が悪い。かといって嘘をついて場を凌ぐよりは良かったはずだ。先輩が転校するって知ったら無駄に記憶力が良い大輔のことだから、このことを思い出して僕に当たってきたはずだ。先延ばしせずに済んだ。……そう、思いたい。
 本当のことを言ってたら……先輩が転校するって言ったら、一番穏便に事は進んだと思うけどそしたら先輩の想いを守れなかった。何人かに話してたってことは、知人全員には言いたくないってことなんだ。これで良かったんだよね、先輩。
「せんぱぁーい」
 入部してから二ヶ月も経つとこの間延びした声にも慣れてきた。伊藤か。バスケットボールを二つ抱え込んで走ってきた。そうか、一年は自主的に居残り練習だったな。
「さっき助川先輩が息荒くして出て行きましたけど、なんかあったんですか?」
 なんともストレートに訊いてくる……。伊藤には素直に話そう。前に大輔とケンカしたときも励まそうとしたのかどうかは分からないけど、僕のことを構ってくれた大切な後輩で心のオアシスみたいな人だ。基本はおっとりなんだけど、急に核心を突かれてびっくりすることもあるけど。
「ちょっとね。ケンカ、しちゃった」
「マジッスか! 仲良くないのは本当だったんッスか」
 伊藤は驚いて、抱えてたバスケットボールが零れ落ち二つとも落とした。大輔も僕もケンカしたくてした訳じゃない。不毛なケンカだった。僕も言ってしまった以上、引くに引けなくなってしまった。それが原因だ。だから
「仲良くないってことではないと思う」
 伊藤の驚いた顔が二種類見れた。二種類というよりかは目の開き具合が広がっただけだけど。
「それってつまり、『仲が良いほどケンカする』の方程式ッスかね?」
「方程式は置いておいて、きっとそうだよ。……いや、そうであってほしい」
 大輔も本意ではないはずだ。たぶん。
「人間関係って疲れる」
「へ?」
「大輔とも小谷先輩ともうまくいかないよ」
 思わず口から出てしまった。伊藤の驚いた顔、今日だけで三つ目だ。僕にはなんともないことだけど、驚きの連続なんだろう。
「大輔のことを考えて言動をすると小谷先輩のためにならなくて、その逆をすると全く逆になる。片方を取れば片方がダメになる。また試合の前に輪を乱すようなことをしてしまった。二人と仲良くしてたころが考えられないよ。どうすれば良いのか本気で分からない」
 三人の歯車が噛み合うのって二人より難しい。今まで考えてたことが堰を切ったように流れ出た。伊藤はほとんどと言っていいほど無関係で、しかも後輩だというのに愚痴を訊いてもらってる。
「情けない先輩だよな。こんな先輩にはなっちゃダメだぞ」
 伊藤は珍しく口数の多い僕のことを顎に手を置いて静観してる。何考えてるのか分からないな。もしかしたら嫌われたかな。愚痴ばっか言っちゃって。
「もう二人とは関わらないようにしようかな。やっぱり僕は人に関わらず独りで居るのが良いのかな」
 どうにでもなれ! と思って、口走った言葉がどうやら伊藤には受けたようで大笑いしてる。どこかおかしかった? 目尻に出てきた涙を拭いてるぐらいの大笑い状態。いつの間にやら僕たち二人になった館内に伊藤の笑い声が反響する。
「先輩、弱気になりすぎッスよ」
 笑いをこらえて出てきた言葉がそれだった。弱気? 首を傾げると、伊藤は「酸欠」と連呼して何回か深呼吸をする。やがて落ち着いたところで伊藤が話し始めた。
「正直言っておれ、先輩って見栄っ張りで強気な人だと思ってたッス。バスケのプレー中も隙を見せなくて。でも勘違いだったッス」
 所々で思い出し笑いをするけど、憎めない。決勝戦で隙だらけだったのは誰が見ても分かると思うんだけど、人によって捉え方は様々だから突っ込まないで心静かに聴き続ける。
「すごく人間味があって相手のことを考えるんだけど、思い込みが激しすぎてそのせいで人付き合いが苦手なんだろなって」
 思い込み。考え方はネガティブ思考からだんだんとポジティブ思考に変わりつつあるのは自分でも分かる。だけど、「こう考えてるんじゃないかな」ってそういう思い込みが激しい気はする。
「何があったかおれには分からないッスけど、『うまくいかない』って思ってるのは先輩だけじゃないんッスか?」
 人付き合いに関しては僕が相手だったら絶対に相手の方が勝つぐらい僕は人付き合いの仕方が分からない。伊藤はことさら人付き合いに関してはうまそうだから参考になる。
「助川先輩だって小谷先輩だって、日比谷先輩が『うまくいかない』って考えてること、分からないと思うッスよ。だから今なら大丈夫ッスよ。二人とはうまくいきます。おれが太鼓判押しときます」
 伊藤っていつもやんちゃでどうしようもないやつだと思ってたけど、違うな。僕の思い違いだったみたいだ。ハキハキと答える姿が輝いて見える。伊藤は頬を吊らせて頭をぼりぼりと掻いた。
「偉そうに見えたッスかね?」
「全然。ありがとう。すごく力になったよ」
 思い込みか。これも根本がネガティブ思考だからこそだろうな。
「先輩に心から感謝されるなんておれ最初で最後かもしれないッス!」
 心からかどうかは伊藤の汲み取り方次第だから良いとして
「最初で最後はないと思うよ。若干天然が入ってて、先輩から愛されるようなキャラだから」
「そッスか! 嬉しいッス!」
 嬉しいのか? 伊藤は満面の笑みから笑顔が消えて天上を見上げた。
「そういえば小谷先輩って今日来てなかったッスけど、なんかあったんッスか? 明日小谷先輩が来なかったら勝利が危ういんじゃ」
「思い込み。来てくれるよ、信じよう」
「そッスね。それにしても切り替えが早いッスね」
 切り替えが早い……ねぇ。これも過去の習性だろう。
 この日は伊藤と二人で体育館の後片付けをし、顧問に報告しに行った。そこでは僕と伊藤という組み合わせが珍しいのか顧問が驚いてた。基本的に伊藤は大輔のポジションと同じだから、同じコートに立つということは相当な低確率だろうけど、もし同じコートに立ったらコンビネーションは抜群……だったら良いな。


***


 中総体県大会の会場は県で有数の都市部にある体育館だ。僕たちが住んでるT市は都市部に通勤、通学する人が多い校外の場所にあるからそこまでアクセスは不便ではない。むしろ一ヶ月前の市中総体の会場に行く方が面倒な気がする。そんな訳だから一年の三人と一緒に来た。会場に着いて部員たちを待ってると伊藤が話しかけてきた。
「一年後もまたここに来れるッスかね?」
「それには伊藤たちの力が必要だよ」
「三年生が引退してからは二年生の五人だと思ってたッス。おれたちにも出場機会あるってことッスか?」
「先生は伊藤のことを高く評価してるよ。だからあるかもしれない」
「がんばってきた甲斐があるッス!」
 本当、伊藤は切り返しが独特だな……。
 辺りを見回す。来てないのは小谷先輩だけだ。姿を現さないまま刻々と時間だけが過ぎていく。顧問が腕時計を見て指示を出した。
「皆さんは先に入って着替えててください。先生は隆太くんが来るまでここで待ってます」
 みんなは戸惑いながらも会場に入っていく。昨日練習に来てないし、不安だ。部長はそんな部員たちを率先して纏め上げる。部長は練習や日常生活で引っ張って、小谷先輩は試合で引っ張ってくれる存在だ。精神的支柱であり、プレーのレベルも高い小谷先輩なしでは試合を組み立てられない。それに加え芳野先輩も大事をとって今回の大会は出場を見合わせた。三年生が二人も欠けて、部長含め二人しか居ない。こんな状態じゃ初戦突破どころか、恥さらしになるだけだ。
 更衣室では誰一人として言葉を発しなかった。部長が着替え終わったところで声を出した。
「早めにアップしとけよー」
 それに小さく呼応する。元から着替えるのは遅いけど、今日はわざと遅くして顧問のところに一人で行こうと思って更衣室を出ようとしたら出口で部長が残って待っててくれた。
「翔平、ずいぶん遅いな」
「すみません」
 部長はこの状況でも闊達に笑い飛ばした。
「怒ってるわけじゃないぞ。翔平も隆が気になったか」
 見抜かれてた。頷くと、部長の細い目が更に細まった。本当は部長が一番心配なんだろうな。部長の後に続いて僕も体育館の出口へ向かった。


「先生、隆は?」
 切羽詰まった顧問の顔がいやだな。
「家に電話したんですが、今朝は普通に出て行ったのでここに来てると思ってたみたいなんです」
「隆のバカやろう……。最後の最後で迷惑かけやがって」
 最後ってことは部長は知ってるんだ。
「携帯電話にかけてみますね」
 顧問は最後の望みを信じてカバンからA4用紙の紙を一枚取り出した。部員の連絡先が羅列してある。学校側から支給された古臭いケータイに番号を入力していく。入力が終わり耳にあてがうと呼び出し音がはっきりと聞こえた。といっても顧問にだいぶ顔を近づけてるけど。五回目のコールでぷちっと短い音がした。
「もしもし。隆太くんですか?」
『何? 俺なんか狙っても金なんかないよ』
 詐欺電話か何かと勘違いしてるみたいだ。知らない番号からかかってきたらこわいもんな。それに出る先輩もどうかとは思うけど。顧問が名乗ると先輩は猛烈な勢いで謝った。
『すみません! 申し訳ない、本当申し訳ないです!』
「それは良いんです。その中に今日来なかった意味での謝罪はありますか?」
 顧問が珍しく説教モードに入ってる。声音には優しさが微塵も感じられない。表情も硬くなってる。電話越しの声が途切れ、再び聞こえてきた声は弱っていた。
『少しはありますけど、これで良かったんじゃないかって』
「何が良かったんですか? 勝手に自己完結しないでください。また会うって言ったじゃないですか」
 来なかったことに相当頭に来てるようで、怒気が満ちている。普段はおじさんたちも見習ってほしいぐらいの落ち着きや冷静さを持ってるんだけど、今だけは二十台半ばの若さが見える。
『ごめんなさい。でも勝っても負けてもT中の生徒じゃなくなる俺はこの大会に出るのが最後なんだ。みんなと一緒に全国には行けない』
「だからどうしたっていうんですか? T中の生徒として出られるチャンスがまだあるんですよ。それを活かさずどうするんです」
 T中の生徒じゃなくなるって……やっぱ全然実感できない。もし勝って全国に行ったとしても小谷先輩、それとそのころには復帰するであろう芳野先輩の十二人全員でコートに立ってる姿を想像してしまう。何も話さなくなった顧問のケータイを部長が奪った。
「隆が来なくたって勝てるところを見せてやるよ!」
『……ああ』
 部長の方にケータイがいったからかすかにしか聞き取れなかった。部長が僕にケータイを差し出してくる。
「翔平も話すか?」
「恐れ多いですって!」
「そう言わずに」
 無理やり押し付けられた。どうしよう。直接話したことは数え切れないほどあるけど、電話で話すのは初めてだ。ゆっくりと耳にくっつける。その途中、セミの鳴き声がした。
「先輩」
『翔平か。今日行けなくてごめんな』
 電話越しに聞こえる先輩の声は大人びてて、いつもとは違う雰囲気だった。
「セミ……。外に居るんですか?」
『うん、昨日翔平と一緒に居た公園。ここは色んな意味で思い出に残りそう』
 表情が見えないからどんな顔してるのか分からないけど、少なくとも僕を嫌ってるようには思えなかった。
『今日さ、T中の生徒として出場したらまた行きづらくなっちゃうと思って行けなかった』
 昨日僕が止めたから「また」なんだろうな。
『じゃ、切るね。頑張って』
「はい」
 ぷちっ。つーつーと切れた音が虚しく耳を覆う。少し経ってケータイを顧問に返した。
「先生、感情的になりすぎました。隆太くんともっときちんと話していれば良かったんですが」
「先生はそれで良いんだよ。バスケ留学を優先するようなやつにはチームプレーの大切さが分かんねえんだって」
 一番つらい状況に立たされてるのは部長のはずなのに、今なお気丈に振る舞う。だけど本当にそうなのかな。この選択をしてすごく後悔してるように見えた。チームプレーの主軸だし、『我を殺して相手を生かせ』って学んだのも小谷先輩だった。冗談……なのかな。
 僕たち三人は館内に入ってスタメンを考える。
「隆が居ないなんて想定外の事態だよな」
「三年生二人には出場してもらって、残りは大輔くんと翔平くん、それに――伊藤くんが相応しいですかね」
 伊藤だって?
「隆太くんのポジションに翔平くんが入ってもらって、伊藤くんに翔平くんのポジションに入ってもらいましょう」
「奇をてらってのことですか?」
 まさかの伊藤の登場に思わず割って入ってしまった。
「実力、チームワークから考えるとこれがベストなんじゃないかと」
 小谷先輩のポジションに僕が入るのは嬉しいやら寂しいやら複雑な心境だ。先輩が居ない分、精一杯頑張ろうとは思う。大輔とのチームワーク、か。うまくいくのかな。

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