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手が届くなら立場(9-3)

 コンビニに入ると、中は涼しかった。癒される空間だ。僕たちは迷うことなくおにぎりのコーナーへと入っていく。
「五百円しかないから一人二百五十円計算な」
 そうは言われても、明太子やネギトロなど食べたい具が入っているおにぎりは百三十円を超えている。一個はこれとして、もう一個はツナマヨとか昆布のように味気ないものばかりだ。
 僕がおにぎりの前でずっとにらめっこしてると、先輩はどこかへ行ってしまった。でも背が高いから目で追いかけるのは容易なことだ。先輩が立ち止まった場所は僕が今居る場所と正反対のアイスコーナーだった。そうか! セミが鳴くくらい暑いとなるとアイスも手か。でも……僕はさっきお腹が鳴ったくらいだ。アイスとおにぎり一個ずつ買ったところで、お腹が満たされる訳もない。すぐに帰ってご飯を食べると言うのもありだけど、そうすると先輩の面子が立たない。
「どうだ、決まったか?」
 先輩はアイスコーナーから定番であるバニラ味のカップアイスを手に持っていた。
「はい」
 僕は明太子とツナマヨのおにぎりを選んだ。合わせて二百三十五円だ。この二つを選んだ理由は単純で、母さんが作るおにぎりの具はほぼ梅干しと昆布の二つ。たまに切れてたりすると塩だけのおにぎりとか他の具が入ってたりするけど、基本的には梅干しと昆布の二つなのでこれにした。
 先輩はと言うと、僕が手に取ったものと自分のものを計算していた。
「これで三百六十一円か。翔平はそれで良いのか? 二百五十円って言ったけど、俺が調整すれば済む話だし」
「奢ってもらうっていうのに、申し訳ないですよ」
「翔平がそう言うなら仕方ないか」
 先輩はネギトロを手にした。
「これで四百九十一円。五百円以内に収まってとりあえずは良し」
 先輩はレジに商品を持っていく。その間、僕はレジ前にあるガムとか並んでるところを見た。ガムはさすがにないよな、と思っていると清算は終わったようで、僕たちはコンビニを出た。
「どこで食う?」
 それは考えてなかった。ニュース番組とかでよく見る公園とかが良いんだろうか。他にも考えてみたが、やっぱり公園がベストだと思った。
「公園で良いんじゃないですか?」
「俺もそう思ってた。それ以外に考えられないしな」
 先輩も同じ意見のようで、僕たちはこの地区では一番大きい公園を目指して歩いた。


「そーいや、テストどうだった?」
 コンビニの袋を右手に引っ提げてる先輩がそんなことを訊いてきた。
「そこそこです。とりあえず評定はオール3くらいだと」
「おー、がんばったな! 翔平って一年の一学期末考査、3より2の方が多かったって言ってたよな」
 僕が通ってる中学は二学期制だから、一年間での試験は四回だ。プレッシャーが圧し掛かる回数は少ないんだけど、逆に言うと一回のテストでの比率が大きい。どっちもどっちだ。二学期制も三学期制もあまり変わらない気がする。
「そういう先輩はどうなんですか?」
「俺は違う中学に行っちゃうからあんま関係ねーけど、翔平が言うそこそこの上くらい。かな」
 関係なくないと思うんだけど……。まさか前の学校での成績がクリアされるのか? 学校ごとにテストのレベルは変わるっていうけど、実際のところどうなんだろ。そこそこの上っていうと、「4」がちらほらあるぐらいなのかな。何はともあれ今回のテスト、平均点で大輔に勝てたのは素直に嬉しかった。
 植木先輩が言ってたけど、毎日の積み重ねが大事だよな。テストの前日に徹夜をしないように、これからは日々勉強していこう。
「見えてきた」
 公園が見えてきて、先輩が歩みを速めたので僕もそれについていく。公園では小学生だと思われる子どもたちがキャッチボールや遊具を使って遊んでいる。保護者もそれなりに居たが、炎天下にさらされてるベンチは空いてたのでそこに陣取った。太陽の熱で木製のベンチがかなり熱くなってる。
「懐かしいなー。あれ『ケイドロ』じゃん? 俺も混ざりてェ」
 先輩は自分のカバンとコンビニの袋をベンチに置いて、今にも子どもたちの輪に入っていきそうだ。ところで「けいどろ」って何? 先輩に訊いてみると、呆れたような顔をされた。え、これが一年の差?
「『ケイドロ』っつーのは、警察と泥棒の略でな……」
 そこから三分ぐらい熱弁された。よく分かりました。
「小学生のころは全校生徒でやったりして、よくやったもんだ」
 全校生徒。僕には記憶がない……ってそうだ。ほとんどが小学校から中学校へと持ち上がりの中、先輩も大輔と同じく中学に上がってから入ってきたんだった。すっかり忘れてたな。そしてまた中三の夏に転校、か。先輩のお父さん、転勤族なのかな。一度も見たことがない。
 ウキウキ顔の先輩が覗き込んでくる。
「翔平はやったことないの?」
「ないです。外で遊ぶことはあまりなかったですし、遊んでも鬼ごっことかメジャーなものばかりでした」
「まるでケイドロがメジャーな遊びじゃないとでも言ってるみたいだな」
 先輩はムッとした顔つきになった。
「熱意は分かりましたけど、実際メジャーじゃないと思います」
「翔平のくせに食い下がりやがって」
 口を真一文字に結んだが、その後ほがらかに笑った。実感が湧かないけどこんな時間もあと少ししかないんだと思うと、寂しい。
「冗談。――翔平も冗談が通じるようになったよな。会って間もないころは冗談が通じなくて焦った。って、腹減ってるよな早く食おう」
 先輩が転校するって話も冗談だったら良いのにな……。先輩はコンビニの袋を開けて、おにぎりとアイスを取り出した。
「いただきます」
「しょぼいけどこれで勘弁な」
「いやいや、先輩から奢ってもらうってだけで価値ありますよ」
「そうか? ありがとう」
 海苔が綺麗に取れなくて食べるのに悪戦苦闘したものの、お腹が減っていたのもあり、とても美味しく感じられた。
「ごちそうさまでした」
 コンビニのおにぎり二個じゃお腹なんて半分も満たないけど、先輩と一緒に居られるこの時間が幸福すぎてお腹が減ってることなんて忘れてしまう。先輩はコンビニで貰った木製のスプーンを取り出して、アイスのふたを開ける。
「少し溶けちゃったな。でもこれだけ暑いからこそ食べたくなるんだよなァ」
 セミが鳴いてる。今座ってるベンチも最初は熱かった。ケイドロをやってる子どもたちは汗だくになりながらも続けてる。この体力は見習わなくちゃな。
「翔平も食うか? 溶けちゃってるけど」
「良いんですかっ?」
「良くなかったら訊かないから。ほれ、残り全部食っていいよ」
 僕は先輩が持ってるアイスを頂戴し、涼をかみ締めた。アイス最高!
 奢ってもらったり、先輩のアイスの分まで頂いたりと良くしてもらったので後片付けだけはしっかりやろうと思い、公園に備え付けのゴミ箱にゴミを捨てに行った。喧騒から一人の子どもの声が聞こえた。
「れいす!」
 聞いたことのあるような名前だな。でも一体どこで? 声のした方を見てみると、犬と子どもが居た。あれは……ラバーブレスを買いに行く前に待ち合わせしてた土手で見た犬と子どもだ。また迷惑をかけてるみたい。それにしてもれいすとか言う犬はしっかりしてるな。子どもが犬の背中に乗っても歩き回れるんじゃないかってくらい仲が良さそうだ。すると僕のことを見つけたのか、「あんちゃーん」と叫びながら犬と子どもが近づいてくる。子どもは屈託のない笑顔で僕に話しかけてきた。
「あんちゃん僕ね、変わらないことにした。れいすとの仲は僕にしか分からないから。じゃ!」
 犬と子どもは元気に駆けていった。他人が口出ししても無意味だよな。それも何のつながりもない赤の他人が。れいすとあの子どもにしか分からない何かがあるんだろうな。あの手の古傷はれいすを手懐けた証拠なのかな。僕と先輩もそんな仲になれたら良いな。
 僕はゆっくりと先輩が居るベンチに向かった。
「おかえり。さっきの誰? 知り合い?」
「一回しか会ったことなかったんだけど、向こうから話しかけてきて」
「ふうん」
 それきり黙ってしまった。なんの話をしよう。先輩が言ってこないんじゃ、さっきの転校するって話はしない方が
「実はさ、怖かったんだ」
 先輩から切り出してきた。ベンチの端に後ろ手をついて空を見上げる先輩を僕は横から眺める。
「転校するってことはすでに何人かには話してて、応援してくれた。翔平に言えば自分も決心つくだろうなって思った」
 先輩は手を前に回して組む。それと同時に視線も地面へと落ちる。
「だけど、やっぱり。ここに残っていたい。せめて中学卒業ぐらいまでは」
「だったら残れば良いんじゃ」
「俺もできることならそうしたいよ」
 先輩は深く頭が下がって、嗚咽してるようだった。地面の砂がぽつぽつ黒くなっていく。本当に悩んでるんだ。決意が揺らいでるんだ。僕はこういうとき先輩に何をしてあげられるんだろう。「できることなら」ってことはできないんだ。僕も先輩自身もここに残ってほしいと思ってる。でもそれをさせてくれない現実。
 理由が定かじゃない。まずはそれを訊いてみないと。
「まだ先の話だと思ってて、夏休みが明けてもみんなと一緒にT中に通ってるんじゃないかって思ってる」
「なんで転校するハメになったんですか?」
 先輩は下を向いたまま涙を拭ったみたいで、顔を上げてこちらを見てきた。まだ嗚咽が続いていて、少し目が充血してる。
「父さんの転勤」
 やっぱり転勤なんだ。でも転勤ってことは、すぐに会えるような距離ではなくなっちゃうのかな。
「あのボロい家さ、買ったんだ。もう二度と転勤がないようにって願って。だけど、ね」
 これ以上は自分で言いたくないのか口を閉ざした。先輩はこれまで押し黙っていた分を吐き出すかのように言葉を繋げていく。
「納得してたはず……だった。転勤の話は三年に上がるときに聞かされたんだ。転勤先では地元の一番強いバスケクラブに入れてくれるって話もあったし、悪い話ではないかなって。その時点なら残りたいって言えばここに残れたけど、もう間近に控えた今じゃ言えない。承諾してから、翔平や大輔、佐藤、それに植木先輩や同級生のやつらと接するうちに後悔した。卒業式とか半年ちょっとしか付き合ってないやつらと卒業するんだぞ? 体育祭とかも」
「今からでも遅くないですよ! その気持ちを家族にぶつければ」
 先輩は一瞬目を見開いたが、目を瞑って再びゆっくりと開いた。
「できない。俺は父さんに歯向かえないよ」
「歯向かえないって……」
「俺をここまで育ててくれたのは父さん、バスケの存在を教えてくれたのも父さん。感謝してもしきれないし、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない」
 穏やかな目つきをしてる。確かにそうだけど、我を押し殺してでも守らなきゃいけないことなのかな。「我を殺して相手を生かせ」って先輩にそう教えられたけど、それはバスケの中だけで、今は「我を押し通せ」だと思う。
「でも、行かないでほしいよ先輩」
「俺もそうしたい。――今日は聴いてくれてありがとう。帰る。またな」
 先輩は緩慢に立ち上がってカバンを背負って、公園を一人寂しそうに出て行った。僕はそれを追うことはできなかった。追っていったところでかける言葉が見つからない。
 僕の言葉でますます迷わせてしまった。素直に応援すれば良かった。こわいっていうのは僕が引きとめた場合なんだろうな。今のこの状況になることを危惧してたんだ。冷静になってやっと分かった。僕は先輩に何もしてあげられないどころか、迷惑をかけてしまった。県大会では同じコートに立つことになるだろうけど、先輩と話すのは今日で最後になっちゃったかな。いやだな、このまま終わるなんて後味が悪い。もっと話したい。

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