手が届くなら未来(7-4)
植木先輩の後に続いて僕も保健室に入ると、なごやかな談笑ムードだった。僕たちが戻ってくるのに気づいた小谷先輩は右手を挙げてぎこちない笑みを浮かべた。
「二人とも遅かったなー」
どこか無理をしてる面が見え隠れするけど、表面上は明るく振る舞ってる。小谷先輩と向かい合って座ってる部長の隣に植木先輩が座って、僕は恐る恐る小谷先輩の隣に腰掛けた。
「どした? そんなに緊張すんなって」
その笑みが怖いんです……。
あ、小谷先輩の向こう側に見えた佐藤さんと、芳野先輩。入る前は気まずい雰囲気が漂ってるかと思ってたけどそうでもなかった。全員が全員気を遣ってるんだよな。小谷先輩も例外ではない。
「明日の作戦練ってたんだ。翔平も明日には体調万全になるだろ? それを見越して」
ここで養護教諭がゴホンと咳払いをして流れを切った。目つきが怖いぞ。
「芳野くんの足の痛みも治まってきたみたいなので、そろそろ帰る準備をされてはどうでしょうか」
「そうですね。二日間も、しかも長い時間陣取ってしまって申し訳ありませんでした」
顧問が咄嗟に反応した。まぁそうだよな。僕の場合は仕方なかったと思うけど、芳野先輩の場合は誰かが車を用意すれば済む話だ。養護教諭も仕事が増えて嫌になったんだろう。
顧問は僕たちに視線を向けた。
「昨日のこともあって今日は車で来たんですが、五人乗りの車なので乗れない人が出てしまうんですよ。なので誰か……」
一番最初に申し出たのは植木先輩だった。
「俺はパス。みんなとは逆方向になっちまうから非効率だろ」
「そうしてくれるとありがたいです。後は」
「なら俺も」
今度は小谷先輩だった。運転手の顧問、足を痛めた芳野先輩、それに佐藤さんと部長と僕。これで五人だな。
顧問は小さく頷いて、養護教諭に問いかけた。
「これで五人なんですが、窮屈な体勢を維持してて問題ないですか?」
「痛みが治まったといっても、動かすとまだ痛みがあるでしょ?」
養護教諭は芳野先輩に問いかけた。なんか面白い構図だな。芳野先輩は丸椅子に置いてた足を動かしてゆっくりと地面に下げようとすると、少し顔を歪ませた。
「まだ痛いです」
「となると、後部座席は芳野くん一人で使った方が良いみたいね」
僕はその話を聞いて同じテーブルに居る三人に目配せをすると、顧問に申し出た。
「僕たち四人は電車で帰ります」
「おお、ありがたいです。佐藤さんはどうしますか? どっちでも良いですよ」
「私は……。私も隆たちと一緒に電車で帰ります」
「分かりました」
話がまとまったところで、顧問は保健室のすぐ近くまで車を出してくると言って急いで出て行った。
僕が帰り支度をしてると、小谷先輩はそろそろと芳野先輩の近くに歩いていった。
「なんて言ったらいいかわかんないけど、今日はごめん」
そう言って軽く頭を下げた。
「それは俺のセリフだよ。自分の体調管理ができなくて試合に出られなくなったんだ。謝るのはむしろこっちだって。ごめん」
二人のやり取りを見てて、綺麗だなって思った。大人なんだなって。
小谷先輩と芳野先輩の関係は、僕で言うと伊藤ぐらいのかかわり具合だ。つまりあまり親しくはない。同級生だからあまり事を荒立てたくないんだろう。
そうこうしてるうちに顧問の車が窓の向こうに見えた。牧歌的な風景に近未来、でもないけどそう見えてしまう車――超絶似合わない。顧問は開けっぴろげになってる窓から入ってきて
「ちょっと道が狭かったですね」
と一言。養護教諭は唖然として口や目などありとあらゆるところを大きくする。
「よくここまで入ってこられましたね」
「芳野くんのことを考えればちょろいことですよ。これでも一年間タクシードライバーやってたものでね」
顧問が「ちょろい」なんて言葉を使ったことにも、タクシードライバーをやってたことの両方に驚きを隠せない。顧問も昔はやんちゃだったんだな。
「二日間ありがとうございました」
目礼する顧問に応える養護教諭。でも早く帰って欲しいと内心では思ってるんだろうな。
芳野先輩は顧問の肩を借りて片足だけを使って車に乗り込んだ。僕たちも窓際に並ぶ。顧問は運転席に回りこんで、スモークガラスになってる後部座席の窓を開ける。ぱっと車体を見た感じ、どこにでもありそうな車だ。そこまで車に関しては詳しくない。大輔と伊藤が居たら車種を言い当てられるんだろうか……。
「明日は違う会場ですから間違わないように来てください。それでは」
「芳野、明日は来るだけでもいいから来いよー」
「おう。でも無理はしないでおく」
短く会話を交わすと、車はエンジン音を立てて走り去っていった。エンジン音が聞こえなくなった頃
「よっしゃ、俺らも帰りますか」
五人の中で一番年上の植木先輩が声を上げた。僕も年上だったら仕切らなきゃって思うからな。
疲れきったご様子の養護教諭に挨拶をして、僕たちも高校を後にした。
最寄り駅までは明日の作戦をどうするかなどを話して、植木先輩から色々とアドバイスを貰った。佐藤さんはバスケ部でもないし、唯一の女子なので見るたび気まずそうだった。
駅の改札を通る。数分後に電車が来るみたいだ。でもこれだと逆方向になっちゃうな。十分後の電車だな。植木先輩は僕たちに向かう。
「明日の試合頑張れよ。T中初の県大会出場がかかってるからな」
部長が苦笑いをする。
「プレッシャーかけますね」
「当たり前だろー。お前らには勝って欲しいし、勝てるだけのメンバーが揃ってる」
植木先輩は真顔だ。冗談じゃなく本気で言ってる。
バスケができない身体なんだ。託すことしかできない。僕たちはバスケができる身体に感謝して、応えられる可能性があるんだ。無碍にはできないな。
そうだ。昨日は居なかった気がするけど、明日は来てくれるのかな。
「明日も応援に来てくれるんですか?」
「午後からなら行けなくもないが、いかんせん明日から前期考査が始まるんだ」
「そう、でしたね」
明日が月曜日だと言うことを失念してた。というか明日からテストだって言うのに、こんなところで油を売ってて良かったのか?
「その、勉強って大丈夫なんですか?」
「こういうのは日々の積み重ねが生きてくる。前日とか、試験が近くなってきてから始めるようじゃ意味ないだろー。今日は家に居てもマンガ読んで終わりそうだったからな。明日は実感が湧いてきて、勉強しなきゃなって思いそうだから」
参りました。
僕は積み重ねてないタイプだ。テスト前日に徹夜は当たり前になってきてる。中学入って最初のテストは積み重ねてたけど、部活が本格的に始まったのもあってそれからは怠けてやってない。前日に集中して勉強した方が頭に入るような気がするから。でもこれって間違いだよなぁ。
「それだけ今日の試合は特別だったってことですか?」
植木先輩のことだ。知り合って間もないどころか一日も経ってないけど、なんとなく分かる。マンガ読んでて終わるわけがない。半日ぐらい勉強してそうだ。
「まあそうだな。試合の様子が気になって、居ても立っても居られなかったと思う。明日はそんなことを気にする余裕すら掻き消えてしまいそうだが」
話の流れでみんなのテスト対策を聞いてると、僕と小谷先輩と部長は同類で、佐藤さんと植木先輩はやはり毎日の勉強を欠かさないようだった。毎日勉強なんて生活してたら、自由な時間が取れなくなっておかしくなってしまいそうだ。三十分ぐらいでも勉強する習慣を身につけるのが大事って言ってたけど、僕には当分無理だな。
構内アナウンスが流れ、その後夕日を浴びて電車が来る。反対方向だななどと思ってると植木先輩がその電車に乗り込んだ。そういえば保健室で「逆方向だから」みたいなこと言ってたな。こういうことだったのか。
植木先輩がなにやら手招きをしてる。僕、みたいだ。近づいていく。
「隆の支えになってやって。君ならなれるよ」
意外なことに面食らいながらも植木先輩を見送った。肉眼では見えなくなった電車をただ呆然と眺めてると、小谷先輩が嬉しそうに話しかけてきた。
「なんて言われたんだよ? 気になる」
「秘密です。僕だけを手招いた理由を考えられないんですか」
「おっ、言うなあ。俺を差し置いてもう仲良くなっちゃったの?」
「みたいです」
支えか。この脆い人の支え。それは必要だけど、僕である必要はない。佐藤さんの方が向いてる。まぁこういうのって往々にしてあんまり深く考えない方が良いんだよな。
ハイテンションな小谷先輩に三人とも合わせて、降車駅の改札を抜けた。
「俺、チャリで来たから今日はここいらで」
部長が一人で帰ろうとすると小谷先輩が諌めた。
「降りれば俺らに合わせることはできるよね?」
「そ、それもそうだな」
部長は怯えきった様子で、自転車置き場へと向かった。
「これで逃げ出したら面白いな」
「部長に限ってそんなことないですよ。優しい人ですから」
「まあな。……ジュースでも買っとこう。二人ともいる?」
先輩はポケットから財布を取り出して五百円玉を手のひらに乗せた。これ以上気が良くなるのも考え物だとは思ったけど、ここは先輩の気を良くさせよう。
「先輩が良ければ」
「よーし。百五十円のでも良いぞ」
煌々と光る自販機を眺める。あったか〜いとつめた〜いがあるな。僕は遠慮して百二十円の缶コーヒーにした。つめた〜い。続く佐藤さんも百二十円のオレンジジュースだった。最後の小谷先輩は百五十円のペットボトル緑茶、つめた〜いにした。各自飲み始めると部長の姿が見えた。
「自販機はひえひえでいいねェ!」
小谷先輩がおいしそうに緑茶を飲むと、部長がモノ欲しそうな子どもの目をした。
「みんな買ったのか?」
「いや、俺のおごり」
「もちろん俺にもあるん」
「あっ、わり。お釣り百十円だ。十円足りない」
「くそっ。チャリで来たのがそもそもの間違いだったのか」
結局部長は買わないまま、僕と佐藤さんは飲み終わってゴミ箱に捨てた。
「ごちそうさまでした」
「隆を置いて行っちゃうかー」
「俺はペットボトルだから、こぼす心配はない」
「完敗だ」
部長と小谷先輩のコントを見て僕と佐藤さんは笑った。そうだよな、部長はそういうキャラだよな。
落ち込んでぐったりとした部長と並んで歩く。道中佐藤さんが声を上げる。
「私はここで失礼しますね」
そうかここいらへんだったな、分かれ道。佐藤さんの恋人だと思われる小谷先輩が呼び止める。
「ちょっと待って。明日は来れる?」
「野球部も勝ってしまって、というと不謹慎ですけど、明日は厳しいです」
「そっか。今日はなんか悪かったな」
「そんなことないです。楽しかったですよ。それでは」
軽く会釈をすると小走りに急いでいった。大輔みたく門限でもあるのかな。あれだけ品行方正なお嬢様が生まれる家庭なんだ。ありえなくはない。
部長がからかうように小谷先輩にちょっかいを出す。
「隆はあんな良い子と付き合えて、羨ましいな」
「羨ましくなんかねェよ」
「そりゃあ自分のことだからな」
今までは考えられないぐらい話題に困っていなかったのに、小谷先輩が黙りこくると急に沈黙状態が続いた。
やがて部長とも別れて、小谷先輩と二人きりになってしまった。二つ目の曲がり角で別れるんだけどそれまでが異様に長く感じる。これは気まずいぞ。とりあえず話題を作ろうとする。
「あ、あの、えーと。良い天気でしたね」
「そうだな」
「明日勝てば県大会ですね!」
「そうだな」
何を話しても無表情のまま、ロボット張りに何かを聞かれたらただ返事をするばかり。生気を感じらなれなくて、人形みたいでこわい。体育館裏に居た時みたいだ。もしかして
「先輩Y中のこと、まだ」
「翔平はどう思う?」
「二年前のことはY中の仕業だと思いますけど、芳野先輩を見てると今回は本当に芳野先輩の失態だったんだと思います」
「そうか。……俺はまだ信じられない。柊の言ってた『プレゼント』って言うのも気になるし、柊は得体の知れない奴だ。芳野の口封じくらい造作もないって思ってる」
終始トーンが低かった。小谷先輩は柊を憎むとかそういう次元の話じゃない。宿怨してるように見える。まるで二年前より以前にも何かがあったような含みが感じられる。僕はまだ先輩の過去を全て暴いたわけじゃないのか?
「翔平、ここだろ?」
「あ、はい」
「ボーっとしてんじゃないぞ。いつか電柱にぶつかるかもしれないぞ」
「それはないですって!」
小谷先輩は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「どーだか。明日も頑張ろうな」
「はい、先輩」
「二人とも遅かったなー」
どこか無理をしてる面が見え隠れするけど、表面上は明るく振る舞ってる。小谷先輩と向かい合って座ってる部長の隣に植木先輩が座って、僕は恐る恐る小谷先輩の隣に腰掛けた。
「どした? そんなに緊張すんなって」
その笑みが怖いんです……。
あ、小谷先輩の向こう側に見えた佐藤さんと、芳野先輩。入る前は気まずい雰囲気が漂ってるかと思ってたけどそうでもなかった。全員が全員気を遣ってるんだよな。小谷先輩も例外ではない。
「明日の作戦練ってたんだ。翔平も明日には体調万全になるだろ? それを見越して」
ここで養護教諭がゴホンと咳払いをして流れを切った。目つきが怖いぞ。
「芳野くんの足の痛みも治まってきたみたいなので、そろそろ帰る準備をされてはどうでしょうか」
「そうですね。二日間も、しかも長い時間陣取ってしまって申し訳ありませんでした」
顧問が咄嗟に反応した。まぁそうだよな。僕の場合は仕方なかったと思うけど、芳野先輩の場合は誰かが車を用意すれば済む話だ。養護教諭も仕事が増えて嫌になったんだろう。
顧問は僕たちに視線を向けた。
「昨日のこともあって今日は車で来たんですが、五人乗りの車なので乗れない人が出てしまうんですよ。なので誰か……」
一番最初に申し出たのは植木先輩だった。
「俺はパス。みんなとは逆方向になっちまうから非効率だろ」
「そうしてくれるとありがたいです。後は」
「なら俺も」
今度は小谷先輩だった。運転手の顧問、足を痛めた芳野先輩、それに佐藤さんと部長と僕。これで五人だな。
顧問は小さく頷いて、養護教諭に問いかけた。
「これで五人なんですが、窮屈な体勢を維持してて問題ないですか?」
「痛みが治まったといっても、動かすとまだ痛みがあるでしょ?」
養護教諭は芳野先輩に問いかけた。なんか面白い構図だな。芳野先輩は丸椅子に置いてた足を動かしてゆっくりと地面に下げようとすると、少し顔を歪ませた。
「まだ痛いです」
「となると、後部座席は芳野くん一人で使った方が良いみたいね」
僕はその話を聞いて同じテーブルに居る三人に目配せをすると、顧問に申し出た。
「僕たち四人は電車で帰ります」
「おお、ありがたいです。佐藤さんはどうしますか? どっちでも良いですよ」
「私は……。私も隆たちと一緒に電車で帰ります」
「分かりました」
話がまとまったところで、顧問は保健室のすぐ近くまで車を出してくると言って急いで出て行った。
僕が帰り支度をしてると、小谷先輩はそろそろと芳野先輩の近くに歩いていった。
「なんて言ったらいいかわかんないけど、今日はごめん」
そう言って軽く頭を下げた。
「それは俺のセリフだよ。自分の体調管理ができなくて試合に出られなくなったんだ。謝るのはむしろこっちだって。ごめん」
二人のやり取りを見てて、綺麗だなって思った。大人なんだなって。
小谷先輩と芳野先輩の関係は、僕で言うと伊藤ぐらいのかかわり具合だ。つまりあまり親しくはない。同級生だからあまり事を荒立てたくないんだろう。
そうこうしてるうちに顧問の車が窓の向こうに見えた。牧歌的な風景に近未来、でもないけどそう見えてしまう車――超絶似合わない。顧問は開けっぴろげになってる窓から入ってきて
「ちょっと道が狭かったですね」
と一言。養護教諭は唖然として口や目などありとあらゆるところを大きくする。
「よくここまで入ってこられましたね」
「芳野くんのことを考えればちょろいことですよ。これでも一年間タクシードライバーやってたものでね」
顧問が「ちょろい」なんて言葉を使ったことにも、タクシードライバーをやってたことの両方に驚きを隠せない。顧問も昔はやんちゃだったんだな。
「二日間ありがとうございました」
目礼する顧問に応える養護教諭。でも早く帰って欲しいと内心では思ってるんだろうな。
芳野先輩は顧問の肩を借りて片足だけを使って車に乗り込んだ。僕たちも窓際に並ぶ。顧問は運転席に回りこんで、スモークガラスになってる後部座席の窓を開ける。ぱっと車体を見た感じ、どこにでもありそうな車だ。そこまで車に関しては詳しくない。大輔と伊藤が居たら車種を言い当てられるんだろうか……。
「明日は違う会場ですから間違わないように来てください。それでは」
「芳野、明日は来るだけでもいいから来いよー」
「おう。でも無理はしないでおく」
短く会話を交わすと、車はエンジン音を立てて走り去っていった。エンジン音が聞こえなくなった頃
「よっしゃ、俺らも帰りますか」
五人の中で一番年上の植木先輩が声を上げた。僕も年上だったら仕切らなきゃって思うからな。
疲れきったご様子の養護教諭に挨拶をして、僕たちも高校を後にした。
最寄り駅までは明日の作戦をどうするかなどを話して、植木先輩から色々とアドバイスを貰った。佐藤さんはバスケ部でもないし、唯一の女子なので見るたび気まずそうだった。
駅の改札を通る。数分後に電車が来るみたいだ。でもこれだと逆方向になっちゃうな。十分後の電車だな。植木先輩は僕たちに向かう。
「明日の試合頑張れよ。T中初の県大会出場がかかってるからな」
部長が苦笑いをする。
「プレッシャーかけますね」
「当たり前だろー。お前らには勝って欲しいし、勝てるだけのメンバーが揃ってる」
植木先輩は真顔だ。冗談じゃなく本気で言ってる。
バスケができない身体なんだ。託すことしかできない。僕たちはバスケができる身体に感謝して、応えられる可能性があるんだ。無碍にはできないな。
そうだ。昨日は居なかった気がするけど、明日は来てくれるのかな。
「明日も応援に来てくれるんですか?」
「午後からなら行けなくもないが、いかんせん明日から前期考査が始まるんだ」
「そう、でしたね」
明日が月曜日だと言うことを失念してた。というか明日からテストだって言うのに、こんなところで油を売ってて良かったのか?
「その、勉強って大丈夫なんですか?」
「こういうのは日々の積み重ねが生きてくる。前日とか、試験が近くなってきてから始めるようじゃ意味ないだろー。今日は家に居てもマンガ読んで終わりそうだったからな。明日は実感が湧いてきて、勉強しなきゃなって思いそうだから」
参りました。
僕は積み重ねてないタイプだ。テスト前日に徹夜は当たり前になってきてる。中学入って最初のテストは積み重ねてたけど、部活が本格的に始まったのもあってそれからは怠けてやってない。前日に集中して勉強した方が頭に入るような気がするから。でもこれって間違いだよなぁ。
「それだけ今日の試合は特別だったってことですか?」
植木先輩のことだ。知り合って間もないどころか一日も経ってないけど、なんとなく分かる。マンガ読んでて終わるわけがない。半日ぐらい勉強してそうだ。
「まあそうだな。試合の様子が気になって、居ても立っても居られなかったと思う。明日はそんなことを気にする余裕すら掻き消えてしまいそうだが」
話の流れでみんなのテスト対策を聞いてると、僕と小谷先輩と部長は同類で、佐藤さんと植木先輩はやはり毎日の勉強を欠かさないようだった。毎日勉強なんて生活してたら、自由な時間が取れなくなっておかしくなってしまいそうだ。三十分ぐらいでも勉強する習慣を身につけるのが大事って言ってたけど、僕には当分無理だな。
構内アナウンスが流れ、その後夕日を浴びて電車が来る。反対方向だななどと思ってると植木先輩がその電車に乗り込んだ。そういえば保健室で「逆方向だから」みたいなこと言ってたな。こういうことだったのか。
植木先輩がなにやら手招きをしてる。僕、みたいだ。近づいていく。
「隆の支えになってやって。君ならなれるよ」
意外なことに面食らいながらも植木先輩を見送った。肉眼では見えなくなった電車をただ呆然と眺めてると、小谷先輩が嬉しそうに話しかけてきた。
「なんて言われたんだよ? 気になる」
「秘密です。僕だけを手招いた理由を考えられないんですか」
「おっ、言うなあ。俺を差し置いてもう仲良くなっちゃったの?」
「みたいです」
支えか。この脆い人の支え。それは必要だけど、僕である必要はない。佐藤さんの方が向いてる。まぁこういうのって往々にしてあんまり深く考えない方が良いんだよな。
ハイテンションな小谷先輩に三人とも合わせて、降車駅の改札を抜けた。
「俺、チャリで来たから今日はここいらで」
部長が一人で帰ろうとすると小谷先輩が諌めた。
「降りれば俺らに合わせることはできるよね?」
「そ、それもそうだな」
部長は怯えきった様子で、自転車置き場へと向かった。
「これで逃げ出したら面白いな」
「部長に限ってそんなことないですよ。優しい人ですから」
「まあな。……ジュースでも買っとこう。二人ともいる?」
先輩はポケットから財布を取り出して五百円玉を手のひらに乗せた。これ以上気が良くなるのも考え物だとは思ったけど、ここは先輩の気を良くさせよう。
「先輩が良ければ」
「よーし。百五十円のでも良いぞ」
煌々と光る自販機を眺める。あったか〜いとつめた〜いがあるな。僕は遠慮して百二十円の缶コーヒーにした。つめた〜い。続く佐藤さんも百二十円のオレンジジュースだった。最後の小谷先輩は百五十円のペットボトル緑茶、つめた〜いにした。各自飲み始めると部長の姿が見えた。
「自販機はひえひえでいいねェ!」
小谷先輩がおいしそうに緑茶を飲むと、部長がモノ欲しそうな子どもの目をした。
「みんな買ったのか?」
「いや、俺のおごり」
「もちろん俺にもあるん」
「あっ、わり。お釣り百十円だ。十円足りない」
「くそっ。チャリで来たのがそもそもの間違いだったのか」
結局部長は買わないまま、僕と佐藤さんは飲み終わってゴミ箱に捨てた。
「ごちそうさまでした」
「隆を置いて行っちゃうかー」
「俺はペットボトルだから、こぼす心配はない」
「完敗だ」
部長と小谷先輩のコントを見て僕と佐藤さんは笑った。そうだよな、部長はそういうキャラだよな。
落ち込んでぐったりとした部長と並んで歩く。道中佐藤さんが声を上げる。
「私はここで失礼しますね」
そうかここいらへんだったな、分かれ道。佐藤さんの恋人だと思われる小谷先輩が呼び止める。
「ちょっと待って。明日は来れる?」
「野球部も勝ってしまって、というと不謹慎ですけど、明日は厳しいです」
「そっか。今日はなんか悪かったな」
「そんなことないです。楽しかったですよ。それでは」
軽く会釈をすると小走りに急いでいった。大輔みたく門限でもあるのかな。あれだけ品行方正なお嬢様が生まれる家庭なんだ。ありえなくはない。
部長がからかうように小谷先輩にちょっかいを出す。
「隆はあんな良い子と付き合えて、羨ましいな」
「羨ましくなんかねェよ」
「そりゃあ自分のことだからな」
今までは考えられないぐらい話題に困っていなかったのに、小谷先輩が黙りこくると急に沈黙状態が続いた。
やがて部長とも別れて、小谷先輩と二人きりになってしまった。二つ目の曲がり角で別れるんだけどそれまでが異様に長く感じる。これは気まずいぞ。とりあえず話題を作ろうとする。
「あ、あの、えーと。良い天気でしたね」
「そうだな」
「明日勝てば県大会ですね!」
「そうだな」
何を話しても無表情のまま、ロボット張りに何かを聞かれたらただ返事をするばかり。生気を感じらなれなくて、人形みたいでこわい。体育館裏に居た時みたいだ。もしかして
「先輩Y中のこと、まだ」
「翔平はどう思う?」
「二年前のことはY中の仕業だと思いますけど、芳野先輩を見てると今回は本当に芳野先輩の失態だったんだと思います」
「そうか。……俺はまだ信じられない。柊の言ってた『プレゼント』って言うのも気になるし、柊は得体の知れない奴だ。芳野の口封じくらい造作もないって思ってる」
終始トーンが低かった。小谷先輩は柊を憎むとかそういう次元の話じゃない。宿怨してるように見える。まるで二年前より以前にも何かがあったような含みが感じられる。僕はまだ先輩の過去を全て暴いたわけじゃないのか?
「翔平、ここだろ?」
「あ、はい」
「ボーっとしてんじゃないぞ。いつか電柱にぶつかるかもしれないぞ」
「それはないですって!」
小谷先輩は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「どーだか。明日も頑張ろうな」
「はい、先輩」
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