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手が届くなら秘密(6-1)

「どうしたよ、顔色悪いぞ。まさか昨日の引きずってるのか?」
 そう心配して僕の顔を覗き込んでくるのは大輔だ。僕の変化をすぐに感じ取ってくれるんだよな。まぁ昨日はそれが原因で若干の仲違いがあったけど、今日になったら前と同じように接してくれてる。大輔も僕との関係が壊れるのを恐れてるんだろうな。
 上を向いて首を横に振る。
「昨日はちょっと眠れなかっただけ。大丈夫だよ」
 そのまま作り笑いをしようとすると、足をつけてる床が縦に一回揺れてそれどころじゃなくなった。前に居る大輔も身体を横に振られる。僕は座ってるから良いけど、大輔は立ってるからひどいよな。大輔は頭をガシガシと掻いて車両の前を睨みつけた。
「ったく、今日は運転が荒いなあ」
「そうッスね。昨日は安全第一って感じでゆっくり走り始めてゆっくり停車。今日は走り始めた後のスピードアップが早くてブレーキかけるのも遅いッスよね」
 なぜだか得意気に語る伊藤がほほえましく思えた。でもここ電車の一両目で、しかも一番前だぞ。聞こえてるかもしれないじゃないか。
 もう夏と言ってもいい日差しを背中に浴びながら、大輔と伊藤と差しさわりのない話をした。今日は体力的にそんな余裕ないから、話したことを一分経ったら忘れてる気がする。
 昨日は今日また行く高校の保健室で六時間近くも寝てしまったから、夜に寝付けなかった。豆電球だけの光がともる部屋の中、デジタルの目覚まし時計を腹に抱え込んで、刻々と秒数を刻んでくのを見てたら目がさえてきちゃって、悪循環だった。ケータイをいじろうにも親が夜間にネット接続できないように設定してるから眠くなるまでひたすら瞑想してた。そのうち寝ちゃったから何時間寝たのかは分からないけど、窓から差し込む光が明るくなってたような……。
「おーい、どうした。起きてるかー?」
「おぉぅ……。起きてるよ」
「ホント大丈夫ッスか? 昨日かなり長い時間寝てたみたいッスけど」
「う、ううん。ダメ、かも」
 伊藤の純真な眼差しに嘘をつけなかった。口をポカーンと開けちゃってる。かわいい後輩だなぁもう。大輔に苛烈にツッコミを入れられる。
「ひでーぜ。俺にはホントのこと教えないでさあ、後輩にホントのこと言うなんて」
「どっちが本当のことかどうか分かるの?」
 高圧的な態度で大輔に喰らいつく。だが、大輔にはまったく効き目はないようで即座に反撃をしてくる。
「分かるぜ! お前は俺に遠慮してる感がある。対して伊藤にはそんな節は見られない。ずばり、それが意味することは分かるな?」
「ずばりじゃないし……。普通は逆なんじゃないの?」
「おれもわかんないッス。どういうことなんすか?」
「それはだな……自分の胸に聞いてみろ」
 大輔のしたり顔を前に二人で唸る。
 大輔に遠慮する意味が自分でも分からない。むしろ遠慮してるのかすらも分からない。なんだって話せる良いやつで、聞き上手だし、お互い『親友』だと思ってる。それなのに遠慮する理由か……。大輔と伊藤の大きな違いは付き合ってきた期間だよな。伊藤とはまだそれほど話したこともない。だから関係が絶たれたところで大きな損失にはならない。大輔は……大輔との関係がなくなったらどうなんだろう。
 隣からパチンと乾いた音がする。伊藤は答えが出たのか。一旦思考が停止する。
「わかった! 朝っぱらから電話を鳴らしたからだ!」
「あ、そのことについてはごめんな。翔平がこうして一緒に電車で来てくれるって決まったとき、あまりの嬉しさにケータイの電話帳で一番目に出てきた人に電話かけたら伊藤だったわけよ」
「へ〜、そうなんすか。おれ以外の人にかかってたら大変だったッスね」
「そうだなあ。今日ばかりは『あ』から始まる人がいなくてよかったと思った」
 そんな他愛のないやり取りに僕は怒り心頭に発してた。笑いながら話すのも解せない。
 ……そうだった、今日一番に聞いたのはこいつの声だ。モーニングコールがよりにもよって男だったなんて寂しすぎる。家を出たころから忘れかけてたけど、この話をされて思い出した。
 今日の試合は午後からなのに朝の七時に電話が掛かってきて、もうその時点から緊張状態が続いてる。そこからまた眠れるわけもなく、ずっと起きっぱなしだ。もしかしたら今日は三時間ぐらいしか寝てないかもしれない。今は眠くないけど、試合が終わったら緊張の糸が切れて一気に睡魔に襲われそうだ。
 今日という今日は許せない!
「大輔ぇ……お前のせいで今日は散々だったんだぞ。お陰で寝不足どころの問題じゃない」
「だって仕方ないじゃん。翔平を誘おうと思い立ったのが今朝なんだから」
 こいつには『反省』という二文字はないのか?
 悪気なく話してるから怒ってるこっちがばかばかしくなってくる。そっぽを向けてると降車駅が見えてきた。徐々に緊張が高まってくる。二人とは一言も交わさず、電車から降りて改札を一番で抜けた。早足で目的地に向かおうとすると、後ろから走る音が聞こえて
「しょうへー、待てよ〜」
 肩を掴まれて少しバランスを崩した。
 大輔とは絶交したい。こんな常識のないやつだとは思ってもなかった。仕方なくも横に目をやる。
「待たない」
 さすがの大輔も僕のそっけない態度に嫌気が差したのか、むすっとする。
「いーよ、いーよ。一人で行きたければ行きゃーいいじゃん」
「そうさせてもらうよ」
 今まで感じたことがないほどはらわたが煮えくり返ってる。周りから見ればすごく些細なことなのに、ここまで怒りを感じるのは昨日のこともあるんだと思う。自分ができてないことを他人に高説しといて、自分はできてなかった。自分に甘く、他人に厳しい自分が嫌いにもなるし、そう言った相手――大輔も嫌いになった。
 さっき、大輔に本音を言えなかったのはこれ以上関係を壊したくなかったからだと思う。今もこうして距離を取ってるのはお互いの本音をぶつけ合ってこれ以上関係を壊したくないから……なんだと思う。すごく自分勝手で大輔に絶対嫌われた。もうお互い干渉しない方が良いんだ。
 俯きながら歩いてると、足元が何かの影で暗くなって次の瞬間頭に痛みが走った。
 こわい。
 なぜか分からないけど即座に本能がそう悟った。頭を押さえながら恐る恐る顔を上げてみると、そこにはこわもてのヤンキーではなく、優しそうな風貌をしたサラリーマンが立っていた。どうやらケータイで電話をしてたらしく注意力が散漫だったみたいだ。まだ電話が終わらないらしく、口元を動かしてるけど、僕に向かって空いてる手を顔の前に置いて頭を下げる。思わず僕も「すみません」と言いながら頭を下げる。とても気まずい空気で、ここだけ流れが止まってるみたいだ。周りを見ると足早に目的地へ向かう人がすれ違ってる。邪魔になるだろうけど、ここから動いたらこのサラリーマンにも失礼だと思って足を動かせなかった。
 やがて電話を終えて「ふぅ」と一息吐いた。
「本当にすみません。動揺してたもので、周りが見えず……いや、何も言わない方が良いか。すみません」
「い、いえいえ。こちらこそ俯きながら歩いてたから人と当たってもおかしくないです」
 恐縮しあってしまって、無言の空間になってしまった。こんなことしてたら大輔に追いつかれちゃうけど、言い出せない。サラリーマンはハンカチで汗を拭ったりするだけで動き出す気配はない。
 やがて、
「せんぱぁーい。まだここだったんッスか」
 緊張感の欠片もない間抜けた声を出したのは、伊藤か。助かった。これでスルリとこの場から抜けられそうだ。
「お、伊藤じゃん。行くか。それじゃあ失礼します」
「あ、はい。失礼します」
 一礼してサラリーマンの顔を見ると、何か言いたそうにしてる。なんだろう。
「あの、何か?」
「今日って中総体だよね? 頑張ってね」
 全てを吐き出したのか、満面の笑みを浮かべる。ちょっと不気味だ。通行人同士がぶつかっただけでそんなことを言われるなんて。とりあえず「はい!」と元気よく返事をしておいた。伊藤は一礼から返事まで僕を真似てた。本当かわいいやつだなぁ。優しいサラリーマンに別れを告げて、少し離れると伊藤が悪戯っぽく話しかけてきた。
「今日の先輩は朝からおかしいッスけど、今のは極端におかしかったッス」
「そんなことないよ、いつもどおりだって。それより一緒に来てた他の人たちは?」
「おれ以外の人は先に行っちゃったッス。おれは日比谷先輩を置いていけないッス!」
 なんと嬉しいことを言ってくれるんだ、この子は。僕なんかを見習っちゃって……。そういえば昨日も
 ――じゃ、来年は先輩と一緒にバスで行こっと
 なんて言ってたけど、軽い心変わりじゃなく僕を慕ってのことだったのか。なんだか伊藤とは仲良くなれそうな気がする。大輔……なんかより。
 伊藤が不思議そうにこちらを見つめてくる。
「ため息なんかついちゃってどうしたッス?」
「え、ため息なんてついた?」
 無意識のうちにため息をついてたのか。さっき大輔とケンカ寸前のことをやってしまって、後悔してるのかな。でも……思い返すとやっぱイライラする。今日は考えないようにしよう。
 試合会場まで伊藤と話をしてると趣味が見えてきた。車が好きでその延長線上に電車があるみたいだ。だからさっきあんなに興奮して話してたのか。
 伊藤の人柄も見えてきたところで、目的地も見えてきた。昨日と同様に緊張が高まる。でも今日は出場なんてないだろうから昨日よりは気楽だ。
「今日は助川先輩が出るんスかね?」
 唐突に大輔の苗字を出されて、落ち着いてきた心にまた苛立ちが募り始めた。
「……うん、そうなんじゃないかな」
 あいつのことなんて考えない、考えない。
 か細い声で返すと伊藤が理解できないといった風情で聞き返してきた。
「仲が良くても分からないことってあるんッスかねぇ?」
 独り言のようにも聞こえるけど、僕に答えを求めてるようにも聞こえるので仕方なく答える。
「誰だって隠したいことってあると思うよ。伊藤にもあるでしょ? 言ってくれないと絶対に分からないから、心を開いてくれるように日々努力だよ」
「ってことは日比谷先輩は助川先輩とそんなに仲良くないんッスか?」
 それとこれとは別問題だとは思うけど、核心を突かれよく考えてみる。最終的には顧問が決めるんだろうけど、僕の代わりの人に声掛けぐらいはするだろう。大輔は何も言ってなかったし、そんなそぶりも見せなかったな。何より、僕に過去のことを話してくれてる。仲良くないなんて言えない。だけど今は――。
 声に出さないで頷く。
「えぇ〜。あれだけ仲良さそうに見えるのに、実はそうじゃないんッスか……。おれ、先輩と仲良くなりたいのに初っ端からハードル上げすぎッス」
「一年間は大丈夫だよ。でも付き合って一年も経つと相手の嫌な部分が見えてきて……」
「どうしたッスか?」
 思わず言葉に詰まった。今は「その時期」なんじゃないのか?
 一年の頃は腹の探りあいだったけど、二年になって何でも言い合える仲になった。だから調子を合わせてたのもズレてきて、柔軟に形を変えてた歯車も噛み合わなくなってきた。大輔とは性格が正反対みたいなものだ。僕とはやっぱ馬が合わなかったんだ。そんなこと出会ったときから分かりきってたことだ。今もまだ苛立ってる。
 だけど……だけど、このまま縁を切ってしまったらその後がこわい。クラスは同じだから毎日顔は合わせるし、部活でも会う。こんなに僕が人間関係のことでこわがってるのは誰も知らない。秘密だ。大輔との今の関係はフェアじゃないよな。僕が一方的に大輔の「過去」を知ってる。だったら僕も自分の「過去」を話すべき……だよな。
「せんぱぁーい。もうみんな着いてるみたいッスよ。早く行きましょ〜」
 間近に見える高校の校門には見慣れた顔ぶれが揃ってた。……もちろん、大輔も。気が乗らないながらも伊藤が早足で行くので僕も早足でみんなの下へ向かった。

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