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手が届くなら我(5-5)

「そうよね、お母様ったら話がわっかる〜」
 そんなかしましさの中で僕の意識は戻った。寝覚めから最悪だ。なんか腹も減ってきた感じだし。今のうるさい声はあの養護教諭で、本当にあの人は教育の現場に居ていいのかと思ってしまう。カーテン越しに聞こえる会話は更に弾む。
「男の子って案外弱いのよね。精神的にも肉体的にも」
「そうそう。ここは保健室なのに傷や病気以外にも心理面で相談してくる子が多いんですよ」
 切切とそう語ってるけど、ここに男子中学生が居るということを忘れないで欲しい。そういえば先輩と大輔はどっか行ったのかな。二人の声しか聞こえないけど……というか養護教諭じゃない方の声は前にどこかで聞いたことがある気がするぞ。
 寝てるときに体勢が変わったのかベッドに横たわってるので、ひとまず体を起こそうとすると男の人の声がした。
「そうなんですよ。女子の部活は怒って伸ばせ! と言いますけど、男子は褒めて伸ばせ! と言うんです。男子は怒られるとやる気がなくなっちゃうみたいなんですよね」
 一秒たりともつっかえないまま意気揚々と話したのはきっと顧問だ。こんなぶっちゃけトークを本人たちが居る前でやってたら人間性を疑う。二人はもう帰っちゃったのかな。これ以上長居するのも迷惑そうなので、起き上がって床にある緑のスリッパに足を通した。音を極力出さないようカーテンをゆっくり開ける。立ち上がると目がくらんで視界がぶれた。やっぱ完全には治ってないか。
 話し声がする部屋の中央を見ると、思ってたとおりだった。顧問に養護教諭、そして……先輩のお母さんがお茶を飲んで一服してた。僕に背を向けてる顧問と先輩のお母さんは気づかなかったが、向かい側に居る養護教諭は気づいたようで立ち上がって近づいてくる。
「あら、もう立って大丈夫?」
「たぶん」
 ぼそっとそう言うと、僕の存在に気づいた顧問と先輩のお母さんも立ち上がってこちらを見てくる。三人に視線を集められるとちょっと緊張するな。先輩のお母さんも近づいてくる。
「翔平くん、倒れたみたいだけど大丈夫?」
 そうか、この人には聞こえてなかったか。
「たぶん、大丈夫です」
 今度は顧問が近づいてくる。なんなんだよ、もう。
「疲れは取れた?」
「おかげさまで」
 見事に三者三様だ。まぁ無理もないかな。三人とも立場や僕との接点、僕が倒れたときの状況の認知具合と全てが違うからな。養護教諭が今まで顧問が座ってた長椅子の端をトントンと叩く。
「まずは座って。お母様はご子息とその友達の助川くんを呼んできてくださるかしら?」
 し、仕事モードだ。さっきとは大違いな話し方。僕に聞かれたって思ってないのかな?
 先輩のお母さんは返事をして保健室を出て行った。保健室に残ったのは顧問と養護教諭か。何か話でもあるんだろう。……僕の体調とか明日のこと、とかかな。養護教諭に指示された椅子に着席する。
 二人ともテーブルの上に手を置いて指組みをしてる。僕だけは手を膝の上に置いた。養護教諭は神妙な面持ちになり、ピリピリとしたムードで話は始まった。
「もし明日も翔平くんを試合に出すというなら、養護教諭としてはやめて頂きたいと思ってます」
「こう何度も倒れられたら貴校に迷惑でしょうし、何より翔平自身も自信を持てなかったり、将来にトラウマを残すかもしれません」
 二人とも真面目だ。さっきまでのあの能天気な人たちとは思えない。顧問はもちろんだけど、この養護教諭も僕のことを真剣に考えてくれてたんだ。ちょっと嬉しい。養護教諭は僕たちに向けてた視線を間にある木目のテーブルに移す。僕は思わずその視線を追ってしまう。手から伸びる影が長い。
「ですが、翔平くんはここの生徒ではないので、強制はさせられません。なので私個人としてお願いします」
 伏せてた視線を僕に向ける。相変わらずトーンは低い。
「でも翔平くんがどうしても出たいというなら、顧問とよく相談して体調に異変が出たらすぐに申し出れば今日みたいに倒れるまでは行かないでしょう」
「分かりました。貴校の生徒でもないのにこんなに親身になって考えて頂いてありがとうございます」
「いえいえ。若いのにあなたも苦労しているようで」
 養護教諭も十分若いと思う……。ここで少し愛想笑いが出ると、短く二回ノック音がした。張り詰めた空気が緩和されてく。
「どうぞ」
 そう言われてすぐに開かれた扉の先には大輔と、先輩が居た。遅れて先輩のお母さんも入ってくる。大輔は早足でこっちまで来て後ろから抱き付いてきた。人目があるところではあまりやらないで欲しい。
「心配したんだぞぉ。これから寝たきりの生活になるんじゃないかって」
「いやいや、それはないから」
 続いて僕が座ってる長椅子の隣に先輩が来る。座った状態で見上げるとすごく大きく見える。
「よっ」
「よよ、よっ、です」
 僕を手で押し退けて無理やり座ってくる。目線が同じ高さになった。先輩に直視されると緊張してしまう。
「どうしたのこわばっちゃって。俺そんなに怖い?」
「こわくはない、ですけど……。怒ってたりしてませんか?」
「怒ってる? 何に対して?」
 あっけらかんとした様子で聞き返してくる。まさか自覚がないのか? それとも僕の思い込みだったのか?
「僕に対してですよ」
 そう言うと先輩は親指と人差し指で目頭を押さえる。考えるってことはやっぱ僕の被害妄想だったのか……。数十秒考え込んだ末、僕を見て
「ない」
 きっぱり言われた。
「俺も混ぜてくれよぉ。寂しい」
「そういう話は車の中でお願いします。さ、そろそろ帰らないと暗くなってきますよ」
「先生それはないって。まだ夕日にもなってないだろ」
「とんでもない。夜になるのはほんとにあっという間ですよ」
「ふーん。じゃ、かえっか」
 大輔の独断で帰ることが決まってしまった。別にそれでも良いけど。……ん。なんか今の会話おかしいな。
「もう夕方近いんですか?」
 顧問や養護教諭に向けた質問だったのだが、大輔が答えた。
「何言ってんだよ。昏々と眠り続けてただろ」
「昏々と、ってどのぐらい?」
「一回目に起きたのが昼過ぎで、今は午後五時。四分の一日ぶっ続けで寝てたといっても過言ではないな」
 ショックだ……。まだおやつ時だと思ってたのに。まさか
 ――そーよ。ここから駅まで歩けるようになるなんて夕方まで眠りこけてもムチャよ
 これが本当のことになるとは思ってもみなかった。寝る前からある倦怠感はまだ残ってるし、足取りもおぼつかない。こりゃ体力つけないとダメだな。
「お前らぼやぼやしてないで帰るぞー」
「はーい!」
 いつの間にか出口近くに動いてた先輩に呼ばれた。すぐに立ち上がって早足で行こうとすると
「おっと」
 足がふらついてこっちを見てた大輔が抱きとめてくれた。ゆっくりと体勢を立て直してくれて再び長椅子に座らされ、大輔に説教を受ける。
「いきなり倒れてずっと眠りこけてたんだから自分の体をもっといたわれよ。というかわかれよ。お前が前に言ってたことそっくりそのまま返してやるぜ」
「え、なんのこ」
 真剣な顔つきになって

「翔平は自分のことをちゃんと見てるか?」

 どこで言ったことかすぐに思い出して、何も言い出せなかった。畳み掛けるように大輔は続ける。
「自分のこともちゃんと見れないようなやつが他人のことまで見るのはおこがましいんだよ」
 全くそのとおりで僕に言えることは何もない。
 自分の実力は分かってるつもりだった。先輩の調子がいくら悪いと言っても僕のまずまずの状態じゃ拮抗してる。僕は今日の試合で先輩のことをある種見下してたのかもしれない。ボールが回ってこないのはつまり信頼されてないってことで、それがどれだけつらいことか分かってなかった。今日は良くても明日にはダメになるかもしれない。一度芽吹いた疑念は簡単に取り払うことはできないから。
 息苦しい。……僕と大輔以外に四人も居るのに誰も話そうとしない。重い沈黙が漂い始めると、陽気な声が背後から聞こえた。
「翔平くん。相手への気遣いとかなんだで疲れが溜まってたでしょ? そして今日は中総体で緊張して眠れなかった。貧血を起こすのも無理ないわ。翔平くんは細いし尚更ね。明日の朝はきちんと食べてくること。明日は……会わなければいいね」
 頭を優しく叩かれ、視界の端に柔らかく微笑んだ養護教諭が居た。太陽のように明るくて優しい。前言撤回。養護教諭はこの人の天職だ。
「んじゃ、そろそろ帰りなさい。私も事務作業があるんだから、ほれ、しっしっ」
「せんせぇー翔平には優しいのに俺には優しくない。差別だ」
「私はあなたの先生じゃないし、病人に優しいのは当然のことでしょ」
 大輔と養護教諭の掛け合いに小さく笑い声が響く。この養護教諭は場を和ませてくれる本当に良い人だ。一期一会にしたいけど、また会ってみたいという気持ちもある。そのときは生徒と養護教諭という立場で。
 養護教諭にはお礼だけじゃ感謝しきれないほど良くしてくれたけど、僕にはお礼しかできない。何度も頭を下げて感謝の意を示した。


 顧問は生徒の親の車に同乗するのが見つかったらヤバいということで別行動になった。車中では保健室での重い雰囲気を引きずってたけど、大輔が和やかな雰囲気を作ってくれた。大輔って湿っぽい雰囲気が嫌いだからな。しかも自分でそんな雰囲気を作ったようなものだから、今回は若干無理してる感がある。だけど僕が何か言い出したところで雰囲気を悪くするだけだ。大輔には申し訳ないながらもそのままで、先輩のお母さんに学校に送ってもらった。車から降りてドア越しに先輩のお母さんと話す。
「遠慮しなくても良かったのに」
「そんな手間を掛けられませんよ」
「そこまで言うならしょうがないわね。それじゃあお先に」
 先輩のお母さんは闊達に笑うと夕日のせいか笑顔がまぶしく見えた。ドアの窓を閉めると車を走らせる。引き際をわきまえてるな……。しつこい人だと無理にでも送っていくからな。そうやって借りを作ると貸しを返すまでが気まずい。
「とりあえず昇降口に行ってみよう。今日の結果が張り出されてると思う」
 先輩の一声で、道中一度も言葉を交わさないまま昇降口に向かった。大輔も疲れちゃったのかな。僕たちとは気心が知れてるから無理にテンションを上げても意味ないんだよな。
 昇降口に張り出されてる掲示物を見る。男子バスケはもちろん勝ってて、女子バスケも勝ち上がってるな。点数だけを見ると接戦だったみたいだ。僕が寝てたときのことか。先輩と大輔は知ってたのかな?
「女子バスケ勝ってますね。僕たちとは関係ないですけど」
 先輩と大輔は顔を見合わせた。なんなんだ、やっぱ知ってたのか。先輩は女子バスケの点数のところを指差しながら得意気に話す。
「この試合は白熱したよな。第1ピリオドでかなり点差をつけたんだが、その後ジリジリと詰められながらも何とか逃げ切ってな」
「間近で見てたから興奮したなあ」
 おいおい。実際に見てるのか。僕も混ぜて欲しかった……って、僕は寝てたんだから無理だ。というか僕がこうして倒れなきゃ直帰しただろうからいずれにしても僕は見れなかったのか。見てみたかったな、女子の試合。先輩は掲示物の左上の方に視線を移した。
「野球は……っと。勝ってるな」
「複雑な心境ですか?」
「そうだな。野球部にも勝って欲しいが、佐藤に負担を掛けたくないし」
 どうして二人は別れたんだろう。理由が見当たらない。相思相愛みたいだし、円満に別れたのか? 恋人としては無理だけど、友達としてなら……みたいな感じなのかな。でもそれだと未練が残りそうだよなぁ。恋ってよく分からないや。
「さーて、かえっか」
 そう言って先輩は僕の方を向く。顔を長い間見つめられてちょっと恥ずかしくなってきたとき、先輩の口が動いた。
「全然気にしてなかったけど、大丈夫だよね? 翔平」
「大丈夫です。あれだけ寝てたんですから」
「本人がそう言うなら大丈夫か。ほら、大輔も不貞腐れてないで話そうぜ」
 保健室でのことを気に掛けてるのか、今まで僕と大輔は一言も交わさなかった。そんな状況を察してくれたのか先輩が手を差し伸べてくれた。明日もし僕と大輔が同じコートに立ったら気まずい雰囲気になるだろうからそれを危惧してのことなのかも。大輔とは少し身長に差があるので必然的に上目遣いになる。ほんの少し、気持ち程度だけど。
「偉そうなこと言ってごめんな」
 その一言はズシリと重く感じた。さっき言ってたことに従ってるんだな、って直感した。
「僕の方こそ。あんなに自分のことが分かってないなんて思ってなかった。ずうずうしいんだな、僕って。気づかせてくれてありがとう」
 先輩と大輔は再び顔を見合わせて、今度は笑い始めた。いったいなんなんだ今日は。僕だけ仲間外れみたいで嫌だな。
「翔平がずうずうしいんだったら、俺らは『超ずうずうしい』ってことになるよ。あんま気にすんなって。そうでなくても翔平は他人に知らず知らずのうちに気遣ってて、そのうち疲れが溜まるんだからさ、友達と一緒にいるときくらい肩の力を抜け。じゃないと若白髪に悩まされるぞー」
 ――友達。それは僕の一番欲してるもので、手に入れたら絶対に手放したくない。そのために相手のことを過分に気遣ってきた。でもそれは間違いだったんだって今日思い知らされた。相手と相性が合わなかったら切ればいいだけ。そうしなかったのは、そうできなかったのは僕に勇気がないから。
 自分に有益なことがないのに付き合うなんてバカみたいだ。「求めるもの」と「求められるもの」があるから一緒に行動する。僕は「求められるもの」だけを追求してきた。相手には有益なことばかりで僕にはほぼ無益、不釣合いなのに僕が友達と付き合ってきた理由……人に見放されるのがこわいから。一度作られた関係が壊れるのはもう見たくない。
 先に歩いてる二人の影を踏みながらそう考えてると先輩の声がした。
「翔平、考え込んでどうした?」
「なんでもないです。ちょっと考え事が」
「無理するなよ。今日は頭を酷使しちゃいけない」
「隆先輩、翔平の考え事って大概どうってことない悩みとか、話してくれない考え事だから訊いても意味ないですよ」
「そっか。じゃ、訊かない」
 うぐ……。大輔ぇ、先輩に妙な入れ知恵はしないで欲しい。でも前に一度言われてから変わってないんだよな、この性格。今はそんなことより……。「肩の力を抜け」って、僕が大輔に言ったことだ。その日、僕は言ったんだ。
 ――僕が言えるような立場じゃないかもしれないけど、大輔は自分のことをちゃんと見てる?
 と。その日言ったことが二人からそっくりそのまま返されて、何も言い返せなかった。気張りすぎで心がボロボロなのは僕の方だ。人のことをあーだこーだ言う前に自分の立場をちゃんと分かってなかった。わきまえろよ、少しぐらい。あの日のことが思い返されてすごく恥ずかしくなってきた。
 自分の気持ちに率直になろう。

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