手が届くなら我(5-3)
相手はM中で、市内の外れにある学校だ。名前は聞いたことあるけど、実際にこうして相対するのは初めてだ。もしかしたら来年も同じ組み合わせになるかもしれないから二年生の動きはバッチリと見ておこう。……そんな余裕なんてないだろうけど。
アップが終わって整列すると審判員の人が掛け声を出す。
「礼!」
「よろしくお願いします!」
あったな。選手心得に「試合は礼に始まり礼に終わるよう心がけること」って。礼が終わると、十人ほどがチームベンチエリアへと下がっていく。部長が審判員と何かを話してる。ああ、通例のことだな。いつもベンチから見てるから今日は何もかもが新鮮だ。その間に相手チームの情報を少しでも探る。平均身長は僕たちとあまり変わらなくて、相手チームの選手は総勢八人。きっと集まらなかったんだろう。僕たちの十二人でも少ない方なのに、八人なんて想像できない。半分以上がスタメンだぞ。これが初のスタメン試合になる僕にとって場慣れしてるのは脅威だ。一試合通して出たことはもちろんないから、体力面にも不安はある。せめて先輩たちの足手まといにだけはならないようにしよう。
考えがまとまったところでちょうど準備も終わった。僕はというと、あと五分は欲しい。何十回深呼吸したか分からないぐらい無意識のうちに深呼吸をするようになってしまった。このままだと落ち着きすぎてしまって試合にならない。さっきのアップで身体を程よく動かしたから、ある程度の緊張も取れてしまったし。そうだ、さっきの先輩の言葉を思い出してみよう。
――我を殺して相手を生かせ
どういう意味なんだろう。そりゃバスケはチームプレイが鍵になる競技だけど、時と場合というものがある。自分で行った方が良いときもあるだろうし、他人に任せた方が良いときもある。この言葉は「時と場合を見極めろ」と遠回しに言った結果なのか、分かったぞ。……なんだか釈然としないけど、まぁいいや。今は試合に集中しよう。
ポジションに就いた先輩たちと目配せをする。部長は第1ピリオド開始時にジャンプボールするため、少し遠い位置に居るのでできたかどうか微妙なところだ。
審判員がボールを脇に抱えて、笛はもう口にくわえてる。いよいよ始まるか……。深呼吸をすると、審判員はボールを手のひらに乗せて高く放り上げたと同時に笛を鳴らした。
――よし、ボールがこっちに回ってきた! 横目で状況を確認しつつ、ひたすら前へと走る。小谷先輩の手に渡ったボールはドリブルをすると吸い付くように手のひらに収まる。相手をかわしつつ前まで持ってこれたがマークが厳しいのでシュートできる気配がない。すると近くに居た芳野先輩に目線を合わせず、すっとパスを出した。驚く様子もなく冷静に受け取って即座にシュートをすると、すんなりと入った。そうか、小谷先輩のマークが厳しい分、他は緩いから小谷先輩にあまり回さないようにすればこっちのものだ。気づかれたら終わりだけど。
って、そうこうしてるうちに自陣まで持ってかれてる。身長だけが取り得の部長がマークに入ってるとはいえ、横の動きには弱い。僕たちもパスされたときのために万全の体制で待ってよう。
……ぽす。ああああ、裏の裏を読まれてそのままシュートされた!
入れたら入れられを交互に繰り返し、ほぼ互角の戦いだ。そんな中1点リードされてる場面でゴール前のアウトサイドに居たところ、真ん中を突っ切ってきた小谷先輩からボールが回ってきた。前には一人、ここからシュートを放てば3点だ。一か八か賭けてみる価値はある! 息つく間もなくジャンプしてシュートを放つ。ボールは放物線を描き、引き寄せられるようにリングの中に入っていった。やった、これで逆転だ! しかもスリーポイントシュートを決めたのは試合では初めてだ。
相手のフリースローまでの僅かな間に小谷先輩の方をちらと見ると微笑んだ。そうだよな、試合中は他人のことを考えてる余裕なんかないよな。
拮抗した状態のまま笛が吹かれ第1ピリオドが終わった。そういえば、ラバーブレスはあまり気にならなかったな。ベンチに引き返して顧問の指示を聞く。試合開始までは冷静沈着だったけど、試合中は目の前のことをやるので精一杯だから気づいてないことを言ってくれるので非常に助かる。指示が終わったところで顧問は覇気なく言い添える。
「それにしても予想外でしたね。M中がこんなにも手強いなんて……。明日のことばかり考えていて、先生うかつでした」
小谷先輩は黄色いフェイスタオルで汗でしっとりと濡れた髪をガシガシと拭きながら応える。
「そんなこと言ってても何も始まらないぜ先生。今は目の前の相手をどうにかする。それだけ」
「隆太くん……。分かりました。くよくよしてても始まらないですよね」
顧問は先輩のことを「隆太」と呼ぶ数少ない人種だ。
明日の試合はT中の三年生とこの物腰が柔らかい顧問にとって因縁の相手らしい。だから先輩たちはそっちのことしか考えてなかったんだろう。因縁か。「因縁」と言う割りに先輩たちは口々に話したりしないので今まですっかり忘れてた。いつも温和な顧問もこの話になると目の色を変えるぐらいだからな。話したくないほど因縁深いんだろう。
第2クオーター開始の合図が笛の音で知らされた。このピリオドで少しでも点差を広げたいところだ。大げさに息を吸って強く吐き出して気合を入れなおすと、後ろから肩を叩かれた。
「うえっ?」
「そんなに驚くなよ」
「ああ、小谷先輩でしたか。失礼」
先輩は斜め上に視線を向ける。
「翔平ってスリーポイント決めたの初めてだっけ。だとしたらおめでとう」
「あ、ありがとうございます」
直視されてないし、抑揚もなかったけどいきなりほめられてちょっと戸惑ってしまった。視線を合わせないのは恥ずかしいからなのかな。僕だって人のことを本気でほめるときは恥ずかしくなるもんな。冗談なら直視しても言えそうだけど。ということはお世辞とかそういうのではなく本音だったんだろうな。
審判員に早くコートに入るよう促される。あ
「ごめんなさい」
待たせてるようだった。ファールをとられるかと思ったが、そこは市の大会でしかも第一試合ということで大目に見てもらった。審判員に「今度からは注意するように」と言われただけで終わった。さすがに二度目はないだろうし、もっと意識を高めていかないとダメだな。僕はこうしてスタメンとして出てるんだ。出られないみんなのためにもきっちりしよう。
審判員が笛を鳴らし、第2ピリオド開始だ。相手チームがすぐにフリースローをする。着々とこちらの陣まで持ってきて、今度は細かくパスで回して誰が決めるか分からない状況にしてきた。うぐぐ、さっきと作戦を変えてきたか。と、考えてると僕の前に居るやつにボールが回ってきて……シュートした。ワンテンポ遅れて反応してもダメだった。絶望したままバスケットゴールを見るとリングにボールが弾かれてその下に居た部長に回った。部長はセンターライン近くに居る小谷先輩にすぐさまパスを出す。第1ピリオドと違い、ほぼノーマークの中ドリブルをしていきそのままシュート。――決まった。小谷先輩はマークさえされなければ古今無双だ。されてても並の中学生レベルはある。
先輩の緊張がなくなってきて動きにメリハリがつくようになった。そしてこのピリオドが終わったときには7点差をつけてた。我を殺してとかなんとか言ってたけど、なんと言っても個人の力が大きい。
ここから第3ピリオドまでの十分間、集中力を継続させてないといけない。体が暖まってきてこれから! ってときにさっきのピリオドは終わっちゃったからな。顧問から今日は不測の事態がない限り、選手交代はしないって言われてるからこの緊張感を味わい続けなければならないのか。スタメンって案外ストレス溜まるなぁ。
「頑張ってんじゃん。まさかスリーポイントシュート決めるとは思ってもなかったぜ」
「大輔……。ありがとう」
すごく身にしみる。ただ単純にタオルを肩に掛けてくれただけなのに。労いの気持ちがこんなにもストレートに伝わってくるなんて久しぶりだな。極度の緊張に体と心が疲れてるからなのかな。今ならどんな些細なことにも心から癒されて、心から感謝できそうだ。まぁまかり間違ってもここで緊張の糸を切ってはいけないんだけど。
その後、顧問の指示を聞いてつかの間の休息をとった。
第3ピリオドももちろん選手交代はなし。そういえば相手側もずっと交代してないな。切り札なのか、それとも現在のメンバーが最善なのか。それより小谷先輩の様子がおかしいな。客席――そこまでの代物ではないけど、さっきから客席の方を見てソワソワしてる。もうすぐ試合が再開されるっていうのになんだろう。佐藤さんは野球部の応援で来られないみたいだし、そこまで何か気になることでもあるのかな。……もしかして今朝のことが関係してるのか。顧問も「平常心」とか言って励ましてたみたいだし。気になるけど、今話しかけたらさっきの二の舞だ。今度こそペナルティは免れない。なんか僕もソワソワしてきたぞ。
第3ピリオドは小谷先輩の動きに硬さが目立ってパスをするのも、受けるのにもミスが出始める。そして先輩の手に回ったと思ってもシュートの決定率が低い。明らかにおかしいぞ。交代した方が良いんじゃないかと思ってしまう。そんな調子のまま試合を進めてるとジリジリと点差を詰められ、第3ピリオド終了時には2点差にまでなってしまった。
クオータータイムのときに、言いにくいけど顧問に小谷先輩を交代するよう進言する。
「小谷先輩は調子が悪いみたいですし、交代したほうが良いのでは?」
顧問は眉根を寄せて険しい顔をした。顧問も悩んでるのかな。コートに向けてた視線を僕に向ける。
「そうしたいのも山々なんだけどね、隆太くんは最上級生なんだよ。もし交代してしまったら後輩に示しがつかない」
「でもこのままじゃ」
「やめとけよ」
呆れた声を出して横から入ってきたのは大輔だった。何を知った風に。僕が先輩の状態を一番良く知ってるんだ。今日はフル出場しない方が明日のためにもなる。なんたって明日は因縁の相手との対決らしいからな。今日はここで交代して英気を養った方が絶対に良い。その趣旨を二人に伝えると……憮然とされた。何でだ? 顧問が問いかけてくる。
「翔平くん、ここで小谷くんが交代して負けたらどうなると思いますか?」
「そりゃ、先輩の中学バスケの人生が終了。……って、それって」
「来年、翔平くんが同じ立場に立ったらどうです?」
顧問は微笑んだが、声のトーンが低くてこわい。僕が感づいてるってことは分かってるんだろう。それでもここまで言ってくるってことは僕の深層心理に刻み付けるためなんだと思う。
「交替した選手を恨む……ということはないでしょうけど、それからずっと後悔というかそんな感情を生むと思います」
言っててすごく理解できて、後悔した。
「さ、戻らないとまた注意されますよ。あ、今度はペナルティーかな?」
「頭冷やせよー。俺はいつでも準備できてるぜ」
二人の婉曲な励ましに苦笑いで応えた。顧問に背中を押されてコートに出される。
……正直言って混乱してる。さっきの話はよく分かった。だけど、どうやって試合を組み立てればいいのか分からない。小谷先輩は「我を殺して相手を生かせ」って言うけど、パスを回したところでシュートを決める確率は低いから他の選手――先輩たちに回した方が良いよな。
審判員が笛を鳴らし、第4ピリオドが始まった。
やっぱ小谷先輩の動きには硬さが残るから、その他の四人で回していくしかないか。この戦法でやってると小谷先輩へのマークが薄れていくから、相手が忘れたところでパスを回せば……。と思ってたけど、どうしてだか先輩たちは小谷先輩にもちゃんと回してる。調子が悪いなら使わない方が良いと思う。それでも使うって、勝利への執念ってないのか?
終了が近づくにつれて客席からの歓声が大きくなる。小谷先輩もみんなからパスを受けて、シュートを決める確率が上がってきたように思う。
残り時間は1分。点差は4点か。油断したら一気に総崩れだ。相手がシュートを決めてフリースローまでの僅かな間に気を引き締める。部長からのフリースローを受け取って、相手陣地まで持っていく。ここからシュートすれば3点だけど、勝ち急いじゃダメだ。シュートする絶好のポジションに居るのは小谷先輩だ。賭けてみよう。パスを出したとき僕の腕にラバーブレスが着いてるのを見て、先輩の声がふと頭を過ぎった。
――我を殺して相手を生かせ
その意味がやっと分かった気がした。
そしてラバーブレスを二つ着けてるのもなんとなく理解できた。
ああ、僕って最低だな。
自分がよければそれで良い。そんなの通じない。これで今日勝てたとしても小谷先輩はちっとも喜ばないだろう。今年最後の中総体だから調子が悪くてもお情けで出してもらってる。それなのにシュートを決められない。すごく歯痒い。そのくせ味方からパスを受けなければシュートする機会すらなくなってしまう。そしたら先輩の立場がなくなる。……僕は勝利に固執しすぎてたんだ。
その後の意識は曖昧で、誰がどんな動きをしたのかが記憶にない。勝ったのはT中だってことぐらいしか。終了を知らせる笛が鳴って――僕の視界は暗転した。
アップが終わって整列すると審判員の人が掛け声を出す。
「礼!」
「よろしくお願いします!」
あったな。選手心得に「試合は礼に始まり礼に終わるよう心がけること」って。礼が終わると、十人ほどがチームベンチエリアへと下がっていく。部長が審判員と何かを話してる。ああ、通例のことだな。いつもベンチから見てるから今日は何もかもが新鮮だ。その間に相手チームの情報を少しでも探る。平均身長は僕たちとあまり変わらなくて、相手チームの選手は総勢八人。きっと集まらなかったんだろう。僕たちの十二人でも少ない方なのに、八人なんて想像できない。半分以上がスタメンだぞ。これが初のスタメン試合になる僕にとって場慣れしてるのは脅威だ。一試合通して出たことはもちろんないから、体力面にも不安はある。せめて先輩たちの足手まといにだけはならないようにしよう。
考えがまとまったところでちょうど準備も終わった。僕はというと、あと五分は欲しい。何十回深呼吸したか分からないぐらい無意識のうちに深呼吸をするようになってしまった。このままだと落ち着きすぎてしまって試合にならない。さっきのアップで身体を程よく動かしたから、ある程度の緊張も取れてしまったし。そうだ、さっきの先輩の言葉を思い出してみよう。
――我を殺して相手を生かせ
どういう意味なんだろう。そりゃバスケはチームプレイが鍵になる競技だけど、時と場合というものがある。自分で行った方が良いときもあるだろうし、他人に任せた方が良いときもある。この言葉は「時と場合を見極めろ」と遠回しに言った結果なのか、分かったぞ。……なんだか釈然としないけど、まぁいいや。今は試合に集中しよう。
ポジションに就いた先輩たちと目配せをする。部長は第1ピリオド開始時にジャンプボールするため、少し遠い位置に居るのでできたかどうか微妙なところだ。
審判員がボールを脇に抱えて、笛はもう口にくわえてる。いよいよ始まるか……。深呼吸をすると、審判員はボールを手のひらに乗せて高く放り上げたと同時に笛を鳴らした。
――よし、ボールがこっちに回ってきた! 横目で状況を確認しつつ、ひたすら前へと走る。小谷先輩の手に渡ったボールはドリブルをすると吸い付くように手のひらに収まる。相手をかわしつつ前まで持ってこれたがマークが厳しいのでシュートできる気配がない。すると近くに居た芳野先輩に目線を合わせず、すっとパスを出した。驚く様子もなく冷静に受け取って即座にシュートをすると、すんなりと入った。そうか、小谷先輩のマークが厳しい分、他は緩いから小谷先輩にあまり回さないようにすればこっちのものだ。気づかれたら終わりだけど。
って、そうこうしてるうちに自陣まで持ってかれてる。身長だけが取り得の部長がマークに入ってるとはいえ、横の動きには弱い。僕たちもパスされたときのために万全の体制で待ってよう。
……ぽす。ああああ、裏の裏を読まれてそのままシュートされた!
入れたら入れられを交互に繰り返し、ほぼ互角の戦いだ。そんな中1点リードされてる場面でゴール前のアウトサイドに居たところ、真ん中を突っ切ってきた小谷先輩からボールが回ってきた。前には一人、ここからシュートを放てば3点だ。一か八か賭けてみる価値はある! 息つく間もなくジャンプしてシュートを放つ。ボールは放物線を描き、引き寄せられるようにリングの中に入っていった。やった、これで逆転だ! しかもスリーポイントシュートを決めたのは試合では初めてだ。
相手のフリースローまでの僅かな間に小谷先輩の方をちらと見ると微笑んだ。そうだよな、試合中は他人のことを考えてる余裕なんかないよな。
拮抗した状態のまま笛が吹かれ第1ピリオドが終わった。そういえば、ラバーブレスはあまり気にならなかったな。ベンチに引き返して顧問の指示を聞く。試合開始までは冷静沈着だったけど、試合中は目の前のことをやるので精一杯だから気づいてないことを言ってくれるので非常に助かる。指示が終わったところで顧問は覇気なく言い添える。
「それにしても予想外でしたね。M中がこんなにも手強いなんて……。明日のことばかり考えていて、先生うかつでした」
小谷先輩は黄色いフェイスタオルで汗でしっとりと濡れた髪をガシガシと拭きながら応える。
「そんなこと言ってても何も始まらないぜ先生。今は目の前の相手をどうにかする。それだけ」
「隆太くん……。分かりました。くよくよしてても始まらないですよね」
顧問は先輩のことを「隆太」と呼ぶ数少ない人種だ。
明日の試合はT中の三年生とこの物腰が柔らかい顧問にとって因縁の相手らしい。だから先輩たちはそっちのことしか考えてなかったんだろう。因縁か。「因縁」と言う割りに先輩たちは口々に話したりしないので今まですっかり忘れてた。いつも温和な顧問もこの話になると目の色を変えるぐらいだからな。話したくないほど因縁深いんだろう。
第2クオーター開始の合図が笛の音で知らされた。このピリオドで少しでも点差を広げたいところだ。大げさに息を吸って強く吐き出して気合を入れなおすと、後ろから肩を叩かれた。
「うえっ?」
「そんなに驚くなよ」
「ああ、小谷先輩でしたか。失礼」
先輩は斜め上に視線を向ける。
「翔平ってスリーポイント決めたの初めてだっけ。だとしたらおめでとう」
「あ、ありがとうございます」
直視されてないし、抑揚もなかったけどいきなりほめられてちょっと戸惑ってしまった。視線を合わせないのは恥ずかしいからなのかな。僕だって人のことを本気でほめるときは恥ずかしくなるもんな。冗談なら直視しても言えそうだけど。ということはお世辞とかそういうのではなく本音だったんだろうな。
審判員に早くコートに入るよう促される。あ
「ごめんなさい」
待たせてるようだった。ファールをとられるかと思ったが、そこは市の大会でしかも第一試合ということで大目に見てもらった。審判員に「今度からは注意するように」と言われただけで終わった。さすがに二度目はないだろうし、もっと意識を高めていかないとダメだな。僕はこうしてスタメンとして出てるんだ。出られないみんなのためにもきっちりしよう。
審判員が笛を鳴らし、第2ピリオド開始だ。相手チームがすぐにフリースローをする。着々とこちらの陣まで持ってきて、今度は細かくパスで回して誰が決めるか分からない状況にしてきた。うぐぐ、さっきと作戦を変えてきたか。と、考えてると僕の前に居るやつにボールが回ってきて……シュートした。ワンテンポ遅れて反応してもダメだった。絶望したままバスケットゴールを見るとリングにボールが弾かれてその下に居た部長に回った。部長はセンターライン近くに居る小谷先輩にすぐさまパスを出す。第1ピリオドと違い、ほぼノーマークの中ドリブルをしていきそのままシュート。――決まった。小谷先輩はマークさえされなければ古今無双だ。されてても並の中学生レベルはある。
先輩の緊張がなくなってきて動きにメリハリがつくようになった。そしてこのピリオドが終わったときには7点差をつけてた。我を殺してとかなんとか言ってたけど、なんと言っても個人の力が大きい。
ここから第3ピリオドまでの十分間、集中力を継続させてないといけない。体が暖まってきてこれから! ってときにさっきのピリオドは終わっちゃったからな。顧問から今日は不測の事態がない限り、選手交代はしないって言われてるからこの緊張感を味わい続けなければならないのか。スタメンって案外ストレス溜まるなぁ。
「頑張ってんじゃん。まさかスリーポイントシュート決めるとは思ってもなかったぜ」
「大輔……。ありがとう」
すごく身にしみる。ただ単純にタオルを肩に掛けてくれただけなのに。労いの気持ちがこんなにもストレートに伝わってくるなんて久しぶりだな。極度の緊張に体と心が疲れてるからなのかな。今ならどんな些細なことにも心から癒されて、心から感謝できそうだ。まぁまかり間違ってもここで緊張の糸を切ってはいけないんだけど。
その後、顧問の指示を聞いてつかの間の休息をとった。
第3ピリオドももちろん選手交代はなし。そういえば相手側もずっと交代してないな。切り札なのか、それとも現在のメンバーが最善なのか。それより小谷先輩の様子がおかしいな。客席――そこまでの代物ではないけど、さっきから客席の方を見てソワソワしてる。もうすぐ試合が再開されるっていうのになんだろう。佐藤さんは野球部の応援で来られないみたいだし、そこまで何か気になることでもあるのかな。……もしかして今朝のことが関係してるのか。顧問も「平常心」とか言って励ましてたみたいだし。気になるけど、今話しかけたらさっきの二の舞だ。今度こそペナルティは免れない。なんか僕もソワソワしてきたぞ。
第3ピリオドは小谷先輩の動きに硬さが目立ってパスをするのも、受けるのにもミスが出始める。そして先輩の手に回ったと思ってもシュートの決定率が低い。明らかにおかしいぞ。交代した方が良いんじゃないかと思ってしまう。そんな調子のまま試合を進めてるとジリジリと点差を詰められ、第3ピリオド終了時には2点差にまでなってしまった。
クオータータイムのときに、言いにくいけど顧問に小谷先輩を交代するよう進言する。
「小谷先輩は調子が悪いみたいですし、交代したほうが良いのでは?」
顧問は眉根を寄せて険しい顔をした。顧問も悩んでるのかな。コートに向けてた視線を僕に向ける。
「そうしたいのも山々なんだけどね、隆太くんは最上級生なんだよ。もし交代してしまったら後輩に示しがつかない」
「でもこのままじゃ」
「やめとけよ」
呆れた声を出して横から入ってきたのは大輔だった。何を知った風に。僕が先輩の状態を一番良く知ってるんだ。今日はフル出場しない方が明日のためにもなる。なんたって明日は因縁の相手との対決らしいからな。今日はここで交代して英気を養った方が絶対に良い。その趣旨を二人に伝えると……憮然とされた。何でだ? 顧問が問いかけてくる。
「翔平くん、ここで小谷くんが交代して負けたらどうなると思いますか?」
「そりゃ、先輩の中学バスケの人生が終了。……って、それって」
「来年、翔平くんが同じ立場に立ったらどうです?」
顧問は微笑んだが、声のトーンが低くてこわい。僕が感づいてるってことは分かってるんだろう。それでもここまで言ってくるってことは僕の深層心理に刻み付けるためなんだと思う。
「交替した選手を恨む……ということはないでしょうけど、それからずっと後悔というかそんな感情を生むと思います」
言っててすごく理解できて、後悔した。
「さ、戻らないとまた注意されますよ。あ、今度はペナルティーかな?」
「頭冷やせよー。俺はいつでも準備できてるぜ」
二人の婉曲な励ましに苦笑いで応えた。顧問に背中を押されてコートに出される。
……正直言って混乱してる。さっきの話はよく分かった。だけど、どうやって試合を組み立てればいいのか分からない。小谷先輩は「我を殺して相手を生かせ」って言うけど、パスを回したところでシュートを決める確率は低いから他の選手――先輩たちに回した方が良いよな。
審判員が笛を鳴らし、第4ピリオドが始まった。
やっぱ小谷先輩の動きには硬さが残るから、その他の四人で回していくしかないか。この戦法でやってると小谷先輩へのマークが薄れていくから、相手が忘れたところでパスを回せば……。と思ってたけど、どうしてだか先輩たちは小谷先輩にもちゃんと回してる。調子が悪いなら使わない方が良いと思う。それでも使うって、勝利への執念ってないのか?
終了が近づくにつれて客席からの歓声が大きくなる。小谷先輩もみんなからパスを受けて、シュートを決める確率が上がってきたように思う。
残り時間は1分。点差は4点か。油断したら一気に総崩れだ。相手がシュートを決めてフリースローまでの僅かな間に気を引き締める。部長からのフリースローを受け取って、相手陣地まで持っていく。ここからシュートすれば3点だけど、勝ち急いじゃダメだ。シュートする絶好のポジションに居るのは小谷先輩だ。賭けてみよう。パスを出したとき僕の腕にラバーブレスが着いてるのを見て、先輩の声がふと頭を過ぎった。
――我を殺して相手を生かせ
その意味がやっと分かった気がした。
そしてラバーブレスを二つ着けてるのもなんとなく理解できた。
ああ、僕って最低だな。
自分がよければそれで良い。そんなの通じない。これで今日勝てたとしても小谷先輩はちっとも喜ばないだろう。今年最後の中総体だから調子が悪くてもお情けで出してもらってる。それなのにシュートを決められない。すごく歯痒い。そのくせ味方からパスを受けなければシュートする機会すらなくなってしまう。そしたら先輩の立場がなくなる。……僕は勝利に固執しすぎてたんだ。
その後の意識は曖昧で、誰がどんな動きをしたのかが記憶にない。勝ったのはT中だってことぐらいしか。終了を知らせる笛が鳴って――僕の視界は暗転した。
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