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手が届くなら我(5-2)

 着替え……いや、控え室は体育館と併設されてる格技場ということになってる。体育館の会場の準備はもう万端のようで、真ん中に網がしなだれてる。奥が男子で、手前が女子か。T中の男女バスケ部は同じ会場でやるんだよな。といっても男子は最初の試合で、女子は最後の試合だから僕たちの試合中にT中女子バスケ部が来る訳もないので、見知ってる人は部員と顧問だけだ。知り合いに見られてると試合に出ないでも緊張するからな。「知り合いが居ない」という効果は侮れない。
 しかし、この体育館天井が高いな。床もピカピカでT中とは大違いだ。あ、中総体の試合会場に選ばれるぐらいだからしっかりしてるっていうのはさっき納得した話だった。
 会場の人と話してた顧問がこちらを向いて指示を出した。
「格技場ってとこはステージ脇を通るとあるらしいから、みんなは先に行って着替えておきなさい。先生は挨拶回りしないといけないので後から行きますね」
「はい」
 あ、挨拶回りってなんだ。「今日はよろしくお願いします」とでも触れ回るつもりなのか。T中の心象を上げようったってそう簡単にはいかない。……でも、こういった積み重ねが大事なのかな。先生まだ二十代だっていうのに偉いなぁ。まぁもしかしたら十年間お世話になる学校かもしれないから居心地は良くしたいのかも。
 先陣を切った部長の後を追って格技場なるところに行く。色々と邪推してたら僕が最後になってしまってた。


 真っ白でまっさらな観音開きの扉をくぐると、汗臭さがむせ返ってて吐きそうになった。思わず鼻をつまんで、臭いを外に出さないよう扉をきっちりと閉めた。大輔が不思議そうな顔をして寄ってくる。なんでだよ、この臭いを吸って平然としてるなんて。
「敏感だな〜。こんなの慣れっこじゃん」
「普通の反応だよっ。ここ、使われてないんじゃないの?」
「使われるとしても年に数十回程度だろうな。この季節だったら換気するだろうから、ここまで臭いはこもらないだろうし」
 そうなのか。だとしたらとても無駄だ。格技場とかいう割りにT中の剣道場と機能は差して変わらない。
 先輩たちはもう着替えをし始めてた。僕も慌てて着替えをして準備完了だ。やっぱノースリーブって滅多に着ないから肩がスースーするのに違和感を覚える。でも袖があるシャツと比べると軽くて肩の稼動も楽でバスケには最適の格好だ。
 そうだ。先輩に貰ったラバーブレスを着けよう。僕が買った黄色いのは昨日着けてみて結構デカくて試合に支障をきたしそうだということが分かったから持ってこなかった。先輩から貰ったのは単なる輪っかで、幅がないから重みもないし、上下に揺れてもあまり気にならない。街角のファッションではなく、試合中のファッションって感じだからこっちにした。言ってしまえば色も決め手だった。僕のは黄色一色で微塵もセンスを感じなかったけど、先輩のは赤と白が混ざり合ったところが綺麗で、目を奪われてしまったからだ。くれぐれも試合中には見ないようにしよう……。
 緊張なのかだんだんと口数が減ってきた先輩たちに対して、同輩と後輩は気楽に話してる。くそっ、僕も気楽な仲間の方に入りたい。
 深呼吸を何度もして心を落ち着けてるとやっと顧問が来た。試合のことなにも話してないぞ。大丈夫なのだろうか。ポジションはもう決まってるようなものだから、イメージトレーニングはできたけど……。今日、僕が就くポジションは試合では初めてだから今までとは緊張の度合いが違う。ずっと大輔が居座ってたんだけど、なぜか別のポジションに回されたんだよな。大輔には深く感謝しておこう。そうじゃなかったら僕がスタメンで出場なんてできなかった。まぁ僕自身も本来のポジションではないから不安もあるけど、ポジションなんてあってないものだ。
 顧問は後輩と少し話をした後、先輩たち四人と僕を呼んだ。ふぅ、試合……もうすぐだな。
 最初にポジションを言い渡された。昨日の練習試合どおりで変更はないと。されたらされたで、選手の心境とかに関わってくるから変えたくてもできなかったんだろう。とか思ってるけど、僕もこの状態がベストポジションだと思う。
 続いて試合の組み立て方を聞かされる。でも試合直前じゃ頭に入らない。もう心ここにあらずって感じなのにそんなこと言われても理解できない。……と感じてるのは僕だけなのか、先輩たちは熱心に聞き入ってる。そうだな、先輩たちの最後の試合なんだ。僕だけ呆けてるわけにもいかない。
 ミーティングは試合開始五分前に終わり、ギリギリまで話し合ったという感じだ。また円陣を組んで、決意を新たにして体育館へ入っていく。と思ったら
「翔平、ちょっとだけいいか?」
 小谷先輩に声を掛けられた。振り返ると先輩は自分のバッグの中をまさぐってた。背後から伊藤の呑気な声がする。
「せんぱ〜い、早くしないと遅れちまいますよ」
「分かってるって。すぐ終わるから」
「うい〜」
 伊藤が出て行き、格技場には先輩と僕だけになった。少し安堵が訪れると鼻をつく汗の臭いがまた強烈に感じられた。やっぱ、くっさいな。先輩は何かを手に握って僕に近づいてくる。あれは……リング?
「ラバーブレス、ですか」
「ああ」
 先輩は僕の手首に目線を持ってくと、眉をヒョイと持ち上げ
「お、着けててくれたんだ。嬉しい」
 頬を弛ませ笑顔を見せる。そんな仕種一つ一つがとても身近に感じられて気持ちが和らぐ。先輩が手に握ってるのは白と青の二色が合わさったものだった。形は僕が今着けてるのと同じか。
「それで、それがどうかしたんですか? まさかもう一個くれるとか」
「そのまさかだよ。ほれ」
 先輩はそう言って手に握ってるラバーブレスを僕の腕に通してくれた。これで二つか。ちょっと違和感があるけど、一つが二つになったところで差して問題はないだろう。
「ありがとうございます」
 お礼を言ったのに先輩は怪訝そうな目でこちらを見る。い、いいんだよな、これは。今は先輩と後輩の間柄だ。長い間見つめられると射竦められるじゃないか。思わず視線を逸らす。
「……無理してない?」
「し、してないですよ」
 先輩の顔を見るとまた頬を弛ませ笑顔になってた。なんか意味深に見える。
「そう。なら良かった。無理やり着けさせてるんじゃないかと思って」
「そんなことないですよ」
「俺がラバーブレスを二つ着けてる理由、知りたい?」
 唐突に先輩自らが核心に触れるような話題を振ってきてびっくりした。あまりの出来事に戸惑ってると体育館のスピーカーからなのか、やたら不透明な女性の声が流れてきた。
『九時より男子バスケットボールが始まります。選手の方はコートに集まってください』
「ヤバい。行かないと」
「ちょっと待った。これだけは訊いて」
 既に体育館に向かってた踵を返して、先輩の方に向き直った。口元が小さく動く。
「我を殺して相手を生かせ」
 真顔だった。そして初めて聞いたことだった。それからコートに向かうまで何度もその意味を訊いたが、含み笑いをするだけで答えてはくれなかった。言葉の意味を自分で考えろってことなのか。やれやれ、先輩は無茶を言うな。僕はその言葉を深く胸に刻みつけた。

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