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手が届くなら我(5-1)

 バスの時刻は事前にネットで調べておいて、バス停には十分前に着いた。別に電車でも良かったんだけど、家を少しでも早めに出て緊張をまぎれさせたかった。約十分待ってほぼ時間通りにやって来たバスに乗り、ちょうど左前輪のタイヤの上に当たる一人掛けの狭い座席に腰を落ち着けた。住宅地から市街への道をしばらく走ると、大きな交差点を左折しT中の前を横切る。そしてまたしばらくの間まっすぐ進む。信号で引っかかるといちいちアイドリングストップするため、はっきり言って乗り心地はあまり良くない。エンジン音と座席に伝わってくる振動が緊張をまぎらわせる特効になるのに……。エンジンが止まるたびに心臓がどうかしてしまいそうになる。
 順光にならないよう影でアナログ腕時計に目をやっても、窓から鋭く差し込む光でとても見にくい。見栄張らないで中学生らしく発光するデジタル時計を持ってくれば良かった。それで、時間は……バスに揺られ始めてからもう二十分ぐらい経ってる。時間には余裕を持ってるけど、ちょっと掛かりすぎだ。それもこれも全てはゴミ収集車のせいで、道路の真ん中で横転なんかするからだ。
 でも三車線ある内の二車線を占領してたから警察も交通規制さぜるを得なくなったのは好都合だった。それがなかったら混乱に巻き込まれて迂回しかなかった。運転手さんはベテランっぽいからこういった有事にも慣れてるだろう。そうじゃなかったら三十分ぐらい掛かってたかもしれない。不幸中の幸いと捉えるべきか。
 そうこうしてると、アナウンスが車内に鳴り響いた。
『次は、次、止まります』
 そっこーで押してやった。間もなくバスが止まって、バスカードを通すと運転手さんが声を掛けてくれた。
「逆、ですね」
「う……」
 ちょっと恥ずかしいぞ。慌ててカードを反転させて入れなおした。
「中総体? 頑張ってね」
「は、はい」
 思わぬところで声援を受けて戸惑ってしまった。なんだかお祖父ちゃんに元気付けられた気分だ。そう言うには少し年齢が合わない気もするけど、まさか言われるとは思わなかったので想像以上に嬉しかった。今日バスにして良かった。電車じゃ絶対こういうのないからな。降りてから右手で頬を触るとすごくほてってた。この分だとデコまで赤いかもしれない。しかもこの暑さだからすぐには抜けきらないだろう。
 初夏の日差しを浴びながら目的の会場を目指す。会場と言っても高校の体育館を借りる訳なんだけど。去年と同じ高校だから道には迷わない。一度歩けば覚えられるけど、住所だけ言われたらきっとたどり着けないんだろうなぁ。去年は二つ上の先輩たちと一緒に行ったから分かったものの、一人だったら絶対にたどり着けなかったと思う。そんなことを考えながら歩いてると駅が見えてきた。電車の方が高校にも近くて、運賃も安いから電車を使う方が賢明だ。でも、僕は少しでも早く家を出て緊張をまぎらわせたかったからバスにした訳だ。それに電車はあまり好きじゃない。バスと違ってすぐ着くし安いのは良い。だけど、都会育ちで人ごみは子どもの頃から慣れてると言ってもやっぱり嫌いだからバスの方が良い。すると、背後からドタドタとうるさい足音が聞こえてきて
「おーう、翔平。会いたかったよぉ」
 いきなり熱烈なラブコールを送ってきた。……それはもちろん、大輔だった。隣に寄り添ってきた大輔に渋々顔を向ける。
「人違いだったらどうするつもりだったんだ」
「間違うわけねーじゃん。俺たち何年来の付き合いだと思ってるんだよ」
「一年来」
「バッサリ斬るなあ、おい」
 先輩と大輔とはほぼ同じ期間付き合ってるのに、これだけ歯に衣着せぬ言動ができるのは年の差なんだろうか。年上を相手にするとどうしても改まってしまう。
「日比谷先輩、一人で寂しくなかったッスかぁ?」
 突然素っ頓狂なことを言い出したのは一年の伊藤だった。伊藤が居ることに素でびびったけど、いかにもクールに装う。
「寂しくなかったよ。むしろ集中できた感じ」
「そうなんッスか。じゃ、来年は先輩と一緒にバスで行こっと」
 一人だから集中できるんであって、話し相手が居たらそんなことはままならない。それにしても伊藤は心変わりが早いな。まだ少ししか付き合ってないから性格を掴みきれない。
 大輔に寄り付く伊藤の後ろには後輩二人も居た。なるほど、お前ら集団で来たんだな。仲間はずれにされた感があってちょっと悲しい。大輔を除いた同輩三人と先輩三人は固まって動いてるだろうから良いとして、小谷先輩はどうしたんだ? 先輩は集団行動好きそうだから喜び勇んで一緒に行きたがると思う。
「あれ、四人だけ?」
「それがなあ、誘ったんだけど、イマイチな反応しか示さなくて」
 イマイチな反応か。昨日の様子を見てればおかしいのは判然たる事実だ。でも、逆に気持ちをまぎらわせるために一緒に行くって方が違和感はないと思う。大輔はポケットから青色のケータイを取り出した。機種は前と変わってないな。それより
「ケータイ持ってきたのかよ。盗まれたり持ってきたのがバレても知らないぞ」
「いーのいーの。選手心得に記されてる中で持ち物に関しては定められてないし、万が一盗まれたとしても自己責任って書いてあっただろ。そしてその万が一なんて奇跡みたいな確率だろうし。持ってったのがバレたらそれまでの人生だったってことだ」
 ま、まぁそうだけどさ。大輔はなんてルールの網を掻い潜るのが得意なんだ。というか、選手心得をちゃんと読んでることに驚いた。絶対読んでるはずはないと思ってたのに。
「あった。これこれ」
「あった、って言うほど古いの?」
「いいから。つべこべ言わずに見る!」
 そしてケータイを押し付けられた。はぁ……予想はつくけど。
 液晶画面を見るとそこには思ったとおりメールの文面が開かれてた。えーと、送信者は……隆先輩、か。フルネームで登録してないんだな。日付は昨日で、時間は「18:32」か。あの後は先輩をあやすのに時間が掛かってしまって、帰ったのは十八時過ぎてたんだよな。となると、僕が帰って間もないうちだったのか。そりゃイマイチな反応してもおかしくないな。どれどれ、本文は。
 ――わり、明日は早く会場入りしたいんでパス
 この文が意味することは
「会場設営の手伝い」
「んなわけねーだろっ!」
 あっさり否定されてしまった。でも、そうなると他に考えられることってなんだろう。大輔にケータイを返す。僕たちが悩んでると、伊藤が意見を述べた。
「会場の下見とか?」
「それだ。さすがは隆先輩だな。試合直前まで準備を怠らないなんて」
 おいおい、それはないだろ……。利点がこれといって見つからないし、なんたって去年来てるんだぞ。下見する意味が全くない。
「お、そだな。伊藤あったまいい〜」
「そんなにホメんなよ。テレるじゃんか」
 僕を除く四人は、先輩が早く来た理由は「下見をした」で合致したようだ。他に考えられないからそうなるのは分かるんだけど、どうもしっくり来ない。先輩がいち早くあの高校に着きたかった理由……時間があったら訊いてみるか。
「お、あれだな。久しぶりだ」
 大輔が右前方を指差す。見えたと思ったら徐々に緊張してきたぞ……。後輩たちは出場なんて夢のまた夢だからそれほど緊張してないんだろう。無邪気にはしゃいでる姿が憎い。一年前の先輩もこういう気持ちだったのかな。小谷先輩は二年生でもうエースだったから、肩に圧し掛かるものは半端なかっただろう。今年は更に重圧が掛かるはずだ。しかも今年は恋人と別れたり、他にも色々あったみたいで精神面はボロボロだ。繊細な先輩を全力でサポートしよう。僕のことなんかで心配をかけないように。
 校門の前まで来ると、部長組の六人は着いてた。やはり……先輩は居なかった。一通り挨拶をすると、大輔が部長に疑問を呈する。
「そっちはもしかして行きも自家用車?」
「そうだな」
「えぇ〜。ずるいっすよ」
「ずるいも何も、七人乗りで運転手が入るから六人までしか乗れないんだ。帰りは隆の車に乗るんだから良いだろ。過ぎたことをとやかく言うな。部の決まりな」
「初めて聞いた」
 最後の一言には部員全員で苦言を呈するしかなかった。
 校門の前に十一人も男が居るのは邪魔極まりないので、先輩が先に行ってるという事情を伝えてとりあえず校内に入った。疑似体験入学みたいだ。それにしても立派な校舎だよなぁ。体育館もしっかりしてるし。あ、だから中総体の会場になるのか。前提を間違えてた。
 十一人で自然と輪になると、向かいに居る一年のリーダー格である伊藤が目を細めた。
「あれ、隆先輩じゃないッスかねぇ?」
 僕はまだ「隆先輩」とは一度も呼んだことないのに、こやつはもう呼んでる。……って、ちょっと待て。みんなの反応から一足遅れて後ろを振り向くと校庭が広がってて、見慣れた人影が見えた。あれは小谷先輩と……顧問か。緊張してる面持ちの先輩とは対照的に朗らかに笑ってる。顧問は先輩の肩を叩いて
「そんな緊張するなよ。ほら平常心、平常心」
 緊張をほぐそうとする顧問に先輩は更に身体を硬直させる。完全に逆効果じゃないか。そういうときは何も言わない方が身のためだ。二人はこちらに気づいたのか、顧問はにっこりと笑って手を振り先輩は一刻も早く走り出した。そんなに顧問が嫌いなのか、可哀想に。みんなに笑顔で迎えられる先輩は上機嫌そうだ。さっきまでの緊張感はどこへやら。僕も挨拶をする。まぁ、完全に緊張の糸が切れたって訳じゃないのは分かってた。顔がまだ引きつってるな。部長が先輩に声を掛ける。
「隆、今日は早かったんだな」
「……ま、まあな。早めに来て集中力を高めておきたかったんだ」
 嘘だ。本当なら視線をそらすなんてことはしないはずだ。
「それだけ試合に懸けてるのか。みんなも見習えよ」
「えぇ〜、部長に言われてもやる気が出ない」
「ははは。それもそうだな」
 笑ってかわしたよこの人! 普通だったら冗談でも、「後で話そうな、二人きりで」とか言うのに。部長って意外にも人格者なのかもしれない。
 全員揃ったところで、体育館に移動する。みんなと会って緩んでた緊張がまた高まってきた。なんか腹が痛くなってきたような気がする。考えないようにしてたけど、今日はスタメン……そう考えるだけで胸の高鳴りが早まる。ふと気づくと小谷先輩が隣に居た。
「どした? 顔赤いよ」
「な、なんでもないですっ」
 急に声を掛けられたので上擦ってしまった。先輩には心配をかけないって決めたのに。
「そう言う先輩こそさっきまで極度の緊張状態じゃなかったですか」
「……ああ、まあな」
 この話題を振ると、先輩はどうも口ごもるみたいだ。もしかしたらこれも先輩の精神状態を不安定にさせた一因なのか? それとも僕の考えすぎなのか……。
「今日、どうして早く来たんですか?」
「さっきも言ったとおり、集中力をだな」
「……嘘、なんでしょ」
 気づくよ、それぐらい。先輩は俯いた僕の顔を覗き込む。
「翔平?」
「だってこの話題に触れると先輩、口ごもるじゃん。それって言いたくないことだから」
 歩きながらそう言うと先輩の顔が視界から消えて、足音が鳴りやむ。気になって振り返ると先輩は立ち尽くしていた。伏し目がちになってか細い声を上げる。
「ごめん。今は話せない」
 我慢の限界だ。
「そればっかりだ。『今は話せない』って、いつになったら」
 そこでやっと気づいた。どんだけ先輩のことを傷つけてるんだよ。卑屈意識が湧き立つ。最低だ。先輩が今どういう心境なのかは僕が一番良く分かってる。裏切り同然。昨日の決意は薄っぺらだったんだ。感情に簡単に左右されるような弱い決意だった。……いっそ、先輩の前から消えちゃいたい。そうすれば絶対に迷惑掛けないのに。

「翔平、自分を責めないで。俺が全部いけない」

 先輩の優しさが耳にだけ伝わる。抱きしめられても、頭を叩かれてもいない。その分だけ先輩の言葉は大きく感じた。先輩が言ったことを全て鵜呑みにすることはできないけど、不思議なことに卑屈意識は湧き出てこなかった。僕は……また先輩の優しさに助けられたんだ。
「隆先輩、翔平来いよぉ」
 大輔の拍子抜けした声が聞こえる。いや、さっきまでが重々しかったからなのか。その方向を見ると、バスケ部のみんなが輪を作って待ってた。返事をして、欠けてる場所に先輩と並んで入る。なんとなく予想はできる。僕が思ってたとおりのことを大輔は言い放った。
「これから円陣組みましょう」
「え、えんじんっ? 初めて聞いたぞ」
 この状況で円陣だと感づかないのは大物だ。
「突発でも、部長ならみんなの気持ちを引き締めてまとめてくれるはずだよ、な?」
「うん」
 大輔と部長のやり取りに急に混ぜられて思わず生返事をしてしまったけど、本心だったりする。なんだかんだで、みんな部長に助けられてるところはあると思う。終始笑顔の顧問に見守られながら、十二人全員で円陣を組む。
 ああ、熱気がすごい。沸き立ってる。ボルテージマックスだ。特に右側が。左は大輔で、その後に続くのは同輩の三人。眼前には今年入ったばかりの後輩三人が居て、そして右側に先輩たち。こりゃそうなる訳だ。部長が膝に置いてた手を肩に回すと、全員が自然と肩を回して一つの輪になり、地面に映る影も一つに繋がる。本当に部長が居てこそのチームだ。大輔が威勢良く吠えた。
「どうぞっ、部長! やっちゃってください!」
 大輔が言うと疚しい、は心の中で留めておく。僕は集団の中じゃそんなKY野郎じゃないからな。部長はおごそかに始める。
「集中」
「おうっ!」
「行くぞ」
「ういっ!」
 みんな適当な返事でバラバラだったけどタイミングだけはバッチリだった。先輩の一人が僕が考えてたことと同じ部分を突っつく。
「返事がバラバラなのはT中らしいな。良い意味で」
「ま、そんなのはどうでも良いっしょ。気合が入れば無問題だ」
 小谷先輩がそうフォローを出すと、みんな口々に言いたいことを言い始める。かなりリラックスムードだけど、大丈夫なのかこれで。疑問を抱きながらも僕たちは体育館に入った。

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