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手が届くなら歯車(4-4)

 本番を想定しての練習試合が終わり、いつも使ってる黄色のフェイスタオルで汗を拭う小谷先輩。久々に他の先輩たちと話してるのを見た。真面目な顔つきで話してるから、連携等々の確認だろうか。先輩はアホ発言がぐっと減り、また前のように戻ったように見えた。というより、一点の曇りもない清々しい顔つきをしてる。今も佐藤さんとラブラブなのがどうも腑に落ちないけど、恋を知って一回り成長したのか。
 先輩は今日も大車輪の活躍だった。一人だけ実力が抜きん出てるが、パスが回らないとどうしようもないので、先輩に運ぶまでが重要だ。僕は先輩たち四人と同じスタメンチームだったけど、明日にはどうなるか分からない。いつものように控えからスタートするかもしれない。先輩と僕のポジションはぶつかるから、一度も先輩と同じコートに立ったことがない。今日は大輔がいつも入ってるポジションで入ったんだよな。
 先輩と試合で交わったのは、先輩が怪我で交代しなきゃならないときに交代したぐらいだ。そう考えると、大輔のポジションはぶつからないし、先輩とは良いコンビになりそうだ。まぁ始まったとしても中総体で始まり、中総体で終わるけど。
 小谷先輩は話が終わったのか、用具倉庫前に居る僕のところにのそのそと近づいてきて目の前で胡坐を掻いた。膝頭に肘をつけて頬杖をつく。日陰のせいもあるんだろうけど、瞳が虚ろに見える。
「ところで、俺の体重を訊いてくることに何か意味があったの?」
 何を今さら。というか中総体前日に訊く話? などと思いながらも答える。
「先輩ってがっちりした体格してるし、僕もまだ身長が伸びてるから、179センチになったときに参考にできないかなぁと思って」
「何の参考になるんだっ。だいたい、俺はがっちりじゃない」
 ジャンプの拍子にチラ見した先輩の腹筋はブヨブヨじゃなかったもん。本当に少ししか見られなかったから、割れてるとかそんな細部までは見れなかった。でも。頬杖してる先輩の右腕を崩すとその瞬間に顔が勢い良く落ちた。腕に負担掛けすぎです。崩れた右腕を手に取る。
「今だって露出してるこの腕。これをがっちりじゃなくなんと言えと?」
 そう言って僕は自分の右腕を出した。顔を元の位置に戻した先輩の右腕と並べる。予想はしてたけど……僕の腕ほそっ。さすが、大輔より5センチ高いのに同じ体重なだけある。
「がっちりっていうのは部長みたいなことを言うんだろ」
 先輩は目線も変えず、抑揚なくそんなことを言った。小谷先輩の後ろに目をやると、先輩たち三人が談笑してた。視界の端に大輔が後輩たちとじゃれてるのが見えた。ありゃ不幸自慢だな。後輩たちよ、不肖な先輩を持って気の毒だ。小谷先輩に目線を戻す。
「部長は確かにがっちりしてるけど、訊きにくい」
「俺なら良いのかよ」
 自嘲気味の頼りない声音。……想像してた反応じゃない。「そうだよな、俺には何でも訊けるよな」とかそんなノリだと思ってた。先輩は普通の感性を持ってないんだな、きっと。……あれ。アホな先輩と付き合ってるせいで、僕の感性が普通じゃなくなってしまったのか。
「ま、お前は身長が高い割りに、低体重だからもっと筋肉付けろ。っていうか、一緒に付けよう!」
「付けるったって、先輩はもう受験生じゃないですか」
「……あ、ああ。そう、だったな」
 身にしみたのか茫然自失としてしまった。今度こそ瞳が虚ろだ。ちょっとだけ可哀想だと思った。言い過ぎちゃったかな。中総体が終わってから現実を見たいものだよな。今の先輩にはキツい一言だったか。
「失言でした。今のは取り消してください。その記憶だけピンポイントに吹っ飛ばせれば良いんですけど」
「そんな簡単に忘れられたら誰も苦労しないって!」
 先輩にしては珍しく、ツッコミなのに実感に溢れてた。何か消したい過去でもあるのかな。……昨日、部長がいいかけたこととか。先輩は落ち着き払って短く呟いた。
「受験生か」
「まさか、このまま部活を続けたいとか言うんじゃ……」
「それはどうだろうな。もし明日からの市中総体で勝ったら、夏休み入ってすぐにある、県での中総体まで続けられるのはもちろん分かってるだろ?」
 視線を合わせてきた。頷く。
「俺はこの中学に思い入れがあるんだけどさ」
 そこまで言って先輩は俯いた。焦らさないでくれ。答えを催促させる。
「だけど?」
「出たくない」
「え?」
 先輩は床に向けた視線を動かさず、そう漏らした。顔を上げると儚げな笑顔を浮かべる。
「今のは語弊だった。出られない、っていうのが正しいかな」
「意味が分かりかねます」
「俺さ」
 なんなんだ。先輩はソワソワし始めて目を泳がせたり、すねに置いてある手に力を込めたりと謎な動作を起こす。なんにせよ、タメを作られるとものすごく気になる。やがて引きつった表情になり口を開いた。
「やっぱ、なんでもねェわ」
 この場面でなぜ泣きそうな声を出すんだ。申し訳ないけど、先輩は頭のネジがぶっ飛んじゃってるのかもしれない。あんなにバスケが上手いのに試合に出たくないとか出られないとか考えられる思考が考えられない。
「おーおー、二人ともここに居たのか」
「白々しい」
 大輔がにやけた顔をして歩いてくる。どうせ後輩たちと一緒に僕たちのこと見てたくせに。大輔は僕と先輩の間に座った。そして視線を先輩に向ける。
「隆先輩、今日一緒に帰りませんか? もちろん翔平も一緒で」
 今度は僕の方を向いて「なっ、良いよな?」とか言ってる。強制させる気満々だろ。まぁ先輩と帰ることに今は抵抗がないから別に良いんだけど。豹変した日の翌日はこわくて、話しかけることさえままならなかった。そのまた翌日に先輩から話してくれたときに、また一緒に二人で帰れて大丈夫だと思ったんだよなぁ。でもそれは気がまぎれてただけで、頭にはしっかりと残ってた。必死に忘れようと意識した分が返ってきて逆に薄れる気配はなかった。今だって鮮明に記憶に残ってる。
「ああ、いいよ」
 先輩の声で現実に引き戻される。僕が先輩と一緒に帰れるのは、他の先輩方と家が違う方面なだけだからだ。もし僕が小谷先輩と違う方面だったらこんなにも仲良くなれていたのかな。いや、同じ方面だからこそ僕に話しかけてきた? ……疑心暗鬼になっちゃダメだ。明日の中総体、悔いなく先輩とのプレーを楽しむことを本望にしよう。
「翔平、どした?」
 声がした方を見ると、大輔が心配そうに見つめてた。心配には及びませんって。小谷先輩が遠くに見えた。また先輩たちと相談してる。
「……考え事」
「ふぅん。これからはいちいち構うのやめようかな」
「ど、どうしてっ?」
「焦りすぎ。たぶん翔平の考えてることじゃないから、安心して」
 え、ええっ。大輔には見破られてるのか! シカトされて僕がまた独りになるんじゃないかということを。
「俺は色んなことに対して度が過ぎてるけどさ、翔平も拡大解釈しすぎだと思うぞ。しかもそれを悪い方に考えるからタチが悪い」
 自覚あったのか。って……完璧に見破られてる。僕も自覚はあるけど、なかなか直せない。今までの人生で、自分の考えた悪い結果に行き着いたことはないからもっと楽観的に物事を見るべきなんだろうけど、どうしても悪い方に考えてしまう。これは僕の「性」と割り切るべきなのかも分からない。
「それは重々承知してます……。それで、これから構ってくれないの?」
「だって、翔平がボーっとしてたりするときって、大概どうってことない悩みとか、話してくれない考え事だから訊いても意味ない」
 大輔らしく、何も臆することなくズバッと言われた。ちょっと傷ついたけど、確かにそうだ。歯科検診のときも大輔にしてみればどうってことない悩みだった。今も「考え事」で済ませたし。訊くだけ無駄かもしれない。
 体育館の壁に寄り掛かると小谷先輩が手招きしてるのが見えた。なんだろう。
「一年とお前ら集まれー」
 先輩……。お前ら呼ばわりですか。しかもそれだと伝わりにくいと思う。状況からして僕たちを呼んでるんだと分かるけど。まぁそんな細かいことはいいや。先輩の下に駆け寄る。五人集まると先輩は淡々と話し始めた。
「明日、行きは各自公共の交通機関を使って来ること。別に自家用車でも良いけど、帰りは俺の母さんが運転してくれるから地球のエコを考えてみんな乗って欲しい。以上」
 エコって……先輩は地球を愛してるなぁ。僕はバスで行く予定だから帰りのバス代が浮いてラッキーだ。前日に決めるのはどうかと思ったけど。すると後輩の伊藤から意見が寄せられた。
「そうするなら行きもおれたち掻っ攫ってくださいよぉ」
「すまん。母さんは明日、忙しいから試合を見れるか見れないかぐらいの瀬戸際なんだ」
 そこまでしていただくと、引け目を感じてしまう。
「先輩のお母さんがどうしても来たいんだったら止めません」
「ま、そこんところは安心しろ。『死に物狂いになっても行く』っつってたから」
 お母様はご子息を溺愛しすぎだ。忙しいなら断れば良いのに。うちの親は、たまたま仕事が入ってなかったら行くって程度だぞ。ああ、そうか。そういう環境で育ってきたから先輩もこんなにおかしくなってしまったのか。なるほど、納得だ。
「よっしゃ。解散!」
 先輩の掛け声で散り散りになっていった。といっても先輩と大輔は居るから、半分になっただけだ。
「先輩、あっち側は?」
 そう行って先輩の後ろを指差す。さっきから気になってた。小谷先輩以外の先輩三人と、二年の僕たち以外の三人だ。見当は付くけど一応訊いてみた。
「家の方面違うだろ。七人乗りの車なら、運転手に部員六人で二手に分かれれば、ピッタリだ。話では直行直帰だったが、一旦は学校に帰ることになりそうだけどな」
「そ、そうですね」
 なんとも当たり前なことを訊いてしまった。
「かえろ〜ぜ。明日のことは……何とかなるっしょ」
 ずっと黙りこくっていた大輔が遂に口を開いた! 大輔が喋らないと調子が狂うから困る。
「そうだな。早く帰ろ。明日のためにゆっくりと体を休めておきたい」


 その後は、明日が中総体だというのに、巷で流行ってるカードゲームとかの平々凡々な話で盛り上がった。先輩はその波に飲まれてやってるんだとか。気負いしないのは良いと思うけど、これはさすがに張り合いがなさすぎだと思う。話が一段落したところで、前に居る二人に問いかけてみた。
「二人とも意気込みとかないの?」
 急に空気を変えたにも関わらず、大輔は一定して反応してくれた。
「意気込みっつってもなあ。俺は今回それほど出られないだろうし、意気込んでもするだけ無駄」
「そりゃそうだけどさぁ……。大輔にはロマンが足りない」
「まさか翔平にそれを言われるとは思わなかったぜ。で、そう言うお前はどうなんだよ?」
 思わず答えに詰まる。僕が黙り込んでると、大輔は仕方ないといった表情になった。ちょっとむかつく。
「するにしても明日だろ。今日から意気込んでたら明日まで持たない」
 そういうものなのか。僕が思い描いてたのは
「前日から、『明日は中総体。悔いなく思いっきりプレーしよう!』とかってノリなんだと思ってた。僕の思い違いだったか」
「限りなく思い違い。翔平はスポ根アニメの見すぎなんじゃないの?」
「そんなことないよっ」
「え〜、怪しい」
 断じて違う。第一、時間がなくてアニメは見ないし。暇があったらマンガ読むか、ケータイいじるか、パソコン触ってる方が有意義に過ごせる。ここまでずっと黙考してた先輩がせかせかと喋り始めた。
「翔平は可愛いなぁもうっ。そんな淡い夢を抱いてたなんて。だから抱きしめたくなるんだね」
「はあっ? 抱きしめるって何したんだよ!」
 大輔に言い寄られる。口が滑っても言ってはいけないことをこうも易々と言いやがった! どうしてくれる。元はと言えば先輩が原因なのに、僕に言い寄るのはおかしい。先輩にこのやんごとなき事情を押し付ける。
「ここまでバレちゃったなら、いっそのこと言っちゃってください。その方が気が楽になります」
「なんで俺がっ?」
 マジで驚いてる。先に抱きついてきたのも、ほのめかしたのもあんただろうがっ! 喉元まで来た言葉を堪え、飲み込む。つい頭に血が上ってしまった。こんなことを言ってしまったら、傷つきやすい先輩はもう立ち直れないかもしれない。もしかしたら明日の中総体にまで出られなくなるかも。……ああ、こういう風に悪い方へと考えるのがいけないんだよな。反省。先輩を懐柔させて、なんとか話をさせた。
 ――事態を把握した大輔は、にんまりとやに下がってる。だから話したくなかったのに。
「ふふ〜ん。男と男の友情でも抱き合うって大事なんだな」
「違うから! 他にも方法はたくさんあるから」
 ……たぶん。僕の必死のツッコミにも耳を貸さず、大輔は言い募る。
「翔平、十二分に一大ロマンを体験したんだな。そんなことがあったんじゃ、『ロマンが足りない』と言われても頷ける。俺の完敗だ」
 いや、全然ロマンじゃないから。男同士で抱き合うのってせいぜい試合後に感極まって、みたいなとき以外にはない。冷静な状態で抱き合うって今考えれば狂ってたとしか思えない。……心地好かったのは確かなんだけど。
「んじゃまたな〜」
 ああ、もう分かれ道か。
「また明日」
「まったな〜。明日遅れんなよ」
「分かってるって」
 そうして大輔は嵐のように去っていった。なんだかなぁ。振り回されすぎだ。
「翔平」
 先輩に突如名前を呼ばれ、思わず身が竦む。声もさっきのハイトーンじゃなく、低くてちょっと威圧を感じる。な、なんだろう。あの日みたいでこわいよ……。声を絞り出すと
「なん、ですか」
 自分でもみっともないと思えるくらいに震えた小さい声で、自分のことを見てられなくなった。視界には先輩の姿だけを映すようにする。また、郷愁を感じる後姿。

「一つ質問。俺と一緒にいて楽しい?」

 瞬間、俯く。先輩と一緒に居て楽しいと思ったこと? そりゃあいっぱい……ない。おかしくなってからは気を遣ってばっかで、自分の気持ちに素直になったことはなかった。感情はひたかくして、先輩に合わせてた。心の中ではどうしようもないぐらい「アホ」だって思ってたのに、口にすることはなかった。仲が良いなら冗談で済むし、言っても何の問題もなかった。でも、そうしなかったのは先輩がまたおかしくなってしまうんじゃないかと頭のどこかで考えてたから。楽しいと思ったことがないから俯いたんだ。あったら即答してる。これが僕の本心なんだ……。
「すまん。中総体前日に気落ちするようなことを訊いちゃいけないな」
 ゆっくりと顔を上げると、一歩ぐらいの距離を開けて、先輩が手をこまねいてた。優しい先輩。これが先輩の本当の姿――? どっちが本当の姿なんだろう。理性的な今の姿なのか、感情的な豹変した日の姿なのか。そんなどうでもいいことに頭が回った。やがて先輩は心細い声を上げた。
「来るか?」
 どこに行くんだろう? ……先輩の家かな。そういえば最近は行ってないな。前日だし、あまり長居はできないけど、久々に行ってみたいな。コクリと頷くと先輩は訝しげに眉根を寄せた。なんでだよ。承諾出したって言うのに。
「俺んち、とは言ってないぞ」
「は? 先輩の家以外にこれから行く場所なんてないじゃないですか」
「ま、翔平がそこまで俺んちに来たいなら止めない」
 先輩は口角を上げてニヤリと笑った。どういう意味だろう。なんか意味深だな。すごく気になるし訊いてみよう。隠し事は許さないぞ。僕をもっと「信用」して欲しい。
「他にどこか行く場所でもあったんですか?」
「あるな」
 ずいぶんとあっさりだ。もう少し深いところまで訊いてみよう。
「それは?」
「後でも行けっし、正直翔平とは一緒に行きたくない」
「ならなんで誘ったんですか!」
 訳分からんぞ、この人。――一貫性がない。そうだ、先輩はまだ不安定なんだ。僕がちゃんとサポートしてあげないといけないんだ。
「お前が、『俺んちじゃない』ってことに疑問を抱かなかったら連れてってやったんだけどな」
「もういい――」
 瞬間、つばを飲み込んだ。今、先輩を突き放しちゃダメだ。従おう。そうすれば先輩は喜ぶはずだから。
「行きます」
 僕の予想してた反応とは逆に先輩は肩を落とした。なんでだ? 喜々としてにっこりするかと思ってた。絶対に喜ぶと思ってた。……むしろ先輩は僕を哀れむような目で見てくる。先輩は一つ短くため息をついて、近寄ってきた。なんだか怖くて見上げることができない。先輩の首筋が間近に広がる。ぽっこりと出てる喉仏が上下に動いた。
「あのな、お前の俺に対する献身は嬉しいけど、なにもそこまでする必要はねェんじゃねェかな。しかも、俺なんかに」
 そう言われて咄嗟に思いついたのは昨日先輩に言われたことだった。
「僕も先輩と同じで『フツー』じゃないですから」
「そりゃそうだけど……」
「いいから、僕が『行く』って言ったんだから行きましょう」
 困惑する先輩の手を引いて、一ヶ月ぶりに小谷邸へ無理やり行くことになった。「フツー」じゃないことに肯定されたのはちょっと悲しかった。ところで、先輩の行きたかった場所ってどこなんだろう?

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