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手が届くなら歯車(4-3)

 掴まれた肩を基点に、強制的に身体を振り向かされた。
「どうして逃げた」
 今、先輩の顔は見たくないのに、どうしても視界に入ってくる。僕が俯くと先輩も屈む。逆に仰向くと先輩はジャンプしたりして視界に入ってくる。今の僕に先輩は直視できない。
「なぁ、どうして?」
 理由なんて僕でも分からない。キスという行為をしてた。だけどそれは、見てはいけない光景だったという訳でもない。ただ、先輩と顔を合わせるのがこわかったから。深層心理に深く根ざしてる、先輩を傷つけるような行為をすると、あの豹変した日のようになってしまうと思ったから。咄嗟に逃げた理由はきっとそういうことだろう。
「俺が佐藤と会うのを優先して、お前との約束をすっぽかしたのが気に入らなかった?」
 首を小さく横に振る。そうじゃない。自分がいけないんだ。全て、自分が。
「先輩を、傷つけたくなかったから」
 ぼそぼそとそう言うと、先輩は眉間に深いしわを寄せた。
「あのな。気遣ってくれるのは素直に嬉しい。だけど、他人を気遣ってそこまでするかフツー」
 いつもじゃ考えられないくらい、あちこちから言葉が出てくる。
「他人って……。先輩こそ『仲間のために力になれること』とか放言したし、この前見ましたよ? 先輩が他人の手助けをしてるところ」
 手助け、と言ったときに先輩の眉が反応した。僕がバレてないと思ってるだけで、先輩には心当たりがあったのかな。
「あれは放言じゃない。しっかり考えました!」
 僕が言ったことが気に入らなかったのか先輩は一吠えした。そんなのはどうでもいいけど、意見とは食い違う行動に弁明の余地はあるのだろうか。
「お互いが違うからこそ、仲間のために力になれるんだよ」
「……どういうこと?」
 先輩は儚げに笑った後、話を始めた。
「たとえば、無愛想だけどできた友達は大切にするやつが居たとする。そいつは本当に狭い間柄でしか人と交流をしないが、それは愛想が良くて友達がたくさん居るやつにとって羨ましいことだった」
 先輩は話しながら僕の周りをうろうろする。分からないといった風情で、首を傾げると先輩は呆れた顔つきになった。
「なんだ、これで理解できないか。続けるぞ。――狭く深く付き合ってるやつは、付き合い方を知ってる。逆に広く浅く付き合ってるやつは、初対面の人と接することを得意にしてる。その二つが合わさると広く深く付き合えるようになる。――ま、時間的な問題もあるし、極論だけどな」
 僕に呆れてたが、たとえ話をしてるときはとても穏やかな顔をしていた。うろついてた先輩は渡り廊下の前で止まって、僕と差し向かい手すりに寄り掛かった。上からだと脆いけど、横からの衝撃には強いんだった。

「人間は助け合って、生きていくんじゃないのかな」

 先輩は心寂しそうにそう言うと、どういう訳か、口端を吊り上げ自嘲した笑いを浮かべた。訳が分からない。その後先輩は右手をおもむろに左手首へ持っていき、力なく握り締めた。今まで気が動転してて気づかなかったけど、覆い隠した左手首には黒のラバーブレスを身に着けてた。なんか見覚えがあると思ったら、この前佐藤さんが買ったやつか。部活中に着けてなかったってことは、さっき佐藤さんと会ってるときに貰ったんだろう。そんなことを考えてると、当の佐藤さんが剣道場の裏から出てきた。佐藤さんはちゃんと正規ルートで来たんだ。先輩は来たことがまだ分かってないらしく、そのままの姿勢でまだ話を続ける。佐藤さんも話の腰を折るようなことはせず、先輩を静観した。
「バスケ部は十二人居る。その十二人全員が同じ訳じゃないだろ? 十二通りの性格、生き方。へこんでるところには出っ張ったやつがくっつく。そうして歯車が噛み合っていく。違いを認めるのって大事だよ」
 最後は自分に諭すように呟いた。自分ができてないから、痛感してるのかな。先輩がそういう一面を吐露するなんて一度としてなかったから、痛々しくて見てられなかった。僕になにか言葉を掛けるときは、「俺、すごくね?」的なノリだったから意外だ。黙り込んだ先輩を見ると被虐的な瞳を覗かせ、僕を食い入るような目つきで見てた。そんな訴えかけるように見つめられちゃ、何でもいいから答えるしかないじゃないか。答え……僕の答えは。
「僕と大輔は太陽と月ぐらいに正反対な性格をしてるけど、それがちょうど噛み合う……ってことですか?」
「そう。だから俺は困ってる人が居たら手を貸す。世間一般の『フツー』なやつじゃないから」
 ここでいきなり本題に戻るのか。というか、やや自虐してるな。先輩は地に目を伏せた。
「自分で言うのもアレだけど、俺は男で力持ち、反面俺が手助けした人はか弱い女性だ」
 言い終えて顔を上げる。ああ、そういえば目線が同じだ。寄り掛かってるから背中が丸まった分、7センチの差が埋まったのか。
「それが先輩の言う『人間は助け合って生きていくこと』なんですか?」
「なんだよー。文句あんのかよー。ま、陳腐ではあったかもしれないのは認めておく」
「なんじゃそりゃ」
 二人でケラケラとはしたなく笑うと、佐藤さんのお上品な笑いが浮いた。先輩はようやく気づいたみたいで、佐藤さんの方を向くと一瞬表情が固まった。
「佐藤、居たのか。居たならなんか言ってくれればよかったのに」
 口調では全く分からないけど、赤面してる! 先輩が赤面してるぞ。これは貴重だ。顔が佐藤さん一直線に向いてる。僕も居るということを忘れないでいただきたい。
「話がちょうど良いところでしたし、隆がどういうことを思ってるのかを知る好奇でしたから」
 こ、好奇ってあなた……腹黒い。佐藤さんってそんな人だったのか。佐藤さんの株がリアルタイムに暴落してる。先輩は「お、おう」と微妙な反応をして、話題を変えた。
「そういや佐藤。今年の中総体、時間大丈夫そうか?」
「はい。初日は野球部の応援があって絶対に行けませんが、二日目は野球部が勝っても午前で終わりますし、大丈夫そうです」
「となると、一回戦突破はしないといけないか」
 あ、あの〜。どんだけラブラブなんですか。別れてないだろっ! こんなこと目の前でされるとぶっ飛ばしたくなる。しないけど。別れた原因は、どうしても引き裂かれなきゃいけない事情があったんだろう。先輩がキスする前に佐藤さんに伝えたあの「言葉」が鍵を握ってるはずだ。ヘリに邪魔されて肝心なところだけ聞けなかった。佐藤さんが俺の方を向く。
「私はそろそろ帰りますね。翔平さん、中総体頑張ってください。それでは」
 そんなことを言われてしまうと全身が硬直し、咄嗟に出てきたのは片言だった。
「ありがとございますです」
「まったな〜。翔平、緊張しすぎ」
 先輩は頭をガシガシ掻きながらこちらに向き直った。僕は口を尖らせて反論する。
「僕は圧倒的に女性経験が少ないんですから、先輩みたいな女たらしと同じにしないでください」
「先輩みたいな、ってなんだよ。心外だなぁ。俺は生まれてこの方、佐藤一筋だ」
「先輩が言うと卑猥に聞こえる」
 大輔が言うと疚しく聞こえる原理だ。先輩は身長もあったりして、大人びてるからエロい。
「思いも寄らない考え方だな。先輩をもっと尊敬しろっ。敬え」
「それ、意味被ってます」
「強調したいだけだよ。ああ言えばこう言うやつだなぁ」
 先輩は苛立ちを募らせるかと思ったら、呆れて物も言えないという感じだった。そして――
「で、いつから話を聞いてた?」
 いきなり本題に戻って、思わず返答に窮する。僕を見る目が疑心に満ちてる。こわいな。でも瞳には温かさが残ってて、あの豹変した日みたいに完全に冷えきった印象ではない。傷心が癒えてきて、少しは余裕が持てるようになったんだろう。
「先輩が佐藤さんに『どうして黙っててくれなかった』と言ったところです」
 少し気後れしながらも正直に言った。すると、先輩は恐怖と感心が入り混じった複雑な表情を浮かべた。僕に聞かれたというのはやっぱ不都合があったんだ。間もなく、先輩は下を向くと声を出して笑い出し

「――よく言ってくれた!」

 おぼつかない足取りで言い寄ってきて、ぎゅうっと僕を抱きしめた。いつもは目線の上に居る先輩の顔が隣にある。それだけでも頭がおかしくなりそうなのに、先輩の抱擁は優しくて、意識が途切れ途切れに揺らめく。「何か」から解放されたのか、隣にある顔は無邪気に笑ってて――とても中学生らしく見えた。先輩は一歩先、大人の道を歩んでるような気がしてたから、今の先輩は身近に感じられる。今なら先輩に手が届きそうだよ。先輩の肩に顔を埋めて抱きしめ返すと、背中に回ってる指先にぐっと力がこもる気配を感じた。先輩の匂い、汗とか全部含めても心地良い。
 ……そういえば今日はラベンダーの香りがしない。なぜだか分からないけど、ラベンダーの匂いがしたのはあの日だけだった。頭がくらりとして意識が吹っ飛びそうなのを堪えてると、ふっと肩に水気を感じた。それは薄い生地を通って、肌にまで感じられる。
 先輩は横隔膜を痙攣させて嗚咽してた。……どうして先輩は泣いてるんだろう。僕には理解できない。
「お前ら――っ。そんなしゅ、しゅ趣味があったのかっ?」
 剣道場の裏から吃驚する声。刹那、先輩を突き飛ばす。
 先輩はよろめいたまま、吹き飛ばされた勢いに勝てず、手すりに激突した。渡り廊下の柱に座り込んでもたれ掛かる先輩に近づいた。何事もなかったかのように目を擦ってる。先輩の嗚咽が治まってきたところで、独り言のように弁明する目撃者。
「いやな、否定はしない。世の中にはそういう奴らも居るって……わ、分かってるから」
 と言いつつ、ドン引きしないでください。完全な誤解だから。まぁ男同士が学校で抱き合ってたらそりゃ誤解せずにはいられないだろうけど。先輩の肩を持って一緒に立とうとすると、拒絶された。これ以上誤解されないためにそうしてるんだったら無駄な足掻きだ。もう何を言ったって信用されないだろうから。先輩は眉根を寄せて悩ましげな表情をしてる。
「一人で立つ」
 ぼそりとそう呟くと、本当に一人で立ち上がった。さっきまで泣いてた人とは思えない。……って、さっき言ってたことと矛盾してるじゃん。人は助け合って生きていくという理論なんだから、先輩がダメになったら僕が手助けをする。今の状態じゃ歯車は噛み合ってない。先輩には与えられて、僕は先輩に何も与えられてない。拒絶されたんじゃ、何もできない。歯車でたとえるなら、二人とも同じところが出っ張った状態で先輩にはへこみがない。僕は出っ張りが少ないから、へこみはあれど出っ張りまくってる大輔とは合致するけど、先輩はどこにも付け入る隙がない。こればっかりは先輩が変わってくれないとどうしようもできない問題だと思う。僕も立ち上がって、オロオロしてる目撃者を睨む。
「部長、これは誤解です」
「そーそー。俺は翔平との友情を育むために抱き合ってたんだよ」
「先輩……。それはそれで問題だと思います」
「どこが。立派な友情の育み方だと思うよ?」
 ダメだこの人。頭のネジ飛んじゃってる。先輩のアホらしさに短くため息をついて、部長を一瞥した。いつもは細まってる目がこのときばかりは見開かれていた。そうだな、こんなアホ丸出しな先輩を見たら通常時とのギャップに誰でも驚くよな。
「隆もそこまで人を信用できるようになったか」
 部長はにんまりとやに下がって、先輩に近づいて肩を叩いた。あれ、そっちに驚いたの?
「信用?」
「日比谷は隆の過去を知らねぇんだっけか。これだけ信用されてたら話しててもおかしくないと思ってたが」
 そうか。部長は先輩の過去を知ってるのか。部長は僕に向き直って、「中一の頃」と始めた。……が
「やめろよ。俺のことなんだから、他人には干渉されたくねーっての」
 先輩はげんなりした様子でそう言い放った。眉間のしわが深くて、僕に聞かれたくないというのがひしひしと伝わってくる。過去か……先輩に大輔の過去を話すようなものか。そりゃ、フェアじゃない。
「そうだな。勝手に他人のことを言うもんじゃないか」
「そーそー」
「……まあ、こんな目立つところで抱擁はするもんじゃないぞ。音楽室のベランダから見られてるかもしれん。俺みたいに誤解したらどうするつもりだ」
「すみません、軽率でした」
「翔平はあっさりと謝るな。その方が軽率」
 先輩に辛辣なツッコミをされ、ちょこんと頭を叩かれた。思わず肩を竦める。部長は闊達そうに笑って言った。
「日比谷は先輩に好かれるのが本当に上手いな。俺も可愛がりたくなる。まさかそういうキャラを狙ってたりするんじゃないだろうな?」
「狙ってません。これが素の僕です」
 部長とくだらないやり取りをしてると、隣に居る先輩が「あっ」と声を出した。
「ホントに見られてたかもな」
 先輩は校舎の方を向いており、目線の先を僕も見ると二階にある音楽室で影が動いた気がした。ああ、終わった。明日から最底辺の人間だ。男同士で抱き合ってるなんてバレようものなら何をされるか分かったものじゃない。もし仲間ハズレにされてしまったらこれから先、先輩と出奔するしかない。一緒に転校しよう。吹聴するような人じゃないのが一番なんだけど、話を広めてそういうのを面白がる困ったチャンがこの学校には結構居るから不安だ。
「でも、あれは佐藤だったから大丈夫だろう」
 気が抜けた。
「無用な心配させるなっ!」
「おうおう。威勢が良いね」
「僕をけしかけて、何が目的なんだ。言え」
「何が目的って言われても……。活き活きしてる翔平を見たいって感じ?」
「答えに疑問を抱く意味が分からない」
「だって目的も何も、俺が気づいた順に言っただけだから特に目的はない」
 頭に血が上りすぎた。先輩にタメ口とか、何考えてるんだ。自己中心的に考える自分に嫌気が差して、猛烈に恥ずかしくなってきた。部長は場を和ませるためなのか、大げさに笑った。
「日比谷もそこまで物が言えるようになってきたか。俺はその成長が素直に嬉しい」
 成長……。僕はねじれた心でバスケ部に入った。人を信じることができないでいるのにも関わらず、小谷先輩は優しくしてくれた。その後は他の先輩方も優しくしてくれて、僕の心は解けていき、素直な心持ちになれた。本来はこのひん曲がった根性を正してくれたことに感謝するべきなのに、罵倒してる。離れたくないからって、気持ちを裏返してるんだ。今日教えてくれた歯車のこととか全部含めて、感謝するべきだ。今しかない。僕は慇懃に頭を下げた。
「先輩……部長、今までありがとうございました。大事なことを気づかせてくれて」
「い、いきなり何言ってんだよ。明日もあるし、中総体もあるんだぞ。気が早い」
 突っ張ったって無意味だ。気持ちの裏返しということは分かってるんだから。直で言うことはできなかったけど、素直に受け取って欲しい。
「まあ隆の言うとおりだが、俺らもしかるべきときに後輩達には感謝すべきだな」
 部長はそう言って先輩の頭を押さえ、「なっ」と同意を求めて顔を綻ばせた。一方の先輩は僕と目線を合わせようとはしなかったけど、お礼を言ってくれた。
「あ、ありがとう、翔平。お前が居なきゃ、こんなにも楽しい部活になってなかった。……と思う」
「『と思う』は心の中に留めておけって!」
 先輩と部長が戯れる姿を見て、バスケ部に入って本当に良かったと思った。僕を誘ってくれた大輔にも密かに感謝しておこう。この三人、もしくは大輔を含んだ四人で話せば先輩のへこみも見えてきそうだ。いや、一年間付き合ってきた先輩の『仲間』として吐かせないと本当の仲間とは呼べないかな。

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