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手が届くなら歯車(4-1)

「これだったら頓死した方がまだマシだぁ……。うおうっ!」
「大丈夫かっ? どんなことがあったって生きてる方が良いに決まってるだろ。生きろ」
 コントじゃなくマジだ。……マジで腹が痛い。給食で当たったかな。なんて考えてると、腹から重低音が飛び出てきた。脇腹が常時つねられてるみたいだ。顔からも脇からも脚からも汗が噴き出てくる。窓際の席で、ただでさえ日が当たって暑いのに動けない。
 じゃない。動かない。暖かい方が腹の調子が良くなりそうだからだ。
「ちょっと行って来る」
「頑張れよ」
 椅子から立ち上がるとそれだけで腹回りが疼く。何のこれしき……! 一歩踏み出してもう一方の足を引きずって歩く。上靴が床に擦れてうるさいかもしれないけど、みんな我慢してくれ。こっちもゴムのせいで、床を滑ってくれないから歩きにくいんだ。というか今日一日だけ見放してほしい。なんでこういうときに中総体の激励会なるものがあるんだ。タイミングが良すぎる。去年は四時間目が体育で、そのときに汗を掻きすぎて脱水症状起こしたから出られなかったんだ。一年の中総体出場は考えられなかったからあまり気にしなかったんだけど、今年は出場機会があるかもしれない。腹痛になぞ負けるものか!
 教室から出るとみんな奇異の目で見てくる。いいさ、いいさ。君たちもなれば分かるよ。ああ、日陰は寒い。さっきまで暑いと思ってたのが嘘みたいだ。日光の力って偉大なもので、今は寒気がする。しかもこれノースリーブだから、肩がスースーする。まだ体育館に行かないんだし、Tシャツ重ね着しておけば良かった……。
 やっとの思いでトイレに辿り着いて、一番奥まで歩いていく。なぜなら洋式だからだ。現代っ子に和式はつらい。
「あれ」
 おっかしいなぁ……。鍵が掛かってるぞ。いつもなら青いのに、今は赤い。ああ、痛みで色彩感覚が狂っちゃったのか。入ってるわけないだろうと思いつつ、ノックしてみると
「入ってます」
 気弱な声が聞こえた。最悪だ。タイミングを考えていただきたい。意味なく恨んでると腹の中がつねられた気がして峻烈な痛みが上半身を突き抜けた。もう我慢できない。僕は隣の和式トイレに突撃した。


「間に合った」
 五時間目が始まる三分前に教室に戻れた。先にユニフォームに着替えておいて正解だった。まぁ汚したら一貫の終わりだったけど。同じユニフォームを着た大輔が近寄ってきて恐る恐る確認してきた。
「大丈夫?」
「うん。全部出た。でもまだ食道に残留してる気もする」
「お前なぁ……場を弁えろって」
 と言って大輔は親指を立てて後ろに向ける。教室がどうした……あ。数人まだ教室に居た。
「今日は激励会であんま居ないけど、平常だったらどうする気だったんだ」
 言われてみればそうだった。誇らしげに言ってしまって恥ずかしい。みんな目を逸らしてるのがわざとらしい。だけど、幸いだったのがクラスメイトしか聞いてないということだ。しかも数人だけ。教室の後ろに居る人たちには聞こえてないだろうし、聞いたのって案外誰も居なかったりして。
「まあいいや。行こうぜ」
 うぅ〜。またあの寒い日陰に戻らなきゃならんのか。気が進まないながらも、強制参加なので出ない訳にもいかない。腹壊さなければ良いけどな……。僕はおとなしく大輔の後を追った。


 当たり前のことだけど、何の脈絡もなくチャイムが鳴った。廊下に出てすぐなんですけど。僕たちは無言のまま、早足になって廊下を抜け階段を下りた。
 一階の廊下に出ると人影がちらほらあって少し安心した。選手入場はまだみたいだ。バスケ部を探してると、前を歩いてる大輔が外にある校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下の前で止まった。ここは遅くなると鍵が掛かるんだよなぁ。部活が終わって、忘れ物を思い出したときに校舎へ戻るには昇降口からじゃないと戻れないんだった。中総体のプリントは絶対に忘れないようにしよう。
 ガラス越しに外の様子が窺える。進む気配はない。前に居る卓球部は外でずっと待たされてる訳か。可哀想に。……でも今は日向に居たいかも。やっぱノースリーブは寒い。後ろを見ると下駄箱まで列は連なっていた。次第に騒がしくなっていく。僕もその一因になる。
「でさ、なんでここで止まったの?」
「バスケ部は確か卓球部の後ろだろ」
「そうだったっけ」
 大輔は腕組みして、大きく首を縦に振った。そうじゃなかったような気がしないでもない。バスケ部の連中が全く見えないのが不安だ。でもそんなことより
「こんなに待たされるのか」
「翔平は去年出られなかったんだよな。期待してっと腰抜かすぞ」
「大丈夫。腰が抜けても立ってられる技術は持ってるから」
「なんだそれ。意味分からんぞ」
 分からないで結構。大輔が過去を話してくれたとき、あれは腰に良い訓練だった。へたり込んじゃうのを幾度我慢したことか。大輔は話が続かないのか、話題転換をした。
「そういや佐藤と話せなかったな」
「クラスメイトなんだし、いつでも良いんじゃない?」
「そういう心を持ってるからいけないんだよ。いつでも訊けるから〜……って考えてると、いつの間にか時間が経ってて、先輩が卒業しちゃうかもしれないぞ」
 やけに力説してくださった。……大輔はきっと『時間』を大切にしてるんだろう。小学生の頃は友達と遊べなくて、時間が長く感じて無駄な「時」を過ごしたって思ってるのかな。だから今は遊べる限り遊ぶ。とは言っても友達と遊べるようにはなったけど、門限があるからそれほど自由ではなさそうだ。遊べるだけまだマシなのかな。
「そう言うんだったら、今訊こう」
「今って佐藤いないだろ」
 見回してみる。居ない。なして? 大輔に疑問の眼差しを投げかけると応えてくれた。
「あいつは吹奏楽部だろ。演奏っつーもんがあんの」
「そうだったんだ」
 大輔は呆れ顔になって片手で頭を抱える。今のそんなに問題発言だった?
「吹奏楽部は一年の歓迎会とかそういうのでも演奏してただろ」
「ああ、言われてみれば」
「言われてみれば……って、お前はどこの爺さんだっ! この前のことと言い、記憶力なさすぎ」
「なさすぎはひどいだろー」
 冗談半分でそんなことを言ってると
「お前らここに居たのか。余るからこっちね」
 不意に声を掛けられてユニフォームの後ろ襟首をグイッと掴まれる。破れるって。そのまま引きずられ
「ぐ、ぐるじい」
「グルジア? ソビエト連邦が解消されなかったらあの共和国はできなかったんだよ」
「ち、ぢが……おおう――っ。いちいち衒学っぷりを披露せんでいい」
 やっと解放された。首元に赤い痕ができてないか不安だよ。このままじゃ入場できないよ。どうしてくれる。痛みを堪え、後ろをのっそりと振り向くと、そこに居たのは思ってたとおり小谷先輩だった。ああ、部活以外でこうして触れ合うのって久々かもしれない。それこそラバーブレスのことを訊いたとき以来だ。
「元気してた?」
「毎日会ってるくせに。言わせようとしたいのが見え見えです」
 先輩は今月に入ってからは相変わらずのようでニヤニヤしてる。「へへ、バレたか」とかニヤケ顔で言わないで。冗談抜きでコアクマの微笑みにしか見えないから。というかユニフォームが妙に映える。先輩はバスケの申し子なんじゃないのか? ユニフォームは黒を基調に、赤の縦ラインが入ってるから先輩や大輔のように、ほどほどの筋肉が付いてたり肌が焼けてたりすると着こなしてるって感じだけど、僕は明らかに貧相な人が着てるとしか思えない。なで肩だし、筋肉も付いてないし、ガリガリだ。
 大輔が遅れてやってきて先輩に会釈する。あれ、大輔は一緒に引きずられなかったな。そうだな、呻いてなかった。大輔は僕より大声出すから一発で分かる。眼前に居る先輩に尋ねてみた。
「さっきのって、どういう意味だったんです?」
「ほら俺たちって、三年が四人っしょ。全員で十二人だから、余り組みのお前らはこっちってこと」
「余り組みって……」
 本心で思ったことを呟いたんだろう。大輔は明らかに先輩を煩わしそうに見てる。先輩はそんな視線を無視して自論を展開した。
「お前らがみんなと仲違いしてるって意味じゃないよ。二年の残り三人と一年の三人は、強固な絆で結ばれてるっぽいから、動かしやすいのは翔平と大輔ってことだ」
 そこまで一気に言って、「二列なら六、六にならないとバランスわりィしな」と付け加えた。見栄え重視なのか。先輩はとってもナイーブだ。内部事情なんてバスケ部に詳しいやつくらいしか知らないのに。どうせ入場して、ステージに上がったら列など意味を成さない。でもそんな細かいところまで頭が回るのって先輩らしいとも思った。
 改めて周りを見るとバスケ部の連中が居た。バスケ部は廊下の真ん中辺りだったか。でも居なかったような……。がっしりした体格にはもの凄く似合わないユニフォームを着た部長が近づいてきた。
「翔平と大輔はどうしてあんな前に居た?」
「大輔が、『バスケ部は卓球部の後ろ』って言うものですから」
「人のせいにすんなよぉ」
「――バスケ部は保健室の前に集合してから、って話さなかったっけ?」
 こ、こわいよ。目がマジだ。凄みに、思わず身体が萎縮してしまう。そのままどやされるかと思ったけど、小谷先輩が割って入ってきてくれた。
「無事にこうして合流できたんだから許せよ」
「それもそうだな」
 部長はなんだかんだ言って優しいよな。先輩ほどではないけど、事実をしっかりと見極めてる。それに比べて先輩は甘やかしすぎな気がする。先輩たちが引退した後、八人でやっていけるのかな。今から不安で仕方がない。
 と、考えてると前がようやく進み始めた。部長は慌てて先頭に戻った。こんなに遅いって、手違いかなんかでもあったのかな。体育館に入るとステージ左側にある用具倉庫前に吹奏楽部が陣取っているのが見えた。音量を抑えているのか、入ったときには気づかなかったけど演奏してる。聞いたことがない音楽に身を任せながら行進する。佐藤さんは……遠すぎて見えないけど、前列に居る気がする。美少女は遠くから見ても分かるものだと思ってた。残念だけど佐藤さんはそこまで美少女じゃないのか。などと風刺してると激励会は始まったみたいだ。
 会は淡々と進み、「学校長挨拶」とか外見だけは格好良くて中身のない校長の激励を延々と聞かされた。そうか、こういうものなのか。一時間潰すためにはこのぐらい尺が必要なのか。だから入場も遅かったのか。期待して損した。校長は外面だけを装って最後を締めくくると拍手が起きた。ああ、条件反射も働かないくらい冗長すぎて拍手することを忘れてしまったよ。校歌の上にある大きな壁掛け時計を見ると、もう半分も過ぎてた。本当、期待してると損だった。腰は抜かさないけど。次は……選手団紹介か。
 野球部から順にステージへ上がり、部長が大会に向けての決意を述べていく。うちの部長はどんなことを言うんだろう。やっぱり普遍なものかな?
 女子バレー部が終わり、男子バスケ部に順番が回ってきたので、ステージ右脇にある階段を小谷先輩の後に続いて上る。あれ、この並び方って二年生が真ん中じゃん。部長が前に出るからその影に隠れて見えにくくはなるけど、何も正面だけから見られてる訳ではない。右には吹奏楽部のみなさん、左には先生方や最初にステージに上がった野球部のみなさん。どこに居たってあまり変わらないか。部長は、先生と生徒の視線を一身に浴びながら決意を述べた。
「僕たち男子バスケ部は、一回戦突破を目標にして頑張ります」
 そ、そんなあっさりなのか。でも時間的にはそれぐらいがベストなのかな。スムーズに流れるよう、ステージ右脇から下りて元居た場所に戻った。座るときはもちろん二列になって。最後の体操部まで終わり、選手団紹介が終わった。
 次は吹奏楽部の演奏だ。佐藤さんは……体操部の影に隠れて見えにくいけど、見えた! フルートだ。実物を見て、フルートが木管楽器だと知ったときの驚きを思い出してしまった。この前体育館で聞いたのはもしかしたら佐藤さんのフルートだったのかもしれない。ざわついていた体育館を静寂が包む。
 十数名ほどの吹奏楽部員がそれぞれの楽器を構え、打楽器の人が拍を取って演奏が始まった。と思ったら最初からぶっ放してる。強烈な始まりに体育館にはどよめきが走った!
 曲はパイレーツ・オブ・カリビアンの激戦か。この曲はテーマソングにピシャリと合ってるよなぁ。僕たち中総体に参加する人の闘志を燃え上げさせてくれる選曲だ。激励会にはピッタリだと思う。中盤は落ち着いていき、それに呼応するかのように体育館も静まっていく。だけど終盤にまた盛り上がりを見せると、体育館のボルテージはピークに達した。そして演奏は終了した。
 あ、いつの間にか拍手をしてた。心なしかさっきの学校長挨拶より拍手が多く聞こえるのは考えるまでもない。当然僕だって興奮してるし、さっき拍手しなかった人たちも拍手してるからだろう。佐藤さんはほっとしたのか、隣に居るクラリネットの人と話してる。音楽に聞き惚れてて佐藤さんを見てるどころじゃなかった。でも、なんでここまですごいんだ。そういえば学校便りで見たけど、ソロコンテストとアンサンブルはどっちもみんな銅賞なのに、吹奏楽コンクールだけは銀賞だったなぁ。個々の能力よりチームワークが大切だと感じた。バスケも……そうだよな。
「お、あれって隆先輩じゃね?」
「どれどれ」
 大輔が、僕たち選手団の右側に居る先生集団の方を指差す。本当だ。いつの間にか司会の近くに立っていた。次は確か……。
「先輩が選手宣誓?」
「一度もそんなこと口にしてなかったけど、その可能性は高いだろうなぁ」
 大輔は先輩を仰ぎ見て、消え入りそうな声音で漏らした。見てみたい。先輩がどういうことを宣誓するのか。司会が淡々と会を進めていく。
「続いては選手宣誓です。三年二組、男子バスケットボール部の小谷隆太さん、お願いします」
「マジだ。先輩もそこまで偉くなったのか」
「選手宣誓は偉いとか偉くないとか関係ないと思う」
 そんな無駄話をしてると、静けさに包まれた体育館に校長の足音だけが響く。さすが革靴。良い音を鳴らしてらっしゃる。先輩もたまに「キュッ」と上靴のゴムと床が擦れる音を出す。校長がステージの上に、先輩は選手団の前、ステージの下に立った。校長はふんわり微笑んでいる。やがて先輩は右手をおもむろに挙げて、静かに宣誓を始めた。
「我々T中生徒一同は、支えてくださった方々に感謝し、仲間のために尽くすこと、仲間のために力になれることを知りました」
 妙な切り口だ。これじゃ「選手宣誓」じゃなく、「生徒宣誓」だ。校長も面食らっている。先輩はここでタメを作った。
「スポーツマンシップに則って全身全霊、正々堂々と競技することを誓います」
 締め方は無難だったけど、最初はなんだったんだ。意味が分からない。こんなの絶対に賛否両論が出るぞ。概して軸がぶれてる。応援する生徒のことも考慮するのは良いことだとは思うけど、あくまで「選手宣誓」なんだから無難にまとめれば良かったのに。先輩が戻ってきた。僕の前にストンと座る。
「どうだった? 結構自信あったんだけど」
「表情が緩みすぎ」
 そりゃ「選手宣誓」という重大な責務が終わったんだから分かる。だけど今の僕には、先輩になんて声を掛ければいいのか分からない。嘘をついたって、先輩にはバレちゃう。
「仕方ないじゃん。大役を務めて、頬が自然と弛むのは至極当然のことでしょ?」
 正論に心打ち砕かれる。何も言わないよりかは良いと思って、心無いことを言ってしまった。本人に分かりきってることを言ったって、何の意味も為さない。むしろ傷つける。彼女と別れて傷心中の先輩を全力でサポートするって大輔と決めたことだったのに、僕は破ってしまった。歯科検診の日、大輔が大笑いしてる姿が思い浮かんで

 ――この真面目くんめぇ〜

 痛いくらいに胸に突き刺さった。「真面目」なのに約束も守れないで、僕は一体何をしてるんだろう。『仲間』である先輩の力になれたことはあった? 大輔の力になれたことはあった? 僕はもっと仲間のことを労って生きていかなきゃならないんだ。正々堂々と向き合おう。嫌な話でも受け止めてあげよう。先輩の選手宣誓は僕に向けたものにしか考えられなくなっていた。
 気まずい沈黙が落ちるところに、大輔の喧しい声が聞こえて
「俺、すんげぇ感動しました! 他人のことを考えられる先輩ってスンバラシイ」
 少しは気持ちが和らいだ。先輩はやんわりと微笑む。
「そう、ありがとう」
 今しかない。
「――先輩。僕が言ったのはそういう意味じゃないよ」
「そういう意味って、どういう意味?」
「僕は……僕は」
「続きましては生徒代表激励の言葉です」
 無情にも司会がコールをした。「気づかせてくれて、ありがとう」って今、この場で言いたいのに。誰も喋らないこの静けさの中で言うには無理がある。先輩は僕の耳に口を近づけて囁いた。
「ごめん、放課後に」
 コクリと頷くと、先輩はにんまりして僕の頭を優しく叩いた。先輩はすぐやめたけど、今ならいくらでも叩いてくれていいよ。頭がぼんやりしてて激励の言葉が入ってこなかった。そして会は終わり退場に。吹奏楽部の人たちは入場にイマイチ合わなかった曲を退場時も演奏してくれた。

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