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手が届くなら親友(3-4)

 再び表通りに出て道が開けるまでは、佐藤さんが所属してる部は吹奏楽だとか些細なことを訊いて時間を使った。そして道が開けて人の流れが弱くなったところで、会ってからずっと気になってたことを訊いてみた。
「佐藤さんってどういう家系? 妙に丁寧な口調だよね」
「そーそー。俺も気になってた」
 大輔が乗っかってくる。調子の良いやつめ。というか仲良さそうな割りに、知ってることはあまりないんだな。まぁこれだけ硬派なら口を割ることも容易ではなさそうなのを感じ取れる。佐藤さんの凛とした横顔が少しだけ崩れた。
「よく言われます。大輔くんや翔平さんと同じですよ。普通の家系です」
 言った途端、大輔の顔が凍りつく。そうか。うすうす感づいてはいたけど、大輔の家庭はきっと裕福だったんだろう。貧乏なのに過保護にする家庭なんて聞いたことがない。そうなるのは必然のことで、たぶん、仕事に手一杯で子どもにまで目が行き渡らないから。僕の家は対極で、放任主義だ。いざとなったら口うるさくなるけど。
「そうには見えないけどなぁ〜」
 しかし、そうなったのもその瞬間だけですぐに戻る。一年二ヶ月前までは親の目が届く場所に居た。記憶が鮮明に残ってるはずなのに、すぐさま切り替えた。大輔は生きることに頑張りすぎだよ。我慢しすぎ。もっと肩の力を抜こう。と思ってもこの状況で言うのは忍びないので二人きりになったらにしよう。
 佐藤さんがクスッと小さく笑った。
「なんと言えばいいんでしょうか……。自然と、そうなっていました」
「それって、いつ頃から?」
「小学校の高学年くらいからですね。でもどうしてそんなことを?」
「幼少の頃からそういう口調だったら燃えるから!」
 まんざら冗談でもなさそうだ。目つきが厳しい。おいおい、大輔、歯に衣着せぬ言動は僕じゃなくて大輔なんじゃないのか。人前で「好き」とか抜かすし。そんな大輔に佐藤さんは苦笑を浮かべた。
「それでは、私は帰りますね。大輔くん、翔平さん、今日は本当にありがとうございました。また機会がありましたらお話ししましょう」
「是非とも。それじゃあね」
「へいへい。気をつけて帰りなよぉ」
 手を振って見送ると、佐藤さんも振り返してくれた。ちょっと嬉しい。二十メートルほど離れたところで佐藤さんは振っていた手を止めて、前を向いた。両手でバッグを持って、真っ白な買い物袋を重ねて持つ姿はなかなか乙なものだった。
「今日は佐藤、砕けると思ったんだけど俺の読み間違いだったか。乙女心は難しいぜ」
「本当に乙女心分かってんの? 基礎からダメな気がする」
「なんだとぉ! 言わせておけば抜け抜けと……」
「まぁまぁ落ち着いて。肩の力を抜こう」
 視線を伏せがちな大輔の両肩をポンポンと二回叩くと、たじろいだ様子で僕を見た。
「何の真似? 肩の力は十分抜いてっけど」
「物理的な問題じゃなくて、内面の話。大輔は気張りすぎなんだよ」
「俺が、気張ってる?」
 大輔は訳が分からないといった感じで首を横に振る。肩から手を離して、大輔に背を向けた。今日の集合場所だった土手を見る。日は落ちてないから人はまだ居る。
「僕が言えるような立場じゃないかもしれないけど、大輔は自分のことをちゃんと見てる?」
「俺の体なんだし、見ないような日はないぞ」
「だから、外面じゃなくて内面のこと」
 大輔は「はぁ?」と言いつつ僕の隣に来て覗き込んだ。僕が分かって大輔が分からないっていうのはちょっぴり違和感がある。でも……大輔はいつもこんな優越感に浸ってたのか。なかなか良いかもしれない。
「自分を大事にして。今の大輔の心はきっとボロボロだよ」
 そう言うと、大輔は小さく身体を震わせた。なにか思い当たる節があったんだろう。僕は口跡に気をつけながら話を続けた。
「相手のことばっか気にして、自分のことは二の次。それってなんだか」
 ――先輩のよう。
 繋がらなかった。
「説教たれてごめん。でも『親友』が間違った道に行こうとするのを正すのが真の親友ってもんだよね」
「遂に俺のことを『親友』って呼んでくれるようになったか! おお、心の友よ」
「どっちの方がより親しいかが分からない」
 大輔は途中で切れた言葉を問い質す訳もなく、僕が『親友』と呼んだのに舞い上がってるみたいだ。さすがにこれは僕のことを「考えて」ではないよな。心置きなく浮かれ騒いで疲れたのか、大輔は土手の傾斜に腰を下ろした。鬱蒼としてるのに何の躊躇もないとは。
「大輔、そこ座ると汚れるよ」
「んなこたぁ分かってる。ほら、翔平も座れよ」
 見上げてくる大輔の顔はにんまりとやに下がっていて、とても反対する気にはなれなかった。大輔の隣に腰を下ろすと、太陽の熱で温まった雑草がお尻をほんわか包んだ。微かに聞こえる川の清流に、子どもたちの元気な声が晴天の下に響き渡る。こういうのも悪くないな。大輔は「もう一年前のことか」とぶつぶつ言って、話の口火を切った。
「なぁ、思い出さないか?」
「何を?」
 そう言うと大輔は頭を抱え込んでしまった。ここは部活なんかで走るときに通るルートなだけで、他には何も……。僕が黙り込んでると、大輔はかなり情熱的になった。握り拳を作って、地面を強く叩く。
「お前にはロマンが足りないっ! もっと追い求めろ」
「現実的に生きたい」
「この現実主義者め」
「なんとでも言うがいいさ」
 呆れきっていた顔は再び前を向いた。太陽を見ると、引き締まった顔つきになり
「隆先輩がここで俺たちへ向けたメッセージ、憶えてるだろ」
 どうやら本題に戻ったようだ。
「ああ、そのことね」
「俺、めっちゃ感動した。『お前らは俺の後輩。だから後を追って来い。追いつける距離にいるんだからさ』って。くうぅ〜! イカすぜ!」
「それって僕たちがサボってたのを見かねて、やる気を出させるために言ったんじゃないの?」
 そこまで言うと大輔は唖然としてしまった。僕にはやっぱりロマンが足りないのか?
「隆先輩にはそういう真意があったのか。深い!」
「いやいや、深くないから」
 神格化しすぎだ。大輔は全てが度を越えてると思う。先輩への尊敬の念、他人を第一に考え、自分のことを顧みない。そして……実家からこの都会まで飛び出してきたこと。その全てが一線を越えてしまってる。大輔は感慨深げに呟いた。
「あんときより遠くなったよな」
 手を伸ばしても届かない、遠い存在だ。もちろん僕が一つ歳をとれば、先輩も歳をとるから、追いつくことなんて無理な話なんだけど……そうだとしても、去年の先輩に僕の実力はまだ追いついてない。
 先輩にボールをパスしてシュートを決める確率は半端ないし、フリースローも正確だ。状況判断能力も高いから、その時々に応じたシュート方法やパスを瞬時に組み立てる。もはや中学生レベルではない。部長じゃないのが不思議なくらいだ。でもこれは先輩の性格も関係してそう。
「先輩は本当にすごい。プレーももちろんだし、性格も何もかも憧れの存在だよ」
「高校はそれらしいところに行くんだろうなぁ。目指せT中からの輩出!」
 僕たちが今通ってる中学校からバスケ選手を輩出かぁ。夢に溢れてて現実味が全くない気がしないでもないけど、先輩ならなれそうな気もする。
「だろうね。そうじゃないと宝の持ち腐れでしょ。先輩自身は自分の実力を分かってない気もするけどさ」
 大輔と目を合わせる。二人してゲラゲラ笑い始める。
「言えてる。先輩って一見真面目そうに見えて、実は天然ちゃんだよな。どっか抜けてるっつーか」
「でも、そうなったのはごく最近のことのような気がしないでもない……」
「ここに来て、普段の二割り増しでアホになったよな。彼女をなくすってそんなにつらいものなのかなー」
 それきりで会話が途切れた。子どもの遊ぶ声がやけに大きく聞こえる。前を向くとキャッチボールをやってる少年たち。親子でやってるところもあって、父親がボールを取れなかったりするのはなんだか微笑ましい。その都度、子どもが父親に駆け寄って、「こんなのも取れないの〜?」とか言って親を貶してそうだ。そういえば、犬と仲良しのあの子は……居ないか。あれからだいぶ時間が経ってるからな。
 ふと後ろを振り向いた。橋を越えた先が無性に気になった。先輩は自主トレでもしてたのかな。あれだけ上手いならたゆまぬ努力のお蔭なんだろう。基礎は大事って言うしな。僕も頑張ろう。前を向いて、傾ぎ始めた太陽を眺める。
「大輔」
「なんだ?」
 隣にいる大輔が僕を見つめた。一度お尻を上げて斜めに向き合う。
「佐藤さんってなんでラバーブレスを買ったんだろうね」
「そうか! なんか聞き忘れてると思ってたらそれだ。隆先輩と付き合いが『あった』という過去形なのに、先輩縁のラバーブレスを買うってこたぁ……」
 あった、が強調された。大輔は手を顎に置いてうんうん唸る。……というより呻きに聞こえる。そこまで考えたら結論は一つしかないだろと内心ツッコミつつ、こういう場合は言わないお約束なので我慢する。いや、ここはノッた方がいいのか? と考えていると
「佐藤は振られたっつーことだな!」
 大輔の目が開ききって血走る。名推理でもなんでもないのに、そこまで興奮できるのが逆に羨ましい。「俺って天才」とか一人で馬鹿騒ぎしてる。先輩よりアホに見えてきた。これだけアホだと、今まで言い負かされてきたのが腑に落ちない。僕が「そうだね」と何も感心を示さず、大輔の努力を切り捨てると気落ちしてしまった。さっきまでの元気はどこへやら。
「かといって、先輩から別れを切り出した訳でもなさそう」
「隆先輩がお前と接したがることとなんか関係が?」
 ローテンションに戻った大輔の問いに頷く。
「先輩には一貫性がないよ。接したがる日もあれば、接したがらない日もある。バラバラ」
「どうしたらそうなるんだろうな。まあどうせ訊いても話してくれないと思うけど。先輩の思考を解剖するには佐藤の手助けが必要っぽいな」
「佐藤さんなら同じクラスだし、時間があったら訊いてみよう」
 僕がそう言うと大輔はにっこり笑った。それは全てを照らす太陽のように見えて、なんとも頼もしかった。
「おう。俺も先輩がどうしてあんなにもおかしくなったのかは気になる。どうも佐藤だけが原因だとは思えない」
 そこで時間を計ったかのようにコパカバーナの音楽が鳴り始まった。しかも着うた。なんと微妙な空気をかもし出してくれるんだ……。僕はそんな曲を入れた覚えはないから大輔のケータイからだろう。案の定、大輔はポケットから青色のケータイを取り出し、画面を確認すると舌打ちをした。あまり話したくない相手なのかな。大輔はうんざりした様子で電話に出た。
「もしもし。祖父ちゃん?」
 声色が僕と話してるときよりほんの少し暗くなった気がした。なんでお祖父ちゃんがこんな時間に掛けてくるんだろう。
「んあ〜、わーってるって」
 電話の向こうの声がしっかりと聴き取れない。会話の内容が気になるけど、大輔に擦り寄ってまでは聴きたくない。そんなことしたら、電話が終わった後になんて言われるか分かったもんじゃない。
「帰るから。五時一分前に帰るから。今日はもういいけど、男子中学生に門限五時は早い。せめて六時にして」
 門限のことみたいだ。僕はそういうのないな。親が放任主義者だから。それに僕が男ってのもあるだろうし。懇願してるときに一方的に切られたみたいで、途中で話すのをやめた。大輔はケータイを折り畳み、ポケットに力なく突っ込んだ。そのあと僕に向けた瞳は暗澹としてて、少しこわかった。現実に戻ってしまったみたいだ。おっかなびっくり声を掛けてみる。
「お祖父ちゃんと住んでるの?」
「ああ。門限がうるせーのなんの。高校はぜってー全寮制に入ってやる」
 非常に感情がこもってた。言葉の間に溜めが入ったし、口を開けたまま歯を動かさないなんて初めて見た。
「早く帰んないと怒られっから俺も帰るわ。んじゃまたな」
「また」
 大輔はすっと立ち上がり、哀愁を漂わせながら狭い道を歩いていった。その後姿がとても小さく見えた。大輔にとって、家は居心地が悪いんだろう。今も、昔も。帰りたくない家――そんなの考えられない。大輔の言ったとおり、僕は何の悩みもなく呑気に育ってきたんだ。それがどれだけ幸せなことか、今日は少しだけ考えられそうだ。……ただ一つ残念なのは鬱蒼としたところに座ってたせいで、ズボンについた緑の汚れだけは一際大きく見えたこと。全然決まってなかった。でも、すごく大輔らしいかも。カッコつけたがりなんだろうな。本当は寂しくて仕方ないはずだ。大輔のことをもっと知りたいよ。全てを知ってこそ、親友になれると思う。それこそ、大輔の言ってた『かけがえのない親友』に。どうしようもないことだって分かってても、話すだけ、それだけで良いからしてほしい。僕には受け止める力もないと思われてる。話す価値もないと思われてる。それをひっくり返したい。僕はまだ先輩はおろか、大輔の親友にもなれてないんだな。

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