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手が届くなら親友(3-3)

 そこにはラバーブレスとにらめっこしてる僕たちと同じくらいの女子がいた。清楚なお嬢様って感じだ。ほっそりしてて体のラインが綺麗だ。……きっと。僕たちとは何があろうと縁はなさそう。棚の影に隠れてこそこそと話をする。
「誰かいるね」
「知ってるやつじゃん」
「うへ? ごめん、忘れちゃった。誰?」
「佐藤だよ。お堅いことで有名。仲が良いやつでも腹割らないって言ってたなー」
「ふぅん。何でそんなこと知ってるんだろうね、君は」
「か、勘違いすんじゃねぇよ。俺は『友達百人できるかな』を実践してるだけだ」
 言い訳がましい大輔は放っといて、棚の影からそっと顔を出す。あれは……。あの影が薄い人か! 道理で気づかないわけだ。佐藤さんに半分見とれていると棚にあった影がすっと消えて
「おーい」
 大輔、本日二回目の叫び。そんな遠い位置にいるわけじゃないんだから大声を出すのはやめようよ。ここからじゃよく見えないけど、佐藤さんが驚いて白目を剥いてるじゃないか。僕も慌てて駆けつける。
「大輔くん、どうしたの?」
 影が薄い人だと思ったけど、可愛いじゃないか。無地の黒いバッグを持ってる両手を胸元に持っていく仕種とか。なんで今まで総スルーしてたんだろうと思う。もったいなかったなぁ。隣にいる大輔はニヤニヤしてる。佐藤さん、こんな野蛮人と付き合っちゃダメよ。電話出たと思ったらいきなり大声出したりしてだいぶ迷惑だから。まぁ一緒にいると楽しいと思えるやつだけどね。佐藤さんは僕の方を向く。ヘアピンが角度と照明により、きらりと光った。
「それにあなたは……翔平さんとお見受けしましたが」
 相対して真正面に見られると、恥ずかしいじゃんか。でもなんかこれって、余所行きすぎる。初対面とはいえ、中学生らしくないというか、同年齢の人と話してる感じがしない。
「はい」
「人違いじゃなくて良かった。大輔くんから色々と話は聞いています」
「色々と?」
 問いかけると佐藤さんの顔に少しの綻びが見えた。
「そうなんですよ。翔平さんは『俺の弟』みたいで」
「だ〜〜っ! やめやめ」
 大輔が割って入ってきた。相当焦ってるなこりゃ。佐藤さんにそんなことを言ってたのか。僕が大輔の「弟」だって? 大輔に詰め寄る。
「僕が弟って、どういう了見? しかも佐藤さんに言うなんてだいぶ仲が良いみたいだね」
「断じて違ーうっ。翔平、お前の勘違いだ。早とちりだ。お前みたいなのが弟に欲しいって言っただけだ」
「えっ。違いま」
「佐藤は黙っててねぇ」
 大輔はにんまりして佐藤さんの口を手で塞ぐ。佐藤さんがもごもごしてるぞ、いいのか? ああ、これは論破できるかも。初めて大輔に口で勝てるかも。
「たとえそうであったとしても、佐藤さんとの関係は自明なことだよね。その手とか」
 そこまで言うと大輔は慌てて手を動かした。両手で指を絡めてる動作なんて初めて見る。幾らなんでもうろたえすぎだ。佐藤さんをちらと見ると、目を見開きながらも傍観してた。
「それは、その……佐藤が好きだから」
 言葉尻が弱い。これは責められない。屁理屈を言うのかと思ったから意外だ。真面目に佐藤さんに恋しちゃってるのか。というか、見つめ合うのをやめぇい! 佐藤さんも乗らないでいただきたい。二人とも頬を染めちゃって。僕しか見てないけど、人前でそういうことするのやめてください。本当に付き合ってるのかとか勘繰っちゃいますから。大輔は照れくさそうに頭を掻いた。うぜぇ。心底うぜぇ。
「わりーな。こういう空気にしちゃって」
 ごもっともです。
「二人ともラバーブレスを買いに来たんだろ? 早く選べ〜」
「なんか納得いかない」
 大輔に背中を強く押される。ラバーブレスを買うという覇気まで飛び出ちゃうところだった。危ない。……唐突に小谷先輩の優しさを感じた。先輩はもっと優しく、でも一歩を踏み出せる強さで押し出してくれる。先輩が引退するとき、僕たち後輩はそうやって先輩たちの背中を押してやりたい。
 佐藤さんと並んでラバーブレスと向き合う。カラーバリエーションは黒、黄色、緑、赤か。全部素材は同じで、製作会社も変わらないから違うのは色だけだな。幅は……親指の幅ぐらいか。野次馬の大輔は暇なのか、僕の頭を撫でてきた。先輩といい何なんだ。バスケ部はそんなに他人の頭を撫でるのが好きなのか。
「ところで、佐藤は何のために買うの? こいつは自分用なんだ」
「代弁しないでいい。それと頭を撫で撫でしないでいい」
「私もです」
 抑揚のない返事をした佐藤さんは黒いラバーブレスを手に取った。黒……なかなか粋じゃないか。僕も早く決めようっと。黒は被るからやめといて、先輩は緑のを着けてた気がする。赤は僕に似合わないだろうから消去法で黄色にしよう。先輩は二つ着けてたけどここはひとまず一つにしよう。手に取ろうとすると
「決まったか?」
「タイミング良く言わないで」
「仕方ねぇじゃん。お前の考えてることなんてわかりっこないんだから」
「そりゃそうだけどさ」
 大輔の屁理屈に付き合ってたらいつまで経っても終わらない。なんだかんだ言ってさっきのは論破できたのか微妙なところだったし。
「佐藤さんは?」
 周囲を一通り見ても佐藤さんらしき人影はない。大輔はレジを指差して呆れたような視線を僕に送った。
「お前が悩んでる間にレジ行ったよ」
「それじゃ行こう」
「おっ。佐藤に惚れたか? 惚れてしまったのか。あいつは面倒だぞ」
「面倒って。好きなくせに。それと僕は惚れてなんかないよ」
 一瞬は惚れたけど、間違ってはない。一目見たときは可愛い子だなぁとは思った。でも話してるうちにあまり関わりを持ちたくないという感情がひしひしと湧いてきた。
「好きだからこそじゃないか! 面倒の見甲斐がある」
「熱弁しなくていいよ」
 聞く耳を持たない大輔の弁を聞き流しながらレジへと向かう。まだ会計は済ませてないようだ。ラバーブレスの売り場には人が居なかったけど、衣料品のところにはそこそこ居たから僕が大輔と話してるときはレジ待ちしていたんだろう。しかしこれは……。
 思いっきり場違い。
 佐藤さんが、じゃなくて僕たちが。僕も大輔も上はTシャツ一枚に下は綿パンだ。佐藤さんはすみれ色のTシャツに、色が抑えめのベストを羽織っていて、下はあめ色のプリーツスカートをはいている。似合いすぎです。誰かがコーディネイトしたのかと思うくらいだ。これまで何の違和感もなく見ていた自分にも驚きだ。「清楚」だって感じたのは服装が大きなウェイトを占めていたんだろう。だから学校ではなんとも思わなかったのか。
 可憐な佐藤さんの後ろに並んで順番を待つ。
「お会計、735円です」
 佐藤さんはバッグから財布を取り出す。そこはさすがに普通の中学生らしく、ポーターの財布だった。佐藤さんが会計を済ませたので、レジに黄色いラバーブレスを出す。店員さんはもちろん同じセリフを言った。僕は後ろポケットから財布を引っ張り出して735円ちょうどを差し出した。店のテープが付いたラバーブレスを受け取り、ポケットに突っ込んだ。振り返ると先に会計を済ませた佐藤さんと、なぜか大輔もいない。あんにゃろ、どこ行ったんだ。エスカレーターがある場所へ踵を返すとエスカレーター沿いにある財布売り場にいた。仲睦まじそうに財布を見ているから、しばし座視でもしよう。
「私、こういうのが欲しいんですよね」
「それか〜。ちょうど俺も狙ってたんだ。買ってやろうか?」
 何が狙ってるだ。佐藤さんに合わせてるだけなんだろ。
「いいですよ。高いですし」
 佐藤さんは財布の間に挟まっていた値札をぺロッと出して大輔に見せつける。それを見た大輔は見る見るうちに顔が青ざめていった。ここからだと値段は見えないけど大輔の様子から察するにかなり高いんだろう。
「い、いいよ。買ってやるって」
「私のために無理しないで下さい。大輔くんは自分のためにお金を使って下さい」
 二人とも俯いちゃってすごく気まずい雰囲気だ。僕が出ないとどうしようもないか。今来たかのように振る舞って登場する。
「なんかあったみたいだね。どうかした?」
「何でもねぇよ。行こうぜ」
 大輔は極めてドライに返してくれた。湿っぽい空気が苦手なのか、それを避けようとする性質があるからな。小学生のころは卑屈だったんだろうけど、元々は明るい性格なんだろう。神経を逆撫でするような発言にならなくて良かった。
「あ、あの。大輔くん、翔平さん」
 佐藤さんのことを考えてなかった。どうも性格が掴みにくいから印象が残らない。影が薄いのってそこいらの事情も絡んでるのか。初対面で存在を忘れられるなんて相当なことだ。佐藤さんは視線を床に落として数秒止まり、何かを決意したのかバッグを持つ両手を強く握り締めた。そして頑迷な眼差しを僕たちに向けた。
「一緒に帰りませんか?」
「俺はいいけど、翔平は?」
 なにその即答っぷりは。賛成するしかないじゃないか。佐藤さんは大輔と僕を誘ってる訳なんだから。ここで断って印象を悪くしたくないってのもあるけど。
「いいよ」
「良かった」
 佐藤さんは安堵したみたいで緊張感を張り巡らせていた表情に弛みを見せた。やっと中学生らしい面持ちになった。佐藤さんを先頭にそそくさとエスカレーターに乗る。
「なんで俺たちと帰ろうと思ったの?」
「ここでは話しにくいですから外に出てからにしましょう」
 大輔を挟んでいるから少し聞き取りにくかった。視線も前に向けたままだったから尚更だ。
 一体どういう意味だろう? 僕たちに用でもあるのかな。今日は偶然会っただけなんだし、こういう機会がなかったら何もなかったのかな。大輔とは仲が良いみたいだから用があれば直接言ってくると思うけど……。硬派の考えは分からない。
 エスカレーターを降りて、人が介在する一階を潜り抜けた。外に出ると涼しさに慣れてた体が熱気に包まれて一瞬眩暈がした。少し立ち止まってしまう。遅くなった分を取り戻すべく、早歩きして二人に並んだ。
「でさ、どんな話? めっちゃ気になるんだけど」
「大したことじゃありません。ただ、先輩がどうしているのかが気になって」
 先輩って誰だろう。僕たちに聞いてくるってことはバスケ部の誰かのことなんだろう。街路樹がある狭い通りに出たので二人の後ろにくっついた。誰なのかを訊ねてみる。
「先輩って誰のことですか?」
 佐藤さんが少しだけ後ろを振り向く。斜め三十度くらいだ。
「隆、先輩です。……小谷先輩って言った方がいいのかな」
「はあっ?」
 僕たちの反応に佐藤さんは「やはり」といった様子で、晴れない顔つきになった。佐藤さんと先輩ってどんな関係なんだ。「隆先輩」って懇ろな間柄にならないと呼ばないぞ。先輩って、呼び名は自分を呼んでるってことが分かれば良いと思ってる人だから、勝手にそう呼んでも問題はない。でも女子だぞ、女子。男子の範疇とは訳が違う。
「佐藤、ちょっと落ち着こうか。その話は俺も聞いてないぞ」
「聞いてないって、大輔くんには話してませんから、当然です」
 ここは一旦取り纏めよう。歩きながらなんてとてもじゃないが無理だ。頭がパンクしてしまう。前からも後ろからも人がなだれてきてるから、路地裏に出よう。
「とりあえず次の路地を曲がろう。そこなら人が少ないから」
 二人とも合点したみたいで、頷いた。建物が立ち並ぶ方に寄り、大輔を先頭、僕を殿に縦列して歩く。曲がる角のところでサラリーマン風の人とぶつかりそうになったが、ノープロブレム。ささっと横切った。僕が止まると後ろの人が追突してしまうけど、路地裏から出てくるなら止まっても大丈夫だからだ。三人で輪を作る。右に大輔、左に佐藤さん。
「隆先輩とはどういう関係?」
 大輔がいきなり切り出した。怪訝そうな目つきで佐藤さんを見ている。身長が167センチなのに圧迫感がある。佐藤さんが10センチくらい低いからだろうか。

「付き合っていたんです」

 決然とした様子で言いきった。でもそれとは逆に空気が淀む。その原因は……過去形だからだろう。そしてこのギャップ。こんなにも強く言いきれるなんて、なんだか悲しい。
「付き合っていた? じゃあなんでそんなにも先輩に固執するの?」
 我慢ならない大輔が怒りを抑えた調子で、短く言葉にした。今は佐藤さんを「好き」という感情ではなく、「友達」としての感情なんだろう。友達である自分に言ってくれなかったことを抑えて、抑えて、真実を質そうとしている。そんな大輔が堪らなくいとおしく思えて、言うだけなら「かけがえのない親友」と呼べる気がした。
「大輔くんも翔平さんも気づいてるでしょう。六月に入ってから先輩の様子がおかしくなったこと」
「そりゃ誰だって気づく」
 先輩のあの表情を思い出してしまう。全てが変わったあの日。――いやだ、思い出したくない! 薄ら寒い感覚が背筋を這う。
「私たちが別れたのは五月の終わり。それがどうも関係しているように思えるの。人恋しいとか口走ってなかった?」
 佐藤さんの切実な瞳に吸い込まれる。
「様子はおかしかったけど、そんなことはなかった。な、翔平」
 そう考えれば佐藤さんと別れて自分を制御できなくなったっていうのも頷ける。頭を執拗に触ってきたのもそういうことなんだろう。

 ――お前は、誰か好きな人いる?

 先輩が豹変した初日の言葉。表情が窺えなかったから、声だけが繰り返される。佐藤さんと別れたから感情が揺らいだんだ。僕を求めたのは人恋しかったから。「空元気」って言ってたのはそうでもしないと自分の気持ちを抑えられなかったんだ。きっと、そうなんだ。
「翔平」
 大輔の声で現実に引き戻される。ああ、右肩も触られていた。
「いや、先輩にそういう兆候は見えたよ」
「どんな?」
「異様に僕と接したがる」
 あれ、でも。引っかかる。ラバーブレスを着けてる理由を訊いたときは慳貪な態度をしてどこかへ行ってしまった。僕と接したがるんだったら一貫性に欠ける。佐藤さんが消えて、その心に空いた穴を埋めるために、僕が拒んででも接してくるはずだ。だけどそうしなかった。理性で抑えられるほど瑣末なことだったのか? ……先輩は一体何を考えているんだろう。
「そうなんですか」
 今まで黙っていた佐藤さんが消沈した。自分が原因だって分かったからだろう。恋人が居なくなるだけであそこまで人が変わるかは理解しがたいけど、僕たちにできることは先輩を全力でサポートすることだ。このまま何もしなかったら先輩は壊れてしまう。心に空いた穴を埋めてやらなきゃ。
「よくよく考えるとそうだな。別れたときのキズは深いってか。俺たちで何とかしてやろうぜ」
「僕も今そう思ってたとこ。先輩が僕たちを励ましてくれたように、今度は僕たちが励ます番だね」
「おう」
 大輔が友達で良かった。本当に、いなくなったら誰も代わりがいない。大輔以外に「かけがえのない親友」と呼べる人はいないよ。いや、そんなにいても困るか。
「私は、どうしたらいいんでしょう」
 ダメだ。佐藤さんの存在をすぐ忘れてしまう。原因を作った張本人なんだから、今しがたの大輔とのやり取りには相当傷ついたと思う。僕はすかさずフォローに回った。
「基本的に関わりがないし、あったとしても自然体に振る舞えばいいと思うよ」
「そうですね。二人きりになったら気まずくなるとは思いますけど、頑張ってみます」
 物分かりが良い。ただ、硬派なのがいただけない。もう少し物腰が柔らかになれば学校切っての容姿の持ち主、性格の良い生徒になると思う。こんなにも美少女なのに存在感が無きにしも非ずだ。
「それでは私はこの辺でお暇させていただきますね。今日はありが」
「もうちょっと一緒にいようよ〜。方角も一緒なんだしさ」
 いつもの調子に戻った大輔が佐藤さんの言葉を遮った。だいぶ打ち解けたと思ったんだけどなぁ。口調が崩れない。ここまでされると本当にどこかの御令嬢なのかと疑ってしまう。困惑してる佐藤さんをそそのかす。
「大輔の言うとおりだよ。一人より三人の方が良いでしょ?」
「……お二人がそう言うのなら、そうさせていただきます」
「よっしゃ。男二人で帰るなんて、つまらなくてどうしようかと思ってた」
 すっぱりと言わないでくれ。当人がいる前でそういう話するか普通。あ、大輔は所構わずってタイプだったか。それなら仕方がない。

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