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手が届くなら空元気(2)
「今年も注意されちゃった……」
 続けてため息が出る。というか出ない方がおかしい。そのまま机に突っ伏そうとすると
「よぉ」
「あ、大輔。終わったんだ」
「おうよ」
 力なく声をかけてきたのは、僕をバスケ部に誘った張本人の大輔だ。机の隣に居て、しかめっ面をしている。僕は椅子を引き、大輔の方を向いた。
「元気ないみたいだけど、どうしちゃったわけ?」
「元気ないは余計」
「へいへい。教室ではいつも元気がない翔平くんだけど、今日は一段と元気がないですね」
「分かってないじゃないか」
 それに「くん」付けとか、気色悪い。大輔はうんざりした様子で頭を掻いた。でも先輩が豹変してから、前より元気がなくなったのは本当なのかも。
「じゃあ、『元気がない』がなかったら何をきっかけに話すわけ?」
 ……痛いところを突いてくる。大輔は屁理屈好きだから僕ごときじゃ論破できない。小谷先輩だったらどうなんだろう。部活での先輩は見るけど、友達と話す姿は一度も見たことがない。部活中に違う先輩たちと絡むときは、いづらいから僕はするりと抜けちゃうから分からない。先輩のこと、何も分かってないな……。
「それはいいけど。なんかあった?」
 大輔は机の前に移動していて、向かい合うために僕は体を前に向けた。二重瞼とか、鼻の位置が適切だとかで、顔のパーツは良いとは思うんだけど、仕種で全てが台無しになる。大輔は両膝を床に着けて机の上で腕組みをした。そしてその上に顎を乗せてニヤニヤしている。さっきのしかめっ面はどこにいったんだか。
「さっきの歯科検診でね、『もう少し口を大きく開けてね』って言われちゃったんだ」
 語尾が尻すぼみになる。それを訊いた大輔は一瞬きょとんとした後、「ぷっ」と吹いて大笑いしやがった。それはもう腰が抜けるぐらいだったようで、視界から消えた。な、何がそんなに面白いのやら。僕たちは最初の方で、教室にはまだ数人しか居ないのがせめてもの救いだ。
「お、お前、そんなことでしょげてたの。この真面目くんめぇ〜」
 言ってる合間に笑いが入るのがなんとも気に入らない。そして、言いきった後に僕の隣に擦り寄ってきて二の腕辺りを肘でつついてきた。……よく分からないけど僕も楽しくなってきた。大輔は人の笑いを誘う笑い方をする。だからこそ、一緒に居たいと思えるのかな。笑っていればなんだって忘れられそうだから。それが一番の幸せだとは言えないけど、眼前に広がる悩みをどうにかできるって思える。先輩のことだって、どうにか――。
「もうっ、そんな笑わないでよ。みんなも見てるんだし」
「だ、だってだよ。男子中学生がそんなみみっちいことでしょげるとは思いもしなかったからさ。もっと夢を見ようぜ。ああ、翔平のあの顔思い出すだけでも笑えてくる」
 人目をはばからないのが大輔らしいけど……さすがにそれは笑いすぎ。過呼吸から落ち着きを取り戻したものの、まだ破顔してる大輔を見るとまた口を開いた。それ以上何を言うつもりなんだ。
「先輩にも見せたかったなぁ」
 大輔にとっては何とはなしの一言だったんだろうけど、僕には重く感じた。先輩にそんな顔見せたら、また豹変させてしまいそうだ。それだけは――避けたい。
 教室に居合わせたクラスメートはもちろんのこと、歯科検診から続々と戻ってくるクラスメートにも僕の言動は瞬く間に広がっていき、ネタにされたのは言うまでもない。


***


 放課後。教室から部活動に散っていくクラスメートをのんびりと観察していた。二年に上がってからクラス替えはあったけど、もうこの学校生活も一年と二ヶ月が経っているというのに、未だに顔と名前が一致しない人が数人居たのが自分でも驚きだ。しかもその数人の一人を除いて、みな男子だったということだ。女子の方はすんごく影が薄い人で仕方ないと思ったけど、男子はみんな濃い面子でその連中で組織が出来上がってるような感じだった。なんで今まで気づかなかったんだろう。あれだけ存在感があったら、否応でも頭に入ってきそうなんだけどなぁ。
「なにボーっとしてんの? まさか今日のことがあったから、ボーちゃんになって全スルー? これからもそうだとしたら貫き通すの大変だな」
「ないない。絶対無い。――っていうか、やめぇい!」
 右の耳朶で囁いていた人物に裏拳をかましてやった。「うをっ」とか言って悶えてる。何の前ぶりもなかったから効き目は抜群のようだ。我が手で制裁を加えた者を見ると思ったとおり、大輔だった。胸を両手で押さえてるから本気で痛いのかな。
「大丈夫?」
 立ち上がって手を差し出すとペチンと払われた。痛いなぁ。呼吸が乱れてて本当につらそうに見えてきた。はぁはぁしすぎ。
「その裏拳、俺のハートに響いたぜ。俺は大丈夫だ……先に、先に行ってくれ。早くしないと姫が捕らわれ、る」
「またそれ?」
「なんだよぉ。ノリ悪いなぁ。ここは『あなたの意思は僕が引き継ぎます』とか言って、去り際に息を漏らすとグッドなんだよ」
 グッド、と言うときに右手を挙げて親指を立てた。ノリなのに妙に情感がこもってるのはなぜでしょう。
「どこの演劇部ですか」
「お前はノリが悪いっつってんの。ワカラナイやつだなぁ」
「分からないのはどっちなんだか」
 そう言うと、大輔は両手で頭を抱えた。今のはそんなに問題発言だったのか。
 表面ではクールに装ったけど、僕に友達が少ない理由……そこいらへんなのかな。真面目で、直情的なまでにノリが悪い。大輔は茶化してくれたりする。先輩は僕の身の上話を熱心に聞き入ってくれる。居心地が良いから。だから、友達と呼んでいる。何分冗談でもない。友達と言っているのに、与えられるだけ与えられて、一切与えていない。それは僕にとって居心地が良いけど、大輔や先輩にしてみたら迷惑でしかない。僕に合わせているだけ。きっと、そうなんだ。僕のことなんか『友達』とは思ってない。自分勝手な『知人』、その程度なんだ。
「早く行こうぜ、翔平」
「ああ、うん……」
 テンションが通常モードに戻った大輔の後に引っ付いて僕たちは教室を後にした。


 そういえば今日は
「体育館が使えない日か」
「だからボーっとしてたんじゃないの? 翔平は俺と違って、出場する機会があるかもしれないからいいよなー」
 憎まれ口を叩きやがって。
「確かに僕の方が身長は5センチ高いけど、大輔は器用なんだよ」
「器用って?」
「小回りが利くだとか」
「そうだね。でも俺と翔平は元からポジションが違うじゃん」
 どうやら機嫌を損ねさせてるみたいだ。ここは一つ穏便に事を運ぶことにしよう。
「い、いずれにしても中総体に起用される場面があるといいね」
「だな」
 二人で階段を下りていく。すると踊り場に着いた辺りで、後ろから階段を下りる小気味良い音がする。その音だけが誇張されて、いやでも耳に入る。先生か? ……それはないか。こんなにリズム良く刻める先生はこの学校に居ない。音楽の先生はスニーカーだからあんな音出ないし。足音は近づいてきても変わらず、暖かいリズムを刻んでいる。それは独特なもので、三歩進むと音が鳴り止み、少しするとまた三歩進む音がする。これは
「よっ! お前ら」
 足音が止まったと思ったら快活な声が聞こえた。既に後ろを向いていた大輔は誰だか判ったみたいだ。僕も声で判った。振り向きざまに声を出す。
「先輩!」
 大輔と声が揃った。
「元気だねぇ。俺にも分け与えて欲しいぐらいだ」
 そう言って小谷先輩は僕たちの肩をパンパンと軽めに叩いた。僅かな間だけど見えた瞳の翳り。それが意味するものは……僕には分からなかった。大輔は目を輝かせる。ああ、そうだった。大輔は先輩を憧憬の的として見てるんだった。僕も負けず劣らず、先輩は憧れの的として見てる。まぁあのときみたいに追いつける距離に居なくて、高嶺の花同然だから羨望の眼差しに近いものがあるけど。大輔はうきうきした調子で口を開く。
「先輩は有り余るぐらい元気じゃないっすか」
「そうそう。六月に入ってから逆に元気が良くなったんじゃ?」
 忘れもしない三日前の六月二日は、先輩が僕の態度で豹変した日。
 先輩は親指と人差し指を開いて額を抱える。先輩の髪型は僕たちみたいにスポーツ刈りじゃないから、頭皮は直視できない。と言ってもそれほど長い訳でもない。今は前髪がデコにくっつくぐらいだ。下りてきた先輩の頭部からふっと良い匂いがした。これは……ラベンダーの香り?
「それは否定しないけど、空元気って言うの? 今の俺はそんな感じだと思う」
 だんだんとおかしくなってきてるよ、この人。このまま無事に卒業できるのか? 頭部からあんな匂いは普通しないって。絶対になんか付けたな。まだ高校生でもないって言うのに。というか高校生でも付けないと思う。普段は背に差があって頭部の匂いなんて確認のしようがないけど、いつもはこんな匂いを漂わせていない。先輩が座ってて僕が立ってるときには気付くだろうし。気になったらもうラベンダーの香りが鼻から離れなくなってしまった。会ったときは何も感じなかったのに。不思議。先輩の反応に、二人とも何も言えないでいると先輩は痺れを切らしたのか、手を二回叩いてどんよりとした流れを切った。短気だなぁ。
「さー、いこいこ。回れェ右!」
 言われるがままに体を動かす。ただ「1、2、3」なんて掛け声はなく、くるりと半回転。大輔もそんな緩い感じで回れ右をした。
「君たちィ、やる気ないね。回れ右はこうするのだよ」
 と言って先輩が僕たちの前に来て直々に実演してくださった。
「イッチ! ニィ! サンッ!」
 掛け声が腹の底から出てます。見事です。お手本として全校集会のときに見せたいくらいです。でも階段を下りる女子生徒がドン引きしてるのですが、いいのでしょうか。中には引きすぎてかかとをぶつけて、尻餅ついてる生徒までいます……。先輩は長身で、一重瞼を除けば、どちらかといえばかっこいいからそういう醜態は晒さない方がイメージ保持に貢献できると思います。
「行こうじゃないか、後輩たちよ」
 先輩はまた僕たちの後ろに回って、優しく背中を押した。階段で僕の隣に並んだとき、ラベンダーの香りがしたのは自明だ。こんな馬鹿な先輩と付き合ってるのに、なぜだか心が穏やかになれた気がした。

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