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高く遠く女は度胸、男は愛嬌(2-4)

 初夏の風に髪がなびく感触がなんとも懐かしい。髪を縛らないで学校に来るなんて小学校以来だと思う。中学時代はバドミントン、そして今はテニスをやっている。そのどちらも、やっている時に髪が邪魔になるので、ずっと髪を縛ってポニーテールにしてきた。ない日でも違和感があったから髪を縛っていた。
 そして今日。決意の意味も込めて髪を縛らずに来て教室に入った。
「イメチェン?」
「髪下ろすと印象変わるもんだね」
 なんて言われ、結局は
「嫌なことあった?」
「フッタの? フラれたの?」
 言われてしまった。

***

 いつもと違う髪の感触による違和感や、クラスメートの視線を感じつつ一日の授業が終わって放課後になった。カバンを持ってテニスコートに向かう。普段は部活に向かう生徒や、帰る生徒の存在は何も感じなかったが、今は視線を向けられているように感じる。そんなことないのに。髪を縛っていた一生徒が縛らなくなっても、私を知らない人は何も感じないのに意識してしまう。
「おー、だっち」
 後ろから声が聞こえた。呼び方だけで分かる。振り返ると俊介先輩が大仰に手を振っていた。
「お疲れ様です。後姿でよく分かりましたね」
「ダメダメ。今日からはツンデレだっち」
 そうだった。昨日レクチャーされたんだ。俊介先輩と大野先輩の前ではツンデレになれと。大野先輩と付き合うためには振られるまでの状態で接していても変わらないから、何かを変えるべきだと。そして至った結論がツンデレだった。俊介先輩は後ろを向いて歩いて私と距離を取って振り返った。
「やり直し、テイクツーね」
 ピースサインを出す。二回目ってことなんだろう。
「ほら、早く向こう向いて」
「あ、ああ」
 言われたように向こうを向いて少し歩き出そうとする。
「おー、だっち」
 半身になって振り返る。
「う、後姿でよく分かったな。な、何か用か?」
 私の考えるツンデレ像のツンは先輩にタメ口だった。
「ダメダメ。もっとはきはきしよー」
「先輩ですよ。やっぱマズいと思います」
 俊介先輩は目を細めてこれまでにない真剣な表情を見せる。
「これまでどおりに接してだっちは耐えられるの? キャラ変えないと無理だって」
 正論だった。自分を隠さないとやっていけないと思う。それに大野先輩がどんな反応を見せるかだって気になる。
「ま、今日のところはいいよ。部活もあるだろうし。それと」
 俊介先輩は空を仰ぎ見る。
「今日はサッカー部紅白戦だから『アレ』狙ってみなよ」
「はい」
 そうして俊介先輩はいつもの場所に姿を消していった。先輩は今日もあそこで寝るのかな。雨の日は流石に寝ないはずだ。でも今日は清々しいくらいの晴れっぷりだ。寝るのには最高だ。
「綾子、そんなとこ見てどうしたの? 俊介とでも話してた?」
 急に話しかけられて身体がビクッと震えた。その疑問が当たりだったというのもあるかもしれない。
「紗枝先輩。そうです、密会してました」
「やましいことでもしようとしてたんじゃないでしょうね?」
「どうですかね。ご想像にお任せします」
「綾子と俊介か」
 顎に手を当てて思案を始めてしまった。どんな結論を出すんだろう。
「アリね」
「いやいや、ないですよ」
「あるかもよ。優しくされてころっと乗りかえ」
 そんなわけない!
「それより綾子が『紗枝先輩』って呼んでくれた!」
「呼びましたけど、何か?」
「素直じゃないなぁ。まあいいよ。今日は部活出るでしょ?」
 真顔で迫ってくるのがちょっと怖かった。

***

 基礎トレーニングが終わって、休憩に入った。皆は思い思いに休んでいる。静かにテニスコートから抜け出そうとそろそろと足音を立てずに出口を目指す。
「綾子」
 呼びかけられて肩を叩かれる。恐る恐る振り返ると紗枝先輩だった。
「ど、どうかしました?」
「とてつもなく怪しい動きをするんだね。出るなら普通に出ていけばいいのに」
 笑顔が怖かった。周囲を見てみると訝しげに見てくる部員がちらほらいた。
「まあいいや。ジュースでも買いに行こう」
「はい」
 萎縮しながら先輩の後ろをついてテニスコートを出た。少し歩いたところで紗枝先輩がくるっと振り返った。腰に手を当ててなにやら不機嫌そうだった。
「あんたねー、何やるにしても出るなら堂々と出て行きなさい。インハイ近くて皆カリカリしてるのに、無断で休むなんて士気が下がるっ!」
 もっともだった。試合に出ない私でも練習のサポートくらいはできる。紗枝先輩が一歩近づいてくる。
「で、何やるつもりだったの?」
「その、大野先輩と密会です」
「また違う男と密会って、どんだけ男いんのよ」
 カリカリすると言っていた本人がとてもカリカリしていた。頭をかきむしってとても嫌そうにしている。と、動きがピタリと止まった。そしてゆっくりと視線がこちらに向いてくる。
「大野、って晴喜のこと?」
「そうです」
 紗枝先輩は視線も肩もガクッと落としてどこか近寄りがたい雰囲気になった。そして、緩慢と歩き出して私の肩をポンポンと優しく叩いてくれた。
「負けないでね」
 事情を察してくれたのだろう。顔を上げると……紗枝先輩は笑っていた。
「じゃ、私はジュース買ってくるから。健闘を祈る」
 そう言って親指を立ててくれた。颯爽と自販機のところへと向かっていく後姿を無駄に眺める。私にはもったいないくらいの良い先輩だ。
 首を振って頭をリセットする。今度は大野先輩だ。グラウンドに視線を送る。サッカー部も休憩のようで練習らしい練習はしていなかった。大野先輩は、っと。姿が見えない。もしかして大野先輩もジュースを買いに行ったのかな? 校舎近くにある自販機を見てみる。
「話してる」
 紗枝先輩と大野先輩が自販機の前で密会していた。大野先輩は汗を拭うためかタオルを首からかけている。そろりと足音を立てないように近づいていく。二人とも話に熱中していて気づかないようだ。時折笑顔もこぼれている。
「あ、ここにいたんですか」
 いかにも紗枝先輩に用事があったかのように振る舞ってみる。紗枝先輩は私を見た後、大野先輩の様子を窺って、また私に視線を移した。そして巻物を開くような仕草をした。
「晴喜に会いたい子のご登場、の巻」
 私に合わせるか考えてくれたようだが、合わせてくれなかった。
「綾子さん、どうして」
 大野先輩は面食らった感じで戸惑っているのが手に取るように分かる。大野先輩が一歩踏み出したところで
「私はお邪魔みたいだからお先に失礼するねー」
「あ、ちょっと」
 大野先輩とハモってしまった。取り残された二人に沈黙が流れる。この嫌な雰囲気を払拭するためにも『アレ』の出番だ。
「今日暑いなー。夏の到来も近いんじゃないかなー」
 声が上擦って演技という感じが丸出しだった。大野先輩はそんな私の姿を見てまだ困惑気味だった。大野先輩のいる場所は日陰になっていて、私がいるのは日向だ。
「そこ、す、涼しそうだなー。入っちゃお」
 大野先輩の隣まで歩み寄って同じ方向を向く。間は一人分くらい空いている。大野先輩の様子を窺おうと顔を向けてみると、大野先輩もそうしてきて途中で視線がぶつかった。私は咄嗟に上を向いて演技を続ける。
「日向にいたから汗が出てきちゃってる。あはは。でもタオルとか持ってないし、どうしよっ」
「俺のでよければ貸す?」
「えええっ?」
 予想外の事態に思わず身体を退いてしまった。私が大野先輩のタオルを使うのが嫌だと思ったのか、大野先輩は下を向いていじけてしまった。
「男のだし。汗臭いし。つ、使うわけないよね」
「そんな滅相もありません。汗臭いなんて全然気にしません。むしろ使わせてください」
「そっ、そう」
 願望が表出したせいなのか、若干退き気味ながらもタオルを差し出してくれた。わざとタオル越しに手を触れてビクッと反応するのを楽しみながら受け取る。
「ありがとうございます」
 額やこめかみを拭きながらその柔らかさに現を抜かしてしまった。ふと我に返って大野先輩をちらりと見る。汗を拭いている時にこっちを見ているのは気がある証拠だって俊介先輩が言っていた。今は信じたいと思う。
「汗拭くとスッキリするなー」
 また演技がかった声を出してしまう。素を出せていたのはタオルを使わせてくださいって言った時くらいだ。想像していた以上に現実は厳しかった。
 一通り拭き終わったタオルをいつものクセで鼻に持っていってしまう。
「うはっ」
「やっぱ臭かった?」
 思わず声が出てしまった。汗のにおいであることは確かなんだけど、臭いとは感じない。むしろ爽やかだ。スポーツをやっている人の汗って臭くないと訊いたことがある。まさにそんな匂いだと思う。
「素敵な香りですよ」
「その表現はどうかと思う」
 匂いの論評を終えたところで、大野先輩にタオルを返す。
「あ、ありがとう」
「うん」
 私が所々でおかしな言動をするせいか微妙な空気になっていた。タオルの匂いが『素敵な香り』って表現したのもあるだろう。
「それじゃ、練習頑張って」
「はい」
 手を挙げてこの場から去ってしまう。返事以外に声を掛けられないまま終わってしまった。
 胸に手を当てる。すごくドキドキしている。大野先輩の汗の匂いを嗅いだから興奮したとかそんなことはこれっぽっちも……いや、少しはある。でもこの感情は昨日までのドキドキとは違う。昨日までは大野先輩に対しての期待があった。今は自分が大野先輩にどう見られているのかが気になっていた。素の自分とそうでない自分。接しているときは一杯一杯でそんなことなんて考えてないけど、一人になってしまうと素を出せていない自分が嫌になる。でもそんな自分では大野先輩には認めてもらえなかった。自分を変えるしか方法はないのかな。
「あやこー。もうすぐ休憩終わるよ」
 テニスコートの入り口近くで紗枝先輩が大きく手を振っている。
「今行きます!」

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