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高く遠く女は度胸、男は愛嬌(2-3)

「決めた!」
「急にどうしたの」
 放課後、校内をうろついていたら偶然安藤先輩に会った。いまいち踏ん切りがつかなかったけど、こんな偶然があるんだ。今日は言って良い日だ!
「その……告白、です」
「さっきの威勢のよさとは裏腹に自信なさげね。それで本当に大丈夫?」
「大丈夫です。思い立ったが吉日です」
 そう言ってぐっと親指を立てる。テンションが上がってきてる私とは逆に冷めた目をくれる先輩。
「まー、遅かれ早かれするんでしょ? いつ?」
「見つけたらすぐです。どこにいるか分かりますか?」
「知らないよ。あいつのことだから早く行って部活の準備でもしてるんじゃない」
「ありがとうございます」
 安藤先輩は一つため息をついて、親指を立てた。
「頑張ってね」
「はい!」
 優しいお姉さんに送り出された感じだ。
 ちょっと決心が早すぎたかな。昨日、安藤先輩がそうなれるよう応援してくれるって話だったのに。でももう告白すると言ってしまった手前、退くに退けない。
 胸の前に握りこぶしを置いて、大きく息を吐く。私ならできる!

***

 とりあえず校舎を出たところで、ジャージ姿の集団を見つける。あの背中はきっと
「晴喜先輩!」
 一つの背中が振り向いた。間違っていなかった。続いて周りにいた人たちも振り返る。
「晴喜の知り合い?」
「そうだよ。どうしたの?」
 不思議そうな顔をして私の所に歩み寄ってくる。その距離、2メートルといったところだろうか。そこで止まった。後ろにいるサッカー部員と思われる方々が野次を飛ばしてくる。
「晴喜の彼女?」
「ちげーっしょ。『先輩』って言ったぞ」
「女引っ掛けるのうまいからなー、晴喜は」
「お前らうるせーよ。先行ってろ!」
 晴喜先輩がその野次を飛ばしていた連中に大声を上げる。
「あいよ。晴喜も遅くなんなよ」
「分かってるって」
 晴喜先輩がまたこちらを向いてくれる。緊張した面持ちだ。
「どうかした?」
 そんな表情とは逆に優しく声を掛けてくれた。でもここで告白するのは恥ずかしい。放課後すぐの校舎前はあまりにも人通りが多すぎる。こんなところで告白しようものなら噂がすぐに飛び交ってしまう。移動しよう。
「あの、ちょっと場所移しませんか?」
「あんま時間ないけど、すぐ終わる?」
「はい。手間は取らせません」
「そっか」
 晴喜先輩と並んで校舎裏の駐車場に来た。場所としてはすごく微妙だけど、人目を避けるといったらここだ。心置きなく告白できる。
 決意の気持をこめて、晴喜先輩を一心に見る。
「あの、晴喜先輩」
 こちらをじっと見てくる。風が流れて、私の髪が揺れる。手で顔に掛かった髪を直す。
 強い気持ちでいよう。
「晴喜先輩と会ってから、普段は書かない日記なんかも書くようになったりして私自身変わりました。すごく楽しいです。きっとそれはこれからも変わらないと思うんです」
 一瞬も外してこない視線に耐えられなくて伏せてしまう。唇をかみ締めてなんとか続ける。
「晴喜先輩の傍にずっと、ずっといたいです。一緒に帰ったり、お昼を食べたり、時には喧嘩したり。でも、それでも一緒にいたらきっと楽しいと思えます。だから――」
 顔を上げる。晴喜先輩はさっきより表情が硬くなっているが、視線をずらさずに私のことを見ていてくれる。
「私と、付き合ってください」
 言い終わってしばらくの間目をぎゅっと瞑ってしまった。
 恐る恐る目を開けてみる。そこにはさっきと変わらない晴喜先輩がいる。風が私の上がっていた体温を冷やすように流れる。風になびく晴喜先輩の短髪がいっそうかっこよさを増して

「ごめん」

 分かっていた。分かっていたけど、どこかで私だけは特別なんじゃないかと思っていた。私ならOKを出してくれるんじゃないかって。そんなことはなかった。私ごときじゃ晴喜先輩の「初めて」にはなれないよね。ごめんなさい、安藤先輩。色々な感情が湧き出てきて、自分が自分じゃないように感じられてきた。立っている足もだんだんと力が抜けていく。
 どれくらい経っただろう。深々と下がった頭はゆっくりと上がってきた。
 そんな顔見せないでよ、お願いだから。……声が出なかった。
「綾子さんの気持ちには応えられない。俺は、勝たなくちゃいけないから」
 横を素通りしていく。別の意味での緊張が解けたのか、膝からくず折れる。
 迷惑かけちゃってごめんなさいが言えなかった。振り回すだけ振り回して告白。最低な女だよ。でもそうだよ。先輩が気のあるそぶりなんか見せるからだよ。勘違いしちゃう。――でもこれで良いんだ。私なんてお荷物がいたらサッカーで勝てなくなっちゃう。私が彼女だったら、先輩は気を遣って練習時間を割いてまでデートをすると思う。
 ここまで考えて……現実を受け入れようとしている自分がいるのに気づいた。

***

「だーれだ」
 気持ちが落ち着いたところで学校の敷地内をふらふらと歩いていたら、急に目隠しされた。匂いや手の大きさ、声からして
「男の人? ここの生徒さんですか?」
「そーだよ」
 これ以上は分からない。聞き覚えがあるような、ないような微妙な感じだ。ここはあてずっぽうでいこう。クラスメートの
「関田くん?」
「違うよ」
 マジで心当たりがない。罰ゲーム的な感じでやらされてる、とは思えない。私の目を覆う手からは優しさを感じる。
「ホントにわかんない?」
 今思った。耳朶に当たる吐息がくすぐったい。これが男の人の吐息かと思うと、ちょっと胸がドキドキしてきた。
 もしや晴喜先輩? んなバカな。一度振っておいて、私のところに来るなんて悪趣味だ。これで告白してきてもOKしないからな。
 と、何の前触れもなく、視界が開ける。目が慣れてなくて明るさに一瞬めまいを覚えた。風が通り過ぎていく。
「じゃーん、俺でしたー」
 両手をおっぴろげて自分をアピールする男子が一人。
「俊介先輩じゃないですか」
「おっ、名前覚えてくれたんだ。偉いぞお」
 そう言ってポンポンと頭を叩いてくれる。その手が優しかった。心地良かった。
「私をいたずらして楽しいですか?」
 当たり前の質問をしたら、呆けた顔をして首を傾げる。
「楽しい」
 一言。この人は一体何なんだろう。友達いなくて寂しいからやってるのか? このアホさ丸出しっぷりに下心は感じられない。
「今日は部活ないの?」
「あります」
 訊かれて気づいた。急がなきゃ。
「失礼しますっ」
「待ってよ」
 肩を掴まれて進軍を妨げられた。なんだっていうんだ。早く行かなきゃ部の先輩に怒られる。俊介先輩は校舎を指差している。校舎で面白いことでも起きているのか? 不純異性交遊を堂々とやっているのだろうか。視線を校舎に送る。
「始まってもう30分じゃない?」
 校舎に掛かっている時計の時刻は午後4時30分を少し回ったところだった。部活の開始は4時からだから、今から言っても遅い、か。肩を落としてがっくりうなだれる。無断で休んじゃった。しかもそろそろ外周の時間だ。ここで部員と鉢合わせてしまうのはすごく気まずい。
「行かない?」
 私のそんな気持ちに気づいてくれたのか、俊介先輩は肩を叩いてこの場から離れることを提案してくれる。親指で差した場所は、プールとテニスコートの間にある茂みだった。
「はい」
 木々の間から覗く陽だまりが印象的な場所だ。

***

「一緒に座ろ」
 俊介先輩に肩を抱かれたまま木の前まで誘導された。私、お嬢様でもなんでもないのに、素晴らしいエスコートだった。でも抵抗することもなく、松の木の根元に二人並んで座った。結構距離が近い。拳一個分くらいしか間がない。
 どこか気分が優れない。部活に行かなくて正解だったかも。
「あやちん」
「へ?」
 驚いて隣を見てしまった。俊介先輩は屈託のない笑顔で笑っていて、楽しそうだ。あだ名をつけてくれるのかな? 今度は「違うなー」と唸ったりして、思案した結果出たのが
「だっち」
「ダブルダッチでもやるんですか? もう一人いないとできないと思います」
「ちがーう。あやちんのニックネームだよ。だっち」
 満面の笑みを向けられても私は困るわけですが。今まで、「綾ちゃん」とか俊介先輩が言っている「あやちん」なんかは呼ばれたことあったけど、「だっち」は初めてだ。
「どこをどうすると『だっち』になるんですか?」
「山田の『だ』から取って、だっち」
 親指を立てて勝ち誇ったような顔されても……。この人と話していると一気にペースに飲み込まれてしまう。俊介先輩は身体を斜めに向けてきて会話をする体勢を整える。動いた拍子に眼鏡がきらっと光る。
「もうすぐインハイでしょ? 練習サボって大丈夫なの?」
 誰が誘ったんだと言いたいけど、了承してしまった私も悪い。でも今の精神状態じゃ行っても迷惑になるだけな気もする。
「大丈夫かそうじゃないかって言ったら大丈夫じゃないです。でも今日はちょっと」
「ふーん。じゃあゆっくりしていきなよ」
 ここはあなたの家なんですか、というのが脳裏に浮かんだけど、ゆっくりできるのは確かなのでやめておいた。野球部の声が遠くから聞こえてくる。そういえば、俊介先輩がかけている眼鏡って
「伊達ですか?」
 俊介先輩は眼鏡のフレームを触ってくいっと上げる。右手には赤いミサンガを着けているのが見えた。
「そーだよ」
「いつもかけてるんですか?」
「うん。眼鏡かけてると頭よさそーに見えるでしょ?」
 とりあえず頷いておく。今までの言動を鑑みるに頭が良さそうだとはこれっぽっちも見えない。こないだ寝てる間に見た時はちょっと知性を感じたけど今はちっともない。すれ違う人に頭良さそうと感じさせるのが狙いだよね。何も言わないでいるとむくれて正面を向いてしまった。
「そんな奴には見えないってか。いーもんね。見返してやる」
「そんなことないです。とても知的に見えますよ」
「いくらお世辞言ったってもう遅いよ。これからだっちとは聞く耳持たない」
 ナチュラルにだっちと呼ばれると一瞬何の事かと思ってしまう。って、そんなこと考えている場合じゃない。俊介先輩は完全にそっぽを向いてしまった。その表情を窺いたくて回り込もうと膝をつけて立ち上がろうとすると、急に静かな笑いが起きる。その笑い声の主は、俊介先輩だった。
「分かってるよ。バカがいくら知的に見せよーとしても無理だもんな」
 自分を卑下するように笑って、肩を大きく落とした。これ以上私が何を言っても焼け石に水だと思う。そっとしておくのが一番だ。
 元いた場所に静かに座る。今度は少し距離を取って。
 隣を見る。今日の服装はグレーのパーカーに黒のジーパンだった。見た目だけなら至って普通の男子生徒という感じだ。でも、こんな人でもサッカー部にいたということを考えると、見た目だけで判断してはいけないと思う。
「サッカー部だったんですか?」
 唐突な問いにも拘らず、俊介先輩はすぐにこちらを向いて答えてくれた。
「去年まではね。今は生物部でのんべんだらりとやってるよ」
 生物部。言われてみればそんな雰囲気はある。
「でも誰から聞いたの? だっちは一年生だよね」
 ぽかんとして訊いてくるのは当然の疑問だった。今は、今はその名前をあまり言いたくない。けど、自分が言い始めたことだ。きちんと応えないと。生唾を一つ飲み込んで言葉を地面にぶつける。
「大野先輩、です」
「大野? もしかして『はるるん』のこと?」
「たぶんそうです」
 またしても変なニックネームが出てきた。大野先輩の名前は『晴喜』だから合っているはずだ。
「はるるんと知り合いなの? てことは前来てくれたのって、はるるんに訊いたから?」
「そういうことになります」
 その人の話はあまりしたくない。身体を丸めて、顔を膝に埋めてしまう。思い出したくない。
「はるるんがどうか」
 そこで話す声は打ち切られた。大野先輩が悪いわけじゃない。告白してくる女の子は一人残らず振ってきたんだ。それに、初めて一緒に帰った日に言っていた。サッカーに集中したいって。私一人だけ浮かれてたんだ。告白する前の関係に戻りたい。
 ふと首筋に温もりを感じる。俊介先輩が腕を回してくれているんだ。でもそんなことをする俊介先輩の真意が分からず、おずおずと顔を上げてみる。
 俊介先輩は何も話そうとはせず、真っ直ぐ前を向いていた。今はその優しさに縋っていいのかな。
「大野先輩はとても優しくて、すごく良い人です。それは……分かってます。でも。私が勘違いしちゃっただけで」
 なんで私、会って間もない人にこんな心情を吐露しちゃってんだろ。自分が情けなく思えてきた。また顔を埋めてしまう。首筋にあった腕は今もまだ優しく包み込んでくれていて、ぐっと引き寄せてくれた。その優しさが、今の私にはいとおしかった。
 顔を上げてその胸に身体を預けようとする。と、頭の方から声が降ってくる。
「俺はだっちの彼氏じゃない」
 身体を離して俊介先輩の様子を窺う。伊達眼鏡の奥に光る瞳は真剣そのものだった。
「俺だって男だから勘違いしちゃうかもよ。それでもいいなら俺の胸で泣いていいよ」
 我慢、できなかった。思考が停止していた。私は俊介先輩の胸で泣いた。

***

 ようやく、嗚咽もおさまってきた。
 身体を離して目頭を押さえる。あ、グレーのパーカーだから濡れているのが目立ってしまった。
「色々とすみません」
「謝るぐらいなら最初からすんなよー」
 俊介先輩は笑い飛ばしてくれたのでいくらか気分が紛れた。それより今何時だろう。近くに放ってあったカバンから携帯を取り出す。17時ちょっと前だった。これからどうしよう。というか、俊介先輩は大丈夫なのかな。まだ木に寄りかかっている俊介先輩に声を掛ける。
「部活とか行かなくて大丈夫なんですか?」
「週3回しか活動してないし、顔出さなくても問題ないから気にすることないよ」
 文化部ってそんな緩いものなんだ。初めて知った。
「もう受験勉強とかしてるんですか?」
「そーだね。俺の場合は特に勉強しなきゃなんないしさ」
 こうして話しているとサッカーに未練はなさそうだ。周りから色々言われてやめたって雰囲気ではない。
「それより、だっち」
「は、はい」
 声がワントーン下がって、真剣な雰囲気になった。
「はるるんと仲良くなりたい?」
 正直なところ、どちらともいえない。このまま関係を切るのが大野先輩にとって良いことだとは思う。傷つけてはしまったけど。
 ……安藤先輩が、大野先輩は振っても以前のように接してくると言っていた。それに私は耐えられるのだろうか? 耐えられたとして、その先に私の望む未来があるのだろうか。私は何を望んでいるんだろう。大野先輩と付き合うこと? 気持ちの整理ができていない。
「そうなりたいなら俺が教えるし、手伝ってあげるよ」
「ぜひお願いします」
 大野先輩のことを諦めきれなかった。ねちっこいと思われても良い。失敗は成功の元とも言う。
 なんとか自分にそう言い聞かせ、1年来の付き合いになる俊介先輩から大野先輩の扱い方をレクチャーされた。


「分かりました!」
 すぐ隣のプールを使っている水泳部の人たちに迷惑になりそうな大声で言ってしまった。でも、それだけ自信がついた。
「はるるんには彼女いてほしいから頑張って」
「どうしてですか? 安藤先輩もそう言ってましたけど」
「安藤、って安藤紗枝のこと?」
 急に血相を変えて迫ってくる。眉根に深く皺を寄せていて、初めて見る表情だった。怖くて後ずさりしようとしたら木にぶつかってこれ以上下がれないことに気づく。俊介先輩から距離を取ろうと横にじりじりとずれる。
「し、質問に質問で返すのは良くないですよ」
「そうだな、ごめん」
 ゆっくりと身体を引いてしゅんとしてしまった。地面に視線を向けたまま静かに話し始める。
「はるるんに彼女がいてほしい理由だったよね。あいつはサッカーに没頭しすぎなんだよ。少しは気を抜いてほしくて」
 そして鋭い目つきでこちらを見てくる。
「さっきの質問。だっちが言ってる安藤先輩、っていうのは安藤紗枝のこと?」
 さっきみたいに凄みは見せなかった。でも声色がさっきまでレクチャーしてくれたときのような陽気さは微塵も感じない。そんな俊介先輩に立ち向かう勇気はあった。
「そうです。部活の先輩なんです」
「テニス部か」
 小さく呟くとそこで会話が終わってしまった。気まずい空気が流れる。幼馴染の存在を話題に出しただけでこんな雰囲気になるとは思ってなかった。そういえば安藤先輩も俊介先輩と話さなくなったって言ってたな。安藤先輩の話し方を見るに、原因は俊介先輩が作っていそうだった。しかしこれ以上立ち入った話をするのも危険な気がした。今の俊介先輩は外界からの攻撃を遮断する貝のようだ。日も傾ぎ始め、陽だまりとはいえないような場所になっていることに気づく。
「って、時間大丈夫ですか? 付き合わせてしまって」
「だいじょーぶい」
 まさかの死語を使ってきた。恥ずかしげもなくVサインを突き出している。見ているこっちが恥ずかしくなってきた。
「俺が誘ったんだし、だっちは気にすることないよ。それよりだっちの方こそ大丈夫?」
 カバンに入っているケータイを取り出して時間を確認した。18時10分前だった。後30分ちょっとでテニス部の活動が終わる。この時間まで学校にいたくせに部活に出ていないことがバレたら色々と厄介だ。そろそろ帰ろう。
「だいじょばないです」
 ちょっと死語かもしれなかった。

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