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高く遠く女は度胸、男は愛嬌(2-1)

 翌朝、いつもと同じように準備して家を出る。今日で今週も終わりだ! いつもウキウキ気分で登校する金曜日。
「どこに乗ってるんだろ」
 駅が近づいてきたところで、そんなことが口から出た。私はいつも改札に近い一番前の車両に乗ってる。入学からまだ一ヶ月ちょっと。一度も晴喜先輩を見かけたことはなかった。サッカー部は朝練があるってわけでもないから、きっとこの電車に乗ってるはずなんだけどな。
 今日も一人寂しく電車に乗って学校を目指す。

***

 いつもどおり授業を受けて、お昼休みは友達と食べて、放課後は部活だ。何も変わらない日常。変わるといえば、晴喜先輩と帰れることかな。って、今日も一緒に帰れるのか分からない。でもそれを活力に今日も頑張ろう。帰りのホームルームが終わり、みんな部活に行ったり、友達とおしゃべりしたりと自由気ままだ。私も部活に行こうっと。教室を出てテニスコートを目指す。そういえば、晴喜先輩がこのテニスコートとプールの間にいつも人がいるって話をしてたな。どんな人なんだろう。気になったら止められなかった。
 テニスコートとプールの間には大きな木が一本生えていて、人が二人くらいしか通れない。こんなところに人なんているのかな。そんな疑問をよそに、いそいそと進んでいく私。足元は雑草が生え放題で、足首くらいまで伸びている。
「あ」
 思わず声を出してしまった。大きな松の木の下に人がいた。男の人が足を伸ばして座っている。胸元に花柄の模様がついたロンTに下はジーパンだ。私が来たことには気づかず、目を瞑ったまま木によりかかっている。よりかかるというか、頭以外は地面に接している。寝そべっているという表現の方が合ってるかも。ロンT1枚にたぶん下着1枚しか着ていないせいか、身体のラインが綺麗に出ている。今で言う細マッチョというタイプだ。でも眼鏡をかけているせいか、知的に見えないこともない。恐る恐る近づいていっても、男の人は微動だにしない。この人がサッカー部のエースと言われてた俊介先輩って人なのかな。
「眼鏡かけてる?」
「ん、んんー」
 起こしちゃった!
 男の人は両腕を思いっきり突き上げたりして身体を伸ばしている。右腕には赤いミサンガを着けていて、動きと一緒に上下する。ひとしきり身体をほぐした後は眠そうに目を擦って、口元を手で隠して大きな欠伸を一つした。隠しきれてないけど。
「だれ?」
「あ……わ、わ。私は1年の山田綾子って言います!」
 無駄に威勢を張ってしまった。その様子に驚くこともなく、まだ眠そうに頭をぼりぼりと掻いてる。
「ふーん、そ。俺は3年の藤崎俊介でーす。よろしくね」
 この人が俊介先輩っていうんだ。子どもらしい満面の笑みを浮かべて、これまた子どもらしい前に突き出すピースサインを作った。なんなんだろう、この人は。変な感じだ。
「こんなとこに来るなんて君もよっぽど物好きなんだね?」
 今度は一転して、プールの方を向きながらどうでもよさげにそんなことを言う。晴喜先輩が言ってた。陽だまりで休んでる人って。確かにそうだった。
「別にいーけど」
 そう言ってまた目を瞑ってしまった。試験勉強か何かでよっぽどお疲れなんだろう。
 一方的に話されてどうしたら良いか分からないまま終わってしまった。私は眠りを妨げないように静かに退散を決め込んだ。
「――ふう。変な人だったな」
 大きな木の横をささっと通り抜けてアスファルトに出た。一路、テニスコートを目指す。
 でもあの人、サッカー部のエースって感じではなかったな。どっちかっていうと吹奏楽部のエースって感じだった。そりゃ確かに体格は良かったけど、いかにも覇気がない感じが文化系に見えた。そんなことより、今は部活に集中しよう。

***

「お疲れ様です!」
 今日もまた安藤先輩以外の人が先に帰ってしまった。
「あーやこ、一緒に帰ろ」
「はい」
 荷物を持って安藤先輩と一緒に帰る。
「昨日はあの後、晴喜とどうだったの?」
「いきなりその話ですか」
「もちろん。晴喜はモテるくせに彼女作んないから、その第一号として綾子に期待してんの」
「責任重大じゃないですか。――晴喜先輩とはあの後、普通でしたよ。普通に私のこと『かわいい』って言ってくれました」
「あぁっ?」
 なまはげみたいな顔にならないでください。怖いです。
「あいつ、女の子をその気にさせといて振るって言うタチが悪いタイプとは聞いてたけど、そこまでとは」
「そうなんですか」
「そうそう。初対面でそんなこと言われて、しかもあんなに爽やかボーイでしょ。騙されてもおかしくないよね」
「騙されるって私も入ってますよね……」
「綾子にはそれを打ち破って欲しいの。晴喜にもきっと良い影響があるだろうし」
 どうやら私は安藤先輩に全てを託されているようだ。精一杯その期待に応えたい。というか、晴喜先輩と付き合うのは私の本意でもある。話に熱中してたせいか、すでに校門前の坂まで来てしまった。
「今日はサッカー部、いませんね」
「部室見てくる?」
「行きましょう!」
「そのアグレッシブさ、良いよ」
 安藤先輩はにっこりと微笑んでくれた。
 サッカー部の部室はグラウンドの奥にある。というか、私たちが使っている女子テニス部も同じ場所だ。無駄に歩いて来てしまった。踵を返して部室を目指し……って
「先輩は来ないんですか?」
「一人で行ってきなさいって。それくらいの度胸は必要。女は度胸! 男は愛嬌よ」
 反対です。自信満々って感じで言わないでください。でもあえて突っ込まないでおいた。だって現実問題として、そんな社会になってきてる気がするから。
「じゃあ校門で待ってるから」
 気を取り直して、また前に進み始める。まだ野球部は残って練習してて偉いなんて思いつつ部室へ向かった。いなかったらどうしようとか、友達何人かと部室に残って話してたらどうしようとか、考えてたけどそんな不安は杞憂のようだった。
 部室のドアは少し開いていて明かりが漏れているが、声は聞こえてこない。隙間からそっと中を覗き込む。思っていた通り、晴喜先輩は一人で残っていた。黒のTシャツに、下も黒のハーフパンツだ。晴喜先輩は自分のエナメルバッグをごそごそとあさり始め、帰り支度を始めた。後ろを振り向いて、意を決する。右手をぎゅっと握って胸の前に置く。
「大丈夫、私ならいける」
 そう、自分に言い聞かせる。
 一応、小さくノックしてから勢いよく部室のドアを開けた。
「あ。えええっ!」
 全力で閉めてしまった。息が荒い。呼吸を整える。
 えーと、そんな驚くことでもなかった気もするけど……またそろりとドアに手をかけたところで勝手に開いた。中にいる晴喜先輩が顔を出す。ちょっと顔が紅潮気味だ。
「ど、どうしたの?」
「あれ、服。着てる」
「着替えてる間に人が来ると思ってなかったからびっくりしたよ」
 そう。私は一瞬、晴喜先輩の上半身裸を見てしまったのだ。今でも目に焼きついてる。あの均整のとれた体型、特に綺麗に6つに割れた腹筋に釘付けだった。一瞬だったけど。今は無地の赤いTシャツを着てる。そのシャツも素敵です。
「今日も一緒に帰る?」
 まさか先輩から誘ってくれると思ってなかったから興奮が最高潮だ。鼻息を荒くしながら
「はい、もちろんです」
 答えてしまった。印象悪くならないかな。先輩は爽やかに笑い飛ばしてくれたけど、心の中では「気持ちわるっ」とか思ってんのかな。でも、私はそういう人物なんだ。受け入れて欲しい。
「ちょっと待ってて」
 言われるがままに部室の外で待機する私。いかにも高校生って感じで青春してるぅー。
 外はもうすでに真っ暗で野球部のランニングする音や、投球練習の音が聞こえてくる。高校って素敵な場所だな。
「お待たせ」
 なんと! 後ろを向いてた私に気づいてもらうためか、肩に軽くタッチして頂いた。申し訳ない。でも安藤先輩が言ってた話が本当なら、今の行動に微塵も下心がないってことになる。やり手だ。女の子を泣かすやり手だ。
「紗枝先輩は一緒じゃないの?」
 なんとも思ってなさそうなその顔が憎らしい。が、見ていると愛らしく思えてしまう私は晴喜先輩に恋してる。
「校門のところで待ってるって言ってました」
「そうなんだ」
 ここで会話が止まってしまった。校門を見ると女生徒の影が一つ。安藤先輩かな。二人きりはやっぱ緊張してしまう。晴喜先輩をチラッと見ると、偶然にも同じタイミングで見合ってしまった。視線がぶつかる。めっちゃ無理して笑みを作ったけど、先輩は顔を背けてしまった。恥ずかしかったのかな。
「そういや、テニス部、なんだよね? どうして運動部に入ろうと思ったの?」
 斜め前を向いたまま話してはぐらかす感じが私の胸にズキュンです。上擦った声も好きです。って、質問に答えなきゃ。
「やっぱ、なんといっても人間って体力が資本じゃないですか。今の内に鍛えておこうと思って」
「そういう『目標』って素敵だよね」
 なぜか遠い目をする。分からない。何が良いんだろ。
「晴喜先輩は何が目標でサッカー部に入ったんですか?」
 視線を落とした後、今度は自嘲するように小さく声を上げて笑った。
「俺、サッカー部のエースとして期待されてんだ。でさ、結果出せなかったらどうしようとか、チームの目標に――って女の子に何言ってんだろ」
 顔を手で覆ってしまった。ここは私の気の効いたコメントが必要だ。えーと、うんと。先輩は今、自分の情けなさに失望してるわけだから。
「結果なんて出せなくても良いんじゃないですか。サッカーってチームスポーツじゃないですか。一人の責任じゃないと思いますよ」
「そうだよね、ありがと」
 あははって乾いた笑いをくれた。結構気の効いた言い回しだと思ったけど、今の先輩には何を言っても無駄みたい。なんて話してたら校門のところで大げさに手を振ってる女生徒が一人。安藤先輩だ。私も大きく手を振り返す。そうすると、親指を立てて「よくやったね」とお褒めの言葉を頂いた。
「二人とも恋仲って感じだったよ」
「いきなり茶化さないでください!」
 晴喜先輩は語気を強めに言ったが、安藤先輩はそれでも屈さなかった。
「そんなこと言って実は綾子に手え出したんでしょ?」
「肩は触りましたけど……」
 そこで言いよどむと更に畳み掛けてくる。この構図、面白いかも。
「触らなくても女の子を誘惑したらその時点で……って触ったあああ?」
 語尾を伸ばしすぎです。というか、それ以前に気づくのが遅いです。それに安藤先輩もちゃっかり晴喜先輩の肩触って揺すってるし。
「やだなあ。ソフトタッチですよ」
「女の子はデリケートなんだから、ソフトタッチでも嫌だと思う子もいるの。ね、綾子」
 二人に見つめられて答えを言いにくい。安藤先輩の顔の近さもちょっと怖いし。でもここは本音を一つ。
「わ、私は晴喜先輩になら触られても良いです」
「こういう子だったから良かったものの、私だったら怒り心頭よ。ひっぱたいて逃げてるかも」
「そういうもんなんだ」
 私たちに圧倒されたのか、声もか細く萎縮してる感じだ。
「次からは気をつけるよ、ごめんね、綾子ちゃん」
「いえ、私は全然構わないです」
 言い終わってからも見詰め合ってたら恥ずかしくなって、今度は私が先に顔を背けてしまった。安藤先輩はこういう展開になるように仕向けてくれたのかは分からないけど、ありがたかった。少しずつ距離が縮んでるのを実感できる。晴喜先輩は女の子と付き合わないって言うのが嘘のように思えてきた。
「綾子、ちゃんですってえっ! 私も紗枝ちゃん、って呼ばれたーい」
 ボディタッチの話に集中してたから呼び方なんて気づかなかった。昨日は「綾子さん」って言ってたのが、たったの一日でちゃん付けになった! でも男の子にとってちゃん付けってどうなんだろ。私に好意を持ってくれてる、んだよね。
「紗枝先輩は先輩じゃないですか。言えるわけないじゃないですか」
「冗談よ。そんなんで焦るなんて晴喜もまだお子ちゃまね」
「お子ちゃまって……」
 晴喜先輩はそこで押し黙ってしまった。男としてのプライドが傷つけられたのだろうか。いつものやり取りより過激だったのかもしれない。安藤先輩に耳打ちする。
「今のは言いすぎだったんじゃないですか」
「いつものことだって。すぐに立ち直るから」
 切り替えが早いんだろう。
「それじゃ帰ろー。おー」
 安藤先輩は一人テンションが高い。
 ……それにしても、この二人のやり取りを見ていると、自分が入っていって良いのかと思う。晴喜先輩はとても紗枝先輩を尊敬している。ただ、そこに恋愛感情としての「好き」という感情があるかは微妙なところだけど。そういえば
「お二人はどういうご関係なんですか?」
「やけに丁寧ね。ほら晴喜、答えてやって」
 安藤先輩は隣に居た晴喜先輩の肩を叩いて話を振った。晴喜先輩はビクッと身体を震わせる。
「紗枝先輩から俺に対してはいいんですか」
「いいに決まってるじゃない。それとも触られるのが嫌だった?」
 安藤先輩はすごみを効かせる感じで睨みつけた。
「そんなことはないです。むしろ触られて嬉しいっていうか」
 へへへ、とニヤケ顔の晴喜先輩。鼻の下を伸ばしちゃってる顔がかわいい。すると安藤先輩が自分の身体を抱きしめるような仕種を見せる。
「嬉しい? 変なこと考えてんじゃないでしょうね」
「かっ、考えてないですよ。それより紗枝先輩の方が怪しいですよ」
 お、珍しく晴喜先輩がキラーパスを返したぞ。安藤先輩は一つため息をついて、やれやれといった感じで肩をすくめた。
「それはいいから、早く答えてやりなさい。男でしょ」
「すみません」
 素直に謝る晴喜先輩に好感を持てた。最初は見た目だけだったけど、晴喜先輩と一緒にいる内に色んな晴喜先輩を知って……今はすごく素敵な人なんだって印象を受ける。
 晴喜先輩はこちらを向いて話し始める。
「昨日話した俊介先輩って覚えてる? あの人、紗枝先輩と幼馴染なんだ」
 テニスコートとプールの茂みにいたあの不思議な人か。
「サッカー部の先輩で俺と仲が良くて。紗枝先輩とはその繋がりで知り合ったんですよね」
「そうよ。あのころは三人で帰ったりもしてたよね。ちょうど、今の私たちみたいにさ」
 二人とも俊介先輩のことを思い出しているのか、そこで話が止まってしまった。私も考えてみよう。俊介先輩はサッカー部をやめたって言ってた。それから二人とは疎遠なのかな。
 何の会話もないまま歩いていると、踏み切りの音が聞こえてきた。心をせかす音だ。
「急ごう!」
 紗枝先輩の一声でダッシュを始める。走れば余裕で間に合う時間だと思う。
 改札をすり抜けて既に止まっていた電車に滑り込む。
「間に合った」
 額の汗を拭う仕種をするが、汗はかいてなかった。ほどなくして電車が走り始めた。息を整えている二人に私は話題を振ってみる。
「俊介先輩って人、見ました」
「どんなだった?」
 ここで出張ってきたのがなぜか、幼馴染といわれた安藤先輩だった。晴喜先輩は事の次第を見守っている感じだ。
「一言で言うと、変」
「初対面の場合は大概そういう感想を持つよ。変な人とか、不思議ちゃんとかね」
 私の感想が普通すぎたのか、安藤先輩はしょげてしまった。
「まー、元気そうだったから良かった」
「元気そう、って会ってないんですか? 幼馴染なのに」
 安藤先輩は晴喜先輩をイジって活き活きしていた時のような面影は全くなく、哀切した表情を見せる。
「学校の行き帰りで挨拶することはあるんだけどね。それ以外は全然話さなくなっちゃった」
「受験勉強で忙しいんじゃないですか?」
 これまでずっと遠巻きに見ていた晴喜先輩が入ってくる。三年生、か。安藤先輩も次の大会が終わったら引退してこうして一緒に帰ることもなくなっちゃうのかな。
「あのバカがそんなんで私と話さなくなるのかね。それに話さなくなったのはサッカーやめてからだったしね」
「バカって言い方はちょっと。紗枝先輩と同じ大学狙ってるみたいですよ」
「私と?」
 安藤先輩は目を真ん丸くする。ダイオウイカの目を髣髴とさせる大きさだ。
「スポーツ一筋だったやつが入れるような大学じゃないでしょ」
「そりゃそうですけど、本気みたいです」
「ふーん」
 それきり会話が途切れてしまった。俊介先輩はそんなにおばかさんなのか。でもあの雰囲気から察するに頭が良さそうな感じは受けない。頭の良い人はもっとハキハキ喋りそう。
 と、電車が止まった。
「じゃあまたねー。晴喜ぃ、綾子に変なことしたらただじゃ承知しないから!」
 安藤先輩はそんな捨て台詞を吐いて電車を降りていった。気まずい雰囲気になる。
「俺ってそんな軽い男に見えるかなぁ」
 電車が発車してから晴喜先輩は独り言のように呟いた。すかさず拾ってみる。
「見えます」
「ええっ?」
 驚きようが半端じゃなかった。周りの乗客が訝しげな目で見てきた。安藤先輩の声のボリュームも結構あったから、晴喜先輩はここでは「危険な男」というレッテルを貼られているということになる。面白いのでもう少し続けてみる。
「軽々しく女性の身体に触るところとか」
「ごめんって」
 顔の前で両手を合わせて謝ってきた。さすがにかわいそうな気がしてきたので、ここらで済ませておく。
「冗談ですよ。その、ホント身体触るのとか拒否ってないです」
「綾子ちゃん、それ、別の意味に聞こえる」
「別の意味って」
 抱きしめるとか、キスをするとか、そういうこと?
「ヤらしいこと想像しないでください」
「仕方ないよ。……男だもん」
 先輩イジりは案外面白かった。

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