HomeNovel << Back IndexNext >>
君色の光【その9】

 ずっと永沢のことを見ていると振り向いてくれた。視線が絡む。そういえば目を見て話すなんてことはたまにしかなかった。そのせいでオレの誠意を感じ取ってくれなかったかもしれない。これからは相手のことを、ちゃんと目を見て話そう。恥ずかしがったって何の意味もない。相手はちゃんと見てくれているのに、オレは見ないではぐらかすなんて失礼だ。場合によっては相手のことを傷つけてしまう。
 永沢のことを、外面は名前と大きな瞳でしか考えなかったけど、こうしてまじまじと見ると瞳以外もカワイイもんだ。最近の子らしい厚い唇は美しいピンク色で化粧の必要性は感じられない。小鼻……とは言いきれないけど常人よりは小さい鼻に、ほんのり赤みがかっているぷっくりした頬がかわいらしく見える。眉毛はちょっと手入れした程度で人工的でないのがオレには好印象だ。そして――こないだまでの大きな瞳は、ここに来て急に見ることがなくなった。だから大きく開くとなる二重瞼は最近はお目見えしていない。それを取り戻すためにも。
「永沢」
「和樹くん」
 声が合った。永沢に「どうぞ」と言われ、先を譲られて即座に頷いた。「レディーファースト」という言葉が頭を一瞬掠めたが、遠慮してちゃいけないよな。だからああいう事態になったんだし。
「永沢の気持ちに配慮できないかもしれないけど、こんな。こんなオレでよければ付き合ってください」
 これがオレの気持ち。
「喜んで。これからつらいことがあっても二人でがんばっていこうね。和樹くんは遠慮しないで。私はもっと自分を抑えるから」
 へ? 即答された。予想外すぎる。
「ほんと?」
「本当だよ。じゃなきゃ言わない」
「やった!」
 この子……いや、この人に常識を求めるのは酷なものか。言動とか突飛してるからな。何かを決めたりするのがオレみたいに優柔不断じゃないから即答できるのだろうか。でもオレ的には「うーん」とか唸って悩んでほしかった。永沢の悩む姿は嫌いじゃないし、そこいら辺は女の子っぽくなってほしかった。……でもそれがオレの惚れた人なのか。
 ん、永沢がいきなりへたり込んだぞ。どうしたのかな。生理、とか? オレそういうの詳しくないよ。とりあえずオレもしゃがみ込む。
「どうしたの、大丈夫?」
 声をかけるとオレのほうを向いてニコッと笑ってくれた。本当の笑顔だ。目が細まっている。この笑顔を取り戻せただけでも今日会えて良かったと思う。きっかけは永沢の行動でオレは動かなかったけど……。
「大丈夫だって。それよりも和樹くんは明日から学校来られる?」
「それは永沢のせいじゃん」
 笑いが抑えられない。オレは力を入れてられなくなって、床に手をついた。いいな、こういう関係。気心が知れてる人の前で笑いを抑えてどうするんだよ、って感じ。吹っ切れた。
「明日からはちゃんと行くよ。欠席日数が就職のときに響いたら嫌だし」
 就職って口では言ってもまだ何の仕事をしたいかとか具体的に考えてない。今は永沢といるのが楽しい。だけどそうやって嫌なことを後回しにはするな、って父さんが言ってたな。「今が楽しいからそれでいい」じゃ駄目だよな。やっぱ先々のことを考えて生きていかなくちゃ。
 コンコンと大きなノック音が部屋に響き、思わず顔を見合わせると永沢がぎょっとした顔をした。それがおかしく思えて笑いそうになったけどぐっと堪え、扉のほうを見る。ゆるやかに開いた扉の先には祐が立っていた。こんのやろっ、人の恋路の邪魔でもしに来たのか。
「楽しそうだね。まさか笑い声が聞こえるとは思わなかったよ。ねーちゃん、何したの?」
 祐はオレのほうじゃなく、永沢のほうに歩み寄っていった。やけにこの二人仲良い気がする。川澄先生ほどではないけど。あれは意思疎通しちゃってる。まぁ何にせよ永沢は人付き合いがうまいよな。オレも見習いたい。
「……秘密」
「気になる。何言っても兄ちゃんは木偶の坊みたいに感情出さなかったのに」
 で、でくのぼうっ? よくもそんな言葉がすらすらと出るな。んじゃなくて、兄ちゃんを「木偶の坊」呼ばわりしないでくれ。
「それはねぇ」
「こらこら。誘導尋問しないの」
 ここらで阻止しとかないと永沢なら言ってしまいかねない。なんだかこのことは二人だけの秘密にしておきたい。
「私はお兄ちゃんと付き合ってるのです。そういうこと」
 はあ……言っちゃったか。でも上手にオブラートに包んでるしいっか。と思ったけど、体は反応しちゃって、ほかほかあったかくなってきた。
「ふーん、そっか」
 オレいつの間にか俯いちゃってる。よくわからないけど恥ずかしいぞ。話の内容は……ああ、そっか。
「祐は彼女がいるからそこまですごいことだとは思わないんじゃない? さっき、永沢のこと『カノジョ』って言ってたしね」
 そろそろオレにも紹介してくれ。彼女の一言でなんだってやっちゃうんだろ? オレには考えられない。
「ねーちゃんならいいけど、他のやつには言わないでくれよ」
 祐は手で後頭部を持って視線を左上に移した。祐は彼女がいるってことを引け目に感じてるのかな。オレも中学生のころだったら彼女は持ちたくないと思った。それでもいてほしい彼女……一体何者なんだ。
「そろそろご飯だぞ〜、降りてこい」
 あ、父さんだ。
「はーい!」
 祐と声が揃った。こういう時に無駄に「兄弟」というものを感じてしまう。
「じゃあ私はそろそろ……」
「食べていきなよ。父ちゃんはそのつもりだと思う」
「え、なんで?」
 ごめん。オレも「なんで?」って訊きたい。
「なんで、ってねーちゃん来たの七時過ぎだったぞ。それは食べていくと思うだろ」
 こ、ここは調子を合わせるか。永沢が今日来てくれなかったらオレたちはまだあの微妙な関係のままだったと思うし。
「そうだよ。食べていきなって」
 永沢が心ならずもという感じで押し切った形になってしまったけど、お礼をしたい。今日の夕飯はオレが作ったワケではないけどね。永沢は承諾したあと、家に電話をかけたみたいで「分かってるって」と何度も言っていた。電話が終わったあとは不機嫌ぽかったから何のことかと思って訊いてみたら「迷惑かけないように」と念を押されたらしく、それで何度も「分かった」と言っていたそうだ。そりゃそうだよな。高二にもなって迷惑なんて誰が良くてかけるかってんだよな。
「じゃ、いこ」
 気を取り直して、オレたちは一階に降りていく。リビングへ入るとテーブルには湯気を立てている出来たてのカレー四人分と、中央には瑞々しいキャベツや大根をメインにトマトが添えられているサラダが置いてあった。さっすが父さん。永沢がうちで食べるなんて頭に全然なかったけど、祐と父さんは意思が通じ合ってるんだ。オレ、永沢はおろか祐とも通じ合えてないしだめだめだな。っと、落ち込んでないで永沢を左側の椅子に促す。あ、流れで永沢は奥に座ってしまった。
 仕方ないか。たまには左側に人がいる状況で食べるのも悪くないかな。オレは永沢の隣に腰かけた。
「和樹大丈夫なのか?」
「うん、もう大丈夫。心配かけちゃってごめんね」
 あれだけ安静にしていたのだから平熱に戻っただろう。オレは頭をぽりぽり掻いて「えへへ」と照れる。……こういうことするから祐に「キモい」とか言われるのか。
「彼女がお見舞いに来てくれたんだ。本当なら逆の立場になってほしいが……」
 父さんは唸って腕組みをしてしまった。この態度は決まって、相手に対して「申し訳ない」と思ってるんだよな。物理的な面もそうだけど永沢は何より精神面を守らないと、また元の関係に戻ってしまいそうだ。それだけは絶対に避けたい。父さんは組んでいた腕を解いて膝の上に手を置いた。
「こんなやつですが、これからもよろしくお願いします」
「はい」
 また即答してくれた。今は「こんなやつ」、なのかもしれないけど変わるよ。後回しにしないで、これから変わっていけばいい。その「後回しにしない」っていうのが難しいんだけど。
「なーなー、早く食おうぜ」
 祐の悠然な声でみんな食事モードに突入した。
「いただきます」
 永沢の右腕に当たらないよう注意して食べないと。まだ包帯を巻いてるから、ぶつかったら痛いかもしれないし雰囲気が悪くなる気がする。永沢の様子を窺っていると、いつもより動きがぎこちなく感じた。オレの左腕にぶつからないようにしているからだろう。過去はどうしても消し去れない。永沢に迷惑がかかってしまうけど、オレはこれからも左手で食べていくんだと思う。母さんより永沢が大切な人になったら……変わることが出来るのかな。真剣に考えていると永沢のあっけらかんとした声が耳に入って、どうでもよく思えてきた。
「あふふ」
「どう? 口に合う?」
「うんっ。さいこー」
 未来なんて何もかもが未知数。オレが高校中退して堕落した人生を送るかもしれないし、逆に勉強を頑張って東大に行くかもしれない。そうなるには今からどう生きていくのかなんだ。それと同じように永沢とすぐ別れることになるかもしれないし、結婚して老後まで一緒に生きるかもしれない。細かい枝分かれはあるけど結果は二通りだ。未来を決めるのは全て今で、変わらないと大きな路線変更はない。少しずつでもいいから永沢の理想の人になっていきたい。結果は後からついてくるんだ。永沢をどう思うかもその時々じゃないと分からない。考えるだけ無駄、か。「後悔するぐらいなら未来のことだけを考えろ」ってか。そうすればミスったことだってこれからの行動次第で修正していける。父さんが言いたいことがなんとなく分かった気がして、また一歩前進できた。小さな一歩だとしても積み重ねて行こう。


「ご馳走様でしたっ!」
 永沢の溌剌とした声に心が安らいだ。やっぱ永沢はこうでなきゃ!
 んあ、永沢がまたオレの左腕をじろじろ見てきた。またか。一週間前にも左腕をじろじろと見られた。あの時の答えは今日言ったんだけどなぁ。
「なんかついてる?」
「いや、ここまで綺麗に食べるまでどのくらいかかるのかなぁと思って見てた」
 そっちの話ね。えぇと。
「どのくらいかな……どのくらい?」
 記憶にない。食べ始めた時期はしっかりと……というか間違えようがないんだけど、完食できるようになったのはいつだろう。父さんと祐に返答を求めると、父さんが反り返って天井を見上げた。「あっはっは」と大仰に笑ってる。なんなんだよもう。
「左手で食べ始めたときは完食すらできてなかったよなあ」
「もう。そのときのことはいいよ」
 父さんに期待したオレが馬鹿だった。
「二、三年くらいじゃねー? 自分でそうし始めたんだから覚えとけよ」
「うん、気をつける」
「これからじゃ遅いだろ!」
 なんと! 永沢が突っ込んでくれた。いつもはおっとりしてるんだけどなぁ。こういう時は外には出さなくても中ではすごく熱くなってるんだろうな。今みたいな状況になった時、ぶるぶる震えてることあったし。
「二、三年だって」
 なんかオロオロしてるぞ? 答えてやったというのに。
「今日は泊まって行くんだって?」
 ん? 父さん何を言い出すつもり
「そうそう。ねーちゃん、泊まっていきなよ」
 祐まで乗ってきた。オレも悪乗りしちゃおう。
「うーん……泊まっていくの?」
 数的不利な中、永沢は固辞して食器をキッチンに持っていってしまった。ちょっとやりすぎちゃったかな。嫌な予感がしてキッチンにいる永沢の表情を見てみると機嫌は良さそうだ。悪乗りしたオレら三人に嫌気が差したとかではないみたいだから安心。
 あれ、永沢は腕に包帯巻いてるってのに食器を洗おうとしている。手には巻かれてないから出来るだろうけど、腕に水がかかったら色々と嫌だと思う。
「いいよ。オレがやるから、永沢は休んでて」
「体調の悪い和樹くんには任せられない」
 う、うん……。完璧に調子が戻ったワケじゃない。食べる前は寒気がしていたし、今でも少し寒く感じる。この状況をどう打開しよう。
「俺がやるよ〜」
 おっ、よく言ってくれた弟よ。永沢を前にしてもいつも通りの祐はすごい。オレはどちらかといえばシャイだから人前では本来の自分を隠しているんだ。永沢に対してはもちろん、他の人に対しても素のオレを出していこう。
「い、いいの?」
「ああ。まかせとけ」
 祐は本当に頼もしいな。オレにはもったいないくらいの良い弟だ。祐に見合うぐらいオレも良い兄ちゃんになろう。でもやっぱり彼女がどういう人なのかは気になる。

HomeNovel << Back IndexNext >>
Copyright(C) 2008 らっく All Rights Reserved.