君色の光【その10】
「今日は何から何までしてくれてありがとうございました」
そう言ってオレの隣にいる永沢は慇懃に頭を下げた。本当だ。オレが永沢の立場だったら食べるだけ食べて、後片付けもしないなんて申し訳が立たない。
「いやいや、これぐらいしかおもてなしが出来なくてすまないね」
「十分です。カレー美味しかったです! サラダも」
「そう言われると作った甲斐があるなあ」
永沢とのやり取りに父さんはふんわりと微笑む。とても自然だ。父さんは嬉しいから笑ってる。オレはいつでも笑っていて心情が読めるなんてレベルではない。長年付き合ってる父さんには分かるかもしれないけど、付き合い始めて間もない永沢はオレがどういう気持ちなのか全然分からないと思う。自分の気持ちを優先するって時には大切なことなんだろう。
「ねーちゃん、またなー」
「うん。またね」
「いつでも遊びに来なさい」
「はい。それではまた」
傍目で見てるオレもすごい心が温まる。オレにもこんな家族が出来るのかな。……由香との家族が。
「それじゃあオレは永沢を送るよ」
玄関の扉を開けて永沢を先に行かせる。オレも続いて出ると、思っていたより暖かい風が顔にかかった。
「結構暖かいね。Tシャツだけでよかったかも」
「そうだね」
この前のことがあるから用心してジャージを羽織ったんだけど、失敗だったか。まぁいいや。家に戻るのは永沢に迷惑かけるし、暑かったら脱げばいいだけだ。寒かったら服がないと駄目だけど暑いのは大歓迎。といってもオレは頑丈だけど、永沢は案外暑さ寒さに弱そうだから自分が良ければ全てよしってワケじゃないんだよな。
なんてことを考えていると永沢が後ろを振り返った。オレも少し遅れて振り返り、永沢を見る。なんか感慨にひたっていそうな顔をしているぞ。
「名残惜しい?」
「ううん。ここに来たときと今じゃ、私も和樹くんも気持ちが全然違うってふと思ってさ」
「そうか……そう、だね。今日はありがとう」
来てくれて。
静かに頷いてくれた。今日永沢が来てくれなかったらあの微妙な関係のままだった。永沢の決断力には本当に感謝している。一緒に帰ろうと言ってくれたのも、デートに誘ってくれたのも、全部永沢からだ。オレはといったら手を繋ぐことぐらいしかしていない。しかも相手の了承を得ずに強引に。そういうとこだけ強引になる自分が嫌だ。今度は永沢の了承を得てからにしよう。そのほうがお互いのためにもなる。でもなぁ、「嫌」って言われたらちょっと傷つく。決断できずにいると、永沢が気付いたみたいで声をかけてくれた。
「なに?」
知らず知らずのうちに永沢の手をじっと見つめていた自分が情けない。そりゃ、訊きたくなくても訊かなきゃいけない気になる。永沢に左腕を見つめられていたさっきのオレみたいに。
そ、そうだよな。今の雰囲気で断るやつなんかいないよなっ! 自らを奮い立たせて何とか声にする。
「……手、繋ぎませんか?」
永沢は顎に指を一本置き
「うん、いいよ」
すぐ答えを出す。永沢が悩むのって相当なことだと思う。こないだ「優しくしないで」って言われた時に悩んでいたのは多分オレのことで、だろう。永沢の中で考えに考え抜いた結果があれだったんだ。そんなこと考えてないで手を出さないと。オレが手を差し出すと永沢もすぐ出してきて手を繋いだ。いいな、この感触。穏やかになれる。ざわざわしていた気持ちが収束していく。指を絡めることは出来ないけど、いつかそうできるようになれたらいいな。今はこれでいいんだ。
そうだ。さっき聞きそびれてしまったことを訊いてみよう。
「……どうしてさ、オレのこと好きなの?」
オレは言ったけど、永沢は何でオレを好きなんだろう。
「は?」
永沢はぎょっとして歩調を乱してくれた。そのおかげで繋いでいた手が離れてしまった。
「そんなに変なことだったかな……」
離れてしまった手をポケットに突っ込む。なんなんだよ。ちょっとぐらい言ってくれよ。ケチ。そう思っていると永沢はゆっくりと口を開いた。
「最初は外見に惹かれたけど、今はその人間性……強さ」
「強さ?」
そんなものオレには全然ない。否定されるのが怖くて何も言い出せてない。永沢のほうがよっぽど強い。オレを突き放すことを言った後にオレにまた会いに来るなんて並大抵の精神ではない。永沢は澄んだ口跡で話を続けた。
「和樹くんは強いよ。何があっても私と関係を絶つなんてことは選択肢に入れなかった。どんなにつらく、過酷な道程でも受け入れられる強さを持っている」
オレの考えている「強さ」と永沢の考えている「強さ」は別物なのかもしれない。お互いがお互いのことを強いと感じる。それでいいのかな。
「永沢はオレを美化しすぎ。……オレはそこまで強くないよ」
すぐに結論は出せなかった。これは考えるべきこと、だよな。なんだか話しにくい雰囲気になってしまったが、また手を繋いで歩くとすぐに永沢が住んでいるマンションに着いた。
「じゃあオレはここで」
「待って! もうちょっとだけ」
ん、なんだろう。
「うん? どうしたの?」
「……部屋の前まで」
別に急ぎの用事があるワケでもないし。そんくらいなら。
「ん〜、いいよ」
「ありがとう。じゃあエレベーターで行こっ」
「オレがついてくるってだけで嬉しそうだなぁ」
さすがにそれはニコニコしすぎだ。破顔しちゃってる。もっと嬉しいことぐらいあるんじゃ……。女の子にとって彼氏と少しでも長い間いられるって嬉しいことなんだろうか。オレも永沢とは少しの間でも長くいられるなら嬉しいけど、相手に無理はさせたくない。……って、痛い!
手首を掴む力が異様に強い。おまけに全速力なもんだから、肩が外れてしまいそうで腕全体が痛い。――ふぅ。エレベーターに乗ってやっと解放された……。と思ったのも一瞬、久々にエレベーターに乗ったせいでグラリと来た。眩暈がしそうなくらいに。早く降りたい。やっぱ完全に調子は取り戻してないのか。そうこうしているとエレベーターのドアは静かに開いた。ええ! 永沢が一目散に降りて行った。オレより永沢のほうが具合悪かったのか? でも様子を窺ってみるとそういうワケではないみたいだ。顔色は良い。変なの。
「オレ、あんまりエレベーターって使わないから一瞬くらっときちゃった」
「ごめんごめん」
そう言って笑いながら謝る永沢。場面を理解している。ここで大真面目に謝られてもオレはどう反応すればいいのか分からない。オレの彼女――永沢で良かった。
「……ちょっと、恥ずかしい、かな」
「え?」
手を繋いでるってこと。
「さっきまで暗かったからよく見えなかったけど、こうして光に照らされて手を繋いでるってことが明白になると恥ずかしい」
だけど、嬉しくもある。手を繋ぐなんてことはふざけてやった以外で初めてだ。永沢と色々な「初めて」を経験している。相思相愛の状態で正式に付き合うことはもちろん、デートだって初めてだった。これからもオレたち二人で「初めて」を染めていこう。
永沢は繋いでいる手を一度見たが、また前を向いて歩き出した。永沢も恥ずかしいのかな。ちょっと息が荒い気がする。階段を右前方に見ながらずんずんと歩いていき、廊下の角に着いた。
「ここ」
「角部屋なんだ」
へぇ〜。永沢の家もそこそこはお金持ってるのか。
「じゃあ今度こそオレは帰るね。また明日」
「う、うん……」
永沢は少し寂しそうにしたけど、オレも帰らないといけない。夜道を一人で歩くのは男だって怖い。手を解いてオレは階段を降りていく。
うぅ〜。夏が近づいているとはいえ、夜はやっぱ涼しいもんだ。上は着てきて正解だったかも。永沢といた時は寒さなんて感じなかった。手を繋いでいたから……なのかな。永沢はあれで繊細だから、エレベーターに乗っていたときはテンパっちゃってたんだろう。
さ、早く帰ろう。オレは得意の早足でそそくさと家に帰った。
そう言ってオレの隣にいる永沢は慇懃に頭を下げた。本当だ。オレが永沢の立場だったら食べるだけ食べて、後片付けもしないなんて申し訳が立たない。
「いやいや、これぐらいしかおもてなしが出来なくてすまないね」
「十分です。カレー美味しかったです! サラダも」
「そう言われると作った甲斐があるなあ」
永沢とのやり取りに父さんはふんわりと微笑む。とても自然だ。父さんは嬉しいから笑ってる。オレはいつでも笑っていて心情が読めるなんてレベルではない。長年付き合ってる父さんには分かるかもしれないけど、付き合い始めて間もない永沢はオレがどういう気持ちなのか全然分からないと思う。自分の気持ちを優先するって時には大切なことなんだろう。
「ねーちゃん、またなー」
「うん。またね」
「いつでも遊びに来なさい」
「はい。それではまた」
傍目で見てるオレもすごい心が温まる。オレにもこんな家族が出来るのかな。……由香との家族が。
「それじゃあオレは永沢を送るよ」
玄関の扉を開けて永沢を先に行かせる。オレも続いて出ると、思っていたより暖かい風が顔にかかった。
「結構暖かいね。Tシャツだけでよかったかも」
「そうだね」
この前のことがあるから用心してジャージを羽織ったんだけど、失敗だったか。まぁいいや。家に戻るのは永沢に迷惑かけるし、暑かったら脱げばいいだけだ。寒かったら服がないと駄目だけど暑いのは大歓迎。といってもオレは頑丈だけど、永沢は案外暑さ寒さに弱そうだから自分が良ければ全てよしってワケじゃないんだよな。
なんてことを考えていると永沢が後ろを振り返った。オレも少し遅れて振り返り、永沢を見る。なんか感慨にひたっていそうな顔をしているぞ。
「名残惜しい?」
「ううん。ここに来たときと今じゃ、私も和樹くんも気持ちが全然違うってふと思ってさ」
「そうか……そう、だね。今日はありがとう」
来てくれて。
静かに頷いてくれた。今日永沢が来てくれなかったらあの微妙な関係のままだった。永沢の決断力には本当に感謝している。一緒に帰ろうと言ってくれたのも、デートに誘ってくれたのも、全部永沢からだ。オレはといったら手を繋ぐことぐらいしかしていない。しかも相手の了承を得ずに強引に。そういうとこだけ強引になる自分が嫌だ。今度は永沢の了承を得てからにしよう。そのほうがお互いのためにもなる。でもなぁ、「嫌」って言われたらちょっと傷つく。決断できずにいると、永沢が気付いたみたいで声をかけてくれた。
「なに?」
知らず知らずのうちに永沢の手をじっと見つめていた自分が情けない。そりゃ、訊きたくなくても訊かなきゃいけない気になる。永沢に左腕を見つめられていたさっきのオレみたいに。
そ、そうだよな。今の雰囲気で断るやつなんかいないよなっ! 自らを奮い立たせて何とか声にする。
「……手、繋ぎませんか?」
永沢は顎に指を一本置き
「うん、いいよ」
すぐ答えを出す。永沢が悩むのって相当なことだと思う。こないだ「優しくしないで」って言われた時に悩んでいたのは多分オレのことで、だろう。永沢の中で考えに考え抜いた結果があれだったんだ。そんなこと考えてないで手を出さないと。オレが手を差し出すと永沢もすぐ出してきて手を繋いだ。いいな、この感触。穏やかになれる。ざわざわしていた気持ちが収束していく。指を絡めることは出来ないけど、いつかそうできるようになれたらいいな。今はこれでいいんだ。
そうだ。さっき聞きそびれてしまったことを訊いてみよう。
「……どうしてさ、オレのこと好きなの?」
オレは言ったけど、永沢は何でオレを好きなんだろう。
「は?」
永沢はぎょっとして歩調を乱してくれた。そのおかげで繋いでいた手が離れてしまった。
「そんなに変なことだったかな……」
離れてしまった手をポケットに突っ込む。なんなんだよ。ちょっとぐらい言ってくれよ。ケチ。そう思っていると永沢はゆっくりと口を開いた。
「最初は外見に惹かれたけど、今はその人間性……強さ」
「強さ?」
そんなものオレには全然ない。否定されるのが怖くて何も言い出せてない。永沢のほうがよっぽど強い。オレを突き放すことを言った後にオレにまた会いに来るなんて並大抵の精神ではない。永沢は澄んだ口跡で話を続けた。
「和樹くんは強いよ。何があっても私と関係を絶つなんてことは選択肢に入れなかった。どんなにつらく、過酷な道程でも受け入れられる強さを持っている」
オレの考えている「強さ」と永沢の考えている「強さ」は別物なのかもしれない。お互いがお互いのことを強いと感じる。それでいいのかな。
「永沢はオレを美化しすぎ。……オレはそこまで強くないよ」
すぐに結論は出せなかった。これは考えるべきこと、だよな。なんだか話しにくい雰囲気になってしまったが、また手を繋いで歩くとすぐに永沢が住んでいるマンションに着いた。
「じゃあオレはここで」
「待って! もうちょっとだけ」
ん、なんだろう。
「うん? どうしたの?」
「……部屋の前まで」
別に急ぎの用事があるワケでもないし。そんくらいなら。
「ん〜、いいよ」
「ありがとう。じゃあエレベーターで行こっ」
「オレがついてくるってだけで嬉しそうだなぁ」
さすがにそれはニコニコしすぎだ。破顔しちゃってる。もっと嬉しいことぐらいあるんじゃ……。女の子にとって彼氏と少しでも長い間いられるって嬉しいことなんだろうか。オレも永沢とは少しの間でも長くいられるなら嬉しいけど、相手に無理はさせたくない。……って、痛い!
手首を掴む力が異様に強い。おまけに全速力なもんだから、肩が外れてしまいそうで腕全体が痛い。――ふぅ。エレベーターに乗ってやっと解放された……。と思ったのも一瞬、久々にエレベーターに乗ったせいでグラリと来た。眩暈がしそうなくらいに。早く降りたい。やっぱ完全に調子は取り戻してないのか。そうこうしているとエレベーターのドアは静かに開いた。ええ! 永沢が一目散に降りて行った。オレより永沢のほうが具合悪かったのか? でも様子を窺ってみるとそういうワケではないみたいだ。顔色は良い。変なの。
「オレ、あんまりエレベーターって使わないから一瞬くらっときちゃった」
「ごめんごめん」
そう言って笑いながら謝る永沢。場面を理解している。ここで大真面目に謝られてもオレはどう反応すればいいのか分からない。オレの彼女――永沢で良かった。
「……ちょっと、恥ずかしい、かな」
「え?」
手を繋いでるってこと。
「さっきまで暗かったからよく見えなかったけど、こうして光に照らされて手を繋いでるってことが明白になると恥ずかしい」
だけど、嬉しくもある。手を繋ぐなんてことはふざけてやった以外で初めてだ。永沢と色々な「初めて」を経験している。相思相愛の状態で正式に付き合うことはもちろん、デートだって初めてだった。これからもオレたち二人で「初めて」を染めていこう。
永沢は繋いでいる手を一度見たが、また前を向いて歩き出した。永沢も恥ずかしいのかな。ちょっと息が荒い気がする。階段を右前方に見ながらずんずんと歩いていき、廊下の角に着いた。
「ここ」
「角部屋なんだ」
へぇ〜。永沢の家もそこそこはお金持ってるのか。
「じゃあ今度こそオレは帰るね。また明日」
「う、うん……」
永沢は少し寂しそうにしたけど、オレも帰らないといけない。夜道を一人で歩くのは男だって怖い。手を解いてオレは階段を降りていく。
うぅ〜。夏が近づいているとはいえ、夜はやっぱ涼しいもんだ。上は着てきて正解だったかも。永沢といた時は寒さなんて感じなかった。手を繋いでいたから……なのかな。永沢はあれで繊細だから、エレベーターに乗っていたときはテンパっちゃってたんだろう。
さ、早く帰ろう。オレは得意の早足でそそくさと家に帰った。
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