HomeNovel << Back IndexNext >>
君色の光【その8】

 このまま自然消滅してしまいたい。携帯の電話番号もメアドも知っているのに、永沢に連絡をしてあげられなかった。土曜と日曜と、二日もあったのに。オレが一方的に逃げたんだからオレから何かアクションをするべき。……とは思っているんだけど、そこまでの勇気がどうしても湧かない。永沢の頼みをオレは拒絶したんだ。そんな人に連絡を取るなんてオレ以上に勇気がいる。変わろうと思ったのに、まるで駄目だ。今日だって高校生活始めてから「風邪」という理由で初の休みをとってしまったわけだし。でも症状といっても微熱ぐらいなもので、いつもなら大丈夫なレベルだ。名目上は「風邪」だけどそれよりも大きい理由は「私情」なワケで、今日休んだのは永沢と関わったことが原因。と言っても永沢が悪いわけじゃない。オレが永沢に会うのを怖がっているから。
 ――偽りのない気持ちで
 そう決心した。だけどそんな簡単なものではない。話していると自然と偽りの気持ちが溢れてきてしまいそうで止められなくなると思う。……それが本当の気持ちなんじゃないのか? 人に優しくすると偽善に見えるかもしれないけど……オレも偽善と思う時がたまにあるけど、それはもしかしたら本意かもしれない。
「駄目だ」
 息を吐きながら呟いた。オレの行動を正当化させようとしているに過ぎない考えだ。ふっと右を向き窓の向こうを見る。
 もう暗くなり始めている。あっという間だったな、今日は。電気をつけるべく、オレは体を起こして膝をつき紐を引っ張る。光に一瞬目が眩んだが、それもわずかな間。目はもう慣れてしまった。元の体勢に戻るとやるせなさがどっと押し寄せてきた。
 明日からどうしよう。今日のような理由でこれからも休み続けていたら、いずれ不登校になってもおかしくない。そうしたら自然消滅するはずだ。これが「好き」って気持ちなのか判らないけどやっぱり、オレは何があったって永沢と一緒にいたい。そうなるためには……。永沢から来ることはゼロに近いだろう。だったらオレが動くしかない。明日はちゃんと学校に行って、少しでもいいから永沢と接しているときは素の自分をさらすようにしよう。少しずつでいいから変わっていこう。長いスタンスで考えるべきだ。いきなり変わろうとしても無理な話というもの。目先のことだけを考えていたって仕方がない。高校二年なんだ。人生はまだまだある。
 結論がまとまり、さっき動いた拍子にベッドに転がった思想の本を手に取り、読み始めた。同感できるところが多々あってオレもこういう人になれたらな〜、と思っているとピンポーンと人が来たという合図を知らせる音が鳴った。一階には父さんと祐がいるから大丈夫か。さすがにオレのお見舞いでの来客者ではないだろう。もう太陽は完全に隠れてしまって暗いし。
 ドアは閉めているから物音はあまり聞こえないけど、玄関で話し声がするのは確かだ。一人は低くて聞き慣れた声だから祐だろう。話し方もどこかぎこちない気がするから父さんではない。来客した人は声が高くて女性のようだ。落ち着きがなさそうだから若い人だろうなぁ。でもそんなこと推測したってオレには関係ないことだろうし、誰が来たのか気になったら訊けばいいだけのことだ。再び本を読み始めようとすると、今度は二人とは違う声が聞こえた。父さんだろうな。オレもそうかもしれないけど父さんと祐の声質は似てるから、姿が見えないと話し方とかでしか判別できない。最近は声だけじゃなく、祐の姿を横目でちらっと見た時に父さんだと勘違いしたことがあるくらいだ。
 話し声が聞こえなくなって静かになった。ふぅ、やっと落ち着いて読める。……と思ったのも束の間、階段を上がってくる音がする。またか、またオレのお見舞いに来る人なのか。バスケ部のやつらはもう来た。こんな時間に誰だろう? 女の人だとすると日野さんの可能性が高いけど、あの金切り声ではなかった。もっと普通というか、どこにでもいそうな声の人だったな。特異性はない感じ。あ、もしかして祐の彼女かな。その可能性も捨てきれない。そうこうしている内に祐の声がドア越しに聞こえて
「ここだよ」
 お見舞いに来てくれた人だと分かった。少し間があって女の人の声がする。
「はあっ?」
 こっちが「はあ?」だよ。なんとも威勢の良い返事だ。部屋の位置に喧嘩でも売る気か。というかあんたは誰なんだよ。地価調査かなんかのために屋根裏にでも用事ですか? 建て付けが悪いのはうちの学校だって。そんなことしてないで早く保健室の戸を直していただきたい。お見舞いの人だと思ったオレが馬鹿だった。するとまたその人の声が聞き取れた。
「違うよ」
 何が違うって言うんだよ。もう何がなんだか……。でもこの声ってどこかで聞いたことがあるような気がする。そのどこかが思い出せないけど、なんとなく好きな感じを憶えている。母さん……なワケはないか。
 そして祐の「そっかぁ」と残念そうなため息が漏れたのを確認できた。本当にワケがわからん。
「ま、入りなよ」
 祐は来客者を促したようで、ドアがゆっくりと開かれた。
「兄ちゃん、入るぞー」
 姿が見えてから言っても遅いって。
「祐、人の部屋に入るときはノックしなさいってあれほど……」
 ……永沢。
 言っている内に来客者も入ってきて、流れで見やると、そこには全く想像していなかった人が立っていた。
「いーじゃん別に。兄弟なんだし」
 ピタリと音が止み、粛として声がしない。妙な沈黙が流れる。ここはオレが行動を起こすべきだ。……オレは変わるんだ。
「ダメなものはダメなの」
「兄ちゃん、なんかおかしいぞ?」
「おかしくなんかないって」
 全っ然、これっぽっちもおかしくない。……そう思いたいけどそんなワケあるはずなくて、永沢へ向けた視線をずらすことができない。
「ま、いいや。カノジョが来たんだから元気出せよ」
 そう言って祐は静かに出て行った。目の前の状況がイマイチ理解できない。永沢から来るなんて考えもしていなかった。右腕にはまだ包帯が巻かれていて血は滲んでいないけど、見ているだけでも痛そうだ。姿を見るまで想像していた人物像を猛烈に後ろめたい。それと同時に永沢の「声」を全く理解できていない自分が不甲斐なく思えた。
「永沢、どうしたの?」
 タオルケットを押し退けて床に足を着いた。久々に足の裏に感触が得られた。フローリングの床が冷たくて気持ちいい。
「お見舞いにね。和樹くんが休むなんて滅多になかったから……」
 滅多というかこれが初めて。
「来てくれて嬉しいよ」
 永沢の表情に曇りが見える。やってしまった。「優しさ」を意識していなくて口をついて出た言葉。
「あっ。今のは真意。本当だよ?」
 ……今は「優しさ」が真意とかという問題ではないんだ。優しくしないでほしいんだった。苦笑いして場を凌ごうとしていたら永沢と視線が合った。視線がすごく高い。座らせてあげよう。
「まずは座りなよ」
 そう言って腕を最大限に伸ばし勉強机の椅子をポンポンと叩く。ベッドに座っていても、これが出来るようにベッドと椅子を設置したようなもんだ。ちょっと太ももが痛くなったのは内緒。永沢はこわごわとした様子で椅子に座ると、緊張していた顔が少しほぐれたように思えた。
 さて、どうしようか。どうやって話の口火を切るべきだろうか。永沢にいち早く会えたとしても明日だと思っていたから何も考えていない。
「和樹くん」
「なに?」
 話の口火を切れなかったのは悔しいけど、永沢から来たんだ。何か用事があって来たんだ。お見舞いというのは単なる名目に過ぎないかもしれない。だってあれだけのことがあった後に来るなんて、お見舞い以外の目的があるはずだ。何のことを訊いてくるのかと思って首を傾げていると、目を背けられてしまった。顔が赤いぞ。……可愛いと思われてるぐらいだから今の仕種も永沢にとっては「可愛い」ものだったのかも。そのうち永沢は椅子と一緒にクルリと90度回転して一旦止まる。今度はゆっくりと90度回転して俺に背を向けた。
「ねぇ、これって」
 何のことだろう? 立つのは正直だるかったけど、重い体をなんとか動かし永沢のそばに歩み寄る。ああ、写真のことか。
「オレの小さいころの写真だよ」
「この虫取り網を持った子が和樹くん?」
「うん。これは父さんと祐」
 そこまではすんなり言えたけどもう一人のことが言えない。おかしいな、永沢にはオレの母さんはもういないってことを知ってるのに言えない。思い出したくない、のかな。一呼吸置いたら言おうと思うのに口が思うように動かなくて……。十呼吸ぐらい置いてやっと口に出せた。
「この人は……母さん」
 永沢がすぐに聞き返してくる。
「子どものころにいなくなってしまったお母さん?」
「ああ」
 オレの母さんのことは永沢にも話す必要がないと思っていたけど、今のこの状況ならもし「逃げ」だと感じても話せる覚悟がある。母さんのことを他人に話すのはとてもつらいことだけど、永沢に話すということはそれだけの価値がある人だ。今度こそ一呼吸置いたら話そう。
「ふぅ」
 永沢を見る。そうすると永沢も視線で応えてくれた。今日もぱっちり二重だ。でも顔より包帯が巻かれている右腕に視線がそれてしまう。守ってやれなかった。変わろう。永沢を守れる人に。
 ――永沢はオレだけのもの。そんなことをいつか言ってみたいな。そのためには名前で呼ばないと決まらないし、それより先にやらないといけないことがある。
「永沢には言っといたほうがいいかな」
「なにを?」
「オレの母さんのこと。……誤解されたままじゃ嫌だし」
 そう言った途端、肩の荷がふっと降りた気がした。もう後戻りは出来ない。その覚悟をさらに強固なものにするために自分を追い詰めた。
「つらい話になるかもしれないけどいい?」
「和樹くんから言ってくれるなら何だって聞くよ」
 話すしかない。
 オレはおもむろに窓のほうを向いた。すると永沢も立ち上がってオレの隣に来てくれた。窓に二人の姿が映る。やっぱ永沢の右腕に巻かれている包帯が目に入った。もうこんなことが二度と起こらないためにもオレは――。
「今から九年前。母さんが急に入院した。元々体が弱かったんだ。いつもは家で休んでれば治まったんだけど、そのときは眩暈が発作したのと同時に強い吐き気と嘔吐、それに耳鳴りがしたみたいで、複数の症状が現れて入院ってことになったんだ」
 家、か。祖父ちゃん一人で大丈夫かな。人ごみが嫌いって言ってたから、あの家の近辺は人が少なくていいと思ってる。オレが高校に上がってから数回電話したことがあるけど、直接会ったってことはないな。電話でいいから今度しよう。
「その日は平日で学校があって、オレは帰ってきてすぐに祐の手を引いて母さんが入院してる病院に走った。でもそこには元気にニコニコしている母さんがいて。いつもより酷いって聞いてたのにオレはその落差に愕然とした。症状が症状だけに、医師にはまだ安静にしてたほうがいいって言われてその日はそのまま帰った」
 別のことを考えていないと気分がおかしくなりそうだ。あの時はまだ完全に週休二日制じゃなかったんだよな。
「そんな状態が何日も続いた。母さんは『すぐ帰るからね』って言ってくれてたのになかなか帰ってこなくて……相当苛立ってたんだと思う。その日は第二土曜で学校がなくて昼前から病院に行ってた。そしてそのときが来た。母さんがオレに食べさせてほしいって言って……それで、オレッ。元気なのに退院しないことに腹が立って投げやりに食べさせたんだ。それが原因で母さんは噎せてしまって息ができなくなりそのまま帰らぬ人になった。悔やんでも悔やみきれない」
 正直言ってこれだけ話していくと、さすがにほかの事に意識を取ることが出来なくなってくる。
「後から聞いた話だけど、母さんは表では笑顔でいたけど内面は衰弱しきっていたようで、オレは酷く後悔した。母さん――庄子由佳の葬儀でオレはそのことをずっと考えてて涙が出なかった。状況を飲み込めてない。というより、現実を認めたくなかったのかな」
 ……しょうじ、ゆか。母さんの名前「由佳」、なんだよな。目の前にいる永沢と、母さんを重ねちゃいけない。
「母さんの親族の人は泣いてはいるけど、それが幼かったオレの目には同情に見えた。本当に心が荒んでいた。父さんが親族の人と話してるとき、他人事みたいに『これから一人で子育て大変ね』そのときの表情がうっすら嘲笑ってるように見えた」
 本当にオレの人格形成はここにあるんだと思い知らされる。でもそんなことがあったからこそ今のオレがいるワケで、永沢と出会えてここまで仲良くなれたのは母さんが亡くなったからなんだ。……そうポジティブに考えられればいいよな。
「そんなオレのことを構ってくれたのが母方の祖父。母さんから見れば実の父親。自分より先に娘に先立たれてつらいはずなのに、朗らかに話しかけてきてくれて。『お前の母さんはいつも笑顔で体は病弱だけれど、心は他の誰よりも強かった』って。母さんは誰よりも自分が衰弱しているのは分かってるはずなのに、誰かに泣きついたり弱音を吐いたりもしないで笑顔でいて。本当に強いんだ。そう思うともっとやるせない気持ちになって。やっと涙が出て、止め処なく溢れてきた。でもそんなオレを見てたお祖父ちゃんが言ってくれたんだ。『泣きたいときはいっぱい泣きなさい。けれど涙を流した分、笑顔になるんだよ。元気出すんだよ。君なら大丈夫』そう言ってくれて、心がジワリと温かさに包まれた」
 母さんも永沢も違う人。ただ名前が同じなだけで、何の繋がりもない。母さんにしか出せないものがあるなら、永沢にだって永沢にしか出せないものがある。それは否定するべきものではなくて受け入れるもの。永沢の容姿や仕種、考え方、それは全て唯一無二のもので、他の誰とも被らない。
 答えが見えそうな気がしてきた。
「それ以来オレは笑顔で優しくしてきた。それでみんなが幸せそうに笑ってくれたから。けど、永沢は優しくするたびにつらそうな顔をして。正直言うと、どう接していいか解らない」
 オレの周りにいる人たちと永沢は違うんだ。そんなことにも気付かないで傍若無人な振る舞いをしてしまった。今だって永沢に救いの手を求めようとしている。
「えっと……左手を使ってるのはお母さんが噎せたのが原因?」
 華麗に流されてしまった。
「本当は右利きだよ。母さんが亡くなってからは食べることに関しては左手を使ってる。右手を使うとあのときのことを思い出しそうで」
「なるほど……」
 この右手がか。料理してる時は何も感じないのに食べることになると嫌な感じが漂う。
「ピロティで言ってた叔母さんの話は」
「あれも一因してるよ。左手使っててよかったんだって。そのときにはもうオレのほうが左手暦が長かったからお手本を見せてあげたよ」
 なーんて、ちょっと見栄張ってみた。本当はオレもあの時は食べられることは食べられたけど、ご飯茶碗に残ったご飯粒を綺麗に食べることまでは出来なかったんだよね。
「質問責めで悪いけど……私を好きになった理由は?」
 いきなりこの子は何を言い出すんだっ。話が吹っ飛びすぎ。でもまぁ真摯に話そう。嘘を言ったところで永沢を傷つけるだけだ。
「最初は母さんと同じ名前ってだけで近づいた。でもそれが本当の気持ちになっていって。基本は真面目なんだけどたまに抜けてるところが好きだ。――でも名前を呼ぶのがこんなにつらいものだと思わなかった」
 母さんの名前と永沢の名前は同じ。でもやっぱり違う。オレが「庄子和樹」であるように、彼女は「永沢由香」という一人の人なのだから。たとえば十人、同姓同名の人がいてもそれぞれが違う歴史を刻んでいる。性格だって似てはいてもみんなバラバラ。この世界に同じ軌跡を歩んできた人はいない。みんながみんな異なる輝きを放っている。オレも、永沢も、みーんな。
「ごめん……なさい」
 え?
 よく解らないが永沢がいきなりさめざめと泣き出した! なに、オレなんか悪いこと言った? 俺に対して謝る必要性は見つからない。だったらやめさせるべきだ。永沢を目で追う。
「謝ることないよ」
 永沢を見てるとオレまで泣きたくなってきた。しばらくしても「ごめん」と言い続け、泣き止む様子がなかったから強い口調で抑圧してしまった。
「いいって」
 効果があったみたいで永沢は泣き止んでくれた。あまり抑えつけるようなことはしたくなかったけどしょうがないか。
「オレにも言えることだけど。『事が起こった後に後悔してももう遅い。くどくど考えても無駄』だって。そう父さんに言われ続けてきた。オレもそれは頭では分かってるつもりなんだけど、駄目だった。ここ三日間永沢のことばっか考えて、あのときああしてればって思った。でもこれからどうやって仲直りしようかっていうことも考えた」
 永沢を見つめる視線に偽りはない。覚悟もできてる。この事実を話して、オレとこれからも付き合っていくのは「無理だ」と言われたらそれまでだ。出来る限りのことをやってきたつもり。つもりだから不備な点もあるかもしれないけど……心構えはできている。

HomeNovel << Back IndexNext >>
Copyright(C) 2008 らっく All Rights Reserved.