君色の光【その7】
あれで良かったのかな。
済んだことをくよくよしていても意味がないっていうのは痛切に感じているけど、どうしても考えてしまう。一度、「これで良かったんだ」と思っても時間が経つとまた考え込んでしまう。本当に意味のないことだと解っているのに、熟考する自分が滑稽に思えてきた。……そう考える自分にすら苛立ちが募る。そこまで頭が回るのに何で答えを導き出せないんだろう。
後ろを歩いている永沢も考え込んでいるみたいだ。遠慮深そうに小さく唸り声を上げている。二人でいるのに何も話さないなんてバカバカしいよな。オレは歩みを止めて、後ろを振り向き永沢と向かい合った。俯き加減で見えにくいけど、表情に晴れ晴れとした感じはない。
「どうしたの、さっきから考え込んじゃって。らしくないよ」
いつか……いつかのように並んで歩けるようになれたらいいな。
あ、しまった。「らしくない」なんて永沢にしてみれば迷惑以外の何物でもない。永沢には笑顔でいてほしいけど考えるのも大切なことだと思う。永沢は顔を上げると、さっきまでの陰鬱とした表情は鳴りを潜め、顔を綻ばせた。一安心。……って。
「ううん。なんでもない」
無理してる。目が笑ってないもん。「らしくない」で片付けようとしたオレに責任があるんだから、それを永沢が負う道理なんてない。
「そう。……オレが優しくすると永沢、寂しいような切ないような複雑な顔するでしょ?」
やっぱ、自己主張してほしいってことよりこっちのほうが気になる。
とっても不自然だけど、明日は土曜日だ。今訊いておかないと来週までお預けになってしまう。亮に話を聞いてからもう三日目だ。言い出せない自分が悔しくて堪らなかった。どうしてそうなるのか、聞くのが怖い。オレは子どものころから逃げてばっかだ。ちっとも成長なんてしていない。今日やっとその殻を破れたけど、これからもその勇気が沸き立つのか不安で不安で仕方がない。今日だけだったら単なるまぐれだ。もしくは……思い込み。永沢はというと、表情がじとっと暗くなっていきまた俯きだした。
ふと青臭いにおいが鼻を掠めた。入梅してからそんなに日は経ってないけど、今年は雨が少ない気がする。草木の青臭さは例年と変わらないけど。草木を眺めているとその奥に空が見えた。まだ明るい。だけど、空には青白く見える雲があって夕方と呼べる時間帯だ。そんなことを感じていると永沢の感傷的な内面が表された。
「優しくしないで」
心にグサリと刺さる。オレは……。
今まで信じてきたことが永沢に否定された。態度だけで示されていたものが言葉にされて、本意なんだと判った。オレは……オレの信じてきたものは、「正しい」と言いきれなくなった。こうして実際に優しくしないでほしいと言う人がいるのだから。たった一言に詰められた想い。それは半端なものじゃないと思う。
そして今、やっと解った。
――和樹くんには自分を主張して……自分の気持ちをぶつけてほしい
永沢は「庄子和樹」という一人の人と付き合いたいんだ。そこに偽りの気持ちなんかない状態で。『優しさ』に嫌悪感を抱くのと『自己主張』してほしいということは何の接点もないと思っていたけど、こんな繋がりがあったんだ。永沢にそんな深い考えがあるなんて思いも寄らなかった。
「えっ……」
オレには「庄子和樹」という裏も表も、偽善も、自分を飾らない人になってほしいんだ。永沢に裏表があったらオレも嫌だ。それと同じことなんだ。永沢はボロボロの泣き顔を見せてまで本意だと教えたいのか、必死に顔を上げている。見たくないよ、そんな顔。オレはだんだんと項垂れていき、永沢の足元に黒い染みが幾つもできているのを確認した。オレの素顔を見せていたらこんなことにはならなかった。永沢は何度も発信していたのにオレはそれに気付けなくて、こうなってしまった。
「ごめん、許して」
山積した問題を放置した今のオレにはこう言うことしか出来ない。一度独りになって考え直したい。オレは永沢のことを考えもせず走った。逃げることしか出来なくて悔しい。
どうすればいいんだっ。
数分ぐらいなら走っても息切れしないのに今日は駄目だ。すぐ息が切れてしまって立ち止まりたくなる。もしそうなってしまったらコンクリートの地面にへたり込んだっていい。それくらいオレにとってつらい言葉だった。本気で言われた分、さらにショックがでかい。冗談交じりに言われても相当堪えるだろう……。
ここで決断しなきゃオレたちの未来はそう長くない。永沢の本音にオレは耐えられなくて逃げた。彼氏失格、だよな。受け止めてあげられない自分が疎ましい。でもあの場から逃げなかったら、それはそれで永沢には『優しさ』に見えてしまうのかもしれない。逃げたのが最善の選択だったのかな。「逃げたい」という気持ちに嘘はないけど、逃げたら今度は自分のことが嫌になる。どっちにしたってメリットもデメリットもあった。もう過ぎたことだから考えても仕方ないのは解っている。……これで良かったと思おう。いつまでもくよくよしているのはオレの悪い癖だ。直していこう。
意識が判然としないまま家に着いてしまった。玄関の扉を開ける。靴を乱暴に脱ぎ捨てて自分の部屋まで直行しようとしたら階段の中ほどで祐にばったり会ってしまった。今は誰とも話したくない。だけど、祐のいつもと変わらない声音に胸が安堵していく。
「兄ちゃん、おかえり」
「ただいま」
ものすごく小さく呟いて、祐の隣をするっと通り抜ける。部屋に入って荷物を置き、そのまま椅子にどっしりと座った。
「オレ、さいあく」
今日のことは自分が起こしたと言っても過言ではない。それなのに勝手に傷ついて人様――祐にまで沈んだ気分を味わわせようとした。彼氏どころか人間失格。……でもあそこで普段通りに振舞ったら「優しさ」になってしまうんじゃないか? 永沢にだけ優しくしないというのは無理がある。そもそもどのくらいの加減で永沢が嫌になるか判らないし。論理は解るけど、オレにはそんな感情が大部分ない。
あれ、これってオレ振り回されてる?
……違うか。お気楽な気分になりたかったけど、無理だ。そんな楽観視できる事態ではない。真剣に考えないと本当にオレたちは終わってしまうかもしれないんだ。
素の自分を晒していれば自然と「優しさ」はなくなるのかな……。子ども時代のオレって一体どんなやつだったんだろう。記憶があいまいだ。根っからの優男じゃなかったような気もするけど、どうなんだろう。もし根っからの優男だったら矯正するのは無理がある。
……オレはそうやって逃げ道をすぐに考えたがる。自分にはすんごく甘くて相手には厳しい。永沢が変わってくれれば、オレは変わらないで済む。恋愛をしている「つもり」だから、オレはここまで何も言えないでいて、永沢は真剣にオレとのことを考えて行動してくれている。オレがあんまりにも「つもり」でやっているものだからその怒りが今日来たんだ。
もっと自分に責任を持たなくちゃいけない。「もしも」のたとえ話は嫌いだけど、もし別れてしまったらオレにだって、永沢にだって暗い1ページが出来上がってしまう。将来、良い思い出だったと語れる自信はない。オレにとっても、永沢にとっても初恋。永沢の初恋をオレで汚してしまうのは忍びない。だけどこの先そうならないためにはこのまま付き合って、大学の時か、もしくは社会人になってから結婚だ。同じ大学に行くなんて意図的にでもしないと無理だし、大学生の時に結婚なんて永沢の両親がどう言って来るかも分からない。その前に父さんが反対してくるだろう。そういえばまだ会ってないな、永沢の両親ってどんな人なんだろう。
社会人になってからが妥当だと思うけど、果たしてそんなに長続きするのだろうか。永沢と帰るようになってからまだ一ヶ月にも満ちていない。本格的に……なんて言ったら数えられるほどだ。やっぱオレは目先のことしか見えてなくて、その先々のことなんて考えもしていない。「恋愛」というのを甘く見すぎていた。そんな簡単なことじゃないんだ。相手のことを考えていればそれだけで良いと思っていた。でも実際はもっともっと深いもので、時には自分の主張をしないといけない。付き合っている段階から本当の自分を見せていかないと、同棲する時に初めて相手のことを知ることがあるかもしれない。だから本当に相手のこと全てを許容できなきゃ結婚は出来ないんだ。心を通い合わせられないまま結婚してしまったら、大概の夫婦に離婚という道が待っている。
自分から変わろう。そうでもしなくちゃこれから先、二人でやっていけない。オレが永沢のことを守ってやろう。真面目な話、この前みたいに変な方向に覚悟してそらしちゃいけない。
本当に覚悟はした。永沢の前で祐や父さんに対してとっているような態度で接しよう。偽りのない気持ちで。
済んだことをくよくよしていても意味がないっていうのは痛切に感じているけど、どうしても考えてしまう。一度、「これで良かったんだ」と思っても時間が経つとまた考え込んでしまう。本当に意味のないことだと解っているのに、熟考する自分が滑稽に思えてきた。……そう考える自分にすら苛立ちが募る。そこまで頭が回るのに何で答えを導き出せないんだろう。
後ろを歩いている永沢も考え込んでいるみたいだ。遠慮深そうに小さく唸り声を上げている。二人でいるのに何も話さないなんてバカバカしいよな。オレは歩みを止めて、後ろを振り向き永沢と向かい合った。俯き加減で見えにくいけど、表情に晴れ晴れとした感じはない。
「どうしたの、さっきから考え込んじゃって。らしくないよ」
いつか……いつかのように並んで歩けるようになれたらいいな。
あ、しまった。「らしくない」なんて永沢にしてみれば迷惑以外の何物でもない。永沢には笑顔でいてほしいけど考えるのも大切なことだと思う。永沢は顔を上げると、さっきまでの陰鬱とした表情は鳴りを潜め、顔を綻ばせた。一安心。……って。
「ううん。なんでもない」
無理してる。目が笑ってないもん。「らしくない」で片付けようとしたオレに責任があるんだから、それを永沢が負う道理なんてない。
「そう。……オレが優しくすると永沢、寂しいような切ないような複雑な顔するでしょ?」
やっぱ、自己主張してほしいってことよりこっちのほうが気になる。
とっても不自然だけど、明日は土曜日だ。今訊いておかないと来週までお預けになってしまう。亮に話を聞いてからもう三日目だ。言い出せない自分が悔しくて堪らなかった。どうしてそうなるのか、聞くのが怖い。オレは子どものころから逃げてばっかだ。ちっとも成長なんてしていない。今日やっとその殻を破れたけど、これからもその勇気が沸き立つのか不安で不安で仕方がない。今日だけだったら単なるまぐれだ。もしくは……思い込み。永沢はというと、表情がじとっと暗くなっていきまた俯きだした。
ふと青臭いにおいが鼻を掠めた。入梅してからそんなに日は経ってないけど、今年は雨が少ない気がする。草木の青臭さは例年と変わらないけど。草木を眺めているとその奥に空が見えた。まだ明るい。だけど、空には青白く見える雲があって夕方と呼べる時間帯だ。そんなことを感じていると永沢の感傷的な内面が表された。
「優しくしないで」
心にグサリと刺さる。オレは……。
今まで信じてきたことが永沢に否定された。態度だけで示されていたものが言葉にされて、本意なんだと判った。オレは……オレの信じてきたものは、「正しい」と言いきれなくなった。こうして実際に優しくしないでほしいと言う人がいるのだから。たった一言に詰められた想い。それは半端なものじゃないと思う。
そして今、やっと解った。
――和樹くんには自分を主張して……自分の気持ちをぶつけてほしい
永沢は「庄子和樹」という一人の人と付き合いたいんだ。そこに偽りの気持ちなんかない状態で。『優しさ』に嫌悪感を抱くのと『自己主張』してほしいということは何の接点もないと思っていたけど、こんな繋がりがあったんだ。永沢にそんな深い考えがあるなんて思いも寄らなかった。
「えっ……」
オレには「庄子和樹」という裏も表も、偽善も、自分を飾らない人になってほしいんだ。永沢に裏表があったらオレも嫌だ。それと同じことなんだ。永沢はボロボロの泣き顔を見せてまで本意だと教えたいのか、必死に顔を上げている。見たくないよ、そんな顔。オレはだんだんと項垂れていき、永沢の足元に黒い染みが幾つもできているのを確認した。オレの素顔を見せていたらこんなことにはならなかった。永沢は何度も発信していたのにオレはそれに気付けなくて、こうなってしまった。
「ごめん、許して」
山積した問題を放置した今のオレにはこう言うことしか出来ない。一度独りになって考え直したい。オレは永沢のことを考えもせず走った。逃げることしか出来なくて悔しい。
どうすればいいんだっ。
数分ぐらいなら走っても息切れしないのに今日は駄目だ。すぐ息が切れてしまって立ち止まりたくなる。もしそうなってしまったらコンクリートの地面にへたり込んだっていい。それくらいオレにとってつらい言葉だった。本気で言われた分、さらにショックがでかい。冗談交じりに言われても相当堪えるだろう……。
ここで決断しなきゃオレたちの未来はそう長くない。永沢の本音にオレは耐えられなくて逃げた。彼氏失格、だよな。受け止めてあげられない自分が疎ましい。でもあの場から逃げなかったら、それはそれで永沢には『優しさ』に見えてしまうのかもしれない。逃げたのが最善の選択だったのかな。「逃げたい」という気持ちに嘘はないけど、逃げたら今度は自分のことが嫌になる。どっちにしたってメリットもデメリットもあった。もう過ぎたことだから考えても仕方ないのは解っている。……これで良かったと思おう。いつまでもくよくよしているのはオレの悪い癖だ。直していこう。
意識が判然としないまま家に着いてしまった。玄関の扉を開ける。靴を乱暴に脱ぎ捨てて自分の部屋まで直行しようとしたら階段の中ほどで祐にばったり会ってしまった。今は誰とも話したくない。だけど、祐のいつもと変わらない声音に胸が安堵していく。
「兄ちゃん、おかえり」
「ただいま」
ものすごく小さく呟いて、祐の隣をするっと通り抜ける。部屋に入って荷物を置き、そのまま椅子にどっしりと座った。
「オレ、さいあく」
今日のことは自分が起こしたと言っても過言ではない。それなのに勝手に傷ついて人様――祐にまで沈んだ気分を味わわせようとした。彼氏どころか人間失格。……でもあそこで普段通りに振舞ったら「優しさ」になってしまうんじゃないか? 永沢にだけ優しくしないというのは無理がある。そもそもどのくらいの加減で永沢が嫌になるか判らないし。論理は解るけど、オレにはそんな感情が大部分ない。
あれ、これってオレ振り回されてる?
……違うか。お気楽な気分になりたかったけど、無理だ。そんな楽観視できる事態ではない。真剣に考えないと本当にオレたちは終わってしまうかもしれないんだ。
素の自分を晒していれば自然と「優しさ」はなくなるのかな……。子ども時代のオレって一体どんなやつだったんだろう。記憶があいまいだ。根っからの優男じゃなかったような気もするけど、どうなんだろう。もし根っからの優男だったら矯正するのは無理がある。
……オレはそうやって逃げ道をすぐに考えたがる。自分にはすんごく甘くて相手には厳しい。永沢が変わってくれれば、オレは変わらないで済む。恋愛をしている「つもり」だから、オレはここまで何も言えないでいて、永沢は真剣にオレとのことを考えて行動してくれている。オレがあんまりにも「つもり」でやっているものだからその怒りが今日来たんだ。
もっと自分に責任を持たなくちゃいけない。「もしも」のたとえ話は嫌いだけど、もし別れてしまったらオレにだって、永沢にだって暗い1ページが出来上がってしまう。将来、良い思い出だったと語れる自信はない。オレにとっても、永沢にとっても初恋。永沢の初恋をオレで汚してしまうのは忍びない。だけどこの先そうならないためにはこのまま付き合って、大学の時か、もしくは社会人になってから結婚だ。同じ大学に行くなんて意図的にでもしないと無理だし、大学生の時に結婚なんて永沢の両親がどう言って来るかも分からない。その前に父さんが反対してくるだろう。そういえばまだ会ってないな、永沢の両親ってどんな人なんだろう。
社会人になってからが妥当だと思うけど、果たしてそんなに長続きするのだろうか。永沢と帰るようになってからまだ一ヶ月にも満ちていない。本格的に……なんて言ったら数えられるほどだ。やっぱオレは目先のことしか見えてなくて、その先々のことなんて考えもしていない。「恋愛」というのを甘く見すぎていた。そんな簡単なことじゃないんだ。相手のことを考えていればそれだけで良いと思っていた。でも実際はもっともっと深いもので、時には自分の主張をしないといけない。付き合っている段階から本当の自分を見せていかないと、同棲する時に初めて相手のことを知ることがあるかもしれない。だから本当に相手のこと全てを許容できなきゃ結婚は出来ないんだ。心を通い合わせられないまま結婚してしまったら、大概の夫婦に離婚という道が待っている。
自分から変わろう。そうでもしなくちゃこれから先、二人でやっていけない。オレが永沢のことを守ってやろう。真面目な話、この前みたいに変な方向に覚悟してそらしちゃいけない。
本当に覚悟はした。永沢の前で祐や父さんに対してとっているような態度で接しよう。偽りのない気持ちで。
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