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君色の光【その5】

 ま、まぶしいっ!
「……ちゃん。起きて」
 な、何事だ!
「兄ちゃんったら」
 重たい瞼をゆっくり開くと、いきなりの光に目がしょぼくれちゃって焦点が定まらない視界の中、祐の姿が入った。中総体初戦負けに終わり、野球部を引退したけどやっぱ学校指定のジャージを着ている。中学生はそういうもんだよな。オレも着替えるのなんてたるくて風呂入るまでジャージだった。って、そんな昔を振り返ってないで現実に戻ろう。
「なあに?」
「キモい」
 がーん。軽くショックだ。
「それはいいけど、もう七時回ってるぞ。俺の飯をどうしてくれるんだ」
 めし?
 ……そうか、あのまま寝ちゃったのか。人に起こされたからスッキリした目覚めにはならなかったけど、しょうがない。作ろう。今日は父さん遅いって言ってたし。体を起こして祐を見る。でかくなったなぁ。
「分かったよ、作るから待ってて」
「ご飯がいいな」
 作ってもらってる身なのに意見するとは……。そりゃあ最近麺食ばっかで飽きてくるのは分かるけど、だるいからまた今度にしてくれ。でも一応聞いておこう。
「もう遅いし、今から炊いたら八時過ぎるよ。それでもいいの?」
「いい」
 オレは全然良くないけどな。頭が全然回らない。軽い。こんな状況で食材を切ろうもんなら自分の指を切ってしまいそうだ。……あれ、でもそれと麺とは関係ないか。駄目だオレ、本当に頭回ってない。勝手に作って食えって思ってるんだ。
「今日ぐらいっ……お願い」
 そう希っても祐は
「白飯食いたい」
 食い下がってくれない。でっ、でも今日ぐらい……土下座してでも麺にしたい。物価高騰の煽りを受けて麺類が高くなってきてるなんて関係ない。ご飯は苦手なんだ。ご飯のほうがおかずに合うのはたくさんあるよ。でもその分作らないといけないから面倒なんだよ。
「おねが……あ」
「あ?」
 この気持ち。
 祐に対しては出来て、永沢に対しては出来ないこと。それは

 ――和樹くんには自分を主張して……自分の気持ちをぶつけてほしい

 今オレは祐に対して自分の考えを通そうとしている。永沢には譲ってしまって自分の意見なんか何にも言ってない。永沢がデートに誘ってくれた日、オレは服をあんまり持っていないって言っただけでそれ以外は何にも言ってない。自分の気持ちなんかどこかへ消し去ってしまった。相手のことを中途半端に思いやって怒りを自制した。行動を起こしてくれたのは全て永沢だ。告白する勇気、デートに誘う勇気、尋常じゃない覚悟があったんだと思う。振られたら最後だと、そう思っていたかもしれない。全部オレが背負うべき立場なのに何にもできやしない。永沢が伝えたかったことって、きっとそういうことだったんだ。何でそうしたいのかは解らないけど……二人で意見を言い合いたいんだ。
「深刻な顔してどうしたの」
「ごめん、なんでもないよ。気分良くなったからご飯にする」
「どこか悪かったのか?」
 嬉しい。涙がちょちょ切れそうだよ。心配してくれるって本当に嬉しい。あれだけ喚いてオレのことなんか考えもしていなかったと思うのに心配してくれるなんて……。さすが我が弟だ。線引きがちゃんとできている。
「大丈夫。んじゃ八時までに下に降りてこいよ〜」
 ん。祐がどいてくれないから通れない。遠回りすれば行けるけどやっぱ体が重い。心には羽がついていてどこまでも飛んでいけそうだけど体がついていかない。祐の表情を窺うとなにやら逡巡している。珍しいな。何を考え込んでいるんだろう?
「祐、そこどいてくれるとありがたいんだけどな」
「今日は手伝う」
 な、どんな心境の変化だ!?
 いつもは食べ終わった後の洗い物はしてくれるけど、料理に関して手を出すことはない。じーっと眺めてることはあるけどなぁ……。それはともかく、自ら申し出てくれたんだからここは素直にその気持ちを受け止めてあげるのが義理ってもんだ。
「ありがとう。んじゃ行くぞ」
「おう」
 なんと力強いお返事。オレは祐と共に一階へと降りていく。リビングに入ったところで、祐に声をかけた。
「祐は米を磨いでね」
「はーい」
 たま〜にオレがやってるのを見てるのか、米のありかは知っていたようでオレを追い抜いてキッチンの前でしゃがみ込んだ。それはいいんだけど釜を忘れてないかい。世話の焼ける弟クンだなぁ。オレは炊飯器から釜を取り出した。電気釜で本当に良かった。朝は弱いからタイマー設定さえしとけば起きたときにはもう炊き上がってる。ガス釜より時間かかるのが難点だけど、十五分早く起きてスイッチをつけるなんて寝る時間が短くなってしまってもったいない。
「兄ちゃーん、早く」
「今行くから」
 炊飯器に気を取られてしまった。キッチンまで足早に歩きオレもしゃがみ込んだ。
「今日は二合かな。二杯入れて」
「ほーい」
 祐は言われたとおり10kgの米袋に手を突っ込んで米を釜に移す。……指綺麗だな。オレはまだ十七年しか生きてないのに数々の料理と戦ってきた歴戦の手になってしまっている。どう考えても同世代の人より手の皮厚いし。さすがに本物のお母様たちに勝ち目はないけど。
 あああ、手を洗えと言うのを忘れてしまった。でも死ぬほどの雑菌を引き連れてるワケはなかろうしいいか。洗うし。釜に移し終わったところで立ち上がって流しに釜を置くと、そのまま黙々と米磨ぎの作業に入ってしまった。横から見てると、凛々しい顔つきだ。目線がだいぶ下に行っちゃうのが残念なところ。さっきはでかくなったと思ったんだけどなぁ。すると祐は釜から視線もそらさずひそやかに語りかけてきた。
「兄ちゃんみたいに女々しくはなりたくないけど」
 オレは女々しくなんかっ……あるかも。永沢に守られないようにしたい。守りたい。それより続きが気になる。
「けど?」
「料理は出来るようになりたい」
 なに、なんかあったの? 彼女に「料理できない人とは付き合えない」的なことでも言われたのか? と思ってしまった。祐は彼女に対する依存度が異常だから。フラれたら堕落した人生送るんじゃないか、ってくらい依存しちゃってるから困ったもんだ。祐をそこまでにする彼女にオレは会ったことないけど、いろんな意味ですごそうだな。女王様みたいな感じなのか? 祐は彼女のこと話したがらないから分からない。
 米磨ぎが終わったところで料理の準備を開始する。今日はイカがあるから刺身と……そうだなぁ、野菜炒めに突っ込んじゃうか。後はトマトでも切れば満足するか。体がだるいのは寝ても変わらないからいつもの三倍ぐらい適当だ。
 最初はイカを捌こう。胴と足を離したところで祐が好奇の目で見てくるのが判った。
「やりたい?」
「うん」
 これまた力強いお返事。やらせてあげるか。経験は大事だよね。胴は頭のヒレと胴の間に指を入れて切り離すよう指示したら上手に切り離した。さっすが! でも次は難関の皮むきだぞ〜。やっぱりうまくいかないようで途中で皮が切れてしまっている。早く皮をむこうとするからだな。何はなくともオレの出番か。
「むずかしい」
「やるよ」
「うん」
 すんなり場所を明け渡してくれた。オレも実は苦手だけどここは踏ん張るしかない。一回切れただけで皮を綺麗にむけた。その様子を見ていた祐が感嘆の声を上げてくれた。どうだ、お兄ちゃんすごいだろ?
「すっげえ。初めて兄ちゃんのこと尊敬した」
 尊敬してくれたのは嬉しいけど、初めてって……オレ泣いちゃう。男のクセに泣いちゃうよ。
 ここまでくれば後は簡単だ。臓腑は火を通しても父さんしか食べられないから今日は捨てよう。残った胴と足は目やクチバシを落として、適度な大きさに切ってこれでイカの準備は終わり。刺身は冷蔵庫に入れて、っと。そこまでするとまた祐が唸り声を上げて感動してくれた。反応してあげたいけど、いちいちそんなのに構ってる余裕はないので手際よく冷蔵庫から野菜類を出す。ニンジンとキャベツ、それとピーマンでいっか。でも野菜炒めにイカって……なかなかにグロテスクだ。面倒だけどとろみをつけてごまかしちゃおう。どれも同じ程度の大きさに切って次は、っと。
 祐に手伝わせるのを忘れていた。炒めるのをやらせるか。
「炒めて」
「任せとけ」
 コンロにフライパンを置いて火をつけ、油をすこーし注ぐ。電気のスイッチはカチカチ左右に動くやつじゃないし、蛇口もひねるタイプじゃないのにガスだ。ここだけ古代だ。そのおかげでオール電化じゃない。祐を見るとやる気満々のようでもう菜箸を持っちゃってる。そんな焦りなさんな。まずはニンジンを入れて硬いのから火を通す。続いてキャベツ、ピーマンの順に流しいれた。祐は焦げ付かないよう丹念に野菜を炒めている。身長は伸びてないけど、オレより腕とか逞しくなってる。そんな様子を見て弟の成長を感じ
「うまいうまーい」
 母親の気持ちが分かると言いたいところだけど
「お世辞?」
 褒めるのはうまくないみたいだ。
 イカを投入してかすかに香りがしてきたところで水を少し入れて煮立たせる。そのうちにオレは水が入った鍋を火にかける。味噌汁はもやしと乾燥ワカメでいいか。ああ、そうだった。水溶き片栗粉を用意しなくちゃ。とろみつけるとか言って忘れるなんてやばいかも。やっぱ今日は頭が回らない。料理は一つやり忘れたことがあると途端に慌しくなる。祐がいて良かった。一人だと本当に大変だ。
 祐に感謝しつつ野菜炒めのあんかけを仕上げて味噌汁もちゃちゃっと終わらせて、トマトを切って今日は終了! いつもより適当だったのになんだか疲れたな。炊飯器は蒸気をむんむんと放出しているからまだ炊き上がらないだろう。
 料理をテーブルに並べて椅子に腰を沈めた。向かいに祐が座る。オレは力が抜けて自然と反り返って天井を仰ぐ姿勢になった。食事の最中じゃないからまだいいけどお行儀が悪い。背筋はあまり丸まってなくて真っ直ぐだからぐったりそのものだ。腕なんか床についてしまいそうなくらいぐったり。……なんだか視界がぼんやりしてきた。円形蛍光管を見すぎたせいで目がやられちゃったのかな。体を起こして椅子に座りなおし、祐のほうを見るとようやく落ち着いて……こない。
「兄ちゃん、どうした」
「どうしたって何が?」
 いつもと違うのは視界がぼんやりとしていてまだ霞んで見えるってことだ。祐は椅子から立ち上がり身を乗り出してきた。なんなんだ。「ほら」と言って右手の親指でまなじりから目の下のラインを触ってきた。この感じって、もしかして涙? 泣くなんておかしい。いつそんな出来事があった。オレは、今日……。
「だから女々しいって言ってんの」
 泣いていたってことは事実のようだ。祐と今まで楽しく料理をしていた。その前は……亮と会った。あのことは真実でオレが変わらないといけないって結論が出たじゃないか。永沢が泣いたのに何もオレまで泣くことなんてない。その前は、日野。日野さんと会って屈辱的なことをさせられた。でもなんで今ごろ。ずっとどこかの隅っこで考えていた? あんなことをさせられたんじゃ憶えていてもなんら不思議はない。

 ――お前は大人すぎ。折り合いつけようとしてるだろ

 亮に言われたことが今になって分かった。日野さんのことについて言ったワケじゃないと思うけど折り合いつけすぎ、だよな。これからも一緒の仲でやっていくために頭を下げるなんて……別に好きでもなんでもない人なんだ。生徒委員なのもたまたま。これからの生徒会活動に皹が生じそうだけど、それで何かあったらやめればいい。そんな精神ならやるな! って言われそうだけど、投票で決まったものだから仕方がない。生徒会の活動はそれなりに充実感を得られるからやめたくはないけど、このまま日野さんに弱みを握られたまま高校生活を送るのは苦しいものがある。ならいっそのこと言わせてしまえばいいか。日野さんは、オレが日野さんのこと「大好きだよ」って言ったことを言いふらしても、オレは永沢と付き合ってることは事実なんだからそんなのデマカセで終わる。よく考えてみればオレにデメリットはあまりないじゃないか。
「今度は黙り込んじゃって……最近おかしいよ」
「おかしくはないって」
 ただ永沢のことを考えすぎなのかな。最近は本当に永沢のことを考えてばっかだ。世の中の男性諸君は知らないけど、永沢に対するオレの気持ちは気遣いのことで手一杯だ。だから自分を主張してほしいのかな。たまには永沢のこと考えないで自分の気持ちをぶちまけるのもいいものなのかな。不意に炊飯器からピーピーピーと音がして炊飯終了の合図が聞こえた。

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