HomeNovel << Back IndexNext >>
君色の光【その4】

 オレ、日野さんに勘違いされてんのかな。
 そんな疚しい気持ちで接しているつもりはないのに勘違いされてる。誤解を招くような接し方なのかな。でもいきなり態度を豹変させるなんてことはまかり間違ってもできない。冷たくされたら悲しい気持ちになる。した方もだ。すぐに変わるなんてことは……優しくすると女の子が寄り付いてくるけど、そのためにやってるんじゃない。それはオレの性格であって簡単に譲ることはできない。だけど、恋愛に関してもそれが言える? オレが永沢だとしたら優しくされて……嬉しいって思う。あぁ〜、わかんない。どうすればいいんだ。悩んでいるとピンポーンと聞きなれた音が耳に入って抜けた。来たかな。オレはすっくと立ち上がり、部屋のドアを開け放ち階段を二段飛ばしで降りる。玄関の扉を開けるとそこには案の定、亮がいた。あんまり機嫌は芳しくないようだ。眉根を寄せて八の字にしてる。
「いらっしゃい」
「ああ。邪魔する」
 いつもと雰囲気が違うのはすぐに感じ取れた。トーンが低い。初っ端から険悪ムード振りまきすぎだろ。それにいつもは言わない「お邪魔します」的なことを言ってくださった。嫌だな、朗らかムードが良い。怒ってても穏やかに事が進むほうが良い。隠してほしい。でもそういう風に感情を押し殺さないのが亮のいいところだとは分かってるけど、やっぱそのほうが良い。う〜ん、オレは相手の立場になって考えすぎなのかな。ここはとりあえずだ、オレの部屋に行くよう促すと拒否された。友達だって言うのに感じ悪いな、もう。
「ここでいい」
「……それもそうかなぁ。長く話すことでもないし」
 と亮に調子を合わせる。本当は部屋に入ってほしかったけど我慢した。ちょっぴり傷ついちゃうんだぞ。亮の表情は相変わらず硬い。そして俯いて小さく呟いた。
「やっぱりそうだ。お前はずっと変わらないな」
 え、え。やっぱり? 何がやっぱりなのかさっぱりだ。前から変わっていないこと。穏やかに事を進めるために取ったオレの行動。一瞬の逡巡を読みきられた。それって――

「優しさ」

 亮に調子を合わせたオレの優しさ。
「そうじゃない」
 亮は再び顔を上げると強い口調で、オレの目を見てそう言った。瞳に闘志がみなぎってる。ギラギラだ。じゃあなんだよ。
「そんな婉曲に言わないで。きっぱり言い切ってほしい」
「じゃあ……」
 視線を少し下にずらし、ふうと息を吐いてまたオレの目を見た。やっぱりギラギラしている。「じゃあ」からして実感が溢れていた。ちょっと怖いけど男に二言はない、ってな。
「由香は、切なげな顔をして『和樹くんには自分を主張して……自分の気持ちをぶつけてほしい』って泣きながら言ってくれた」
 途中から憤然とした様子で、声が怒りに満ちていた。亮の瞳が暗く染まっていく。「優しさ」、そのことではなくて自分の主張、気持ち。オレは……
 ――偽り。
 自分の気持ちに嘘をついてまで優しいことを言う必要はないけど、相手のことを考えるとどうしてもそう動いてしまう。自分のことより他人のほうが優先だ。でもそんな自分に酔いしれる気は全くない。母さんのときのように、あんな投げやりな態度を取って人のことなんか全然考えないで。その人を傷つけるのが怖い。だったら自分を偽ってでも、本心ではなくても動くのが人情だ。それを見透かされたとき、そのときが一番怖い。そして、まさしく今がそのとき。どうすればいいんだろう。これがオレの本性だから、なんて言えない。そしたら過去のことを……駄目だ。どっちとも逃げるみたいで嫌だ。オレが悩み悶えていると亮の声が頭に入ってきて……突き刺さる。
「女を泣かすなんて最低だな」
 最低。
 そう、かもしれない。永沢の気持ちが全然解らない。優しくしても距離が縮まらない。むしろ離れていく。切なげな顔はもう見たくないって願ってるのに、どんどんその回数が増えていってつらい。嘘も偽りもない笑顔を見せてほしい。これはオレの……あ。これが、そういうことなのかな。思うだけで何も行動しない、弱虫な自分。永沢のことを考えているつもりで、実はそういう風にしてくれって言うのが怖くて逃げてる自分。
「反論なしかよ」
 ……できない。亮の言っていることは正しい。オレのことで泣かせてしまったんだから。オレが押し黙っていると亮はさらに怒りの色を強めて、吐き捨てた。
「だからいけないんだ。お前は大人すぎ。折り合いつけようとしてるだろ」
 ――自分を主張して
 温和に行きたいけど、オレは……オレの本心は。
「違う」
 小難しい理屈をつけた。感情を押し殺した。温和に行こうとした。自分の気持ちに素直になりたい。
「何が違うんだよ」
「オレは永沢のこと考えてる」
 つもり、なのかな。
「そうだとしても由香が泣いたのは事実だ」
「わっかんないよ」
 ずっと勘違いしてた「優しさ」のことにムッとしているんじゃないことが分かって頭の中がぐちゃぐちゃだ。自分を主張して? 気持ちをぶつけてほしい? どうして。恋って相手のことを想うのが一番だろ。優しくされて嬉しくないの? わかんない。考えたくもなくなってきた。
「じゃあお前の気持ちはどうなんだ。由香のこと……好きなのか?」
「好きじゃなきゃこんなに悩まない」
 言い終わって数秒の沈黙の後、亮は「フン」と鼻で笑った。なにがおかしい。
「どうだかな」
「お前……っ」
 オレは亮に飛び掛ろうとするが、寸前で止めた。本当に襟首を掴む寸前。こんな警察沙汰になるようなことを起こしてしまったら何もかもおしまいだ。永沢とのことも。力で解決しようとする自分が……堪らなく嫌になった。
「生徒委員さんが暴力ですか」
「このっ」
 怒りに我を忘れた。
 意識が飛んでしまって次の瞬間には玄関の扉に亮の肩を掴んで押さえつけていた。……今度は寸前なんかじゃ済まない。
「お強いことで」
 くっ……。亮は口元を吊り上げてうっすら笑っている。見事にはめられた。殴りたい衝動に駆られたけど、我慢して腕に入っていた力を抜く。そしたら亮の思うがままだ。オレは力なく玄関の床にへたり込んでしまった。永沢のことで感情的になったんじゃない。オレが、いけないんだ。大人なんかじゃない、子ども。自分の感情に身を任せて暴力を振るう子ども。もうそんな年齢じゃない。そんなことをしたら自分で責任を負わなきゃいけない。父さんにも、祐にも迷惑かけられない。頭では解ってるつもりなんだ。全部……『つもり』なのかな。世間のことを考えてるつもり。永沢のことを考えてるつもり。そんな優越感に浸ったって何も見えてきやしない。『つもり』だから意思も弱くて自分のことしか見えなくなる。考えられなくなる。亮の声が頭上から降り注ぐ。
「由香が言ったことをもう一度よく考えることだな」
 数秒の後、バタンと扉が閉まる音がした。ずっと同じトーンで低かった声音。それが現実を物語っている。嘘なんかじゃない、本当のことだ。亮はオレにどうしろっていうんだよ。永沢の言ったこと……。
 ――和樹くんには自分を主張して……自分の気持ちをぶつけてほしい
 自己主張してどうする? それは永沢にとって嬉しいこと? オレの気持ちをぶちまけて誰が得する? 誰も得しない。永沢に嫌な思いをさせるだけだ。あのときだってそうだった。自分が勝手に大丈夫だと思いこんで、冷淡な態度を取ってしまった。だから母さんは……。駄目だ。このことはもう考えないって決めたんだ。だけどどうしてもここに繋がってしまう。オレの人格形成はほとんどあのときに決まったようなもの。だから嫌でも、考えないようにしてもここにたどり着いてしまう。前向きに生きなきゃ。母さんのことでこんなにもズルズルと引きずってたら笑われてしまう。そりゃあ産んでくれた親なんだから感謝するところもあるけど、もう今はいない。過去の人なんだ。だけどすっぱりと忘れることはできない……いや、しちゃいけないけど、すがり付いてたって何も始まらない。見習うべきところは見習おう。強い心の持ち主。オレがそうならなくちゃ、報いを受けなきゃいけない。でも左手を使うことは許してくれるよね。これは譲れないよ。間接的ではあるけど人を殺した右手、そんな手で食べたんじゃ食べた気にもなれないし、何より母さんのことを思い出してつらい。
 母さん……母さんは弱いところを見せないで、生き抜いた。永沢はオレの弱い部分を見てどうしたい? 守りたくなる? 駄目だよ。男が女に弱いところ見せたらみっともない。「好き」って言ったあの日、涙を流して永沢に弱いところを見せてしまって「逃げ」だと感じた。オレはこんなにも弱い生き物だと見せ付けてしまった。永沢はオレの事を守ろうと強くなろうとしてるのか、弱音を全然吐いてこない。それを一気に吐き出したのはデートの日……だろう。その期待に応えられないで、また醜態を晒してしまった。オレなんかより永沢のほうがずっと、ずっと強い。
 亮には言えて、オレには言えないこと。やっぱりオレには弱音を吐けないんだ。弱い人だから。受け止められる強さがないから。永沢に庇護されてるんだ。でも永沢だって人だ。へこたれたくなるときだってあるだろう。それが亮に向かったんだ。これじゃあまるでオレが彼女で永沢が彼氏みたいだ。永沢の悩み、全てを一身に受けたいのに、信頼されてないからそれもままならない。あの日だけなのに、一回ああいうことがあったってだけで人の心はすぐ動かされる。
「どうすりゃいいんだよ……」
 力なく呟いたその言葉は重苦しい空気漂う中に掻き消えた。

*******

 部屋に戻ろうと立ち上がろうとしたら、うまく足に力が入らない。オレはなんてへこたれ野郎なんだ。こんな、こんな些細なことで関係がギクシャクしてしまっている。永沢の一言、ただそれだけでオレたちの関係が、足場が崩れ去る。また戻すにはオレがちゃんとしないといけない。頼りない男のままでいちゃいけない。
「んし」
 今度は足に力が入った。しっかりと、一歩ずつ自分の部屋へと進む。
 体がだるくて部屋に入るとベッドに一直線。バタンと突っ伏した。このまま寝てしまいそうだ。でも引っかかることがあって素直に眠れない。
 永沢が言った言葉の意味が解らない。……頭の中では振り切ったはずなのに同じことを考えていた。笑顔を振りまいていれば誰だって幸せになれる。……母さんの葬式の日、雲一つない抜けるぐらい晴れ渡った空だった。自分の気持ちにまだ整理がつかないままの葬式。母さんを殺したも同然でその罪を償おうとする反面、父さんが庇護してくれてそれにしがみつこうと逃げようとする。そんなせめぎ合いをしている最中だ。今なら、今のオレなら……駄目だ。後悔しすぎ。
 最終的に式には参列した。行く人、来る人みんながむせび泣いていて男の人も泣いてて驚いた記憶がある。そんな悲しい思いをさせてしまった自分が、逃げようとしていてとっても憎たらしく思えた。結局そのまま逃げてしまったけど、思いはオレのほうが……。こんなの、自己満足に陥ろうとしてるだけだ。
 火葬場でおじいちゃんの優しげな言葉が今でも体に染み付いている。今までそしてこれからも、挫けそうになったときに思い出す言葉。
 ――泣きたいときはいっぱい泣きなさい。けれど涙を流した分、笑顔になるんだよ。元気出すんだよ。君なら大丈夫
 そう言ってくれたんだ。それからオレは笑うように努力してきた。そうしていれば誰だって自然と笑顔になってくれたから。なのに最近の永沢には効果がない。むしろ寂しそうな表情をする。何で寂しそうにするんだろう……オレには解らないよ。
 そう考えているうちにオレは深い眠りに誘われていた。

HomeNovel << Back IndexNext >>
Copyright(C) 2008 らっく All Rights Reserved.