君色の光【その3】
昼休みだって言うのに休まらない。体も心も。……耳も。
「和樹ぃ〜、最近由香と仲が良いんだって?」
生徒会の、甲高い声を持つ日野麻衣さんが執拗に永沢とオレのことを聞いてくる。もう金切り声を通り越して超音波になってしまっているぞ。室内だからなおさら酷い。オレたちのことを呼び捨てにしているが日野さんは一年生だ。年上の人に対して「さん」付けがないなんて不届き者だ。悪い方向ではないけど入学当初から問題児みたいでクラスから一目置かれてるらしい。オレもそういう常識ない人って苦手だ。無視を決め込む。
「ねぇ〜、和樹ってば」
甘い声を出せば男が付いてくると思ったら大間違いだ。まぁ確かに男はそういう傾向あるけどさ、オレはそうじゃないんだよ。
「なに?」
力強い口調でそう言うとさすがの日野さんでもおののいたらしく、口元や眉根を変形させて顔を歪ませた。オレも顔が歪んでるかもしれない。日野さんのキンキン声で。
「こうして一緒に食べてるんだから楽しくしようよ」
やたら寂しそうに言うもんだから……乗っかってしまった。
「ごめん。そう見えた? 食事は楽しいほうがいいよね」
オレって優しいなぁ。だから先生から「優男」なんて称号を貰っちゃうのか。
「絶対そう! だからぁ……お願い。昼休みだけで良いから寄り添わせて」
は?
たかが生徒会で一緒ってだけでそこまでするのはおかしいと思うぞ。ここは生徒会室で普段は人が入って来ないけど、万が一でも見られたときに永沢に誤解されたくないし。ムッツリして体を背けると後ろから腕が伸びてきた。首に回されて後ろから……抱きつかれてる。密着状態だ。あの、背中に柔らかいものが当たってるんですが。寄り添う以上のことしてんじゃねーか、なんて突っ込もうと思ったがやめといた。だって……男にとってこんな幸せな状態はない。すぐに手放したくない。振り向いて抱き返してやりたいくらいだ。でも、今は。
熱い吐息を吹きかけてくる人の腕を払って状態を解いた。今度は正対する。日野さんは少し憮然としている。
「君の言う通りオレと永沢は仲良いよ。分かってるんならさ、オレに手を出すってことがどういうことか分かるよね?」
「和樹を私に浮気させるのよ」
しまった。もうちょっと考えてから物を言うんだった。日野さんは悪戯っ子みたいに不敵な笑みを浮かべる。
「それに和樹はなんで仲良いのに由香のこと苗字で呼んでるの? おかしくない?」
「それは……」
辛辣な口調で問われ思わず言葉に詰まる。永沢にすら言ってないことなのに日野さんに話すなんてフェアじゃない。日野さんは調子に乗ったようでバンバン言ってくる。
「理由言ってよ。まさか、言えないの?」
日野さんは高飛車な口調で、言おうと思っても言えない。オレが名前で呼べない理由はそんな簡単なことじゃないんだ。驕りじゃないけどオレの過去を話すと、その人が追体験してるみたいで嫌になる。不幸な過去を持ってる悲劇のヒロイン……じゃなくてヒーローぶるのは嫌いなんだ。ましてオレが起こした悲劇も同然だから労ってくれって言ってるようなもんだ。しかもそれはオレが一番なりたくない立場。だからオレは気心が知れた人で必要のある人にしか言わない。大の親友である亮にだってまだ何も言ってない。話す必要がないから。
「……言えないんだったらさ、あたしのこと『好き、大好きだよ』って言って。それで許すから」
意味が解らない。なんでそういうことになるんだ。オレは話すなんて一言も発してない。日野さんが勝手に推し進めただけだ。
「それも言えないんだったら、行動で示して。あたしと和樹が付き合っているように振舞って」
そんなの最大の屈辱だ。永沢に見られたら絶交されてしまう。それをするぐらいだったら
「好き、だ、よ」
「え、なぁに? き・こ・え・な・い」
惨め。
「好き。大好きだよ。……オレは君のことしか見えない」
言いながら泣いていくのが分かった。
「なっ、涙なんてずるい! 男でもずるい」
嗚咽が止まらない。本心ではないにしても永沢のことを一縷でも裏切ってしまったことに心がうずく。
ようやく落ち着いてきて日野さんのことを直視する。男に泣かれてさぞかし不憫だったろう。日野さんは弁当のご飯を男らしくかっ込みながら雄弁に話してくれた。女の子には褒め言葉にならないけど男らしくてかっこいい。
「泣かれるくらいつらいなんて思わなかったよ。ここは譲歩して、今まで通りに付き合ってくれればよしとする」
「……わかった」
上から目線だけどだいぶ譲歩してくれた。何も話さないで気まずい雰囲気のまま、弁当箱を片付けて生徒会室を出る。外気に触れてやっと気分が晴れてきた。今日は早めに済ませたから生徒が全然見えない。ガヤガヤしてるのは聞こえるけど姿がないとちょっとだけ違和感を覚える。隣を歩いている日野さんの肩を掴みオレに向けさせる。頬がポッと赤くなった気がする。そんなつもりは全然ないのに。謝るだけだ。
「ごめん、泣いちゃって」
90度体を傾けて頭の上で手を合わせる。
む、むはっ。太ももが目の前に。……いかん、いかん。どんだけ変態目線なんだ。オレは日野さんに誠実に謝ろうとしてるだけで、変態になろうなんていつ決めたんだ。この欲求不満はたぶん、永沢がそれらしいこと――手を繋ぐぐらいしかしてくれないからなのかな。それぐらいで止まってるなんて健全な男子高生にはつらいです。オレからアクションすべきなのかな。天から声が聞こえてきたので頭を上げる。
「いいよ。涙を止めないほうが……む、難しいんだから」
恥ずかしがってるのかな。そっぽ向いてしまった。っていうか、何も考えないでグラウンドに来てしまった。でもここまで来ちゃったしいっか。「一人で」なんて書いてなかったし。川澄先生とおぼしき人物が運動部の部室の傍でオーバーリアクション気味に両手を振って場所を指し示している。「おーい、ここだぞ」なんて声まで張り上げちゃって。気づいてます。その無駄な体力の浪費を止めてあげたい。日野さんがいなければ走ったんだけどなぁ。
「あれって川澄先生じゃない? 和樹に何か用あるの?」
「さぁね。ここに来いって言われただけだから何も分からない」
「あたしも、行っていいかな」
日野さんって何事に対しても無遠慮だからこのまま何事もなかったかのように「付いてきちゃった☆」みたいに振舞うと思ってたから意外だ。
「いいよ」
ここまで来て追い返すワケにもいかない。日野さんは「んよっし」と言って右手で小さく握り拳を作った。女の子のそういう姿って好きだな。隠そうとしてるけど見えちゃうあたり。やがて川澄先生の下に着いた。
「よぅし、作戦開始だ!」
「は?」
思わず声が揃ってしまった。隣にいる日野さんを見ると間抜け顔だ。ぽかーんとしちゃってる。そりゃそうだよな。川澄先生の奇矯は目を見張るものがある。言っちゃなんだが、頭おかしいとしか思えない。でもそれでいて相手のことを見透かす斟酌の力もある。不思議な人だ。
「何の作戦ですか」
「ああ、用件言ってなかったっけ」
あんな誇大広告渡しといてコロッと忘れないでほしい。
「実はな、今度あるインハイのために過去のデータを見ようと思ったんだがなくてな」
「それでオレを巻き込もうと?」
「ああ」
即答され、複雑な気持ちになる。
「日野さんも一緒だったか。ちょうどいいな。人手は多いほうがいい」
「じゃあなんでオレたちしかいないんですか」
辺りを見回しても人っ子一人見えない。来る気配もない。
「ビラ配ってもお前しか来そうになかったから」
「う……」
不覚っ。優男を利用されてしまった。
「まぁまぁ。そのデータは運動部の、この部室にあるんですよね?」
日野さんが助け船を出してくれた。ありがたや。これがもし永沢だったら……駄目だ。考えちゃいけない。比べちゃいけないよ。
「そうだ」
「そんな大事なものを部室に保管するのは無用心だと思いますけどね」
「まあ……それもそうだな」
口調はともかくやっぱ無遠慮だった。とそこで身体特徴に見覚えのある影がポツンと見えた。こっちに向かって歩いてるのかな、だんだんと大きくなっていく。
「あれ」
「庄子、どうした」
「人影が見えたような……」
そんなことを話していると日差しを真後ろから浴びた影は歩くのをやめたようで大きくなるのは止まった。こっちは太陽をバックに見てるからうっすらとしか見えない。ほどなくして影はまた歩き始める。そしてそのシルエットがようやく露になってきた。
「永沢? 永沢じゃん。どうしたの?」
気持ち、晴れやかな顔をしているように見える。亮はうまくやってくれたのかな。
「グラウンドを見たら誰かいたから気になって来ちゃった」
「ああそう」
率直な気持ち。何も隠そうとしていない。この場合誰も傷つかないからいいけど、オレが昨日の朝、祐に言った言葉が頭をちらつく。
――もうちょっと言い方というか……あるだろ?
オレは相手のことを慮りすぎなのかな。
……偽り。自分を偽ってまでそうした先には何が見えるんだろう。いつか本当の自分を見せなきゃいけない。優しくすると誰だって喜ぶ。だからオレは今まで優しく接してきた。その「優しさ」は本心ではないときもあるけど、反射的に体が動いてしまう。落ち込んでいたり、寂しそうにしているとどうしても黙っていられない。構ってあげたくなるんだ。手を差し伸べてあげたくなるんだ。でも永沢に優しく接すると切なげな笑いが返ってくる。わかんないよ。優しくすれば心が穏やかになれると信じてる。
「和樹、離れなさいって!」
日野さんが割って入ってきた。物凄い形相だ。青筋立ってますがな。オレたちの様子を黙って見ていた川澄先生が「ほほぅ」と意味深な声を上げ何か納得したみたいだ。
「ゆかりん。庄子のことが気になって来ちゃったんだ?」
なっ……。オレは何も言ってないのにめっちゃ恥ずかしいぞ。よくそんなこと言える。永沢のことを「ゆかりん」って呼んでるのもどうしても慣れない。
「そうじゃないです」
「そうか……」
永沢がすっぱり言いきると川澄先生は辟易したように短くため息をついた。でもなんだか様子がおかしいぞ? 含み笑ってやに下がってる。怪しげな笑い。悪いけど身障にしか見えない人、二人目。
「人手は多いほうがいい。ということでゆかりんも手伝ってもらえる?」
まさか。
「へ? 何をですか」
「永沢は先に戻ってていいよ。すぐ終わるし」
頭で考えるより先に口が動いていた。やっぱりオレは反射的に優しくしてしまうみたいだ。あのときからの癖。永沢と会ってから思い始めた、良いのか悪いのか分からない癖。
「優男が出たな」
「なにやるかはわからないけど、手伝うって」
「いいよ。オレたちで片付けるから」
また出た優しさ。
その後に見せる永沢の寂しげな表情。視線を伏せて苦悩している。いつまでもこんな態度を取っていたらいつ別れられてもおかしくない。それなのに、子どものころからできた癖は根強く残っていてすぐに直すことは出来ない。
……直す?
直してもいいものなのだろうか。オレの癖は悪いところもあるけど、良いところもある。そんな簡単に切り捨てることは出来ない。一人のために……その人はオレの大事な人。だけど大勢を切ってまでする気はない。
「そうよそうよ。あんたは先に戻ってなさい」
日野さんが一人で騒がしい。
「……うん、分かった」
素直に食い下がってくれた。すると永沢はハッとした顔をして川澄先生につかつかと歩み寄っていく。何をするかと思えば耳打ちだ。なんの用だろう、あの奇行を起こす人に。永沢は耳打ちして隠そうとしたけど、川澄先生はそういうこと嫌いだから公に話してくれた。もちろんオレたちに言ってるつもりはないんだろうけど。
「今日はちょっとなぁ。……あ。明日の放課後なら大丈夫だから自転車置き場を訪ねてきて」
なんの約束だ? 永沢が川澄先生に用があるなんて一体なんなんだろう。「ゆかりん」と呼ぶあたり密接な関係なんだろうけど、どうしてだ。二人は何の接点もない。憶測を繰り広げていると、永沢は元いた位置に戻って親指を立ててグーサインを出した。川澄先生もそれに応えるかのようにグーサインを出す。なんなんだこの関係。実はオレたちよりも密な関係なんじゃないのか? 何も言わないで得心するなんて。永沢は目を細めて笑い、すごすごと校舎へと退散していった。永沢がグラウンドの中央辺りまで行ったとき
「先生と由香はどんな関係なんですか」
日野さんの金切り声がした。気になるよな。川澄先生のいつもの闊達そうな雰囲気はなりを潜め、どぎまぎしている。
「いけない関係。……なーんちゃって」
はぐらかされた。珍しく茶化された。そんなことしてたら人には言えない関係なのかと疑り深くなってしまうぞ。素は誠実な川澄先生に限ってそんなことはないと信じているけど、心配だ。一抹の不安が拭いきれない。
「おおぅっと、もうこんな時間か」
永沢の登場で想定外の時間が過ぎてしまったのか。それでも時間が足りなかったような気もするけどな。もうすぐ午後の授業が始まるので解散ということになり、川澄先生が「探しておく」と力強く言ってくれて安心する。そういうワケで「部室にある資料を探そう」チームが再結成されることはなかった。
「和樹ぃ〜、最近由香と仲が良いんだって?」
生徒会の、甲高い声を持つ日野麻衣さんが執拗に永沢とオレのことを聞いてくる。もう金切り声を通り越して超音波になってしまっているぞ。室内だからなおさら酷い。オレたちのことを呼び捨てにしているが日野さんは一年生だ。年上の人に対して「さん」付けがないなんて不届き者だ。悪い方向ではないけど入学当初から問題児みたいでクラスから一目置かれてるらしい。オレもそういう常識ない人って苦手だ。無視を決め込む。
「ねぇ〜、和樹ってば」
甘い声を出せば男が付いてくると思ったら大間違いだ。まぁ確かに男はそういう傾向あるけどさ、オレはそうじゃないんだよ。
「なに?」
力強い口調でそう言うとさすがの日野さんでもおののいたらしく、口元や眉根を変形させて顔を歪ませた。オレも顔が歪んでるかもしれない。日野さんのキンキン声で。
「こうして一緒に食べてるんだから楽しくしようよ」
やたら寂しそうに言うもんだから……乗っかってしまった。
「ごめん。そう見えた? 食事は楽しいほうがいいよね」
オレって優しいなぁ。だから先生から「優男」なんて称号を貰っちゃうのか。
「絶対そう! だからぁ……お願い。昼休みだけで良いから寄り添わせて」
は?
たかが生徒会で一緒ってだけでそこまでするのはおかしいと思うぞ。ここは生徒会室で普段は人が入って来ないけど、万が一でも見られたときに永沢に誤解されたくないし。ムッツリして体を背けると後ろから腕が伸びてきた。首に回されて後ろから……抱きつかれてる。密着状態だ。あの、背中に柔らかいものが当たってるんですが。寄り添う以上のことしてんじゃねーか、なんて突っ込もうと思ったがやめといた。だって……男にとってこんな幸せな状態はない。すぐに手放したくない。振り向いて抱き返してやりたいくらいだ。でも、今は。
熱い吐息を吹きかけてくる人の腕を払って状態を解いた。今度は正対する。日野さんは少し憮然としている。
「君の言う通りオレと永沢は仲良いよ。分かってるんならさ、オレに手を出すってことがどういうことか分かるよね?」
「和樹を私に浮気させるのよ」
しまった。もうちょっと考えてから物を言うんだった。日野さんは悪戯っ子みたいに不敵な笑みを浮かべる。
「それに和樹はなんで仲良いのに由香のこと苗字で呼んでるの? おかしくない?」
「それは……」
辛辣な口調で問われ思わず言葉に詰まる。永沢にすら言ってないことなのに日野さんに話すなんてフェアじゃない。日野さんは調子に乗ったようでバンバン言ってくる。
「理由言ってよ。まさか、言えないの?」
日野さんは高飛車な口調で、言おうと思っても言えない。オレが名前で呼べない理由はそんな簡単なことじゃないんだ。驕りじゃないけどオレの過去を話すと、その人が追体験してるみたいで嫌になる。不幸な過去を持ってる悲劇のヒロイン……じゃなくてヒーローぶるのは嫌いなんだ。ましてオレが起こした悲劇も同然だから労ってくれって言ってるようなもんだ。しかもそれはオレが一番なりたくない立場。だからオレは気心が知れた人で必要のある人にしか言わない。大の親友である亮にだってまだ何も言ってない。話す必要がないから。
「……言えないんだったらさ、あたしのこと『好き、大好きだよ』って言って。それで許すから」
意味が解らない。なんでそういうことになるんだ。オレは話すなんて一言も発してない。日野さんが勝手に推し進めただけだ。
「それも言えないんだったら、行動で示して。あたしと和樹が付き合っているように振舞って」
そんなの最大の屈辱だ。永沢に見られたら絶交されてしまう。それをするぐらいだったら
「好き、だ、よ」
「え、なぁに? き・こ・え・な・い」
惨め。
「好き。大好きだよ。……オレは君のことしか見えない」
言いながら泣いていくのが分かった。
「なっ、涙なんてずるい! 男でもずるい」
嗚咽が止まらない。本心ではないにしても永沢のことを一縷でも裏切ってしまったことに心がうずく。
ようやく落ち着いてきて日野さんのことを直視する。男に泣かれてさぞかし不憫だったろう。日野さんは弁当のご飯を男らしくかっ込みながら雄弁に話してくれた。女の子には褒め言葉にならないけど男らしくてかっこいい。
「泣かれるくらいつらいなんて思わなかったよ。ここは譲歩して、今まで通りに付き合ってくれればよしとする」
「……わかった」
上から目線だけどだいぶ譲歩してくれた。何も話さないで気まずい雰囲気のまま、弁当箱を片付けて生徒会室を出る。外気に触れてやっと気分が晴れてきた。今日は早めに済ませたから生徒が全然見えない。ガヤガヤしてるのは聞こえるけど姿がないとちょっとだけ違和感を覚える。隣を歩いている日野さんの肩を掴みオレに向けさせる。頬がポッと赤くなった気がする。そんなつもりは全然ないのに。謝るだけだ。
「ごめん、泣いちゃって」
90度体を傾けて頭の上で手を合わせる。
む、むはっ。太ももが目の前に。……いかん、いかん。どんだけ変態目線なんだ。オレは日野さんに誠実に謝ろうとしてるだけで、変態になろうなんていつ決めたんだ。この欲求不満はたぶん、永沢がそれらしいこと――手を繋ぐぐらいしかしてくれないからなのかな。それぐらいで止まってるなんて健全な男子高生にはつらいです。オレからアクションすべきなのかな。天から声が聞こえてきたので頭を上げる。
「いいよ。涙を止めないほうが……む、難しいんだから」
恥ずかしがってるのかな。そっぽ向いてしまった。っていうか、何も考えないでグラウンドに来てしまった。でもここまで来ちゃったしいっか。「一人で」なんて書いてなかったし。川澄先生とおぼしき人物が運動部の部室の傍でオーバーリアクション気味に両手を振って場所を指し示している。「おーい、ここだぞ」なんて声まで張り上げちゃって。気づいてます。その無駄な体力の浪費を止めてあげたい。日野さんがいなければ走ったんだけどなぁ。
「あれって川澄先生じゃない? 和樹に何か用あるの?」
「さぁね。ここに来いって言われただけだから何も分からない」
「あたしも、行っていいかな」
日野さんって何事に対しても無遠慮だからこのまま何事もなかったかのように「付いてきちゃった☆」みたいに振舞うと思ってたから意外だ。
「いいよ」
ここまで来て追い返すワケにもいかない。日野さんは「んよっし」と言って右手で小さく握り拳を作った。女の子のそういう姿って好きだな。隠そうとしてるけど見えちゃうあたり。やがて川澄先生の下に着いた。
「よぅし、作戦開始だ!」
「は?」
思わず声が揃ってしまった。隣にいる日野さんを見ると間抜け顔だ。ぽかーんとしちゃってる。そりゃそうだよな。川澄先生の奇矯は目を見張るものがある。言っちゃなんだが、頭おかしいとしか思えない。でもそれでいて相手のことを見透かす斟酌の力もある。不思議な人だ。
「何の作戦ですか」
「ああ、用件言ってなかったっけ」
あんな誇大広告渡しといてコロッと忘れないでほしい。
「実はな、今度あるインハイのために過去のデータを見ようと思ったんだがなくてな」
「それでオレを巻き込もうと?」
「ああ」
即答され、複雑な気持ちになる。
「日野さんも一緒だったか。ちょうどいいな。人手は多いほうがいい」
「じゃあなんでオレたちしかいないんですか」
辺りを見回しても人っ子一人見えない。来る気配もない。
「ビラ配ってもお前しか来そうになかったから」
「う……」
不覚っ。優男を利用されてしまった。
「まぁまぁ。そのデータは運動部の、この部室にあるんですよね?」
日野さんが助け船を出してくれた。ありがたや。これがもし永沢だったら……駄目だ。考えちゃいけない。比べちゃいけないよ。
「そうだ」
「そんな大事なものを部室に保管するのは無用心だと思いますけどね」
「まあ……それもそうだな」
口調はともかくやっぱ無遠慮だった。とそこで身体特徴に見覚えのある影がポツンと見えた。こっちに向かって歩いてるのかな、だんだんと大きくなっていく。
「あれ」
「庄子、どうした」
「人影が見えたような……」
そんなことを話していると日差しを真後ろから浴びた影は歩くのをやめたようで大きくなるのは止まった。こっちは太陽をバックに見てるからうっすらとしか見えない。ほどなくして影はまた歩き始める。そしてそのシルエットがようやく露になってきた。
「永沢? 永沢じゃん。どうしたの?」
気持ち、晴れやかな顔をしているように見える。亮はうまくやってくれたのかな。
「グラウンドを見たら誰かいたから気になって来ちゃった」
「ああそう」
率直な気持ち。何も隠そうとしていない。この場合誰も傷つかないからいいけど、オレが昨日の朝、祐に言った言葉が頭をちらつく。
――もうちょっと言い方というか……あるだろ?
オレは相手のことを慮りすぎなのかな。
……偽り。自分を偽ってまでそうした先には何が見えるんだろう。いつか本当の自分を見せなきゃいけない。優しくすると誰だって喜ぶ。だからオレは今まで優しく接してきた。その「優しさ」は本心ではないときもあるけど、反射的に体が動いてしまう。落ち込んでいたり、寂しそうにしているとどうしても黙っていられない。構ってあげたくなるんだ。手を差し伸べてあげたくなるんだ。でも永沢に優しく接すると切なげな笑いが返ってくる。わかんないよ。優しくすれば心が穏やかになれると信じてる。
「和樹、離れなさいって!」
日野さんが割って入ってきた。物凄い形相だ。青筋立ってますがな。オレたちの様子を黙って見ていた川澄先生が「ほほぅ」と意味深な声を上げ何か納得したみたいだ。
「ゆかりん。庄子のことが気になって来ちゃったんだ?」
なっ……。オレは何も言ってないのにめっちゃ恥ずかしいぞ。よくそんなこと言える。永沢のことを「ゆかりん」って呼んでるのもどうしても慣れない。
「そうじゃないです」
「そうか……」
永沢がすっぱり言いきると川澄先生は辟易したように短くため息をついた。でもなんだか様子がおかしいぞ? 含み笑ってやに下がってる。怪しげな笑い。悪いけど身障にしか見えない人、二人目。
「人手は多いほうがいい。ということでゆかりんも手伝ってもらえる?」
まさか。
「へ? 何をですか」
「永沢は先に戻ってていいよ。すぐ終わるし」
頭で考えるより先に口が動いていた。やっぱりオレは反射的に優しくしてしまうみたいだ。あのときからの癖。永沢と会ってから思い始めた、良いのか悪いのか分からない癖。
「優男が出たな」
「なにやるかはわからないけど、手伝うって」
「いいよ。オレたちで片付けるから」
また出た優しさ。
その後に見せる永沢の寂しげな表情。視線を伏せて苦悩している。いつまでもこんな態度を取っていたらいつ別れられてもおかしくない。それなのに、子どものころからできた癖は根強く残っていてすぐに直すことは出来ない。
……直す?
直してもいいものなのだろうか。オレの癖は悪いところもあるけど、良いところもある。そんな簡単に切り捨てることは出来ない。一人のために……その人はオレの大事な人。だけど大勢を切ってまでする気はない。
「そうよそうよ。あんたは先に戻ってなさい」
日野さんが一人で騒がしい。
「……うん、分かった」
素直に食い下がってくれた。すると永沢はハッとした顔をして川澄先生につかつかと歩み寄っていく。何をするかと思えば耳打ちだ。なんの用だろう、あの奇行を起こす人に。永沢は耳打ちして隠そうとしたけど、川澄先生はそういうこと嫌いだから公に話してくれた。もちろんオレたちに言ってるつもりはないんだろうけど。
「今日はちょっとなぁ。……あ。明日の放課後なら大丈夫だから自転車置き場を訪ねてきて」
なんの約束だ? 永沢が川澄先生に用があるなんて一体なんなんだろう。「ゆかりん」と呼ぶあたり密接な関係なんだろうけど、どうしてだ。二人は何の接点もない。憶測を繰り広げていると、永沢は元いた位置に戻って親指を立ててグーサインを出した。川澄先生もそれに応えるかのようにグーサインを出す。なんなんだこの関係。実はオレたちよりも密な関係なんじゃないのか? 何も言わないで得心するなんて。永沢は目を細めて笑い、すごすごと校舎へと退散していった。永沢がグラウンドの中央辺りまで行ったとき
「先生と由香はどんな関係なんですか」
日野さんの金切り声がした。気になるよな。川澄先生のいつもの闊達そうな雰囲気はなりを潜め、どぎまぎしている。
「いけない関係。……なーんちゃって」
はぐらかされた。珍しく茶化された。そんなことしてたら人には言えない関係なのかと疑り深くなってしまうぞ。素は誠実な川澄先生に限ってそんなことはないと信じているけど、心配だ。一抹の不安が拭いきれない。
「おおぅっと、もうこんな時間か」
永沢の登場で想定外の時間が過ぎてしまったのか。それでも時間が足りなかったような気もするけどな。もうすぐ午後の授業が始まるので解散ということになり、川澄先生が「探しておく」と力強く言ってくれて安心する。そういうワケで「部室にある資料を探そう」チームが再結成されることはなかった。
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