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6.理想と現実は紙一重【その4】

「今日は何から何までしてくれてありがとうございました」
 玄関で男の人三人に囲まれている。脅威がないって分かっててもちょっと威圧を感じてしまう。隣には和樹くんがいるから幾分か和らぐけど、やっぱりちょっと怖い。
「いやいや、これぐらいしかおもてなしが出来なくてすまないね」
「十分です。カレー美味しかったです! サラダも」
「そう言われると作った甲斐があるなあ」
 和樹パパはふんわりと微笑む。今日何回目だろう。それくらい嬉しそうにしてくれる。言った甲斐もあるわけだ。決してお世辞などではない。和樹くんのあの玉子焼きを知っている人間からすると劣ってしまうけど、家庭で食べるレベルだったら相当高い。庄子家の血筋は料理センスに溢れているんだ。
「ねーちゃん、またなー」
「うん。またね」
「いつでも遊びに来なさい」
 すごく歓迎されてる。和樹くんはこんなに優しい家族と一緒に過ごしたから、あんなにも穏やかなんだ。母親がいなくても愛情を一身に受けて伸び伸びと育ってる。
「はい。それではまた」
 この思いが届けばいいなと思いつつ、私は目を細めて嬉しそうに言った。また……また来ます。
「それじゃあオレは永沢を送るよ」
 和樹くんは私が帰ると言い出したら、大慌てで二階に駆け上がって上のジャージを持ってきた。女の子を夜道に一人では歩けさせられないのだろう。最近は物騒だからありがたい。こないだ雨の中、一人で帰ったときはウチまで後ろに気配を感じつつ歩いた。怖くて振り向けなかったけど、今思うとストーカーとかそういう類の人間だったのかもしれない。もう九時を回っていて危ない時間帯だ。玄関の扉を開けると、思っていたより生暖かい風が顔にかかった。
「結構暖かいね。Tシャツだけでよかったかも」
 和樹くんは出て早々私が思ったことをポツリと呟いた。
「そうだね」
 この前来たときを思い出していた。あの日は今日みたいに風が暖かくなくて、冷たかったんだよね。そして和樹くんに寒い思いをさせてしまった。この前と今日の風、逆だったらよかったのに。……あ。これが『事が起こった後に後悔するのは遅い』か。確かにそうだね。過去はもう変えられないんだから。私が言ったこと、やったことは全部変えられない過去。それをくどくど考えても無駄の極みってものだ。和樹パパ素敵。
 後ろを振り返る。そうすると和樹くんも少し遅れて後ろを振り返った。
「名残惜しい?」
「ううん。ここに来たときと今じゃ、私も和樹くんも気持ちが全然違うってふと思ってさ」
「そうか……そう、だね。今日はありがとう」
 コクンと頷く。笑ってくれると思ったんだけど、感慨深げに言ってくるのにちょっと驚いた。和樹くんは変わろうとしてるんだ。私もがんばらないと! 再び歩き出すと和樹くんの様子がなんだかおかしい。何か言いたそうに口をもごもごさせてるけど、逡巡してる。「遠慮しないで」って言ったばかりなのに。
「なに?」
 私に向き直ると手をじっと見つめてきた。ドキンと胸が高鳴る。ど、どうしよう。これはもしや……。手に向けていた視線を私の顔に移す。街灯に照らされた瞳が潤っているのが見えた。
「……手、繋ぎませんか?」
 見つめ合ってそう恥ずかしそうに言うのが堪らなくかわいい。
 しかし、ここで敬語っ。そういうところが和樹くんらしい。でも、私もどっちかっていうとそうだったな。断る理由は何もない。
「うん、いいよ」
 承諾を確認すると和樹くんは口元を緩めてニヤける。少年のように喜ぶ笑顔は私の活力剤だ。そしてサッと手を差し出してくる。私はゆっくりと手を伸ばしその手を取った。正直言って、熱を感じたくなかったけど和樹くんの手を握ることはいやじゃない。私と初めて手を繋いだときは、強引に掴まれてちょっと怖かった。今は私も和樹くんも本当に手を繋ぎたくて繋いでいる。これってとても幸せなことだ。どちらか一方が自分の気持ちを強引に押し付けたりしないで、二人の気持ちは「繋ぎたい」ってそれで整っている。
 指を絡めあうことはできないけど、すごくポカポカあったかい気分になれる。それももうすぐ終わりだ。もう少し二人でいたい。この手の温もりを感じていたい。
「……どうしてさ、オレのこと好きなの?」
「は?」
 突然そんなこと言い出すから歩調が乱れて手を離してしまった。和樹くんは驚いて目を見開いている。
「そんなに変なことだったかな……」
 不貞腐れるようにそう言うとポケットに手を突っ込んですねてしまった。全然変なことじゃない。ただいきなりそんなことを言うのに驚いてしまっただけで。
「最初は外見に惹かれたけど、今はその人間性……強さ」
「強さ?」
 そ知らぬ振りをしてどうするつもりだ。とぼけるなんて自覚持ってなくてさらに強く見えちゃうじゃないか。和樹くんは強い。何があっても私と関係を絶つなんて選択肢は入れなかった。どんなにつらく過酷な道程でも受け入れられる強さを持っている。そう話すと怪訝そうに私を見てきた。
「永沢はオレを美化しすぎ。……オレはそこまで強くないよ」
 え……。
 和樹くんは見栄なんか張ってない。色眼鏡を通して和樹くんを見ている私の眼にそう映ってるだけで本当は、違うんだ。和樹くんの言うとおり美化しすぎていたのかもしれない。さっきも考えたけど、和樹くんだって悩んだりすることがある。ただそれを私に見せないだけで。不釣合いなんかじゃない。同じ高校生なんだ。些細なことで壊れる高校生なんだ。調和が取れている。微妙な空気が流れる中、また手を繋いで少し歩くとマンションに着いてしまった。
「じゃあオレはここで」
「待って! もうちょっとだけ」
 全然自分を抑えられてない。人のことはあれだけ言っといて。明日からはがんばるから……今日だけはお願い。
「うん? どうしたの?」
「……部屋の前まで」
「ん〜、いいよ」
 優しいな。私も人に優しくしたい。「優しさ」にいやな感情が芽生えることはなくなっていた。
「ありがとう。じゃあエレベーターで行こっ」
「オレがついてくるってだけで嬉しそうだなぁ」
 もちろんだよ。ほんの少しだけでも、一秒だけでも長く一緒にいたい。和樹くんの手を引いて全速力でエレベーターに駆け込む。「痛い」と声を上げていたが無視だ。考えとは矛盾してるけど同じマンションの住民に見られたくない。けど冷静になって考えてみる。
 今の行動間違えた。
 客観的に見ても和樹くんはカッコイイ。そんな人の手を取って強引にエレベーターに連れ込んだんじゃ誘拐か何かと間違われてもおかしくない。悲鳴上げてるし。まぁ……仕方ない、やってしまったことだ。しかし、この狭い空間に二人っきり。同じ空間にいるっていうことを強く感じる。隣を向けば吐息がかかる距離。胸の高鳴りがピークに達していて頭がどうにかなりそうだ。早く出たい。私の部屋は三階にあるからすぐ着く。心臓がバックンバックンいっていて、音も鳴らずにエレベーターのドアは静かに開いた。即行脱出だ。風を感じて少しは落ち着いた。
「オレ、あんまりエレベーターって使わないから一瞬くらっときちゃった」
 エレベーターを降りて和樹くんがそんなことを言う。仮にも体調が悪い人なんだ。無理させてしまったかな。私の部屋は三階にあるから階段を使ったほうがよかったかもしれない。エレベーターの密室空間にもいたくはなかったし。次からは階段を使おう。健全な高校生なんだから体動かさないと鈍る。
「ごめんごめん」
「……ちょっと、恥ずかしい、かな」
「え?」
 なにが。
「さっきまで暗かったからよく見えなかったけど、こうして光に照らされて手を繋いでるってことが明白になると恥ずかしい」
 そんなことを言ってたら日中は手を繋げない。でも改めて自分と和樹くんの繋がってる部分を見ると恥ずかしくなってきた。でもその体勢のまま和樹くんの手を引っ張って私の部屋の前まで行く。
「ここ」
「角部屋なんだ」
 マンションで角部屋じゃなかったら死ぬかもしれない。室内でも少しは日を浴びたいものだ。夏はウンザリだけど、冬は恵みの光だ。
「じゃあ今度こそオレは帰るね。また明日」
「う、うん……」
 言えなかった。「上がっていって」って。でもこのくらいの距離感がちょうどいいのかもしれない。時間も時間だったしね。和樹くんはにこやかに笑うと私の手を解いて階段を下りていった。私も帰ろう。
「ただいま」
 一応玄関で言うけどリビングまで届かないので、リビングでもう一度言ってる。お母さんしかいない。お風呂場から音が聞こえたからお父さんはお風呂だろう。絵里は部屋の電気が漏れてたから自分の部屋かな。
「おかえり、遅かったね〜」
 お母さんはおったまげた声を上げる。食べてからのんびりとしすぎた。今の時刻は九時十五分を回ったところだ。電話でお母さんには「外で食べるから夕食はいらない」とだけ言っておいた。
「色々とお世話になっちゃってね」
「どこで食べてきたの?」
「か……」
 何故か後ろめたい気持ちでいっぱいだ。お母さんには一番に自慢してやろうと思ってたのに。
「か、ねぇ。あ、分かった! 彼氏の家?」
 よくあれだけで解ったなぁ。でもお世話になって「か」なんて言おうものなら解っちゃうか。お母さんは嬉しそうにひゃーひゃー喚いて、「どんな子? カッコイイ? 歳は?」とか立て続けに訊いて来る。弱い部分もあるけど、和樹くんの自慢できるポイントはたくさんある。上げるときりがないくらい。ここは一先ず今日改めて再認識したことを。
「カッコイイ、とは思うよ」
「そっかぁ。まさか由香に彼氏ができるなんてねぇ」
 傷つく言葉をサラリと言ってのける。でもその後に
「がんばりなさいよ。母さん応援してる。由香、帰ってきてから口元が緩んでて嬉しそうだったもの」
「えっ?」
 思わず口を覆う。そんな嬉しそうにしてたかなぁ。これからのこと、和樹くんのことを考えると目元が緩む。ああ、これか。
「ほーらね。……今日は疲れたでしょ。早く寝なさいよ」
「はーい」
 まだ子ども扱いされてて、お母さんに隠し事をしても何でも見透かされてしまう。これなら言いなりになってたほうが良さそうだ。お母さんがいるってだけで幸せを感じられる。心配してくれるだけで幸せを踏みしめられる。和樹くんと会っていなければこんな気持ちはかけらも生まれなかっただろう。ありがとう、お母さん。
 私は自分の部屋に入ると全体を見渡した。もちろん整理されていない。マンガ本が散らかっていたり、机の上にノートが広げっぱなしだ。乱雑すぎるのも問題だけど、このくらいでいいだろう。見栄を張っていたって、もしいつか……同棲することになったらばれることだ。隠す必要は何もない。
 唯一、物が散乱していないベッドにバタンと突っ伏した。デートに行ったあの日の夜とは全然違う気持ち。考え方が正反対だ。あのときはもう最低だった。人のせいにして、自分は変わろうともしないで狭量になっていた。優しさを受け入れる『強さ』がなかったから。私はひっくり返って仰向けになる。白い蛍光灯に黒い点が見えた。虫が一匹張り付いている。もう少ししたら虫がたかっていてもおかしくなさそうだ。時は確実に経っている。
 今日のことを思い返すとこれからの未来が楽しみで仕方がない。思わず顔がニヤけてしまう。
 幸せな一日だった。ただあのときを除いて。和樹くんとはこれから仲直りしていけそうだけど……亮とはもうダメかもしれない。あんなことを言ってしまった。明日、学校に行くのは気が軽く感じるところもあるけどその反面、気が重く感じるところもある。すっと起き上がり、息を吐いて全身の力を抜いた。
「がんばろう」
 気負けしないように。

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