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6.理想と現実は紙一重【その3】

 だけど今は違う。
 和樹くんは私のことを、私が犯したことすべてを受け入れて一直線に見ている。私はその気持ちに応えないと。そっぽ向いて横目でちらちら見てたら相手の誠実な気持ちに傷をつけてしまう。真正面から向き合おう。正対しよう。だから……このままじゃいけない。
 体を向き直し和樹くんの瞳を見つめると、視線が絡む。いろんな色味を帯びる丸く黒い瞳、それを覆うシャープな二重瞼、長い睫毛の上下が先端でぶつかり合っている。よく寄せられる眉、ちょっとつんのめった鼻、青白くて薄い唇。男の子らしい短髪のぼさぼさした髪の毛。高校生のクセにニキビ一つないきめ細かい肌が恨めしいけど……。その全てが今はいとおしい。こんなに嘗め回すように見たのは初めてで、本当に端正な顔立ちだということを今さらながら思い知る。そして、こうして長々と見つめ合ったのも初めてだ。でも不思議と恥ずかしさは込み上げてこなかった。……こういう状態になってこそ告白というものはするものなのかもしれない。
「永沢」
「和樹くん」
 声が合った。何を言うかは予測できている。「どうぞ」と先を譲ると、頷いてくれた。私に対して遠慮なんてあっちゃいけない。ズンズン押し進んできてほしい。「レディーファースト」という言葉はこの際どうでも良い。
「永沢の気持ちに配慮できないかもしれないけど、こんな。こんなオレでよければ付き合ってください」
「喜んで。これからつらいことがあっても二人でがんばっていこうね。和樹くんは遠慮しないで。私はもっと自分を抑えるから」
 自己中っぷりも、なんてそこまでは言えなかった。窓ガラスほどの薄い虚飾はまだ残っているから。弱い、弱いけどこれからがんばって強くなっていくよ。悪いところは直していけばいいんだ。きっと和樹くんにだって悪いクセはあるはずだ。押し固めていた理想像ほど理想の人じゃない。同じ人間なんだ。私みたいに悩みもある。恋愛の仕方だって試行錯誤の連続だろう。会ってから一週間後、告白する前に思っていたように近い存在だったんだ。
 言い終わってから一秒もしないうちに返事をするのに驚いたのか、面食らっている。大きく目を見開いて腫れ物に触るかのように怯えた様子で確認してきた。
「ほんと?」
「本当だよ。じゃなきゃ言わない」
 真意で、決してウソなんかじゃない。
 ここでおだて上げたところで、何の意味もありゃしない。むしろ逆効果。もしそれに和樹くんが気付いたら傷つけてしまうことになる。私たちの関係をこれからは隠さないことにする。だってこれからは本当に、正式に付き合っているんだから。その気持ちを裏切ってはいけない。和樹くんの足元には到底及ばないけど――これが私の「優しさ」だよ。
「やった!」
 浮かれている和樹くんを見ると、今日来てよかったと心の底から思う。大仕事をやってのけたと体が思ったのか力が抜けてしまってその場にへたり込んでしまった。和樹くんはすかさず膝を立ててしゃがみ込む。
「どうしたの、大丈夫?」
 ずっとこの声を聞けると思うと幸せな気持ちになってきた。
「大丈夫だって。それよりも和樹くんは明日から学校来られる?」
「それは永沢のせいじゃん」
 遠慮がなくて思わず笑ってしまった。和樹くんは無邪気に笑いながら、足を伸ばし後ろ手をついてリラックスする体勢に入る。このパターンは初めてだ。私が笑って和樹くんがつられて笑う。この無防備な体勢と遠慮がない感じ、好きだ。すごく身近に感じられる。今までは近くにいてもどこか遠くに感じていた。掴める距離、抱きしめられる距離。もう離れない。
「明日からはちゃんと行くよ。欠席日数が就職のときに響いたら嫌だし」
 もう未来のこと考えてるのか……。私はまだ何にも考えてない。とりあえず学校に行ってるって感じだ。また気分が沈み始めると、コンコンとやけに大きいノック音が部屋に響き、思わず顔を見合わせると二人してぎょっとした顔をした。それがおかしく思えて笑いそうになったけどぐっと堪え、扉のほうを見る。ゆるやかに開いた扉の先には祐くんが立っていた。
「楽しそうだね。まさか笑い声が聞こえるとは思わなかったよ。ねーちゃん、何したの?」
 さっきノック音がでかかったのは祐くんなりの私たちへの配慮だろう。さっきお兄ちゃんに言われたのもあるのかな。それにしてもこの家の人はみんな優しいな。
「……秘密」
「気になる。何言っても兄ちゃんは木偶の坊みたいに感情出さなかったのに」
 ここは言うべきだろうか。別に隠さなくてもいいんだけど、言ったら言ったでそこには深い深い事情があるわけで。それを説明したらいつまでかかるのやら。でもこの状況は打開したい。言うしかないか。
「それはねぇ」
「こらこら。誘導尋問しないの」
 今まで黙っていた和樹くんが助け船を出してくれた! 言いたいなぁ。和樹くんと私は付き合ってるって自慢したいなぁ。言っちゃうか!
「私はお兄ちゃんと付き合ってるのです。そういうこと」
 答えじゃない気もするけど、自慢してやる。祐くんも将来はカワイイ女の子を見つけるんだぞ。和樹くんを見やると、少し俯いて恥ずかしそうに顔を赤らめている。愛いやつだ。
「ふーん、そっか」
 ……そ、それだけ? 照れ隠し? もっと言うことがあると思うんだけど。「付き合ってるんだ! すげー」くらい言って欲しい。思春期のころって恋愛に憧れてると思う。……あ、でも私も「ふーん」で終わるかもしれない。そういう傾向にある人が多いってだけで、判断基準にはならないか。和樹くんは理解したのか「ああ」と声を上げた。なんで?
「祐は彼女がいるからそこまですごいことだとは思わないんじゃない? さっき、永沢のこと『カノジョ』って言ってたしね」
 え。そ、そんなこと。和樹くんに気を取られていて全く気が付かなかった。
 って、中3の分際で彼女っ? 聞き捨てならない。私は最近になってようやっと恋に芽生えたというのに……なんか負けた気分だ。
「ねーちゃんならいいけど、他のやつには言わないでくれよ」
 祐くんは手で後頭部を持って視線を左上に移した。ここで来た照れ隠し。彼女がいることは自慢しちゃっていいのに。私はこれから言いふらしまくる予定だ。もう、隠さないって決めたから。「優越感に浸っちゃって」とか言われても気にしない。負け犬の遠吠えよ。
「そろそろご飯だぞ〜、降りてこい」
 小さいころから和樹くんを男手一つで立派に育て上げたパパの優しげな響きを持った声が下から聞こえてくる。
「はーい!」
 和樹くんと祐くんの声が揃う。もうそんな時間か。帰らないと。
「じゃあ私はそろそろ……」
「食べていきなよ。父ちゃんはそのつもりだと思う」
「え、なんで?」
 お見舞いに来たってだけなのに、それは申し訳なさ過ぎる。
「なんで、ってねーちゃん来たの七時過ぎだったぞ。それは食べていくと思うだろ」
「そうだよ。食べていきなって」
 二人に押し切られて私は和樹くんの家で食べることになった。家に電話して、その旨を伝えると「迷惑かけないように」と念を押された。まだ子どもと思われてる。迷惑なんか誰が良くてかけるかっつの。
「じゃ、いこ」
 祐くんの後をついて、部屋を出る。かすかだけどスパイスのいい匂いが鼻を抜けた。今日はカレーだ! 好きなほうではあるけど、あんまり辛いのは苦手。男の人ばっかだし、辛そう。祐くんを前に和樹くんを後ろに、階段を降りてリビングへ入ると向かい合わせのテーブルには思ったとおり、湯気をほかほか立てている出来たての四人分のカレーと、中央には瑞々しいキャベツや大根をメインにトマトが添えられているサラダが置いてあった。和樹パパは一番奥に座っている。和樹くんに促されて左手奥の椅子に腰をかけた。隣に和樹くんが座る。
「和樹大丈夫なのか?」
「うん、もう大丈夫。心配かけちゃってごめんね」
 和樹パパに心配された和樹くんは、「えへへ」と言いながら引きつった笑みを浮かべつつポリポリと頭を掻いている。
「彼女がお見舞いに来てくれたんだ。本当なら逆の立場になってほしいが……」
 昭和的思考の持ち主なのだろう。さっきの後悔の話でなんとなく見えた。男はこうあるべきだ的な教育を受けてきたから、女性に弱みを見られたくないんだろう。すると和樹パパが私に視線を合わせてきた。ドキッとする。
「こんなやつですが、これからもよろしくお願いします」
「はい」
 でも和樹くんは断じて『こんなやつ』なんかじゃない。強くて、優しくて。すべてを包み込んでくれる包容力がある。それが一時ダメになった原因だけど、今はありがたく感じる。不器用な愛情表現だけど、私のことを本当に好きでやってくれた。きっとその気持ちにウソはない。
「なーなー、早く食おうぜ」
 祐くんの悠然な声でみんな食事モードに突入した。
「いただきます」
 ……ああ、そうだった。流れで左側の奥の席に座ってしまったけど、失敗だった。和樹くんと腕がぶつかってしまう。いつもはここに座っているんだろうな、と思うと申し訳ない気持ちに駆り立てられる。でも座ってしまった以上、位置を交換するわけにもいかない。私はスプーンを右手で持って、いつもより肩を広げないよう注意しながら四分の一に切られたジャガイモをぱくっと口に入れた。
「あふふ」
 熱い。でもこうしながら食べるのもなかなかいい。思ったより辛くなくていい具合だ。
「どう? 口に合う?」
「うんっ。さいこー」
 ちょっと過剰表現しすぎてしまっただろうか。でもまぁ美味しいのは事実だし。前にいる和樹パパの顔が綻んでいる。料理って家族に褒められるより他人に褒められるほうが嬉しいものだよね。そういうことにしておこう。その後は人様に聞かせられないようなくだらない話で盛り上がった。さすが男子率が高いだけある。言えるところだと、和樹パパはホテルの営業課長という仕事柄いろんな人と会ってるみたいで、態度がなってないお客相手は面倒って愚痴をこぼしてた。和樹パパは初対面なのに無遠慮すぎやしないか。ご子息とは大違いだ。


「ご馳走様でしたっ!」
 威勢良く言うと、和樹パパが嬉しそうに顔をにんまりさせた。口髭にルーがつかないように食べる技術は素晴らしい。
 体格を見ても分かるとおり、祐くんと和樹パパはお代わりをしたが和樹くんはしなかった。だから細っこいんだぞ〜。サラダはあまり食べなかったから本当に体調が悪いみたいだけど。そんなことより、食べ終わるまで一度も腕がぶつからなかったのがすごい。手を完全に伸ばさなくても届く距離だから遠くはない。和樹くんは縮こまって食べてたからそれだと思う。相当な鍛錬をしてきたのかな……もう九年だしね。血管が浮き出ている左腕を見つめていると、和樹くんは私のほうを一瞬見て自分の左腕に視線を落とした。
「なんかついてる?」
「いや、ここまで綺麗に食べるまでどのくらいかかるのかなぁと思って見てた」
 カレーの器は綺麗だ。私より綺麗に食べてるんじゃないかと思うほどだけど、性格を考えると納得してしまう。いつも作ってくれるお母さんのためにも、これからは綺麗に食べるよう心がけよう。
「どのくらいかな……どのくらい?」
 和樹くんは左腕にあった視線を祐くんと和樹パパに移す。息子から視線を貰った和樹パパは反り返って天井を見上げた。「あっはっは」と大仰に笑ってらっしゃる。
「左手で食べ始めたときは完食すらできてなかったよなあ」
「もう。そのときのことはいいよ」
「二、三年くらいじゃねー? 自分でそうし始めたんだから覚えとけよ」
 祐くん……実の兄に対してその言動は乱暴すぎるよ。
「うん、気をつける」
「これからじゃ遅いだろ!」
 つい突っ込んでしまった。というかここで引くから嘗められるのだろう。
「二、三年だって」
 動揺を見せず私に話してきた。真顔で。気づいてない振りなのか、本当に気づいてないのか掴めない。たまに天然っぽいのが出るとどう対応していいか分からなくなる。和樹くんとの付き合いはまだまだだ。
「今日は泊まって行くんだって?」
 は?
「そうそう。ねーちゃん、泊まっていきなよ」
「うーん……泊まっていくの?」
 私がいつそんな話をした? いきなりすぎる。食事のお誘いといい、庄子家の結束が固いことはよく分かった。でもさすがにそこまでしてもらうのは悪い。してもらってもお母さんへの説明が大変だ。女子高生が外泊なんて似ての外だと自分でも心得てるし、明日も学校はあるから教科書を取りに一度は家に戻らないといけない。女の人がいないから寝間着も借りられなさそうだし。丁重にお断りして、食器を持って台所に向かう。無償で食べさせてくれたんだから、何かお返ししないと気分が悪い。
「いいよ。オレがやるから、永沢は休んでて」
「体調の悪い和樹くんには任せられない」
 図星なのか俯いてしまった。あれ、酷いことしちゃった? 私が慰めようとすると
「俺がやるよ〜」
 予想外だ。祐くんが名乗り出た。家事なんていっちばんやらなさそうなのに。
「い、いいの?」
 祐くん相手だと押し切られてしまいそうだったので、最初からやってくださいムードを振りまく。祐くんには第一印象が最悪な私、それはさらに底知れぬくらいどんどん落ちていってる。表面上はそんなこと感じ取れないけど、私の中で祐くんから見た自分の株が下がってることをひしひし感じる。これからどう付き合っていけばいいんだろう。
「ああ。まかせとけ」
 その様子を見ていた和樹くんは「ホッ」と息を吐いて胸を撫で下ろしていた。祐くんを隣から見る。凛々しい。台所に男の子が立ってると違和感を感じざるを得ない。和樹くんが毎朝自分のお弁当と夕食をここで料理してる姿を思い浮かべると、やっぱり違和感を感じる。和樹くんのエプロン姿……それは案外似合うかもしれない。この九年間、そしてこれからも庄子家のキッチンには男の人しか立たなさそうだ。

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