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5.変化【その5】

 亮とお昼を食べたのは結局あの日だけで、その後の三日間は和樹くんと一緒に食べた。私が亮と一緒にお昼を食べたとき、和樹くんは誰と食べたか教えてくれなくて。気になるな。まさかとは思うけど、マイマイ? グラウンドに一緒にいたから可能性はなくもない。川澄先生によると甘い睦言を交わしていたということだから、お昼を一緒に食べてそれで打ち解けてそのままの状態で来てしまったとか。話さないってことは何か良からぬことをしたんじゃ……和樹くんに限ってそんなわけないか。
 その和樹くんは水曜日から様子が変わった。何が変わってるのかはわからなかったけど、この三日間で確実に変化していることは分かる。大きく変わったのは――私の心のよりどころでもある笑う回数が減った。和樹くんが笑顔でいてくれると落ち込んでいるときでも気分が沸き立ってくる。それと……感情をよく表現してくれるようになったってことかな。ムッとしていることがよくある。今日だってマイマイと対峙した後、何かに怒っていたみたいだった。でも根本的に何が変わってるか分からないのがもどかしい。
「どうしたの、さっきから考え込んじゃって。らしくないよ」
 今は和樹くんと学校の帰り道だ。デートに誘ったときの公園が遠くに見える。明日は土曜日で学校が休みだからいつもよりウキウキ気分で足が軽い。が、和樹くんは昼間マイマイに会ったときからピリピリしているので気が休まらない。
「ううん。なんでもない」
 ピリピリムードを緩和させるために努めて明るく振舞い、微笑みを浮かべる。すると効果があったようで険しい表情は少し崩れた。
「そう。……オレが優しくすると永沢、寂しいような切ないような複雑な顔するでしょ?」
 そうだ! この変化だ。前までだったら「ならいいけど」とか言って話が終わりになる。って……今、なんて言った?
 ――オレが優しくすると永沢、寂しいような切ないような複雑な顔するでしょ
 胸がチクリとする。
 あ、あはは。……分かってたんだ。優しくされると私はどうすればいいんだろう? って気持ちになる。それは私を傷つけないようにしているから。かばうようにするから。私のミスも全部自分のせいにして。私の場所まで陣取って。そのせいで私は居場所を失ってしまう。
 自分一人で背負い込まないで。二人で背負えば負担も軽くなるよ。自分を押し殺さないで。つらいなら言って。つらく、切ない顔を見るのが私にとっても一番つらいことだから。いやならいやだとはっきり言って。優しさは時に人を突き放す印象を残すんだよ。優しさだけが全てじゃないんだよ。だから。嗚咽が込み上げる。喉の奥が苦しい。
 ……覚悟は、決めた。深呼吸をして心を落ち着けると、ずっと言いたかった言葉を差し出した。

「優しくしないで」

 掠れるほど小さな声で言ったその言葉は届いたのだろうか? ずっと溜め込んでいた一言を言えて溜飲が下がっていくのが分かる。頭がガンガンする。嗚咽が込み上げてきて気持ち悪い。コンクリートの地面に黒い染みができていく。それから数秒、間を置いて
「えっ……」
 私と同じすごく小さい声。胸が張り裂けそうな思いだけど我慢して、ぼろぼろの泣き顔を上げる。聞こえなくて言ったのか、耳を疑って言ったのかは分からないけど、驚いて目を見開いていることは事実だ。もうこんなつらい言葉、言えないよ。彼は肩をすくめて縮こまった。華奢な体つきがより一層小さく見える。
 やがて俯き、消沈したように呟いた。
「ごめん、許して」
 力強さがまったくない震えた声でそう言うと、振り向きざまに「くっ」と息を漏らして走り去っていく。涙は自然に止まり、私はその様子を呆然と眺めるだけだった。
 また自分で関係を壊しちゃったんだ。私たちは終わる運命だったんだ。張り詰めていた心が裂けて、血が流れた。

*******

 今まではどうにかまぎれていた。あの場にいることがとても罪悪に感じられて逃げるように小走りで家に帰った。できるだけ何も考えないようにして。帰るとお母さんがいたから気持ちがまぎれた。ご飯も食べ終わり、部屋に入って一人になると考えてしまう。
 デートの日突き放してしまったのに、翌日愛想を尽かさず話しかけてきてくれたのがすごく嬉しかった。それでまた関係を修復できてきて、やっと前みたいに接することができるようになったのに……。
 また壊してしまった。
 和樹くんは確実に近づいてきてくれているのに私が突き放してしまって……最低だ。近づいてきてほしいって願ってるのは私なのに、逆に拒んでるみたいだ。
 和樹くんがなんで私を好きなのか、その理由を知りたい。どうでもいいような人だったら、愛想を尽かしているはず。私は……。もちろん外見もあったけど、その笑顔、性格に惚れ込んで。……即答できないのが悔しい。話では優しいって聞いてたけど、第一印象は人懐っこくて構ってあげたい感じだった。思えば最初はあんまり優しくしてくれなかったな。でも今はそっちのほうが気楽だということに気づいた。あのころに戻りたい。
 好きなのに、好きなのに。和樹くんのことが分からない。
 やるせない気持ちで心が一杯になるとふと一人の顔が脳裏を過ぎる。こんな状態が続いたら本当に麻衣にとられてしまいそうだ。もうダメ。だってこれ以上、彼と付き合っていてもお互い傷つけあって生きていくことになってしまいそうだ。
 そうだよ。元々私みたいな影の薄い女と学年で人気者の和樹くんが釣り合っている訳がない。私といたら和樹くんに負担をかけてしまう。まるで調和が取れていない。つらいかも……つらいけど――好きな和樹くんのことは忘れよう。私と密接に関わると苦い思い出しか生まないよ……っ。和樹くんの近くには居られない。居ちゃいけないんだ。昼間のことを思い返す。

 ――どれだけ泥臭くても和樹くんに付いていこう。今日のマイマイのような扱いをされたとしても、和樹くんのことをスッパリ諦めきれるほど私は強くない。

 脆弱な覚悟。
 すぐに砕けてしまった小さな、小さな覚悟。逃げても、諦めても弱いんだ。私には突き放す勇気しかないんだ。関係を築こうとする強さは私には……ない。
 ……お風呂に入ろう。心身ともにさっぱりしたい。着替えを持って脱衣所に直行する。脱衣所のドアを開けるとお風呂場独特の匂いが鼻を打つ。服を脱いで……って、包帯してるんだった。満足できるほどシャワーは浴びられないけどお湯には浸かろう。手首の包帯に注意しながら服を脱いでお風呂場のドアを開け放つ。体を軽くシャワーで流して、慎重にたっぷり湯が張ってある湯船に浸かった。
 ふぅ。自分の部屋にいたときとなんら変わりない。考えてしまう。こんなことだったら寝るまで絵里の部屋にいたほうがよかったのかもしれない。
 明日は土曜日だ。つまり和樹くんとは会えない。仲直りできない。今日ばかりは思った。
「このゆとり教育め!」
 会う勇気もないくせに、そして独り言のように言ってもただ虚しくなるだけだった。反響する声が満たされない心をより一層掻きたてる。お湯に浸からないよう上げてる腕もだんだんと疲れてきた。
 こんな状態が二日も続いたら和樹くんも私もどんどん気持ちが離れていきそうで怖い。携帯があるけど……あんな別れ方をされたんじゃどうメールや電話をすればいいか分からない。もし会う約束をしても、私に合わせてるっていう優しさが垣間見えて苦しくなりそう。
 つらいけどこのまま忘れるのがよさそうだ。……何もなかった。和樹くんとは何もなかった。そうしよう。最悪なのは分かってる、でもこれ以外に良い方法を思いつかないから。つらいことから逃げるにはこれしかないよ……。
 外側からじんわりと体は温まっても、嫌な考えを生成する内側は心の底から冷え切っていて温まる気配は一切ない。
 私は大きく息を吐き出し、勢いよくお風呂から出た。

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