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3.約束【その4】

 体育館を出ると夕闇がすぐそこにまで迫っていた。いつも遅いのを更に遅くさせてしまった。私のせいだと思うと、罪悪を感じずにはいられない。
「ごめんね。こんなに遅くなっちゃって」
「いいよ。遅いの慣れっこだし」
 そう言ってにっこり笑う。やっぱりこの笑顔には勝てない。何も言い返せなかった。
 体育館を出て職員室に直行し、ささっと先生に鍵を返した。
「これで大丈夫。……帰るか」
「うん」
 昇降口へ行き、上履きから靴に履き替える。先に外へ出ようとしたところで和樹くんに肩を軽く押さえられ、反射的に振り返る。
「永沢、今日話があるって言ったよね。なに?」
 首を傾げる姿を見ると男の子なのになんとも可愛らしい。……もうだめだ。今日はこの路線でいこう。
「そんなことも言ってたね」
「何で他人事みたいに言うの? オレ」
 まで言うと、口をつぐめた。なんだか怒っているようで眉を寄せて険しい表情をしている。冷たさを感じさせる声はどことなく低い。
「その話は後で。まずは歩こうよ」
「……分かった」
 やっぱりいつもと声音が違う。私怒らせるようなこと言ったかな? オレがどうしたのかも気になる。


 何も話さないまましばらく歩くと、街頭で明るく照らされている公園が見えてきた。
「和樹くん、あそこで話しよ?」
「ああ」
 相変わらずムッとしている。返事はしてもなかなか和樹くんは動かないから、手を引いて公園のベンチに腰を下ろした。
 ……はっ!
 もしかしたら私から初めて触れたかもしれない。頭を撫でてくれたときと同じ暖かい手で、それは思ったよりも大きな手だった。和樹くんはげんなりとした深いため息をついたが
「それで、話って?」
 いつもの声に戻っていた。安心する。周りに人はいなくて私たちだけ。これだけ暗くちゃさすがに誰もいないか。私にとっては絶好の状況だ。
「えぇと……うん」
 息を整え、和樹くんのほうを向くと訝しげに眉根を寄せていた。落ち着け。ここは平常心だ。不意に絵里の声が脳内再生される。
 ――勢いで言えば彼も付いて来るって。
 どうしてこの場面で出てくるんだ。勢いとかもうそんなんじゃない関係のはずなのに。ふぅ。瞼をゆっくりと閉じ、再び開く。
「デート、しませんか?」
「う……」
 一瞬で目を見開いて低く声を漏らした。いや、なのかな。和樹くんの瞳を見つめ直そうとすると、逸らされてしまった。……顔を曲げた首のラインが綺麗だ。横から見るとボコッと出ている喉仏が男らしい。「男の子」じゃなくてもう「男」なんだなぁ。観察していると喉仏が少し動いた。
「もちろん。本当はオレから誘いたかったんだけど」
 いよっしゃ!
 行動とは裏腹にオッケーを出してくれた。私のほうに向き直り、目を細めて笑いかけてくれた。私から目を逸らしたのはきっと照れ隠しだったんだろう。そう思いたい。ん、これって。どっかで味わった感覚だ。
 毎日会っている後輩の顔が頭に浮かぶ。……これじゃマイマイと同じレベルだ。私は妄想好きだけど、妄信はしたくない。
「いつ行く?」
 問いかけてきた。本当なら和樹くんに指定してほしいけど、今言っても遠慮されそうだから素直に答える。
「週末の日曜日かな。あ、日曜日は来週だよね」
「あはは。日曜か……大丈夫だよ。場所は?」
「この公園」
「あ〜、それで放課後だったんだ」
 そのためにここまで来たんだ。
 さっきまでの怒っているような感じは全くなくなっていて、いつもと同じになっていた。あれは一体なんだったんだろ。
「楽しみだなぁ」
 和樹くんは嬉しそうに口元を緩めて顔を綻ばせている。嬉しそうなときに聞くのもなんだけど……何かあるなら言ってほしい。
「さっき、なんで怒ってたの?」
「怒ってた?」
 途端に表情を曇らせる。やっぱ聞いてはいけないことだったんじゃないか、と頭では思っているけど続けてしまう。
「ように見えた」
「そう……あれは、なんでもないよ」
 私のほうをちらと見て、俯いた。悪いことしてるみたいだ。いじめてるみたいじゃないか。
「ごめん、ごめん。嫌なことは思い出したくないよね」
 すごい軽薄だ。笑って誤魔化そうとして。……こんな自分はいやだ。
「うん……それはそうとどこ行くのか決めてない?」
 顔を上げて聞いてくる。その顔にはもう曇った影はない。よかった。
「まだ。和樹くんはどこか行きたいとことかある?」
「うーん、そうだなぁ。……あ、オレ夏用の服あんまり持ってないからそういうとこ行きたい」
 それなら!
「最近オープンしたとこ知ってるんだ」
 私はふふんと言って得意気にする。ファッション情報は女子高生に任せなさい。……男物はあまり分からないけど。
「どこどこ? オレ、そういうのに疎いからすっごく助かる」
 興味津々そうに私の顔を覗き込んできた。声も普段よりトーンが高く聞こえた。和樹くんって服のセンスありそうだけど、本当のところはどうなんだろう。制服姿しか見ないから全く分からない。デート当日にどんな服を着てくるのか今から楽しみだ。
「じゃあこの公園に集合して、そのあと見に行こ」
「オレはいいけど永沢はそれでいいの? 振り回されて」
 振り回されるとか、わがままは大歓迎だ。決してMじゃなく、和樹くんにはもっと自己主張をしてほしい。私は自己主張しまくりなのに、和樹くんはあんまりしない。対等な立場でありたい。
「うん、私も欲しいのあるし。それに……デートっぽいし」
 思い描いていた理想のデートだ。街中を一緒に歩いて服を選んで、一緒に食べて……ってそれはないか。
「それなら良かった。色々と連絡も必要になると思うから、携帯番号交換しようよ」
「ぜひっ! 喜んで、ぜひ!」
「二回も言わないでいいから」
 笑いを含んだ声で、すごく楽しい。考えるだけでこんなにも楽しくなれるなんて思ってもなかった。デートへの不安は掻き消えた。
「ほら」
 紙切れを差し出された。携帯番号が書かれている。私も書かなきゃ。カバンからペンを取り出した。書いている途中、街頭からの光に影が重なったので見上げてみると和樹くんが不思議そうに覗き込んでいた。
「なに、やってるの?」
「え?」
 紙を見てみる。
 私は和樹くんが書いた紙に自分の携帯番号を書いていた。なんてバカなんだ。私も紙を用意しないと……そう思ったときには和樹くんが紙を差し出してくれていた。
「これに書いて」
 優しい。こんなに相手に気配りできるなんて私には無理だよ……。
「う、うん。あり、がと」
 手が震えて字が汚くなってしまった。
「これでいい?」
「ああ、完璧」
 改めて和樹くんのを見ると、とても綺麗な字だった。私はその紙を大事にカバンにしまい込んだ。
「いつでも電話してきていいよ」
 ニコニコしている。そして何かに気づいたのか「あっ」と声を上げて
「深夜はさすがに……」
 と付け足した。深夜に電話すると思ってるのかと思うと複雑な気持ちだ。
「分かってるって」
「よし、じゃあ帰ろう」
 和樹くんは風が巻き起こるんじゃないかと思うくらい勢いよく立ち上がった。その目はまっすぐ前を見据えている。先のことを見ているんだ。目の前のことだけじゃなく、その先のことも。少なくとも私にはそう感じられた。
「うん」
 今朝はいつもより気合を入れて歯磨きをしたのがすごい昔のことに感じられた。今朝と今じゃ気持ちも全然違う。デートに誘うという重圧から開放されて今は幸せな気分だ。デートへの期待も高まる。いつまでもこんな幸せな気持ちでいられたらいいな。

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