3.約束【その3】
体育館に入るとドンと球をつくような音が聞こえ、地面がわずかに振動している。ドリブルしている音だろう。
胸がトクトクと鳴っているのが分かる。暑い。体育館内は熱気が篭っていてむんむんしている。いつもこんなところで練習しているのかと思うと背筋がぞっとする。音楽室は冷房が効いていて涼しい。あんまり使いすぎると先生に怒られちゃうけどね。
川澄先生は体育館内に入っても表情一つ変えずにしている。慣れの問題なんだろうか……。内部に近づくにつれてボールをつく音が大きくなると思っていたけど、逆に止んだ。休憩かな?
廊下を渡り館内を見渡すと、向こう側の壁面にバスケ部の面々が思い思いに休んでいた。その中にはもちろん和樹くんもいてバスケ部の人と仲良さそうに喋っている姿が見える。すると、隣にいた川澄先生が何か言うのかすぅ〜と息を吸った。
「集合〜」
「は、はいっ!」
川澄先生が来たことに気づいてなかったのか、みんな慌てて返事をしている。可愛いやつらだなぁ。キュと体育館独特の足音が幾重にも聞こえ、川澄先生の元へ駆け寄ってくる。和樹くんは私に気づいたのか、一瞬足を止めたけどまた走り出した。徐々に集まってくるバスケ部の人たちの視線を感じる。こうやって見てみると和樹くんは他の人より一回り小さい。体育会系の部活に入っているのか疑ってしまうほど華奢な体つきをしている。周りにいる人たちはインターハイに出るだけあって他の人は180センチ以上はありそうだ。全員集まると川澄先生はゴホンと一つ咳払いをした。
「インターハイ県予選も終わり、気が緩む時期だと思うが再来月にはもう高校総体だ。各自、自己管理をきちんとして調子を合わせること。以上。今日は解散」
気が緩むって、自主的に活動時間延ばしてる人たちに気が緩むも何もないと思うのですが。
「はい」
揃った低い声。あまり聞く機会が少ないから少し威圧感を感じる。男の子ってこういうときすごい低い声を出してるような気がするんだけど、気のせい?
和樹くんを見るときょとんとした顔で突っ立っている。「どうして」と言いたそうにしているが、周りの目を気にしているのか話しかけてこない。次第にざわざわしてきて、和樹くんが近くにいた数人と何か喋っている。耳を済ませるとだんだん聞こえてきた。
「あの子、誰よ?」
「マネージャーとか?」
「それはないだろう」
「うーん……」
「どうしたんだよ和樹。考え込んじゃって」
「あ、ああ。なんでもないんだ。なんでも……」
「和樹が焦るなんて珍しいな。あぁ……そうか。お前みたいな色男なら女を落とすことも難しくないか」
そのとおりです。っていうか、男の子にもカッコイイって思われてるんだ。
「違うって。永沢は単なるクラスメイトだよ」
――違う。
やっぱり和樹くんもそう思ってるのかな……。
「でも単なるってわけではなさそうだよなー」
「俺も一度は和樹みたいにモテモテになってみたいぜ」
「庄子」
川澄先生が和樹くんを手招きしている。ん? なんで?
和樹くんは逡巡して怪訝そうな顔をしたが、頷くと先生の前に歩み寄ってきた。他の人たちは後片付けに回っている。川澄先生は和樹くんの耳を手で覆い、小さく呟いた。
「これだろう?」
耳を済ませていた私は小さい声に慣れていたのか聞こえてしまった。そして川澄先生は手を離し小指を立てる。
「えっ? 違いますって!」
さっきより声が大きい。鋭い目つきで川澄先生を見据えている。私に質問が聞こえてないと思ってるのかな……。
「見たんだよ、先週の水曜」
「な、なにを?」
思わず声が合ってしまった。顔を見合わせると、和樹くんは目を伏せた。そうか。今は『単なるクラスメイト』だから。私にも聞こえているのが分かったのか、川澄先生は私と和樹くんを交互に見やり、眉をひょいと持ち上げた。
「庄子とゆかりんが一緒にいるところ」
「はあ?」
「え?」
和樹くんは「ゆかりん」に反応したのか、私より声を出すのが数瞬早かった。その呼び方は私と二人っきりのときだけにしてほしい。
「ゆかりんは永沢のことだよ」
「……そうですか」
呆気にとられているが、どこか表情が翳っているように見える。そりゃそうだよね。先生が生徒のことをあだ名で呼ぶなんて相当な仲じゃないとできない芸当だ。
「見ちゃったんだよ。庄子とゆかりんが一緒にいるとこ」
ああ、「見ちゃった」というあたり呵責していそうだ。
でも……言われてみれば。帰り道にジョギングしている人を見かけた。筋肉が服越しでも盛り上がっているのが分かって。特徴もそうだ、川澄先生と同じ。
「そんなわけだからさ、先生は二人のこと応援してるよ」
最後はトーンが上がり、「わっはっは」と笑いながら上機嫌で体育館を出て行く。私も和樹くんもいきなり事実を告げられたことにぽかんとした。
「和樹、お先にぃ」
バスケ部の人たちは後片付けと着替えが終わって、帰るみたいだ。
「あ、ああ」
「ほれ、鍵」
「……おっと」
投げてきた鍵をうまく受け取る。が、和樹くんはまだ呆然としている。体育館はあっという間に私と和樹くんの二人だけとなってしまった。沈黙が広い空間を支配する。
どうしよう。なんて言えばいいんだろう。「見られても減るものじゃない」みたいなことを言う? ううん、違う。和樹くんを励ましたい。やがて、独り言のように和樹くんが呟いた。
「あんな恥ずかしいところ……見られてたなんて」
「見られてはいないと思うよ」
「え?」
あのとき確かに見かけた。でもそのまま走り去ったような気がして。確証はないけど、安心させたい。
「そうなんだ……よかった。あのときのこと思い出したら、恥ずかしくなってきちゃった」
思い出し笑いのようにくすくすと笑ってる顔は暑さなのか、恥ずかしさなのか赤らんでいる。私もつられて笑顔になってしまう。体育館の中に入ってから緊張が続いてたけど、これでようやく解れた。
結局のところ和樹くんのバスケをしている姿を見れなかったけど、ハーフパンツ姿が見れただけでも良かった。脹脛がたぷたぷしていない。体毛もそれほど濃くなくて、艶やかな体だ。腕だけじゃなく足にも見える血管が更に色っぽさを増幅させて……ってこれじゃあ私、思いっきりセクハラ目的で来たみたいじゃん!
「永沢、オレ着替えてくるけどここで待ってる?」
「ここでって、もうひとつは更衣室に行くって選択肢?」
「……っ」
瞬間、絶句。頭の中がセクハラ的考えだったからつい……。なんてことも言えるはずがなく。
「あ、ああ! ここで待ってるよ」
我ながら白々しすぎる。さっきのは失言だった。
「う、うん……」
左手で頭を抱えながらとぼとぼと更衣室のほうへ歩いていった。
イメージダウン決定。流れに身を任せると大変なことになるね。これからは一つ一つの発言を考えてから言うようにしよう。
ああ……でもカッコよかったなぁ。同じように筋トレしていても男の子と女の子じゃ筋肉の付き方が違う。脹脛なんてガチガチに硬そうだったし。何より血管が浮き出ているのがカッコよく感じてしまう。
そうか、認めたくないけど私は血管フェチなのか。なんてバカなことを考えていると、和樹くんが更衣室から出てきた。
「永沢〜」
あっけらかんとした声が聞こえてくる。何もなかったかのようにしてくれて、優しくて、優しくて、抱きしめたい。――ああ! だから、セクハラはやめよう。
「体育館の鍵閉めたら、鍵返しに職員室行くけど一緒に行く?」
「うんっ!」
なるほど。さっきのは体育館の鍵だったのか。
「じゃあ行こうか」
私たちは体育館を後にした。
胸がトクトクと鳴っているのが分かる。暑い。体育館内は熱気が篭っていてむんむんしている。いつもこんなところで練習しているのかと思うと背筋がぞっとする。音楽室は冷房が効いていて涼しい。あんまり使いすぎると先生に怒られちゃうけどね。
川澄先生は体育館内に入っても表情一つ変えずにしている。慣れの問題なんだろうか……。内部に近づくにつれてボールをつく音が大きくなると思っていたけど、逆に止んだ。休憩かな?
廊下を渡り館内を見渡すと、向こう側の壁面にバスケ部の面々が思い思いに休んでいた。その中にはもちろん和樹くんもいてバスケ部の人と仲良さそうに喋っている姿が見える。すると、隣にいた川澄先生が何か言うのかすぅ〜と息を吸った。
「集合〜」
「は、はいっ!」
川澄先生が来たことに気づいてなかったのか、みんな慌てて返事をしている。可愛いやつらだなぁ。キュと体育館独特の足音が幾重にも聞こえ、川澄先生の元へ駆け寄ってくる。和樹くんは私に気づいたのか、一瞬足を止めたけどまた走り出した。徐々に集まってくるバスケ部の人たちの視線を感じる。こうやって見てみると和樹くんは他の人より一回り小さい。体育会系の部活に入っているのか疑ってしまうほど華奢な体つきをしている。周りにいる人たちはインターハイに出るだけあって他の人は180センチ以上はありそうだ。全員集まると川澄先生はゴホンと一つ咳払いをした。
「インターハイ県予選も終わり、気が緩む時期だと思うが再来月にはもう高校総体だ。各自、自己管理をきちんとして調子を合わせること。以上。今日は解散」
気が緩むって、自主的に活動時間延ばしてる人たちに気が緩むも何もないと思うのですが。
「はい」
揃った低い声。あまり聞く機会が少ないから少し威圧感を感じる。男の子ってこういうときすごい低い声を出してるような気がするんだけど、気のせい?
和樹くんを見るときょとんとした顔で突っ立っている。「どうして」と言いたそうにしているが、周りの目を気にしているのか話しかけてこない。次第にざわざわしてきて、和樹くんが近くにいた数人と何か喋っている。耳を済ませるとだんだん聞こえてきた。
「あの子、誰よ?」
「マネージャーとか?」
「それはないだろう」
「うーん……」
「どうしたんだよ和樹。考え込んじゃって」
「あ、ああ。なんでもないんだ。なんでも……」
「和樹が焦るなんて珍しいな。あぁ……そうか。お前みたいな色男なら女を落とすことも難しくないか」
そのとおりです。っていうか、男の子にもカッコイイって思われてるんだ。
「違うって。永沢は単なるクラスメイトだよ」
――違う。
やっぱり和樹くんもそう思ってるのかな……。
「でも単なるってわけではなさそうだよなー」
「俺も一度は和樹みたいにモテモテになってみたいぜ」
「庄子」
川澄先生が和樹くんを手招きしている。ん? なんで?
和樹くんは逡巡して怪訝そうな顔をしたが、頷くと先生の前に歩み寄ってきた。他の人たちは後片付けに回っている。川澄先生は和樹くんの耳を手で覆い、小さく呟いた。
「これだろう?」
耳を済ませていた私は小さい声に慣れていたのか聞こえてしまった。そして川澄先生は手を離し小指を立てる。
「えっ? 違いますって!」
さっきより声が大きい。鋭い目つきで川澄先生を見据えている。私に質問が聞こえてないと思ってるのかな……。
「見たんだよ、先週の水曜」
「な、なにを?」
思わず声が合ってしまった。顔を見合わせると、和樹くんは目を伏せた。そうか。今は『単なるクラスメイト』だから。私にも聞こえているのが分かったのか、川澄先生は私と和樹くんを交互に見やり、眉をひょいと持ち上げた。
「庄子とゆかりんが一緒にいるところ」
「はあ?」
「え?」
和樹くんは「ゆかりん」に反応したのか、私より声を出すのが数瞬早かった。その呼び方は私と二人っきりのときだけにしてほしい。
「ゆかりんは永沢のことだよ」
「……そうですか」
呆気にとられているが、どこか表情が翳っているように見える。そりゃそうだよね。先生が生徒のことをあだ名で呼ぶなんて相当な仲じゃないとできない芸当だ。
「見ちゃったんだよ。庄子とゆかりんが一緒にいるとこ」
ああ、「見ちゃった」というあたり呵責していそうだ。
でも……言われてみれば。帰り道にジョギングしている人を見かけた。筋肉が服越しでも盛り上がっているのが分かって。特徴もそうだ、川澄先生と同じ。
「そんなわけだからさ、先生は二人のこと応援してるよ」
最後はトーンが上がり、「わっはっは」と笑いながら上機嫌で体育館を出て行く。私も和樹くんもいきなり事実を告げられたことにぽかんとした。
「和樹、お先にぃ」
バスケ部の人たちは後片付けと着替えが終わって、帰るみたいだ。
「あ、ああ」
「ほれ、鍵」
「……おっと」
投げてきた鍵をうまく受け取る。が、和樹くんはまだ呆然としている。体育館はあっという間に私と和樹くんの二人だけとなってしまった。沈黙が広い空間を支配する。
どうしよう。なんて言えばいいんだろう。「見られても減るものじゃない」みたいなことを言う? ううん、違う。和樹くんを励ましたい。やがて、独り言のように和樹くんが呟いた。
「あんな恥ずかしいところ……見られてたなんて」
「見られてはいないと思うよ」
「え?」
あのとき確かに見かけた。でもそのまま走り去ったような気がして。確証はないけど、安心させたい。
「そうなんだ……よかった。あのときのこと思い出したら、恥ずかしくなってきちゃった」
思い出し笑いのようにくすくすと笑ってる顔は暑さなのか、恥ずかしさなのか赤らんでいる。私もつられて笑顔になってしまう。体育館の中に入ってから緊張が続いてたけど、これでようやく解れた。
結局のところ和樹くんのバスケをしている姿を見れなかったけど、ハーフパンツ姿が見れただけでも良かった。脹脛がたぷたぷしていない。体毛もそれほど濃くなくて、艶やかな体だ。腕だけじゃなく足にも見える血管が更に色っぽさを増幅させて……ってこれじゃあ私、思いっきりセクハラ目的で来たみたいじゃん!
「永沢、オレ着替えてくるけどここで待ってる?」
「ここでって、もうひとつは更衣室に行くって選択肢?」
「……っ」
瞬間、絶句。頭の中がセクハラ的考えだったからつい……。なんてことも言えるはずがなく。
「あ、ああ! ここで待ってるよ」
我ながら白々しすぎる。さっきのは失言だった。
「う、うん……」
左手で頭を抱えながらとぼとぼと更衣室のほうへ歩いていった。
イメージダウン決定。流れに身を任せると大変なことになるね。これからは一つ一つの発言を考えてから言うようにしよう。
ああ……でもカッコよかったなぁ。同じように筋トレしていても男の子と女の子じゃ筋肉の付き方が違う。脹脛なんてガチガチに硬そうだったし。何より血管が浮き出ているのがカッコよく感じてしまう。
そうか、認めたくないけど私は血管フェチなのか。なんてバカなことを考えていると、和樹くんが更衣室から出てきた。
「永沢〜」
あっけらかんとした声が聞こえてくる。何もなかったかのようにしてくれて、優しくて、優しくて、抱きしめたい。――ああ! だから、セクハラはやめよう。
「体育館の鍵閉めたら、鍵返しに職員室行くけど一緒に行く?」
「うんっ!」
なるほど。さっきのは体育館の鍵だったのか。
「じゃあ行こうか」
私たちは体育館を後にした。
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