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3.約束【その2】

 昇降口に着いた。時間は丁度良くて、休み時間だった。
 廊下を見ると生徒がぷらぷらと歩いている。ピロティに人はいるけど、短時間の休みなので教科書を広げている人はいない。
 いつも通りの風景で、なんだか安心した。……隣に亮がいるっていうのがいつもとは違うけど。
 すれ違う人の中に和樹くんがいないかを確認しつつ歩く。そのことに気を配っていたので、教室に着くのはあっという間に感じられた。
 私は亮と一緒に教室の前に立ち、勢いよく扉を開けた。
「おっはよー」
 今日はやけに気が乗ってて、いつもよりテンション高めで教室に足を踏み入れた。
 入るとすぐ和樹くんを探してしまう。そんな自分がちょっぴり恥ずかしい。あれ、そういえば亮はなんで言わないんだろう。「おはよう」って。言うと何か問題でもあるのかな……。そんなことを考えている間に亮は席に座っちゃった。
「おはよう、永沢」
 その声に体がビクッと反応した。視線を上げると、和樹くんがズボンのポケットに手を突っ込んで歩いてくるのが見える。
「か、和樹くん。おはよー」
「どうしたの、永沢が遅刻するなんて珍しいね」
「ちょっとあって」
「そう。永沢のこと心配してたんだけど、何もなくて安心した」
 なんで遅れたかを聞かれなくて少しだけ傷ついたけど、聞かれたくないことだったから私も一安心。歯磨きしてて遅刻したなんて何があっても言えない! そうだ。デートに……誘わないと。でもみんなが見てる前で平然とは言えない。
「和樹くん今日、時間あるかな」
「今じゃ駄目?」
「その、今でもいいんだけど心の準備がまだというか、もっとちゃんとした場所で言いたくて」
 言いきると和樹くんはぽかんとした顔で口を開けている。ああ、また見たことない顔だ。もっと知りたい。近づきたい。そのためにデートに誘うんだ。
「うん、いいよ」
 和樹くんは開いていた口をきゅっと閉じて微笑む。
 いつもの顔。すごく安心できる。別の表情がいやってわけじゃないけど、私は笑っている和樹くんが好き。
 だけど違う和樹くんももっと知りたくて。
「お昼のときでいい?」
「うーん、帰りがいいな」
「……わかった。じゃあそのときに」
 ちょっと怪訝そうな顔を浮かべたけど、また微笑んでくれた。「永沢のちゃんとした場所って帰り道なのか?」って聞かれると思ってた。優しいな。私が何も言えなくなるのが目に見えてるのかな。
 ああ、でもこれって。――和樹くんは私に対して遠慮してるみたいで……こんなんじゃ近づきたくても、近づけない。「遠慮してちゃ恋愛なんてできない」ってお母さんが言ってたけど本当だ。和樹くんの気持ちが聞きたいのに、聞けなくてもどかしい。
 今日はそのことやデートに誘うシチュエーションばかりを考えていたら、いつの間にか放課後になり部活に行く時間になっていた。
「ま〜なみん。いこっ?」
「珍しいねぇ、由香ちゃんから来るなんて」
「これから一年間一緒でしょ。仲良くやっていこうよ」
「3年生になっても一緒だと思う……」
「3年になったらまたクラス替えがあるじゃん」
「由香ちゃんずれてる」
 今日の私は終始テンションが高かったみたく、みんなに面白がられた。「珍しい」と言われるのも今日は三回目だ。亮に言われ、真奈美にも言われた。そして……和樹くんにだって。
 デートに誘うってだけでこんなにもドキドキしてしまうのなら、当日はどうなってしまうのだろう。今から不安に押しつぶされそうになる。こんなにハイテンションだったのはそれをまぎらわせるため、なのかな。
 この不安に打ち勝たないと前に進めない……決めなくちゃ!


 部活が終わり、学校の昇降口にポツンと一人寂しく立っている私。後ろから背中や肩にかかる夕日は暖かい。日が暮れるのもだいぶ遅くなった。冬はこの時間にはもう日が沈んでいて真っ暗だ。寒くなってくると部活の活動時間が短くなるとはいえ、薄暗いだろう。今はいいけど暗闇の中待っているのは怖い。……それまで付き合ってるのかな。
 時間が経つにつれ、だんだんと暑くなってくる。風でも受ければ少しは違うかもしれないけど、ここは室内だ。風通りはあるけど、蒸し暑く感じる。夏の足音が間近に聞こえる。
 部によって若干の差はあるけど18時ごろには生徒達が帰宅し始める。私ももちろん例外ではなくて、半月ぐらい前までは友達と帰っていた。それからは和樹くんと一緒に帰るようになった。終了時間が他より遅いバスケ部なので、私は専ら待つほうである。
 和樹くんの様子を見に、たまに行ったりするとかっこよくて惚れ惚れしちゃう。制服姿はよく見るけど、体操着姿はここでしか見れないから体つきを見ると思わず顔がにやけちゃう。和樹くんはバスケ部に入っている他の男の子と比べると細身なほうだと思う。程よく筋肉が付いてて他の子より身軽そうに動く。
 衣替えしたあたりで半袖Tシャツ、ハーフパンツが主流になって和樹くんもそれに倣って着てるってことを……残念だけど亮に聞いた。そういえば六月になってから一度も行ったことないっけ。
「そうだ、行ってみよっと」
 今まで味わったことがないくらい心と体がウキウキしている。足取りも軽く、体育館までの道のりがいつもより短く感じた。

*******

 体育館の前に着きふと見上げてみる。この高校は建設されてからまだ二十年ほどしか経っていなくて、学校としては比較的新しいほうだと思う。壁は白くて所々に汚れがあって目立つけど、汚れのほうが目立つからこそ綺麗な証だよね。吹奏楽部の私には体育くらいでしか使わないから思い入れも何もないけど、運動部は思い入れとか、思い出っていうのがあるんだろうな。
「ゆかりんか?」
 足音が聞こえないのに声が聞こえてきたので思わず身がすくんだ! 後ろを振り向くと
「川澄先生!」
 瞬時に分かった。
 バスケ部の顧問で、私のクラスとは違うけど2年のクラスを受け持っている。担当している教科も体育で熱血馬鹿って感じがそこかしこからする。日本人らしい真っ黒な瞳、瞼は一重で大きな目をしている。意志の強そうな太い眉毛、髭は剃っていて跡が青く残っている。髪形はもちろんスポーツ刈りで、年は聞いたことないけど、見た目からして30代半ばってところ。筋肉隆々で服越しからでも分かるくらい盛り上がっている。今日は半袖を着ているので直にお目見えだ。筋肉はもちろんのこと血管がもっこりと浮き出ているのが男らしい。和樹くんも浮き出ているけど、盛り上がるほどではない。和樹くんは色白だから見やすいけど、川澄先生は褐色に焼けた肌なので判別が難しい。
「おう、やっぱゆかりんだったか」
 ニコニコしながら子どものように駆け寄ってきた。一歩足を進めるごとにズボンのジャージが擦れる音が心地良い。川澄先生が「ゆかりん」と親しげに呼んでくるには理由がある。初めてバスケ部の練習風景を見に行った日、私は不安で勇気がなくて体育館に入れなかったんだ。不審者のようにうろうろしてたから絡みづらかったと思う。でもそんなことお構いなしに川澄先生が話しかけてきて、不安が掻き消えた。話していくうちに私たちは意気投合してしまって、今みたいな感じなのだ。先生と生徒って関係じゃなくて、友達感覚で接してくれるのが嬉しい。現在は足音を立てずに歩く方法を研究しているらしい。何の意味があるんだか。
「川澄先生はバスケ部に渇を入れに?」
「そんなところだ。あいつら自主的に活動時間延ばしてるから先生も困るよ」
 冗談じゃなく落胆した表情をしている。自分の感情を隠さないところが先生らしい。インターハイに出るくらいの実力を持っているんだからそれくらいの練習をしても当たり前だと思うけどな。
「ゆかりんは何でここに?」
「用ってほどの用じゃないけど、バスケ部に」
「そうだよなあ。今、体育館使ってる連中はバスケ部くらいだもんな。それにしても、あんな男だらけのむさ苦しいところにおにゃのこか。もしやこれとこれの仲か?」
 そう言いながら親指と小指を上げて見せた。親指と小指、それが意味するのは……恋仲ということだろう。
「違いますっ!」
 全力で否定した。
 あれ。なんだか寂しい。全力で否定できちゃうなんて、迷わず否定できちゃうなんて。私と和樹くんってそんな仲だったの? 違う。違うって……言いたい。けど、まだ言えない。心の底から言えない。
「まあなんだ。中に入ろう」
 察してくれたのか、川澄先生が親指で体育館を指差している。私は川澄先生の後に付いていった。これ以上考えるのはやめよう。どうしてもマイナス方向に考えてしまいそうで、それが……怖い。

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