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素直な気持ち

 イラついている。
 なんなんだこの店員は。動きが鈍重だわ、妙な敬語使うわで怒り心頭だ。おまけに他の店員も客もいない。つまりこの狭い空間に二人きりという状況だ。夕飯を食いそびれて失神しちゃいそうなくらい腹が空いてるところにこれ。弁当買ってささっと帰りてーのに。
 店員に向けていた視線を腕時計に落とす。今日は残業で遅くなっちまって、時計の短針が指しているのは「十一」。あと一時間早く終わっていればスーパーに駆け込んだんだが。二十四時間営業のスーパーもあるが遠い。弁当以外にも卵などの生鮮食品を買っておかないと明日から生きていけないが、残業で体が疲れきっていて運転したくねえ。そこまでして行ってもガソリンの無駄、自分の体をこき使ってまで行く必要性を感じない。
 少々割高だが、それだったら今はどこにだってあるコンビニで十分だ。それでここに来たわけなのだが……こっちは残業で疲れてんだよ。てきぱきと動いてくれ。
 店員を殴りたくなる気持ちをぐっと堪え、表ではいい人そうに笑顔を振舞う。我ながら腹黒だ。でもそんながんばっている自分に気づいてくれるはずもなく、店員は手首にウェイト巻いてるんじゃないかと思うくらい鈍い動きでレジに品物を通していく。
「こちらのほうは温めますか?」
 店員はコンビニ弁当――かごに入っている『から揚げ弁当』をレジに通し、抑揚のない声でそんなことを言った。店員には見えない位置で握り拳を作る。力を込めすぎて手のひらに爪が食い込んで痛い。
 付け合わせの野菜が生暖かくなってしまうけど、から揚げが冷たいのは受け入れられない。家に帰って別々にしてから暖めるなんて気力はない。サービスなんだから引け目を感じることもないか。
「はい。お願いします」
 笑いが苦笑に変わっていくのが自分でも分かる。まだ我慢できる範囲だ。日本人は我慢しすぎとよく言うが、我慢も時には大事だぞ。
 待っている間さっきの店員の言葉が蘇る。

 ――こちらのほうは温めますか?

 だと。こいつは駄目だな。「のほう」はいらねーだろ。というか、「こちら」どころすらいらねえ。「温めましょうか」で十分だ。今は違う仕事をしているが、こちとらコンビニの店長にまで上り詰めたんだぞ。妙な敬語は許せねえ。脳内文句を店員にぶつけていると、電子レンジのピッという音がして我に返った。後姿の店員をギロッと睨み付けると、店員が振り返り目が合ってしまった。胸が一瞬ドキッとした直後、息を呑む。
 格好いいじゃねーか、おい。
 最近の野郎どもよりは日に焼けていて健康そうだ。貧弱そうな印象はない。目鼻立ちが整っていて、日本人らしくない高い鼻、厚い唇が外国人みたいだ。たるみなど一切ない瑞々しい肌が羨ましい。髭は剃っているのか体毛が薄いのかは分からないが生えていない。薬指くらいの太さに整えられた眉毛、その下には見事な二重瞼がこちらを覗いている。年の頃は二十歳を超えたあたりだろうか。
 最近の若いやつはかっけーのが多いよな。こいつも例外漏れしていない。もうここに来ることはないと思うが君のことは『平成ベイビー』と名づけておこう。まぁ敬語も満足にできない野郎に用はないがな。
 やがて電子レンジから「ピー」と完了した告知をする音が鳴る。ああ、やっと開放されるんだな、この地獄から。平成ベイビーは電子レンジから弁当を取り出し、レジ袋に入れる。……って、ばかじゃねーのか、おめえ!
 弁当を、袋に入っている生卵パックの上から乗せやがった。普通、弁当は別に袋用意するだろ。卵の上に暖かい弁当を乗せるのは普通じゃねー。それ以前に卵は一番上に入れるだろうが! 習わなかったのか? 袋同じでもいいから、一度卵を出してからにしてくれ。こういうのもなんだが、最近の子は理性よりも感情優先だ。打たれ弱いし。社会に出たらそれじゃ通用しねーよ。荒波に揉まれながら成長していくんじゃなく、荒波に飲み込まれていくってやつのほうが多いんじゃないのか。
 平成ベイビーは残りの商品をレジに通していく。それにしてもよくこんなのに仕事任せられるな。雇ったときに駄目だと思わなかったのか?
「お会計、943円になります」
 お。今度は普通の敬語だぞ。やればできる子なんじゃん。……これだけで見直すのもどうかと思うが、先ほどまでの行動を見ていればすごい偉業を成し遂げたように見える。今のお前は輝いているぞ! 肩をポンポンと叩きたかったが、それをしてしまったら色々と面倒になる。他に人がいないとはいえ、防犯カメラという第三の素敵な目がやり取りの一部始終を見ている。
「あ、あの……」
 何か言いたそうに口をぱくつかせている。オドオドしてなんだい? 男なんだから言うならはっきりと!
 そういや、君の行動に感嘆して……お金を払っていない。大慌てでバッグから財布を取り出して千円札を出す。いつもならここで終わるのだが、この短時間での君の成長を見て気前が良いのでお釣りがキリよくなるように1円玉3枚も出した。
「1003円からお預かりします」
 絶望。
 天国の頂から奈落の底に墜落したわ! どうしてくれんじゃこの気持ち。「から」はいらねえだろ! それと「お預かりします」は「頂戴します」でええんじゃ!
 平成ベイビーは私が憤懣しているのをよそに涼しい顔でお釣りを返してきた。こやつ……仕事はどうだか知らねえがモテモテだろうな。その格好いい容姿で特別待遇か何か受けてるんじゃねえか? それが本当だったら店長の底が知れるぞ。
 店員がレシートとお釣りを出している間に、弁当が真ん中辺りに入っている不安定な袋を手に取った。
「60円とこちら、レシートのお返しになります」
 苛立ちに手が震えながらもなんとか受け取る。……脳内文句を言うのは疲れた。もうどうでもよくなってきた。早く出よう。ただでさえ残業で体が疲れきってるのに、こんなことで心も疲れてたら世話ないよ。
「ありがとうございました」
 さっきまでの抑揚のない声はどこへやら、爽やかなその声に思わず振り返ってしまった。くたくたになっていた体に気力が横溢する。
 私のばか。どんだけ素直な体なんだよ。どんだけ純粋な心なんだよ。君のことを好きになっちゃったじゃんか。

2008.6.30 了

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