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1.プロローグ

 思っていたよりも彼は近い存在だった。
 頭が良くて生徒会の役員をやっている。容姿もいい。それでいて傲慢な態度は一切なく、対等な立場で接してくれる。そのため、私たち女子にとって憧れの的だ。そんな雲の上の存在だと思っていた彼と初めて話したのが今からちょうど一週間前。それからはお昼を一緒に食べたり、帰りも一緒だ。気持ちが乗ってるときに言わないと、言えないまま終わりそうで。それに……
「和樹はあんたのもんじゃないんだからね!」
 物凄い剣幕で迫ってきて、うだうだ喚いてるのは私と同じ吹奏楽部員の日野麻衣だ。台無しだよ。金切り声のように高い声が耳にキンキン響いて痛い。私の中では、フルネームでも四文字だし苗字か名前だけでも二文字で響きが悪いので、『マイマイ』と呼んでいる。これでも四文字だけど、『日野麻衣』よりはいいやすい。
「ゆーかー。聞いてんの?」
 こらこら。先輩に向かって「さん」も「先輩」っても付けないのは運動部だったら何されるかわかったもんじゃないよ。文化系でよかったね。まぁ吹奏学部は文化系だけど、他よりは上下関係は厳しい。といってもマイマイは私に対して言わないだけで、他の先輩たちのことはちゃんと先輩と呼んでいる。ああ、こうなってしまったのも全部。
「聞いてるって」
「分かったら和樹には近づかないでね」
 『和樹』というのは私の同級生でクラスの……というより学年の人気者で私が想いを寄せている人だ。和樹くんは男の子にも女の子にも好かれるけど、どちらかというと女の子の方に好かれやすいみたいでモテモテだ。そりゃあ恋敵がいることは重々承知だったけど、ここは退けない。
「そんなこと聞くわけないじゃん。マイマイは相手にもされてないみたいだし」
「いいもんっ、和樹は優しいから私のこと見捨てたりしないもん」
「優しいからマイマイのことを見捨てられなくて、和樹くんの負担になってるんじゃないの?」
 自分はなんてドSなんだ。でもこんなことを言っても、いつものマイマイにはダメージにならないみたいだけど……今日は違った?
「うぐっ……あんた痛いとこつくわね。……和樹は実はツンデレであたしのことのほうが好きなんだからっ」
 目を伏せ気味にそう言い残すと、音楽室を飛び出していった。やっぱいつもどおりだった。
 恋敵っていうのは分かるけど、思い込みが激しすぎてここまでくると可哀想な人に見えてくる。しつこい女は嫌われるのに。数日前から一緒にお昼食べたり、帰ったりしてるんだから私に気持ちが寄っているのは明確だ。でもこんな人望のなさそうな人でも生徒会役員になれるのだから世の中不思議。
 そうだ。マイマイの金切り声に頭がやられて忘れてしまいそうだったけど……今日は決戦の日だった。

 ――付き合ってください。

 なんてストレートな言葉だろう。
 和樹くんの後ろを歩きながら、学ランの裾を引っ張って。会ってまだ間もないのに……でも今日が最後の日だし。
 ここは音楽室。部活も終わり、私のほかには一人しかいない。妄想してしまったら息が漏れてしまった。
「はぁ」
 自分でも分かるくらいうっとりとした声を出す。考えただけでも顔が綻んでしまう。
「どうしたの、由香ちゃん」
 不思議そうな顔で私の顔を覗き込んでくるのは私と同じ吹奏楽部の真奈美。髪は肩くらいまで伸びていてストレートで、触るとサラサラしている。テレビのCMで見るような髪質だ。羨ましい。私はバリバリでうなじにかかるくらいで精一杯なのに。昔、髪を伸ばしたらうなじの部分にぶつぶつができてそれ以来髪は短くしている。
「……ちょっと、ね」
 通常時でも目を細めている。見えないんじゃないかってくらい細めている。元々細いんだろうけど。おっとりしていて、どんな行動も緩慢としている。そういうのが男の子の心をくすぐるのか、多数のファンがいる。守りたくさせるのだろう。正にお嬢様だ。……本当にご令嬢なのですが。
「ちょっとって?」
 いつもの鈍い真奈美は感じられなくて、間髪入れず聞いてくることに困惑してしまう。誰かこの不思議お嬢様をどうにかしてください。私と和樹くんの仲は知ってるはずなのに。すると真奈美は「あっ」と声を上げた。やっとわかったのだろう。鈍いなぁ。
「彼と何かあったの?」
「まぁそんなところ」
 正確には違う。私の勝手な妄想。
「えぇ〜!? 由香ちゃん、彼氏なんていたの?」
 真奈美は片手で口元を抑えて驚きの声を上げた。こっちが驚きたいくらいだ。こないだ言ったばかりなのに。勘はいいんだろうけど、天然過ぎてどうしようもない。
「あれ、真奈美は知らないんだっけ」
「初耳だよ〜」
 話を聞いてたのかな。それとも私の言い方がまずかったのかな。真奈美と接していると自分が悪いように思えてくるから不思議だ。でも。
「……彼氏とは呼べないよ」
 思わず俯いてしまった。
「えっと。そういう感じの男の子はいるんでしょ?」
「うん」
 この質問には即答できてしまう。けど彼氏となると……。あ、今って何時ごろだろう? 時計を見ようと顔を上げながら後ろを振り返る。
 そこには彼の姿があって。やんわり微笑んでいる。
 ――って、えぇっ!?
 予想だにしていなかったことに私は面食らってしまう。数瞬もしないうちに優しく心地よい声音が耳に入ってきた。
「永沢」
 彼が庄子和樹。整った顔立ちで、優しくいつも笑顔。笑うと歯列が整った白い歯が見えてとても爽やかに見える。バスケをしているせいか細身ではあるが、均整のとれた体つきである。頭のほうも良く、220人ほどいる学年の中でトップ5にはいるほどだ。明るい性格で誰とでもすぐ仲良くなれる。生徒はもちろん、先生からの信頼も厚く次期生徒会長と言われているが、本人はそんな気はないらしい。
「ど、どうして……和樹くんがここに?」
 彼がここに来るとは思っていなかったので驚きのあまり、どもってしまう。
「いつまで待っても永沢が来ないからさ、気になって来たんだ」
 混乱していた頭がようやく冷静になっていく。そんなに時間が経ったのか? と思って時計を見ると、既に六時半を回っていた。窓から外の風景を見渡すと薄暗くなり始めている。
「ごめん、なさい」
 頭で考えるより先に口が勝手に動いていた。
「……いいよ、それよりも早く帰ろう。よければ君も」
 私に向けられていた目線が真奈美に移る。真奈美は一瞬戸惑ったような表情をしたが、すぐ元に戻る。
「由香ちゃんが庄子君と二人っきりで話したいことがあるっていうから、私は先に帰るね」
 私がいつそんなことを……。話があるっていうのは本当なんだけど。勘のよさはピカイチだ。
「それじゃ。またね〜」
 いつもの鈍臭さは感じられず真奈美はばたばたと騒々しく音楽室を後にした。  二人っきりになり、しーんと静まり返った空間。和樹くんは静かに私の下へ歩いてきた。
「さっきの……どこまで聞いてた?」
「永沢が『うん』って言ってたところだよ」
 うん? 果たしてそんなこと言っただろうか。予想外の出来事に頭がパニくってしまって彼が来る前の記憶がぼんやりとしか残ってない。
「うん。そうだよ」
 そっか。「どこまで」って言ったんじゃ、そりゃあ「うん」と聞いたところまでとしか答えられない。和樹くんは窓のほうを向いた。端正な横顔だ。遠くを見るように目を細めた。
「それより」
 何かを言おうとしてるみたいだけど、躊躇している。やがてゆっくりと口を開いた。
「……話って何?」
「そっ、それは……その」
 和樹くんは再び私に顔を向ける。視線を浴び、咄嗟に俯いてしまった。どうしよう……こんなんじゃ告白するなんて、夢のまた夢だ。私はやれる子だ! そう自己暗示をかけて手に力を込める。
「かかっ、帰りながらでも話せることだし、そのときにするね」
 よし言えた! けど最初は舌が回らなかった。肝心なところでやらかしてしまった。
「そうだね、時間も時間だし。帰りながらにしようか」
 そんな私を余所に和樹くんは微笑む。気づいてるのかどうかは分からないけど、優しい。そして――そんな彼に惚れてしまった私は今日、告白する。


 二人で帰るようになったのは一昨日から。和樹くんも私も友達関係というものがあるので、その都合でだ。電車でもバスでも自転車でも単車でもない。二人とも学校と家の距離が近いので、歩いて通学をしている。それでも三十分ほどかかるから近いとは言えない。だけど、電車通学とかの人に比べれば十分近いだろう。
 学校の帰り道。私は和樹くんの二、三歩後ろを歩いている。本当は夕暮れ時がよかったんだけど、今日を逃してしまったら十月までお預け。そんなことは絶対いやだ。和樹くんに気持ちが向いている今言わないと、どんどん離れてしまいそうで。そんなに待っていたんじゃ、私の気持ちも離れていきそうで……。
「永沢と夜道歩くの初めてかも」
 和樹くんはそんな呑気なことを喋っている。これから起こることも知らずに。辺りはもう真っ暗で、街灯のおかげで歩ける。
 ……ふぅ。心の中で息を整えると、私は小走りして前を歩いている和樹くんの学ランの裾を引っ張った。
「ん」
 違和感に気づいたのか和樹くんは振り返ると同時に目を細め、甘ったるい声を出した。
「どうしたの?」
 この声を聞いてしまうと一瞬で体がほてるのが分かる。多分頬を染めているだろう。でも幸いなことに今は夜だ。気づかれないはず。
 あとは言うだけ――。唇をきゅっとかみ締め決意した。おもむろに和樹くんを見る。瞳も和樹くんを一直線に見る。暗くて分かりにくいけど、若干微笑んでいるように見える。
 これが私の全て。
「付き合って、ください」
「えっ……」
 言い終えると益々体温が上昇するのが手に取るように分かった。私は恥ずかしくなって、両手で頬を覆った。どうしよう、どんな反応するかな……恐る恐る和樹くんの様子を窺う。大きく目を見開いていて、その眼差しは私から離れない。時が止まったかのように瞬き一つしない。
 しばらくの間沈黙が続いた。その間に私の体温も戻った……はず。和樹くんはいまの出来事が理解できたのか、見開いていた瞼を肉眼で分かるくらい遅く閉じた。
「ごめん……まだ自分の気持ちが整理できてないんだ。だから、その気持ちには応えられない」
「そう……だよね」
 瞼を開き、哀切した表情を見せる。
 和樹くんの笑っている以外の顔を初めて見た気がする。和樹くんのこと何にもわかっていないのに……告白しちゃって、なんてバカなんだろ私。
「でもさ、これからも一緒にお昼食べたり、帰ったりはしようね?」
 そう言って先ほどまでの表情を感じさせないほど、和樹くんはにっこりと笑う。なんて優しいんだろう。こんな私にも笑いかけてくれて。また今までどおり同じように接しようとしてくれる。
「な、永沢?」
 妙に焦ってる。こんな姿も初めてだ。ああ、私は本当に和樹くんのこと何も知らなかったんだ。それなのにっ……それなのに。
 ふと頬に温もりを感じる。視線を落とすと、和樹くんの手が私の頬を触れているのが目に入った。
 あ。いつの間にか私は俯いていて……泣いてるみたいだ。どうしてだろう、涙が止め処なく出てくる。彼が優しくしてくれているから? なら、どうして涙が出てくるんだろう。優しいのに泣いてしまうなんておかしい。そんなの、そんなの……おかしい。
「永沢、今日はもう帰ろう」
 私はただ黙って頷くことしか出来なかった。また歩き始めると視界が翳み始めた。

*******

「永沢、ここで合ってる?」
 見慣れたマンション。ここは、私が住んでいるマンションの前だ。隣には和樹くんがいる。頭がぽかぽかして、胸が温かい気持ちで満たされている。
「合ってるよ。でもなんで?」
「あの後、永沢一人で帰すのが怖くて」
「怖い?」
 涙はもう止まっていた。頬には泣いた跡が残ってるけど……。
「オレに告白してきた後、オレの腹に手を回して縋り付いてくるから。ここで別れたら帰れないんじゃないかと思って」
 ……全然記憶にない。告白した後、涙が止め処なく溢れてきたのまでは覚えてるけど、その後どうやってここまで来たのか全く記憶にない。未成年なのに擬似酔っ払い体験をしてしまったのか。
 えっと、そんなことより。何も考えようとしないおぼろげな頭が徐々に冴え渡ってきた。和樹くんの話を聞く限り。
「ごっ、ごめん!」
 謝りたい気持ちと、恥ずかしさが込み上げてくる。和樹くんのお腹に手を回すなんて……っ! 鼓動が高まる。
「別に謝らなくてもいいよ」
 和樹くんはズボンのポケットに手を突っ込んで微笑んでいる。
「それじゃあまた明日」
「う、うんっ。また」
 和樹くんは歩き出したけど私の隣でぴたりと止まった。私の高さに合わせようと身を屈め、耳元で囁く。
「オレに縋り付いてくる姿、かわいかったよ」
 またすたすたと歩き出し、足音が遠くなっていった。限りなく甘い声で言われたその言葉に、鼓動が高まっていたのもあって私はまたしても頬を染めてしまった。和樹くんってそんなこと言う人だったっけ。なんにしても今日は初めて体験したことが多くて、一生忘れられない日だろうと私は頭の片隅で考えていた。

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