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テツヤの夜

 愛をうまいこと俺の家に連れ出せたのはいいが、この状況……どうする。
「てっちゃんもお風呂入ってきたら?」
 俺の部屋に愛がいる。俺がいつも座る椅子に愛が座っている。それだけでも燃えるというのに、愛は風呂あがりで顔が上気している。その様がなんともエロい。もうなんか色々このシチュはヤバい。それにシャンプーやボディソープ、愛自体の匂いも相まって俺ごと部屋を包み込んでいる。しかし、ピンク色の服でないのが残念なところだ。ピンクだったら完璧のはずなんだが。
「どうしたの固まっちゃって」
「あ、ああ。なんでもない」
 首からかけているタオルで、肩まで伸びている髪を拭いている姿はだいぶ成長したと感じられる。愛がそうなら、俺もそれだけ成長したって言えるけどな。
「もしかして、お風呂入ってる間に部屋見るとでも思ったから動かないの?」
 愛は苦笑しながらそんなことを言う。確実に口元が引きつってる。
「いや」
「そ、そうだよね! 女の子に見られたくないものもあるよね」
 目を真ん丸くして一人で焦ってるぞ。愛ってこんなヤツだったっけ。別に見られたって困るものはない。でもあれは……まあいいか。
「大丈夫だ――っ!」
 乱暴に腕を掴まれて、無理やり立たされた。
「てっちゃんが大丈夫でも私は駄目なの。出てくるまで私はリビングにいるから。ほら!」
 それはいいのですが。
「あの、き、着替えを」
「何やってんの、早く〜」
 よく分からないが怒られた。言われた通り、素早く着替えを持って愛と一緒に風呂場へ……違う。ひとまずリビングへ向かった。そこには親父とお袋がニュース番組を見ていて「これは間違ってるよね」なんて話をしていた。何の影響力も持たない人間が何言っても無駄だけどな。逆言うと何を言っても影響しないって利点もある。
「風呂お先に」
 一言声をかけると「は〜い」といかにもな生返事が返ってきた。見事にハマってるみたいだ。愛はするりとその輪に入って、溶け込んでいた。入って早々「それ、解る!」とか言ってる。……愛はやっぱ世渡り上手だな。さて、風呂だ風呂。
 脱衣所のドアを閉めてそそくさと服を脱いだ。今日はなぜだか上の服を脱いだところで鏡が気になった。うわ、俺って体だけ見ればかっこいいな。ツラは別として腹筋が少しだけ割れてる。胸板も厚くなってきてるし、野球部に入ってほんと良かった。っていうか、寒っ! 早く入ろう。下も脱いで風呂場のドアを開けると、愛の匂いを感じた。
 あいつが出てからまだ十五分ぐらいか。そりゃあ換気扇が回ってても抜け切らないな。浴槽に浸かると冷えた体がじわじわと温まってきた。
「ちょっと……ぬるい」
 風呂に入るのってだいたいは俺が一番で、その時は熱々なんだ。たまに遅くなったりして二番目や最後に入ると少し冷えてるんだよな。ただ、愛がここに入ったことを考えると……追い炊き機能なんて使わなくてもへっちゃらだ。そうして愛の温もりを感じながら俺は二十分ほどで風呂を出た。


「風呂、お先っした」
 壁掛け時計を見たお袋がテレビから目を離さず、小さく呟いた。
「あら、それじゃお母さん入ってこようかしら」
 入る気あるのかよ。それはともかく、愛は親父と談笑していた。親父……昔っから俺には見せないような笑顔しやがって。愛は渡さねぇぞ。親父が顔を上げて俺を見てくる。
「おいテツ、愛さんはどうするんだ?」
「どうするって何を?」
「寝床」
「そりゃもちろん……」
 うぐ。そこまで頭は回っていなかった。愛はもう立派な女子高生だから、こんな汚らわしい男子高生とは一緒に寝られないか。つっても目的は鼻っからそれだし、愛がどうするかだ。風呂あがりに俺の部屋に来たってことは少しでも俺に好意を持っているんじゃあ。
「テツがここで寝ればいいんじゃない?」
 疎外されていたお袋が割って入ってきた。色々言ってくるはず……と思いきや、テレビの主電源を消して
「誰も入らないんじゃお母さん、入ってくる」
 風呂に立ち上がったようだ。何言われるか分からなくて、ちょっとドキッとしちゃったじゃんかよ。当の愛は黙りこくって俯いている。仕方ないな。チャンスはまだあるはずだ。
「俺はそれでいい」
「いいよ。私がここで寝る」
 さっきまでだんまりを決め込んでいた愛が口を開いた。幼馴染だからと言って男にはそんな甘えは許されないだろ。――幼馴染だからこそ、だな。
「いいって」
「私は親と喧嘩したからここに来たんであって、これ以上迷惑はかけられないよ……」
 今にも泣き出しそうな声。
「だから、てっちゃんは気にしないで」
 俺に振り向けるすごく寂しげな笑顔。
 そのギャップに俺は我慢が出来なかった。
「無理するな」
「えっ?」
 また目を真ん丸くする。目頭から一筋光るものが流れた。
「そんな簡単に泣くなよ」
 守ってやりたくなるじゃないか。椅子に座っている愛の横に立って両膝をついた。体をこちらに向けさせて、腕を背中に回してそっと包んでやる。肩にかかっているタオルがまだ濡れている。俺の肩に泣きついてきた愛の頭に手を回すと髪は半乾きだが、それでもサラサラしているのが分かった。愛は強く俺の脇下を握り締める。背中に腕を回さないのは「遠慮」なんだろう。俺は単なる幼馴染で彼氏でもなんでもない――ただの友達だから。
 ボディソープの匂いがする肩甲骨辺りに顎をくっつけると、むにゅっと柔らかい感触が顎だけでなく輪郭を覆った。今ならこれくらいしても怒んないよな。
「愛は昔っからこうだな。強がりのくせに涙もろい」
「……ばか」
「ばかってことはないだろ」
 長い間こうしていると愛の嗚咽も治まってきたようで、俺は愛の背中に向けていた視線をゆらゆらさせた。
 ぬあっ! お袋は風呂に行ったからいないが、親父はまだいるんだった。
「お二人さん、それはいいのですが」
 親父がそう言い始めた途端、思わず愛を離してしまった。三人とも気まずい雰囲気だ。二人して下向いちゃってる。俺も同調しようとしてしまったのをグッと堪える。
「な、なぁ、それでどうする?」
「てっちゃんがいいなら」
「え? どゆこと?」
 何がいいの? 愛は恥ずかしそうにモジモジしているぞ。今は上気して赤いんじゃなくて恥ずかしくて赤いのか。
「いいなら、一緒に寝るって事! 言わせないでよね!」
 なんだかまた怒らせてしまったようだ。親父に目線を移すとにこっと笑った。承諾してくれたようだ。俺が立ち上がると親父の目元に明らかな不快が見えたが、ここは気にしないでおこう。先に行ってしまった愛を追う。
「んじゃ、おやすみ! 待てよ、愛」
 部屋に入ると愛はもう俺のベッドに入り込んで、横臥していた。後ろ髪がしなだれている。俺が入ってきたのが分かったのかこっちを向いてむくれた。
「てっちゃんのばか。乙女心を解ってない!」
「なんだと。抱きとめてやったっていうのに」
「それとこれとは別」
 なんだかなぁ。なんでこんな理不尽なヤツを好きになっちまったんだろ。
 こいつの相手をしてても埒が明かない。とりあえず布団を引っ張ってくるか。和室にある押入れから敷布団と掛け布団一枚を一枚ずつ持ってきてベッドに沿うように敷いた。パイプベッドみたいに高い位置で寝るのじゃなくて良かったぜ。
「枕は?」
「それでいい」
 愛は起き上がっていて、胸元で大事そうに抱えていたアザラシ型のクッションを掻っ攫った。
「ね、てっちゃんってそういう趣味だったの?」
「うっせーよ。関係ないだろ。愛こそ気に入ってたんじゃないのか」
「じゃあお互い様ってことで」
「ほんとお前は……」
 調子合わせるのだけはうまいよな。秒針を刻む音がカチカチとうるさい壁掛け時計に目を移す。もう十一時か。
「寝るか」
「うん、おやすみ」
 電気を消して目が暗闇に慣れない中、布団に入り込む。背中に来る感触がいつもより硬い。当たり前だよな、敷布団一枚じゃ。めんどくさがらず二枚にしときゃ良かった。
「明日は謝るんだぞ」
「……ホンット、この家の人たちは優しいね。もちろんてっちゃんも含めて」
 上から声が聞こえる。流されてしまった。仕方ない、合わせるか。
「優しい?」
「だって私は親と喧嘩してここに来たんだよ。それなのに何も問い詰めてこなかった」
「そうかあ?」
 ただ単に我関したくないってだけじゃないのか。衣服とシーツが擦れて音を立てる。こっちを向いたのかな。
「本人がどうとかじゃなく、私から見たら優しく感じる。それにてっちゃんがまたてっちゃんらしくなってて良かった」
「だな。『らしく生きる』は俺の座右の銘だもんな」
「そこは否定しないのね。でもそこがてっちゃんらしいけど」
 笑い混じりにそんなことを言ってくれた。「俺らしい」か。「らしく生きる」ってここ数日でまた強く思えた。色々な人がいて、色々な感情を持っている。愛にあの質問をしたら……。沈黙が闇を覆う。寝心地が悪いのか、もぞもぞする音だけがする。どう切り出すか考えているともぞもぞする音がいつの間にか消えていて、規則正しい呼吸音が聞こえてきた。愛はもう寝ちゃったか。俺も寝よう。なんだかんだで今日は疲れていたのですぐに眠りに入ることができた。――だが。


「あ、れ……」
 起きてしまった。外はまだ暗い。寝ぼけ眼を擦りつつ、アザラシ枕の近くに置いた携帯をパカッと開ける。こういう時は壁掛け時計って使えないな。手元の携帯に目をやる……うお、この明るさは来る。待ち受け画面はアザラシの真正面からの写真で、純白。そういや変えたばっかだったんだ。思わぬ伏兵に目をやられながらも何とか時間を見る。
 二時十八分。思いっきし真夜中じゃねぇか。携帯を折り畳み元の場所へ戻す。……今日の愛には酷かもしれないけど、しちゃってもいいかな。
 俺はいそいそと布団から這い出て仰向けで寝ている愛の表情を窺う。さっきの携帯の光で目はチカチカしてるけど、ずっと瞼を閉じていたのが勝ったのか目は暗闇に慣れていてうっすらだが愛というのは分かる。窓から差し込む月の光で見える影は愛を妖艶とさせていた。俺と話していたまんまの体勢で寝たのかベッドの端に寄っている。その通りだとしたら寝返り打たなさすぎると思うけどな。
「愛」
 俺は愛を起こさないよう慎重に足元を跨いで、隣に寝そべりそっと髪に触れた。乾くと更にサラサラだ。愛もずいぶん女らしくなったな……。枕で浮いている首の後ろに腕を通し肩に手をかける。肩に手をかけたときにビクンと反応して呼吸を乱したが、またすやすやと寝息を立て始めた。動いたおかげで顔がちょっとこっちに向いた。……思っていた顔と違う。なんだか苦しそうな顔つきだ。でもこの思いは止められない。
 腕を引き抜き、愛に跨って四つん這いになった。左の手足がベッドから落っこちそうだがなんとか堪える。鍛えた甲斐があった。この位置からずっと愛を見ていたい。向き合って話したりってあんまなかったもんな。この角度からだとエロく見える。顔の角度とか少し出ている手とか、普段は前髪がかかっていて見えないデコとか。ああ、このまま体を下ろしていって愛の上にかぶさるのも悪くないな……寝起きの驚いた顔を見てみたい。そんなエロい妄想を繰り広げていると、愛は喉の奥から搾り出したような声を出した。
「てつや……だめ、だ、よ」
 圧搾されていて、切実な声でそう囁かれるとエロい妄想もすぐにしぼんで消えていった。俺は素直に自分の布団に入り込み、何も考えないようにして寝た。

 翌日、元気な愛の姿を見て昨夜、理性が勝ったのを猛烈に後悔した。

2008.10.31 了

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